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1-3 全っ然見えん



 遭難したときに何をすべきか。

 当然、その場に留まって助けを待つべきである。


 が、流石にそう上手くはいかないだろうとジルは考えた。かなりの距離を落ちてきた。救助までに一体何年を待つ羽目になるのか、想像もつかない。


 というわけで、ジルは自力で迷宮からの脱出を目指すことにした。



「……あれ、俺いま、なんか下ってないか?」

 方向音痴なのに。



 きょろきょろとジルは辺りを見回した。が、見回したところで何が目に入るというわけでも――いや、正確に言うなら目には入っている。入っているが、それがなんだかさっぱりわからないのだ。


 壁かな?

 うん、たぶん壁だよ。


 そのくらいの解像度でしかジルは物を捉えられていない。

 付け加えて言うなら、壁なら多少の圧迫感を元に遠近感を掴めるが、地面となるとそうはいかない。下を向いたところで段差があるのかないのかすら読み取ることができない。ということでジルは平らな道のところどころに待ち構える些細な穴ぼこ(あるいは突起)にことごとく蹴躓きながら前へ前へと進む羽目になっている。


 普通につらいな、と思っていた。

 周囲一帯を薙ぎ払って更地にしてやりたいな、と強く思っていた。


 しかしその七転八倒七転び八起きの懸命な旅路の果てにジルは階層通路へと辿り着くことができた。やったぜこうなりゃこっちのもんだぜこの調子で地上まで一目散だ――そんな調子で意気揚々と歩いていたところに思わず彼の口から放たれた台詞が、ついさっきのこれである。


 俺いま、なんか下ってないか?


 迷宮の各階層を繋ぐ通路は、階段の形状をしていないことが多い。

 ときたま自然とそうした形になっている場所もあるようだが、とにかくこの迷宮はそうではない。


 ゆるやかなスロープ状の構造を取っている。

 歩み始めは、確かに上向きだったはずだ。


 が。

 今は。


「……いや、待て待て待て。おかしいぞこれ。合ってるのか?」


 なんだか下っている気がするのである。

 猛烈に下っている気がするのである。


 途中急に足が軽くなってきたような気がして、何か変だと思ったのだ。ちなみに足が軽くなるまでに歩いた時間が五分で、その後は二十分を歩いている。


 起伏のある道なのだと思っていた。

 てっきりどこかでもう一度上り坂になると思っていた。


 が、いつまで経っても下るばかり。

 このまま地獄の底まで連れていかれてしまうのではないかと不安になって、流石にジルも足を止めた。


 そして腕を組み、考えた。

 行くべきか、行かざるべきか。

 つまり引き返した方がいいのかどうかを、考えた。


 ここで方向音痴に関する豆知識をお届けすると、彼ら彼女らはおおむね二つのタイプに分かれると言われている。


 一。とにかく疑うことを知らない途方もないアホなので、間違った道を進んでいようがなんだろうが関係なくドスドス進んでありえないほど明後日の方向へ爆速で進んでいく者。


 二。とにかく心が弱いので、ひょっとすると自分は今迷ってしまっているのではないか……という不安に負けてしまい、本来あっているはずの道ですらあっちへフラフラこっちへフラフラを繰り返し、訳の分からない道へと迷い込んで行く者。


「…………いや、読み切った!」


 そのことを、ジルはよく知っていた。

 そしてこうも思っていた――おそらく自分は二番目のタイプ。なぜならば自分には考え込む癖があり、師匠との修業時代にもことあるごとに疑問点を口にし続け、最終的に何か口答えをするたびに「理屈屋開店! からんからーん!」と一発ギャグなんだか嫌味なんだかよくわからない合いの手を師匠からその都度入れられるという憂き目にあってきたから。


 そう、自分は二番目のタイプ。

 だとするなら、ここで心の弱さに負けてしまえば、さらに迷う!


 つまりこの階層通路――臆せず進み切るのが、出口への道!


「ふっ……。口ほどにもないな、最高難度迷宮……!」

 完全に制覇させてもらった――そんな勝ち誇った笑みとともに、ジルは次の一歩を自信満々に踏み出した。


 ちなみにその階層通路はさらなる下層へと続いているので、ジルは盛大に出口に背を向けたことになる。


 あと、彼は一番目のタイプである。

 自己認識はともかくとして。


 ついでに言うと、たったいまジルが踏み出した足の裏でカチッと鳴ったのはトラップ発動の音で、階層通路に鉄砲水がずどどどっどどどどどどどどどどどと押し寄せてきている。


 流石に最後のは、音で気付けた。


「は?」


 どっちに逃げれば、と。

 口にする間もなく、ばしゃん、と。


「お、ごごっごごごごごごごごごっ!」

 ものすごい勢いで、ジルは流されていく。当然、水は低きに流れるために、どんどん下層の方へと。


 しかし彼はそれに気付けない。気付く余裕がない。なにせ足がまったく地面につかない。息継ぎをしようにも階層ごとの馬鹿高い天井いっぱいまで水は押し寄せて隙間などどこにもない。


 渦潮に飲み込まれた虫けらのようだった。

 成す術もなく、ジルは運ばれ運ばれ、どんどんと運ばれ――。


 ぺいっ、とようやく水の中から吐き出された瞬間には。



「――――っ!」

 殺気。



 かきん、とそれを剣の鞘で弾いた。


 それを握る手がびりびりと痺れる。ぼやけた視界の中で何かが動いている。ほとんどその像は頼りにならず、音と、風と、それからついさっきの感触から読み取った間合いの想像を元に、ジルは大きく飛び退る。


 それでも、額のすぐ前をびゅう、と何か巨大なものが掠めて、ぱらぱらと前髪が鼻の上に散ってきたのが、わかった。


「そういう罠か――!」


 なるほど、とジルは納得している。

 鉄砲水。てっきりそれだけで命を奪うつもりの罠なのかと思ったが、どうも違ったらしい。


 あれは強制移動装置。

 目の前にいるらしい魔獣の下へと、冒険者を無理やりに連れてくるための機構。


 当然、弱々しい魔獣の前にわざわざ連れてくる必要はない。

 それだけ大掛かりな仕組みの最果てにいる魔獣なんて、どう考えても強敵に決まっていて――、


「っ、こうか!」

 もう一度、ジルはそれを避けた。


 そして、強い、と心の中で確信する。

 よく見えんがとにかく強いらしい、と心の中で呟いておく。第三層で地上戦をしていた際の階層主――つまり果てしない空中戦に持ち込まれる前の――それと劣らないくらいの力はあるのではないかと。たった二振りの風が教えてくれた。


 そして、状況はそのときよりもずっと悪い。


「全っ然見えん!」

 がきん、ともう一度、鞘が鳴った。

 今度は、受け止めようとして鳴らしたわけではない。避けようとしたはずが、見切りが不十分だった。間合いが、思ったよりも近かった。


 相手の構造がよくわからないのだ。


 魔獣は当然、人間よりも複雑な形状をしていることが多い。

 水辺に現れる魔獣と来れば巨蟹あたりなのではないかと想像することはできるが、しかし確証はまるでなく、また魔獣は大抵動物をモデルにしているだけで、動物そのものではない。ぼんやりと窺えるシルエットごときでは、まるで相手の正確な姿を捉えることなどできはしない。


 関節の継ぎ目も見えないのだ。

 弱点がどこなのかもさっぱりわからない。ついでに言うなら、自分の足元の状態がどうなっているかも――


 いや、待てよ。


「――――っし!」

 今度は、避けられた。


 音だった。

 水の音。


 たった今この場所までジルを連れてきた鉄砲水――それが、この辺り一帯の地面にひたひたと満ちている。


 魔獣が動けば、その音でどこにいるかを知れる。

 それに、微かな視覚情報だとしても、動体視力は生きている。音と合わせれば、攻撃のタイミングくらいは。


「ふっ――!」

 二度、三度。


 ジルはそれを避けた。

 魔獣も恐るべき力である。並大抵の冒険者であれば、その一振りを身体に受ければ肉片の一つも残るまい、とジルにはわかる。内功――身体内部に満ちる力――がもしも例の竜殺しより以前で止まっていたとしたら、彼だって最初の一撃の下に命を奪われていたはずだ。


 とんでもない強敵。

 しかし、その巨体を相手に、この迷宮内部を覚束ない足取りで逃げ回るなど、それこそ望みのない話。


 ゆえに。


「結局いつも、芸がない――!」


 剣を、抜いて。


「秘剣――――!」


 ジルは、構えた。


 水の音が聞こえる。

 それは、踏み込みの音。目の前にいる魔獣が、大きく前に出た音。


 向かって右の脚が深く沈んだ。

 だからおそらく、来るのは向かって右の攻撃手。


 それが風を生み――ジルの下へと辿り着くまでの間。

 その、僅か数瞬。



「――〈月の夢〉」

 

 駆け抜けた。



 剣閃が真っ直ぐに滑っていく。

 魔獣の攻撃を潜りぬけて、胴をすり抜けていく。


 ばしゃ、と鳴ったのは、ジルの着地の音が先。

 勢い余ってそのまま水の上を滑って――突起に足がかかればバランスを崩して、水と泥の中をごろごろと転がって。


 しかし、それでも最後には膝をついてジルは止まって。

 そして、呟いた。


「――獲った」


 霧が噴射するように。

 目の前のシルエットから、真っ黒な煙が噴き出した。それは魔獣を仕留めた合図。身体内部に込められていた魔力が、その結合を失って周囲に霧散していく有様。


 さすがに、裸眼の彼でも、それを見届けるくらいのことはできたから。


 ようやく……肩の力を抜いて、こう言った。



「……試練とでも思わないとやってられないな、これは……」



 溜息は、魂をまるごと吐き出したかのように深く、重かった。




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