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2-1 おいすー




「少し見ない間に腕を上げたな、ジルくん」

「恐縮で……だ」

「咄嗟に丁寧語が出そうになるのは、相変わらずみたいだが」



 東の国の、山の中の町。

 その中にある、一際大きな建物……屋敷。『道場』の一室。


 イグサの床材、畳の敷かれた部屋の中に、ジルとクラハのふたりは並び。

 その対面には切れ長の目の、髪の長い中年の男が、おかしげに口の端を上げて座っていた。



 男の名はサミナト。

 この『道場』の、主だった。



「しかし竜殺しの次は滅王の再封印者か。若い頃のヴァルドフリードでも、もう少し君より大人しかったぞ」

「いえ、そんなことは。ただ、人よりタイミングがいいというか、悪いというか……」

「それでいてその控えめさと真面目さは不思議だな。師の良いところだけを継いで、悪いところは全て無視した」


 いいことだ、とサミナトはしみじみ頷いて、


「それに比べてうちのは……継ぐ気があるのかもよくわからん。実力は申し分ないんだが、これでは私もおちおち引退できんよ」

「そんな。まだまだ引退というには早いでしょう」

「いや。最近とみに実感してるんだが、老いには勝てないものだぞ。上手い下手はまだいいが、強い弱いからはそろそろ身を引く頃合いだよ。ほら、君もかけているが、私も眼鏡を買ったんだ。本が読みにくくてな。老眼だ」


 サミナトが懐から取り出したケース、その中に入った紐付きの丸眼鏡を見ながら、ははあ、とジルは頷く。



 もうすっかり、夜が来ていた。


 一方が壁、二方が襖、残りの一辺が薄い障子戸で囲まれているこの部屋に、ほとんど自然光はない。ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりだけが、今の三人を照らしている。


 どたばたと、時折その障子の向こうを、数人が通り過ぎていく音がした。


「ま、そんな爺のたわごとはともかくとして、滅王関連でもしものことがあればの協力だったな。もちろん、喜んで力を貸そう。……が、こちらも少し、今は時期が悪くてな」

「山の魔獣が?」


 うむ、とサミナトは頷いて、


「どうもうちだけでもないらしいが。知っている限りでも三箇所ほど、国内で魔獣の活性化が見られている。滅王との関連はわからんが、当面のところは町の治安を優先させてもらいたい」

「ええ、それはもちろん。俺のこれも単なる先触れで……ゆえ、正式な協力などは教会や魔法連盟、政府からのそれをお待ち……願う」

「うむ。理解に感謝する。……ときどき君の喋り方は、私より爺みたいになるな」

「…………うん。はい」


 恥、という顔で黙り込んだジルを、サミナトは「ははは」と笑って、


「ま、昔からうちとそっちは持ちつ持たれつだ。自分の家と思って寛いでいくといい。……で、そちらはお弟子さんかな」


 ええ、と言って、ジルが目線で促せば、クラハもその気配を敏感に感じ取ったらしく、頭を下げた。


「クラハと申します。数週間前から、ジルさんに剣を教えていただいています」

「…………ふむ」


 一瞬、サミナトは意外そうに目を開いた。

 けれど、すぐに穏やかな目線に変わって、


「そうか。いや失礼。師弟になって間もないというなら、お互い気を遣うところもあるだろう。何かあったら、私でも他の者でも構わない。ふたりとも、何でも相談してくれ。……っと、もう交代か」


 サミナトが不意に、ジルとクラハから目線を外す。

 それがなぜなのか、対面していたふたりのどちらにもわかった――鐘の音がしたからだ。ごうん、と鈍い、大鐘の音。おそらく、時間を知らせるための。


「今は道場の者も協力しながら、交代で町の警備に当たっていてな。私も休んでばかりではいかんというわけだ」


 どっこら、とサミナトは立ち上がり、


「泊まる部屋はジルくんが昔使っていた客間があるだろう。あそこと隣の部屋をそれぞれ使うといい。もし細かいことがあれば、もうすぐ入れ替わりでチカノのやつが戻ってくるから、そちらに訊いてくれ」


 いいか、と彼が訊ねれば。

 かたじけない、とまたやたらに古臭い口調で、ジルが頭を下げる。


 それにやはり、サミナトはくすりと笑って。


「何はともあれ――色々と、大変だったな。長旅にも疲れただろう。ふたりとも、今日はゆっくり休むといい」


 それではな、と言ってサミナトは、部屋を出て行った。





「……まあ、あんな感じの人」


 とりあえず、とジルは。

 さっきまで明らかに緊張していた様子だったクラハに、そう声をかけた。


 気持ちはすごくわかる、とジルは思う。

 サミナトは別に気難しくはなく、どちらかというと気さくな人のはずだ……けれど、これから間借りする屋敷の主で、しかもとんでもなく強い達人だとあっては、普通は対面で力を抜くことはできない。自分だってそうだった。


 だから、とりあえず。

 一旦会話を挟んでその緊張のアフターフォローをしよう、と思いながら。


 いやでも待てよ、とジルは考え始めてしまう。

『強い』というのと『世話になる』というのの合わせ技。実はそれはサミナト相手のみならず、自分に対してもまたクラハは感じているアレなのではないかと――、


「ええと、その。こういう言い方が正しいかはわかりませんが……」

 しかしそのめんどくさい思考を遮るかのように、クラハの返答は早く、


「すごく強そうな方でしたね。なんというか、立ち方や、所作が洗練されているというか……」

「あ、そうそう。やっぱり気付くよな。このへんでうちと道場とで流派の違いが出るんだけど――長くなるから、移動しながら話すか」


 サミナトの言った『昔使っていた客間』への行き方を、ジルは当然、全く覚えていない。

 まあでもそのへんにいる門下生に訊ねればいくらでも案内してくれるだろう……そんな行き当たりばったりの精神で、膝を立てて、立ち上がって、


 しかし。


「…………クラハ?」

「……あの、すみません。ジルさん、お先に……後から追いつきますので」


 クラハが、足の横に両手を突いたまま、立ち上がらないでいた。


「……もしかして足、痺れたか」

「いえ、あの……はい。すみません、これってどう治せば……」

「ああ、無理に立たなくていい。ごめんな。先に足崩してもいいって言っておけばよかったな」

「いえ、私が勝手にやったこ、ぅあっ」

「いいや、もうそのまま身体ごと前に倒しちゃえ。うつ伏せになろう」

「えっ、い、いいんでしょうか」

「いいって全然。しょうがない、しょうがない」


 ほら、とジルは補助を入れながら、クラハの身体を伸ばしていく。

 最終的に、彼女は畳の上、肘を立てて真っ直ぐに寝転んだ状態になる。


「すみません、みっともない姿を……」

「いや、俺も慣れない頃はそうなった。体重の掛け方にコツがあるんだ。……ところでさ、」


 こんな姿勢のままでなんだけど、と前置きはしておいて、


「クラハはどう思う。魔獣の活性化、滅王の関連だと思うか?」

「……どうでしょう。正直に言って、あまり現時点だと確証はないような気がします。魔獣の活性化自体は、ときどき起こる災害ですから。ただ今回は、強さだけはどうしても……」

「ああ。やっぱり、そのへんか」


 だよなあ、と言ってジルは口元に手を当てて、考える。

 あの熊の魔獣は、強かった。蛇の魔獣に至っては、多少なりとも自分から気配を隠せていたということ、さらにあの矢を受けてもなお息があったという事実から、それ以上の強さがあったと見ても構わないはずだ。


 野良の魔獣にしては、妙に強い。

 そればかりが、気にかかっていた。


「……ま、そのへんはおいおい確認していけばいいか。そろそろ足、どうだ?」

「あ、いけそうです」

「よし。じゃあ、ゆっくり起き上がってみるか」


 ほら、と手を差し伸べれば。

 すみません、とクラハも言って、その手を掴んで、立ち上がる。


「おいすー!」


 ちょうど、障子が開いたのはそのときだった。


「どうせ客間の場所とかわかんないだろうから案内に――」


 イッカ。

 左側だけを結んだ髪の、小柄な少年。


 すぱーん、と障子を開け放ったから。

 ふたりが手を取り合って立っている瞬間に、立ち会うことになり。


「…………あれ。なんか、お邪魔しちゃった?」


 んなことないけど、とはジルが答えた。




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