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1-3 元気なの



「魔獣、でしょうか」

 クラハが声をひそめて呟く。彼女もまた、ジルと同じ方向を見つめながら。


 それに対して、ジルは。


「――だな。このへんにはそんなに強いのはいないと思うが、」

 気を付けろ、と彼女に。


 野良の魔獣というのは、基本的にそれほど強いものではない。

 迷宮や魔力スポットにいるものと違い、十分な魔力供給を得られないためである。


 ゆえに、それほどの警戒をする必要はない、というのが基本的な判断にはなるものの。


 ここにいるふたりは、野良でありながらも強力な魔獣――外典魔獣と呼ばれる、滅王のしもべたちの存在を知っているから。


 だから、通常の冒険者や旅人がするそれ以上に、警戒をして。


「……私が、前に出てみてもいいですか」

「ん、」


 クラハの申し出に、一瞬だけジルは迷う素振りを見せてから、


「そうだな。色々経験してみよう。後ろからフォローする。気を付けてな」

「はい……!」

 気合は十分。


 クラハが剣を抜く。一歩、二歩と近付くその歩法の隙の無さには、ジルも少しばかり目を見開くものがある。


 位置取りは完璧。

 茂みから何かが出てきた瞬間に、押し切るも引くも絶妙な間合いに彼女は立って。


 小さく、唱える。


「――〈吹け〉」


 剣は構えたまま。

 短い呪文で、ほんの僅かな風を。挨拶代わりに送り付け。


 がさり、と森からそれは、顔を出した。


「――――たぬき?」


 ずんぐりむっくりした、茶灰色の生き物。

 魔獣ではなく、ただの、とぼけた顔の野生動物。


 それが、ひょっこり現れて。


 なんだ、とクラハが肩の力を抜きかけた瞬間。



「グォオオオオッ!!」

「――っ!?」



 もう一匹。

 草陰から、それは現れた。


「熊の――」

 魔獣が、そこに。


 背が高い、というよりでかい。縦にも横にも広がりがあり、単純な体重ではクラハの四倍近いだろうという巨大さ。


 それが、大きく吼えたてて。

 頭上からその鋭い爪で、襲い掛かってくる。


「――っ!」

 クラハはそれを、ぐっと前に重心をかけて、姿勢を低くすることで躱す。


 懐。

 胸の下に、潜り込むようにして。


「ここから――!」

 しかしクラハは、その目の前の無防備な身体に、すぐさま剣を突き立てることはしなかった。


 そこから魔獣の脇のあたりを掴んで、引っ張って、大きな柱に回り込むようにしてぐるりと身体を入れ替えて。


 背後。

 完全に、取って。

 剣を突き立てる。


 はずだった。


「――――あ、」

 けれど、彼女の剣は。

 刃先が魔獣の毛皮に、ほんの少し食い込んだだけ。


 さらに押し込もうとしても、それより魔獣が振り返る方が早く。

 結果としてクラハの握力が負け、魔獣の肉に食い込んだ剣が、そのまま持っていかれるような形になり――、



「――うん。いいな」



 パン、と。

 その熊の首を、ジルの剣が刈り取った。


 ばしゅう、と霧が吹き出す。

 それは、魔獣が滅ぼされたことを示す合図。


 揺らいで。

 どおん、と熊の魔獣が、地に倒れ伏す。振動に、木々に止まっていた鳥々が飛びのいていく。


 その背から落ち着いた様子でジルは剣を抜き、クラハに差し出した。


「す、すみません……!」

「いや、全然! 思ったより魔獣が強かったな。でも、内容はすごくよかった」


 クラハが慌ててそれを受け取る。

 ジルは「怪我はないか?」と訊ねて、はい、と頷いたクラハに「そっか」と笑って、


「まず風の魔法で入るのは初手としてよかったな。攻撃の後隙はどうしても発生するところだけど、あの形なら構えを解かないでいけるからリスクを消せて――ん、」


 講評に入ろうとして、その途中。

 さらに何かに気付いたようにして、再び茂みの向こうに、目をやった。


「……まだ、何かいるな」

 目線は鋭く。

 剣を握ったまま。


 そしてその言葉を裏付けるかのように、べきべきべき、と木々の圧し折れる音。

 それが、ゆっくりと遠ざかっていく。


「……クラハ、ちょっと訊きたいんだけど」

「は、はい! なんでしょう!」

「この熊の魔獣、どのくらい強いと思った?」


 一瞬、彼女は戸惑って。

 それからしかし、「主観が入るかもしれませんが」と慎重な言葉で前置いてから、


「……外典魔獣〈インスト〉が街に攻めてきたとき、そのほかに溢れ出ていた魔獣たち……それから一枚落ちる、くらいでしょうか」


 つまり、通常ならAランク冒険者程度が対峙するであろう程度の、魔獣。


 ジルは熊の身体を転がす。

 外典魔獣の印は、入ってはいないけれど。


「そういうのが外を出歩いてるって……どうだ? ありうると思うか?」

「強力な魔力スポットがあるなら、あるいは……」


 ちらり、とジルは空を見上げた。

 春の夕暮れは、藍色混じりの紫にその色を変えつつある。


 もうすぐ、夜が来る。

 しかし、それでも。


「――放置しておくと死人が出るな。クラハ。深追いしておきたい。サポートしてもらえるか」

「はい! わかりました!」


 ふたりは、森の奥へと進んでいく。

 そしてそれほどかからずに、追うべき魔獣の痕跡を見つけた。


「……周りの草木が折れてる。さっきまで、ここにいたな」

「かなり大きいですね。足跡は……いえ、這い跡ですね。蛇だと思います。サイズは……」


 クラハが屈みこんだのは、散乱する枝葉、根本あたりから折れた木の幹。そしてそれらを押し潰すことで残された、這いずったような跡。

 そこから、彼女は推測して、


「ここが頭のとき、このあたりが尻尾になると思います」

「……でかいな。俺くらいなら二、三人は丸呑みにできるぞ、これ」


 ジルの言葉に、クラハも頷いて、


「これなら追跡も容易だと思います」

 こっちです、と先導して、歩き始めた。


 確かに、彼女の言う通りだった。

 蛇の這い跡は、随分とはっきり残っている。ただそれを歩いて追いかけるだけで、十分だった。


 けれど、クラハが口にすることには。


「……ジルさん。駆け足でも構いませんか」

「ああ。いいけど……どうした?」

「竹林に入りました。……このままだと、いえ、ひょっとするとすでに、人里まで辿り着いてしまっているかもしれません」

「……了解。周辺警戒は俺がやるから、追跡速度をできるだけ上げてくれ」


 はい、とクラハも頷いて、言われた通りに。

 それから少なくとも彼女については、ほとんど全力で走るようにして、魔獣の後を追った。


 その足が止まったのは、ギリギリのところ。

 ほとんど起伏もなくなって――おそらくここを抜けてしまえばすぐに、人里へと出るだろうという場所。


 そこでぴたりと、クラハは停止した。


「どうした?」

「いえ、這い跡がここで終わって――」


 ジルもまた、彼女と同じく目線をやろうとした。

 竹林の最中……唐突にその蛇の這い跡が途切れたのを見て、いったいどこに消えたのかと、推察しようとした。


 けれど、それより。


「上か――っ!」

 気配を感知する方が、早かった。


 超重量。

 巨大なそれは、幾本の竹に絡みつくようにして、ふたりの頭上に待ち構えていて――、


「シィイイイッ!!」


 降り落ちてくる。


 クラハがそれを見上げる。

 それよりも早く、ジルは剣を抜いている。




 そしてそれよりも早く、横合いから飛んできた一本の矢が、魔蛇の頭を貫いた。




「――え」

 クラハの声がするよりも、その矢が貫いた頭ごと竹に突き刺さる方が、やはり早い。


 びたびたびた、と蛇の牙から滴り落ちた毒液が、竹林の土の上にじゅうじゅうと煙を上げて大穴を作り出すのを眺めながら。


「……どっから射ってんだ、あいつ……」


 呆れたようなジルの言葉。

 彼はすでに、剣を持つ手から、力を抜いている。


 どころか、それを鞘にまで納めてしまう。

 魔獣はまだ、霧を放っていない。ゆえに息があるとわかるにも、かかわらず。


「ジルさん! まだトドメが――」

「いや、大丈夫。射った本人ではないけど、元気なのが近づいてきてるから」


 何もしてないから今回はそっちは譲る、と。

 呟いた直後に、クラハの耳にも届いてくる。


 足音。

 竹林の土を踏みしめて、がさがさと近付いてくる、高速の何者か。


 よく聞けば、きっとクラハにもわかったはずである。

 その音が二本の足から生み出されたものであること――その歩幅から、それほど背の高くない、小柄な人間のものであること。


 けれどやはり、それを理解するよりも先に。

 その足音は、ふたりの前に、姿を現した。



「〈摩訶――」



 跳躍だった。


 ふたりの正面から、ひとりの少年が――少し長い髪を左側で結んだ少年が、飛び出してくる。


 東国の意匠によく見られる、広い袖。

 捲れ上がったそれから覗く、奇妙な紋様。


 彼は、竹に打ち付けられた蛇の高さまで、軽々と跳躍し。

 その紋様の浮かぶ両腕に握った双剣を、仰け反るほどに振りかぶり――




「――雷天双〉!」


 稲妻とともに、振り下ろした。




 ばちり、と紫電が弾ける。

 スパーク。それはひょっとすれば、輝きだけならジルのあの爆発技にも匹敵するようにも映り。


 数十度の瞬き。

 そののち残されたのは、炭化した魔蛇の死体と。


 それから。




「――威力上げたな。イッカ」

「でしょ? さすがジル先輩、わかってるぅ!」




 これからふたりが向かう〈道場〉の、門下生のひとり。


 イッカという名の少年の、これでもかという笑顔だけだった。




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