8-2 〈魔剣解放〉
決着の五割は初太刀でつく。
そのことは、十分に分かっていた。
だからこその、跳躍。
「ふッ――!」
三足が必要だった間合いを、一足で飛び抜けた。
そのまま、上体を勢いよく振り抜ける。内功は最初から完全な形で身体を巡っている。すでに迷宮で何度も苦しめられたような、力に剣が耐えられないという事態のことを、ジルは気にしてはいない。
どんな剣にも、優れて強い部位は存在し。
またどんな生き物にも、並外れて柔らかな部分が存在する。
その法則を理解し、目で捉え、確かにその場所を斬りつけるだけの力があるのなら――得物の強弱は、攻撃の成否にまるで影響しない。
そのはずが、
「くッ――」
「おおぉアッ!!」
カキン、と。
その一刀は、魔人の右の大刀に受け切られた。
「疾い――!」
外典魔装による浸食は、ゴダッハの身体の形をも変えている。
その身長は、ゴダッハ自身の元の大柄も相まってか――ジルの二倍近くにまで膨れ上がっている。
巨大なものは、大抵の場合細かな動作を苦手とする。
その鉄則はしかし、目の前の結果が否定していた。
完全な防御。
首を狙うがための攻撃的跳躍は、ジルの身体を宙に浮かせている。
宙に浮くということは、身動きが取れないということだ。
「がァッ!」
魔人がそのまま、大刀を振り払う。
まともには受けられない――ジルはその力に逆らわず、むしろ従った。魔人の力の向きを己が身体の内に留めず、後ろへと逃がす。結果として現れるのは、大袈裟なくらいの吹き飛び。
ゴロゴロと転がって、市街の壁に背中をつくことでようやくその動きを止めて。
顔を上げた瞬間には、もう目の前に魔人がいる。
彼もまた、跳躍していた。
「――――ッ」
ジルは身体を、起こさない。
その場で受けることもしない。むしろ、さらに低く沈めた。
轟音が響く。
ガラガラと壁が崩れるどころの話ではない。街全体が直接巨人の手で揺らされたような、強烈な震えが走る。
それをジルは避けて――跳躍の足元を潜るようにして背後に回り込み、魔人の踵を斬りつけていた。
残心。
ジルはその場に――魔人の振り向きざまの攻撃が当たる場所には留まらず、素早く二足を踏んで距離を取る。
再び構えれば、街を破壊した強大な魔人の背中が映る。
そして斬り付けたはずの踵からは煙が立ち上り――鼓動のようにその肉がどくりと震えると、みるみるうちにその傷が塞がっていった。
「……なるほどな」
勝てない相手ではない、とジルは思った。
動きは速い。力が強い。多少の傷はその膨大な魔力によって治癒してしまえる。
だが剣とは、自分より強大な相手を打ち負かすがための道具なのだ。
ビジョンは見えている。相手の攻撃をかいくぐり、隙を見て一刀ずつを刻んでいく。ただそれだけの、ごく単純な勝利への道筋……そして、自分ならそれが可能であると言い切るだけの、自負がある。
「……だが、百回も二百回も繰り返すとなると、どうかな」
凍夜に一筋の汗をかきながら、そう呟いた。
魔人が跳ねる。数多の巨鳥と星々を背負って、頭上から降ってくる。
ジルはそれを、大きく後ろに跳んで躱す。
目の前――その胸先に触れるか触れないかの距離を、魔人の剣が掠めていく。
それが振り切られた瞬間には、ジルは前に踏み出している。右に払われた剣が左に切り返されようとする――慣性と腕力が釣り合って運動エネルギーがゼロになった瞬間、中空に停止した大刀を足場にして駆け上がる。
最後の踏み込みは、その大刀を地に叩きつけるほどの、強力な震脚。
ガァン、と地面との破砕音が響き渡って。
ジルの剣が、魔人の首に向かって振り切られる。
「――効かないか」
そしてまた、ほとんどその半分を切り裂いた傷跡すらも、瞬く間に煙に包まれ修復された。
「――オォオオオオ!」
「なら、こいつは――!」
魔人がその大刀を跳ね上げる瞬間。
ジルはもう一度、大刀の上で踏み込んだ。
力では魔人の方が圧倒的に上――けれどジルの目的は、その大刀を沈めることでも、また、叩き折ることでもない。
ただ、上を取るため。
全身の内功をその右足の踵に集中させて、ジルは魔人の頭上を舞う。
そしてその足刀を――
「〈爆ぜる雷〉!」
力の奔流とともに、魔人に叩きこんだ。
光が爆ぜる。眼鏡の奥で、ジルは目を細める。そしてその一撃の後は素早く離脱し、魔人を観察する。
剣は成長しない。
けれどジルの身体は――あの巨馬を前にして攻め手に欠けていた頃と比べ、迷宮での修練と三度目の〈体験〉を経て、以前よりもずっと強靭に変わっている。
だから全力の一撃を叩きこんでも、その威力に身体が壊れることはない。
ゆえに放たれた、その力技。
「グォオオオオオ!!!」
「……これでもダメか」
しかし未だ、魔人は健在。
四分の一ほど頭部は破損していたものの――それでも再び、その形を取り戻しつつある。
斬撃も、打撃も。
両方とも、効き目の良いようには見えない。まして刺突のような対象領域が狭い攻撃は、なおさら効果が低いだろうとわかる。
であるなら、取るべき方法は何か――二つを、ジルは思いついている。
一つは、愚直にこの攻防を繰り返すこと。何度も何度も魔人に傷を与え、その治癒に必要なだけの魔力を枯渇させること。
もう一つは――
「頭と胴が離れれば、流石に死ぬか――?」
その治癒の能力を超えるほどの深手を、一刀の下に魔人に負わせること。
考えている時間はない。
「チッ――!」
治癒を終えた魔人は、瞬時に彼我の間合いを詰めていた。
上段から振り下ろされた大刀を、剣を合わせずに半身で躱す。体重の乗ったその一閃は、とてもこのナマクラでは受けられない。
地面を揺らすその一撃。
返す刀はわかっていたから、ジルはその動きの起こりに踏みつけを合わせる。
僅かな力で構わない。力の量は常に一定ではない。動き出し、動き終わり――どれほどの怪力の持ち主でも、どこかにはその力の緩む瞬間がある。その一瞬にこちらの全力を乗せてやれば、それで押さえ込むことができる。
そしてその一瞬が、今の彼――眼鏡による視力補助を受けた状態の彼には、見極められる。
コンマ一秒の停止。
それだけで、ジルには十分。
剣が、魔人の腹を裂いた。
「ガァ――ッ!」
魔人は怯まない。
常人であればはらわたの裂けて動けなくなるほどの傷でも、瞬時に次の攻撃行動に入る。こうなればジルの使う機先を制する小技も意味はない。ゆえに素早く、彼はその足を大刀から外し――、
「ふッ――」
身体を半回転させながら、魔人の懐に潜り込んだ。
大刀が跳ね上げられる。そのときにはすでに、ジルの剣は己が背中を向けている魔人の足に、深々と突き刺さっている。
次に来るのは、その足の跳ね上げ。
読んでいたから、ジルはそれも足場に変えて跳ぶ。魔人の頭に手を添えてその跳躍距離をコントロールすると、そのまま宙にくるりと体勢を変えて、魔人の首に、その剣を押し当てる。
「貰った――」
それはもちろん、彼の一閃が通る場所。
ず、と刃がその肉に入り込む瞬間に。
ジルは、その気配を……迷宮の中で一度だけその身に受けた、たとえようもなく昏いそれを、確かにその身に感じ取った。
死。
そしてそれは、目の前の魔人に与えられるものではなく。
「――――!」
なりふりは、構わなかった。
あとたった一秒にも満たない時間を押し込めばその首を両断できただろうにも関わらず、ジルはその剣を魔人の肌から引き抜いて、そして思い切りその肩を蹴り込んで離脱した。
次の瞬間、激しい爆発は。
「〈魔剣解放〉か――」
思わず、ジルはその言葉を口にした。
第三層から中層へと叩き落とされたときにも見た――あの、〈灰に帰らず〉が強大な魔力と引き換えに放つ、強力という言葉を七つ重ねてもまだ表しきれないほどの凄まじき魔法剣技。
それが今、魔人の右の大刀から、放たれていた。
比べ物にならない。
一度見たあのときとは、まるで威力が違う。もしもあと一瞬判断が遅れていたら、本当に灰も残らずに消えていただろうと、確信できる。
「あのときは――」
あなたが、とジルは呟く。
ゴダッハが外典魔装の力を抑え込んでいたから、あの程度で済んでいたのか、と。
「――にげ、ろ……」
〈魔剣解放〉を終え、周囲一帯に途方もない破壊痕を残し――その真ん中で、魔人はゆっくりと、ジルへと振り向いていた。
「ヒト、では、決して……」
彼の言うことが誇張でないことは、ジルにもわかっている。
今の〈魔剣解放〉の威力は、迷宮で自分を削り取った〈オーケストラ〉のブレスと同じだけの力を持っている。いや、ひょっとするとそれ以上――。
人では勝てないと、ゴダッハが思うのも無理はない。
「モう、いい……サイ、封印が、さレたなら……。こコを、スてて……」
「――いいや」
しかし、それでも。
ジルは剣を、強く握る。
「必ず叩きのめしてやる――やられっぱなしは、気に入らないからな」
半年分の借りがある、と。
再び目の前の――外典魔獣中位種を上回る力を持つ魔人に、剣を向けた。