3-3 そんな、強くないんだ
「よし。じゃあ条件を確認するぞ。接触はアリ。クリーンヒットになると思ったら寸止めに切り替え。もし切り替えが間に合わなくても俺が割って入るから、これをやったら危ないかもとかは心の隅に留めておけばいい」
「思いっきりやっていいってことだよね」
「ああ――一応言っておくけど、魔紋の全開放はやめろよ。稽古場が燃えるのだけは俺でもどうしようもない」
やらないよ、とイッカがジルに言うのを聞きながら。
クラハはそのやり取りに、少し気にかかることもあって。
するとその様子に気付いたらしいイッカが、「ああ」と頷いて服の袖を捲ってみせてくれた。
奇妙な紋様。
それが、彼の両腕に浮かんでいる。
「クラハさん、魔紋って知ってる?」
「はい。一応、基礎的な知識くらいなら」
ええと、と冒険記録や冒険小説の記憶を探りながら、クラハは答える。
たしか、と。
「生まれついてその人に特定の魔法が結びついている印――というのが正確な言い方かわかりませんけど」
「大体そんな感じで合ってるよ。その特定の魔法が強力なものになりやすいとか、それに引っ張られて魔紋の出てる場所が強くなるとか……細かいことはあるけど、大体そんなとこ。あ、でももちろん、」
いいことばっかりじゃないよ、とイッカに言われれば。
クラハも、ぼんやりとした知識をもとにしながら、それに頷く。
「他の魔法の習得が難しくなるとか、その特定の魔法の暴発があるとか、そういう苦労もあると……」
「そうそう。流石、ジル先輩の弟子だけあってよく知ってるね」
「俺は別に、そのあたりは何も教えてないぞ。クラハの知識がすごいだけだ」
ジルの言葉に、一瞬イッカは不思議そうな顔をしてから、しかしすぐにクラハに向き直って、
「まあでも、僕の場合はもうそういう段階は過ぎたけどね! ここで剣術を教わってるうちに、魔力とか内功の操作も覚えたから暴発はないし。他の魔法は別に使わなくても今時生きていけるもんね。強いて今残ってる苦労があるとしたら――」
ぴょい、とイッカは左に結んだ髪を自分で引っ張って、
「色々試してるうちに両利きになって、逆に左右がわかりづらくなっちゃったことかな。ほら、お茶碗ってどっちでも持てるし。あとは雷系の魔法だから冬に静電気バチバチーっとか」
「ああ。そういえばイッカさん、屋敷の中を案内してくださるときも……」
「そ! 方向音痴ってわけじゃないんだけど、右と左はよくわかんなくなっちゃうから、いっつも左を結んで目印にしてるんだよね。でも……」
ふふん、とイッカは笑って。
腰に提げた二本の剣を、するりと抜き放つ。
「おかげで二刀流の使い方なら、今の門下生の中じゃ一番上手いよ」
パチ、と。
その腕に微かな稲妻が走るのを見ながら。
クラハは一度、強く目を閉じて。
それから、応じるようにして剣を抜いた。
「……はい。では、よろしくお願いします」
「それじゃあ、構え――なくてもいいが。合図で始めるぞ」
これでいいか、とジルは、ポケットの中からコインを取り出して。
「俺が上に投げて、それが床に落ちた瞬間が合図。いいな」
「はい」「りょーかい」
「それじゃあ――」
いくぞ、と言って。
ひゅ、とコインは、天井目掛けて投げ上げられて。
一秒。
二秒。
落下音。
「ハッ!」
「――っ!」
飛び込んだのは、イッカが先だった。
身を低く屈めて、双剣を交差させながら、素早い動きで。
対するクラハは下段に構え直す。正しい構えこそが最も堅牢な鎧となる――そうと知っていたから、剣先をイッカの喉元に向けて、容易にこちらの懐に入れはしないという警告を出しながら。
そのままの正しい構えで――、
「やっ――!」
諸手突きを、繰り出した。
悪くはない動きのはずだった。
正面から来る相手に反応して、彼女は僅かに立ち位置を右方にずらした。向こうがそのまま突っ込んできたとしても、相打ちにならないように。こちらの剣だけが、向こうの喉元を通すように。
そして、その突きの精度自体も、決して悪いものではなかった。
体重がしっかり乗っていて、それなりの重みがある。
クラハの待ち構えた位置はちょうどイッカの右剣の射程外。であるなら、イッカは左剣のみで両手突きへの対応を迫られる。
非常に単純な話として。
両手による攻撃を、片手で防ぐのは難しい。
当然武器は両手で扱われた方が力を込めやすく――また同時に、正確性も保証されるからだ。
クラハの狙いは、決して悪くはなかった。
立ち位置も、攻撃手段の選択も、その方法も。
今の彼女にしては、全てが悪くはなかった。
けれど。
「よっ、」
その両手突きが、イッカの左剣と触れ合って。
マズい、と思った瞬間には、もう遅い。
シャリ、と僅かな金属音とともに、クラハの剣が滑っていく。
イッカの剣の腹に添えられるような形で、力の方向をズラされていく。
完全に見切られている。いなされている。
剣が流される――そう思ったから、彼女はさらに力を振り絞って、どうにか左剣を押し込み切ろうとする。
「あ――、」
それが、敗着だった。
力が利用されている。イッカの左剣が、クラハの剣を巻き込んでくるりと回る。握力が保たない。剣が引っ張られる。手首の可動域を越える。指が開く。剣柄が零れて、
ひゅ、と。
大きく、クラハの剣が宙を舞って。
イッカは、空いた右剣をクラハの胴の手前に突きつけながら。
「…………あれ」
呆気に取られたように、
「そんな、強くないんだ」
†
「そこまで」
ジルは言いながら、クラハの剣が落ちてくるのを手に取った。板張りの床に傷がついてしまうと後の補修が面倒になる。だから、それが地面に着いてしまう前に、念のため。
そして、こう思っている。
現時点では、順当な結果だろう、と。
ジルはクラハのことを弱いとは思っていない――むしろ、現時点で「羨ましい」と感じる部分すらある。
けれど、イッカと戦って勝てるほど強い、とは思ってはいなかった。
可能性はゼロではなかったと思う。勝負に絶対はない。
けれど、腕力や剣技を競う形に持ち込んでしまった時点で――さらに言うなら、真正面から正直に決闘をしてしまった時点で、彼女は相手の強みに合わせた戦いをしてしまった。だから敗北した。
けれど、それが悪いこととも、ジルは思わなかった。
「上手くなったな、イッカ」
「……え、そう?」
「なったよ。……って言っても、こういうのって自分だとよくわからないんだよな。三年前からだと見違えるくらいに上手くなってるよ」
「……まあ、三年前と比べればそうかもしんないけどさ」
「それに、クラハも」
もちろん、負けてしまえば悔しい思いはする。
「結果は残念だったけど、立ち回りはもちろん、狙いもすごくよかったぞ。そうだな、だから――」
自分だってそうだからわかる。負ければ悔しい。あらゆる勝負に勝ちたいと思う。しかし現実には、多くの人間は失敗の全てを避けて通ることはできないのだ。
クラハが、自分で選んだことであれば。
何かを掴もうと手を伸ばしたことは、決して悪いことではないはずだ、と。
ここから一緒に、どんどん頑張っていこうと。
「この間の熊の魔獣との戦闘も合わせて、一度スタイルの確認をしてみよう。今持っているものと、持っていないものを改めて確認して、それで時間があれば今日から少しずつ――」
思っては、いるのだけど。
「――クラハ?」
返事が、なかった。
自分の差し出した剣に気付いた素振りを見せもしないまま、ずっと彼女は俯いていて、動かない。だからジルは、もう一度、もう少し近寄ってから声をかけて。
「大丈夫か?」
「あ、は、はい! 全然大丈夫です!」
けれど、すぐに。
声が届けば、クラハはいつものように、顔を上げる。
それから自分に剣が差し出されていることに気付けば、「す、すみません……!」と、しかし普通の調子で受け取って。
「今の戦闘の、あの、反省をしていて」
一瞬、ジルは訝しがる。
本当にさっきのクラハの無反応は、単に考えごとをしていたからというだけのものだっただろうか……。今こうして話している分には、特段の問題はないように思えるけれど。
一応、訊いておくべきかもしれないと。
質問を口にしようとした、瞬間のこと。
カンカンカンカン、と。
鐘の音が、鳴るのが聞こえた。
あまりにもそれが切羽詰まったような音だったから。
話の途中ながら、ジルもクラハも、その音のした方を見て。
そして、イッカだけが、その音の意味を、呟いた。
「――――避難警報?」