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8-3 〈月の夢〉



 魔人の中で、何かが切り替わっていた。

 あるいは、外典魔装〈灰に帰らず〉の中で――確かに、何かが。


 それは対峙するジルにはわかったし……そしておそらく、それ以外の多くの人間にもわかったことだろう。


「ここで俺と心中でもする気か――!?」


 その魔力の迸ること、まるで際限なく。


 次々に〈魔剣解放〉の熱線が、ジルへと撃ち放たれてきていた。


 止まっている時間はない。ただでさえ広い攻撃範囲を持つ技である上に、掠っただけでも身体が消し飛びかねない。〈オーケストラ〉戦での〈体験〉がどれほど自分の内功を高めているのか……まさかその身に受けることで確かめるわけにはいかない。


「厄介な――!」

 叫びながら、ジルは夜の街を駆けていく。

 回り込んでいる時間などどこにもない。壁を走って、屋根を飛び越えて、時には低空を飛行する〈インスト〉を足掛かりにすることまでしながら、その執拗な追尾から逃れていく。


 どんどん、その街は壊れ果ててゆく。

 魔剣はその名の通り、熱線の通った場所には灰すら残さず――全てを平地に変えていく。


「ジル!!」

 その叫びは、魔人の遥か背後――大聖堂の上空から聞こえてきた。


 とても普通の声が届く距離ではない。伝達のための魔法を使ったのだろうということが、容易に想像できる。


 その声の主は、ユニス。


「回避範囲を広げすぎるな! それ以上行き過ぎると、直線上に避難の終わっていない区域が重なる!」

「了解――!」


 さらに状況は厳しく。

 向かって右へと進んでいたジルは、その熱線を飛び越えるようにして一気に左へとその進行方向を切り返した。


 細く長く、息を吐く。

 命の危機とほんの髪の毛一筋を隔ててすれ違っているような、いつ終わるとも知れない回避行動を続けながら。


「手助けは!?」

 ユニスから言葉が飛んできて。


「無用だ!」

 そう、ジルは返した。


 これは、エゴやプライドだけの問題ではない。

 いまだに〈インスト〉の数は空から減り尽くしてはいない。自分が広域攻撃手段を持たない以上、ここでユニスの魔力をいたずらに消費してしまえば、たとえ外典魔装を下したとて総力戦を余儀なくされ、多くの血が流れることは疑いようもない。


 だから、これは自分の仕事なのだと。

 ジルは、理屈ではっきりとわかっている。



 そしてまた、選択肢は二つあった。


 一つは、外典魔装の魔力切れを狙うこと。

 これほどの広域魔法剣技を連続して繰り出していて、長くそれが持つとは思えない。ならばこの距離を保ちながら〈魔剣解放〉を避け続け、その魔力が切れたところで叩くという選択肢。


 しかし、これには問題がある。

 夜明けまで、そう時間もないということだ。


 リリリアとユニスの言葉を思い出す――夜明けとともに訪れる皆既日食。それは魔獣の力を大きく上昇させる。となれば、外典魔装も同じだろう。ひょっとするとそれを計算に入れた上で、この異常な攻勢は行われているのかもしれない。


 現時点で、拮抗状態なのだ。

 新たなファクターが加われば、一息に覆される可能性は、十分にある。


 であるなら、もう一つの選択肢――。



「正々、堂々――!」

 覚悟を、決めて。


 仕留めるために、ジルは走り出した。



 チリチリと、何かこめかみの内側で奇妙な音が聞こえてくる。

 極度の緊張が生み出した幻覚か、それとも危機を察知するための感覚器がちょうどそこに存在してでもいるのか――わからないがしかし、彼はそれをも無視して、前へと進む。


 今なら見える。

〈オーケストラ〉を前にしたときにはぼんやりとしかわからなかった、魔力の発火光――その出元が、そしてその向きが、発散のタイミングが、今の彼の目には、くっきりと映っている。


「お、ぉおおおお!」

 吼えた。


 そして迫りくる〈魔剣解放〉の圧倒的な奔流を前に――それでもなお前に進みながら、彼はそれを、紙一重で躱した。


 じゅ、と服の裾に火の粉がかかる。

 しかしそれは彼の疾走速度にはひとたまりもなく、ほんの一秒の間もこの世に留まらないまま、消え果てしまう。


 一度では収まらない。

 二度、三度、四度――次々と繰り出される〈魔剣解放〉を、ジルは躱し続けた。接近し続けた。


 泣き叫びたくなるような恐怖。

 死そのものへと飛び込んでいくような無謀。


 その果てに、ジルは。

 五度目の〈魔剣解放〉の、その直前。



「づ、え、あァああああ――!!」

 その大刀が振り下ろされ、魔力が放出される――そのほんの僅かな一瞬、力の緩みを捉えて、魔人の右腕を跳ね上げた。



 途轍もない波動とともに、魔剣の力が夜に放たれる。

 空が割れていく――あるいは、そこから世界が、真っ二つに引き裂かれてしまう――誰もがそう錯覚してしまうような、古き神話の時代の、闇の光。漆黒の太陽。


 それはしかし、空を舞う魔鳥の他、誰の命も奪うことも。

 何の形も奪うこともできず。


 目の前の、ただ淡き力だけを武器に戦う、剣士によって逸らされて。


 大技の後には、当然大きな隙がある。


「獲った――!」


 ジルは魔人の懐に、再び入り込んだ。


「オォオオオ!」

 魔人は叫ぶ。

 しかしそれがすぐには攻撃動作に繋がらないことを、ジルは知っている。


 だから彼は一息に、剣を振り抜いて。




 一閃。

 首が飛んだにも、かかわらず。


「は――?」

 そのまま右の大刀が振り下ろされてくるのを、見た。




 思考が追い付かなかった。

 ただ見たものを、そのまま受け入れるほかなかった。


 首がなくとも、魔人は動く。

 本体は――この魔人を絶命させるための命の糸は、そこにはなかった。


 彼はもう数瞬遅れてから気付くことになる――魔剣がゴダッハを取り込んだこと、それから何度も魔人としての身体を治す素振りを見せ付けてきたことで、打倒の条件を人間と同じと思い込まされていたのだと。本当は、その右の大刀こそが、それだけが、自分の攻撃目標とすべきものだったのだと。


 しかし、咄嗟の瞬間に知覚できたのは、たった一つの直観だけ。



 誘い込まれた。



「ま、ず――!」


 大刀が、ジル目掛けて切り返される。

 それをどうにか……どうにか、彼は膝を抜いて、がくりと地面に崩れ落ちるようにすることで避ける。



 顔を上げれば、再び上段に。

 夜空を裂くように大刀が構えられているのが見えた。


 死が、形を持って迫ってくるのが、見えた。



 そのとき彼は――ジルは知らなかった。


 ユニスがその危機を見て、上空から別の魔法を飛ばそうとしていたこと。


 リリリアが彼に、遠い距離から防御魔法をかけようとしていたこと。


 そしてクラハも……それ以外の戦える人間たちもまた、拙いなりに己の技で以て、その大刀を一瞬でも止めようと動き始めていたこと。




 そのことを知らず――ただ。

 ただ彼は、己の魂に、追い付こうとしていた。




「あ――」


〈オーケストラ〉を一刀の下に斬り伏せたときと、同じ。

 今、彼の魂が、先んじて動き出していた。


 彼は、剣を振るしか能がない。

 ゆえにどんな窮地に立たされたとしても、実を言うと彼の取れる手段は、常にたったの一つしか残されていない。


 剣を振ること。

 剣を振って、相手を倒すこと。


 だから、肉体より意識より、それよりもずっと先に、魂が動く。

 己のすべきことを知る魂だけが先に動いて――目の前に立つ敵手を、斬り伏せる。


 その感覚を、彼は。

 再び死の間際で、思い出していた。


〈体験〉ではない。そしてまた、〈覚醒〉でもない。


 ただ、彼は気が付いた。

 そうか、と。


「剣は――」



 こんな風に振るものだったのか、と。



 ユニスもリリリアも、そして当然クラハたちも――結局、その援護を間に合わせることはできなかった。


 しかしそれでも、ジルは生きていた。


 魔人の大刀は、地に落ちている。

 まるで、ただ間違えてしまったかのように。ジルの脳天に叩き落とすはずだったものが、誤って逸れてしまったかのように。


 当然、外典魔装がそんな失敗を冒すわけがない。


「――――!!」

 横薙ぎの一閃。


 それをジルは、さらに一歩、前方へと踏み込みながら……魔人の懐に一瞬で詰めるようにして起き上がることで、いとも容易く避けた。


 とん、と剣の柄で魔人の腹に触れる。

 魔人が膝で蹴り飛ばしてくるのを、甘んじて受け入れる。


 その膝に手を合わせて、その力を肘から肩へ、背中へ。宙返りするようにして、距離を取る。


 魔人が再び大刀を振りかぶる。飛び掛かってくる。

 今度もまた、同じことをするだけ。


 その大刀の腹に剣を少しだけ合わせるようにした。

 ほんの僅かな力――それだけで、大刀の軌道が逸れる。轟音とともに、地に振り落ちる。


「ギ――ガァアアアアアッ!!」


 剣戟。大刀の剛刃は七閃を宵闇に光らせ、しかしそのどれもが、目の前の剣士の脆い肌に傷一つ付けることも叶わない。


 代わりに、再び地に堕ちた大刀の漆黒の刀身には。

 闇を裂く光のように、剣の傷が。


「まだ浅い――」

 その傷から煙が噴き出して。


 もう相手も、なりふり構うことをせず。


 大刀に、魔力が込められようとしていた。

 それはもちろん、〈魔剣解放〉のために。


 大刀は、もう振られなかった。

 それがおそらく、外典魔装〈灰に帰らず〉が仕掛けた、最後の奇策だった。


〈魔剣解放〉のたびに張ってきたブラフ――あたかも剣を振らない限りはその技は発動できないように見せかけてきたこと……それが、最後の罠。


 まるで予備動作もなしで〈魔剣解放〉を行い、この街を、国を、ひょっとすると自らをも巻き込む覚悟で――――その禍々しい魔力の全てを、解き放とうとした。目の前の剣士を、爆殺しようとした。


 しようと、した。



「秘剣――」



 けれど、彼の剣は。

 その魔法の輝きよりも、遥かに速く。


 カウンターと呼ぶには、あまりに速すぎる。

 太陽が光るよりもずっと先――その生まれることすら待たずして輝き出した、月のように。




「――〈月の夢〉」




 どんな生き物にも柔らかい場所があり、

 そしてどんな無機物にも、脆い場所がある。




 それをジルは、ただ一直線に、斬り落とした。





 キン、と剣を納める音が鳴る。

 ばしゅう、と勢いよく、魔人は――否、その魔剣は、身体から煙を噴き出す。


 それはこれまでの――再生の予兆とは、まるで違う。

 その命が潰えたことを、知らせる合図。


 魔人は地に伏し、ぐずぐずと崩れ始めている。

 そしてやがて、その中からは気を失ったゴダッハと、真っ二つに圧し折られた魔剣〈灰に帰らず〉の姿が現れる。


 剣を納めたまま空を見上げれば、いまだ流星の魔法で魔鳥を落とし続ける大魔導師が、不敵に笑っていた。


 視線を落として遠くを見れば、聖女もまた、そこで穏やかに笑っていた。


 その隣では、信じられない、というような顔で、クラハが、冒険者たちが、聖騎士たちが、目を見開いていた。


 その全てを、眼鏡を通してジルは見つめ――それから、ふ、と息を吐いて、歩き出す。



「勝利――いや。人に心配をかけるようじゃあ……」



 俺もまだまだ未熟だな、と。

 一人、そう呟いて。






†〇☆†〇☆†〇☆






 やがて、勝鬨が聞こえてくる。

 外典魔装の撃破から二十分後、あらゆる魔獣は――古の時代から這い出てきた亡霊たちは、その街から姿を消した。



 今を生きる人間たちの、勝利だった。





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