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6-5 二度と空には出会えない



 ユニスが語ったのは、裏付けのない推測だった。


 迷宮の階層主は、その深層に進めば進むほど力を増す。そのことに関して、例外はない。対峙する者との相性によってその攻略難度が波することこそあれ、その内包する魔力の程度は、必ず増加していくようにできている。


 それなのに、ジルが第三層でそれほどの相手と鉢合わせているのはおかしい。

 それが、違和感の始まり。


 そして同時に――階層主は、主部屋からは出てこない。

 いかなる法則が働いているのかはわからないが、そういう風にできている。


 それは、彼らの命を奪うほど強大だった〈オーケストラ〉すらも従う法則だ。扉を開けるまでは、階層主からの攻撃はなかった。そのルールに、中位の外典魔獣すらも従うようにできているのだ。


 それなのにどうして下位の外典魔獣が、主部屋から飛び出しながら、なおかつ変形してその真の姿を見せ付けることまでできたというのだろう。


 その答えとなる仮説がある。


「第三層の魔獣は、迷宮の中に生きる魔獣じゃない。

 すでに野に解き放たれた、外典魔獣だったんだ」


 迷宮の内外問わず、魔獣は存在している。

 が、その強弱は通常、迷宮の内部にいるものの方が遥かに上。迷宮の外において、彼らは自らの肉体を維持する以上の魔力供給を得ることができないからだ。


 迷宮とは、魔力の吹き溜まり。

 それによって自然形成される、特殊な場。同程度の魔獣が生息できるのは同じく自然形成された魔力スポットや、先史文明が遺した大遺跡の他には存在しない。


 しかし、それは現代における話だ。

 外典時代――すでに遥か遠く、砂に埋もれかけた古き夜の時代。


 魔力は今よりもずっと濃く大気に匂い立ち……魔獣もまた、人や獣の恐ろしき隣人として、世界を闊歩していた。


 魔獣はその強大な力を保ったまま、外の世界に出て行くことができたのだ。


 しかしそんなことが現代に起こりうるのか、とジルが訊けば。

 最悪の場合には起こりうるのだろう、としか言えない、とユニスは答えた。


「現実に、僕達の目の前には外典魔獣がいる。歴史の中から再び這い現れた命の簒奪者たちが。……それなら、外典時代の再演が行われつつあると言われても、それを強く否定することはできないさ」

「待てよ。流石に考え過ぎだ。確かに第三層は特殊例だったかもしれないが、そこまでは結びつかない。それに、何だって今――――」

「封印、だったんだ」


 そこから先は、リリリアが継いだ。


「外典には失われた頁があるの」

「失われた――?」

「そう。七百年前に起こった、図書館火災。あのとき、外典の原本の一部は焼け落ちてる。それに、第一写本の七冊も、示し合わせたように。第二写本からはもう、どれが本当だかわからないくらいに曖昧になってる……」


 でも、と。


「今、ようやくどの真相が本当だったのかわかった。ラスティエは滅王を滅ぼしたんじゃなく、この場所に封印しただけだったんだね」

「……僕は、そう思う。本当はきっと、ここは自然発生の迷宮じゃない……。ラスティエの創り出した構造と、封印された滅王の魔力流出によって形成された、疑似的な迷宮だったんだ」

「きっと、再封印のための情報も失われた頁の中にあって……それごと燃えちゃったんだ。それか、誰かに故意に燃やされたか」


 ジルは、足りないなりの知識で、彼らの会話に追いすがる。


「じゃあなんだ。封印が解けかけてるってことか?」

「うん、きっと」

「きっと、って……」

「でも、それならあの扉のことも説明がつくんだよ」


 リリリアは言う。


「強力な聖職者と魔導師がいないと開かない扉……あれが何のために作られたのか、説明が付く」

「……再封印用の、通用口ってことか」

「あの扉を開けられるくらいじゃないと、再封印はできないって教えるためのものだったのかもしれないね。……それに、私だけジルくんのところまで転移魔法で降りてきたのは、そういう人だけが通れる近道を踏んだだけだったのかも」


 馬鹿げてるぞ、とジルは髪をかき上げて、


「全部……全部、想像だろ。主部屋から出ても魔獣は姿を保てるのかもしれない。凶暴化するだけなのかもしれない。こんな滅茶苦茶な迷宮だから階層主の強さだってバラつくのかもしれない。俺の主観的な強度評価が間違ってたのかもしれない。それに――」


 なんでよりにもよって今なんだ、と。

 訊いたときには、もうジルは、察していた。


 リリリアとユニスの確信めいた口調だけではないのだ。

 自分の中の……かつて幼いころ、あの真っ白な雪原の中で壊れ、そして再び構成された直観が、こう告げている。


 お前の勘では。

 それは、本当のことなのだ、と。


 運命のように、囁いている。


「〈位階〉が上がったからだろうね。僕は感じてる……この迷宮の奥底から洩れだしている、禍々しい魔力を」

「ごめんね、ジルくん。私も。私も……ここにラスティエがいたことがわかる。あの人が遺したそれが、もう消えかかってることも」


「……どうなるんだ。封印が解けたら」

 わかりきったことを、ジルは訊ねた。


「もちろん、この程度じゃ済まないと思うよ」

「迷宮を模したことで縛り付けられている外典魔獣たち――それが、一気呵成に解き放たれる。中位だけじゃない。本当に封印が解けてしまえば、おそらく、僕たちがまだ見たことのない上位種まで目覚める可能性が……いや。間違いなく、奴らも目覚め、僕たちを滅ぼすだろう」

「滅王が目を覚ませば、その魔力が世界を満たす。……どこにいても、魔獣が存在できるようになる。たぶん、いまは普通の迷宮の中でしか生きられない魔獣たちも、全部。……きっと、私たちの文明も、先史文明みたいに滅びちゃうと思う」


 だったらなおさらだ、とジルは言おうとした。


 なおさら、ここで引き返すべきだ。

 そんな重大な情報を、この三人だけで抱えているわけにはいかない。この迷宮を今すぐ引き返して、国に、世界に、そのことを伝えよう。自分たちは確かに強い。だが、一番というわけではない。それぞれの師匠に伝えよう。協力してくれる仲間を募ろう。慢心して自分たちだけで解決しようだなんて、思うべきではない。


 今に始まったことではないのだろうから。

 まだ、時間に余裕はあるはずだ、と。


 けれどそんなことに、この二人が気付いていないわけがないのだ。


「……時間が、ないのか」

「皆既日食が来る」

 そう、ユニスが言った。


「魔力が最も濃くなる日だ。……ひょっとすると、その拍子に封印が解けてしまうかもしれない」

「……それか、地上で何か動きがあるかも」


 リリリアの言葉に、「地上で?」とジルは訊き返す。


「この街には大聖堂があるんだ。……妙に力が強くて、一体何のためだったんだろうと思ってたんだけど……でも、それなら納得がいく。地上から、滅王を封じるための楔だったんだ」

「……それが、壊されるってことか」

「ありえると思う。皆既日食のその日に大聖堂を壊されても、私以外の三聖女は絶対にこの街には辿り着けない。その場にいる人たちだけじゃ、聖堂の再整備も、少なくとももう一度楔として使えるほどにはできないはず」

 

 それは、とジルは言った。


「大聖堂を破壊するつもりの奴が、地上にいるって考えてるのか。解き放たれた魔獣は、第三層の一匹だけじゃないって……」

「それか、魔獣以外の滅王の信奉者……」


 たとえば、とユニスは言う。


「この街の近くを訪れていた強力な剣士をあらかじめ潰して、いざというときのための計画を円滑に進めようとしている、冒険者とか。そんなことも、考えられないかな」


 ゴダッハ。

 あの男の顔が、ジルの脳裏に浮かんだ。


「もっとも、それは裏目に出たみたいだけどね。……さて、そろそろ行こう」

 そう言って、ユニスは立ち上がる。


「時間の感覚が曖昧だ。……おそらく、僕の記憶と感覚を頼るなら、皆既日食が来るのは三日後の正午。これから先の階層がどのくらい続いているかわからないが、それまでに少なくともこの奥で再封印をかけないと、僕たちの負けだ」

「そうだね」


 続いて、リリリアも立ち上がる。

 それから、ジルを振り返って、こう告げた。


「……ジルくん」

「…………」

「ジルくんは、関係ないんだよ」


 私たちと違ってね、と。


「私とユニスくんはこの場所に使命を持って来た……それにどっちが欠けてもこの滅王の再封印はかけられない。……でも、ジルくんは、いいんだよ」


 彼女の顔は、ぼやけて見えないでいる。

 それでも、その表情が真剣であることに、疑いはなかった。


 ここから先に、命の保証はない。

 元々なかったようなものだけれど……それ以上に。


 運悪くまたこの先で階層主と遭遇することがあれば、死闘どころの話ではない。相手が上位種であった場合には、逃れようのない死がそこに待っている。


「ここまで私を連れてきてくれてありがとう。

 でも、ここまでで、いいんだよ」


 本心からの言葉なのだと、ジルにはわかる。

 もう三ヶ月近くをともに過ごしてきたから……だから、リリリアが本当の優しさから、そう告げていることがわかる。


 けれど。


「――――僕は、我がままを言わせてもらうよ」


 ユニスが、それを遮った。


「情けない話だが、日食まで時間がない。途轍もない強行軍だ。……君がいなくちゃ僕たちは、最奥まで絶対に辿り着けない。

 君に戦う理由がないことは百も承知だ。その上で頼む。

 力を貸してほしい。この世界のために、命を賭けてくれ」


 ふと、ジルは。

 己の手が震えていることに気が付いた。


 いつぶりだろう……恐れよりも先に、感慨深いような気持ちになる。


 弱さを知るための旅だった、とジルは思う。

 この迷宮では、己の弱さと向き合わされた。


 人の仕立てた眼鏡がなければ、ろくに戦えもしない。

 自慢の剣も、まるで通じない。

 命を奪われるばかりか、肩を並べた仲間の命まで、守れないでいた。


 そして挙句の果てには、背負わされようとしているものの重さに、心が震えている。


 どうして自分なのだと、嘆いている。


「――――俺は、」


 世には、もっと強い人間がいるはずだ。

 リリリアやユニスはともかく――少なくとも自分は、そのうちの誰が代わりになってもよかったはずなのだ。


「剣を振るしか、能がない」


 けれど。

 この場にいるのは、まさしくその自分に、他ならなかった。


「冒険者ヅラして乗り込んできたのに、ろくに生活もできないし……眼鏡がないからって大して剣も使えない」


 だから、とジルは、思うのだ。


 仕方ない。


 辿り着いてしまった以上は――たとえ迷い道の果てだったとしても、そこに辿り着いてしまったのなら。

 自分の他に、誰もそれをできないというのだったら。



「そのうえ、方向音痴なんだ――――。

 誰かと一緒じゃなきゃ、二度と空には出会えない」


 強さを背負ったまま。

 弱さに身を委ねてしまっても、仕方がない。



「……ありがとう」

「……それで、いいの?」

「いいさ。むしろ、こっちからお願いしたいくらいだ」


 ジルは、立ち上がり。

 深々と、頭を下げた。


「頼む。最後まで連れていってくれ」

 忘れてるかもしれないが、とジルは付け足して。


「俺だって、この迷宮を攻略しにきたんだ」


 少しだけ、空白があって。


「……うん。ありがとう。よろしくね」

「もちろんだとも! ありがとう……ありがとう、ジル!」


 こちらこそ、とジルは言う。


 ありがとう。



 そして三人の若者たちは、歩き出す。

 その歩みは決して、かつてあったような軽快で、気楽なものではないけれど。


 しかしどことなく――希望に溢れて映る。



 どっちに行こう、と誰からともなく訊いて。

 俺の勘だと、と誰かが答えた。






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