6-2 実感が湧かねえだろうが
「ゴダッハの野郎も、昔はあんな奴じゃなかったのさ。そうじゃなかったら、俺だってこんなパーティには入らねえ。よしんば入ったとして、家族を作ったり――悪党の巻き添えを増やしゃしねえよ」
クラハの家の居間。
テーブル。四つの椅子のうちの三つが埋まり、湯気の立つカップが一つに、すっかり冷めてしまったカップが二つ。
「そんな言い方は……」
「気に障ったなら悪いな。が、まあ事実だ」
ホランドは紅茶の入ったカップの取っ手を指先で抓みながら、しかし口に運ぶことはせず、話を続ける。
「結構、いいパーティだったんだぜ。言っちゃあなんだが、Bランクくらいにいた頃が一番ノッてた。チームワークと戦略で攻略していくタイプでな。中核の主力メンバーはこのへんのあたりで入ってきたやつらだよ。他のところじゃ自分の力が上手く発揮し切れねえ……そういう奴らの、言ったら再生工場だな。あいつにはそういう才能があった」
「それが、どうして仲間を背中から斬りつけるようなパーティに?」
アーリネイトの鋭い問いに、ホランドは瞼を瞑り、
「……どうなんだろうな。魔剣を拾ったのが契機だってことは間違いねえ。あれからあいつの人が変わった。今までの、頼れるリーダーじゃなくなった。……どういう心の動きだったのかは、俺にゃわからねえが」
「魔剣はどこで?」
「Aランク迷宮だ。このへんに拠点を移すより前――
〈それは遥かなる深海に似た〉って名前がついてた」
ああ、とアーリネイトは頷いた。
「報告書で読んだ覚えがある。確か、塩分濃度の濃い水場があったという」
「そうだ。あそこでの課題はいかに飲み水を確保するかってことで……まあいいか。所詮はもう、解かれちまった迷宮だ。今更うだうだ解説することもねえだろ」
そんなことはない、とひそかにクラハは思っている。
Aランク迷宮ともなると、自分では遠く及ばない凄腕の冒険者たちがその知力体力の全てを懸けて挑む大魔宮だ。蔑ろにされていい冒険譚など、存在しない。
が、そのことを口にする場でもないとはわかっていたから、クラハは口をつぐんでいた。
「言えるのは、俺たちにぴったりの迷宮だったってこった。戦闘難度よりも、移動難度の方が遥かに高い。さっきもちらっと言った通り、俺たちは歴代のSランクパーティどころか、同世代のAランクと比べてもだいぶ泥臭えのよ。だから、そういう部分で差が付いた。俺たちのためにあるような迷宮だった……それが、な」
「魔剣はどのあたりで?」
アーリネイトが重ねて訊ねる。
「中層だった」
「……あまり詳しくはないが、魔剣とはそうした場所にはよくあるものなのか?」
「俺だって詳しかないさ。普通は見ねえと思うが、Aランクとなりゃ割合よくあるもんなのかも……くらいに思ってたな」
「ないと思います」
クラハが口を挟めば、二人の視線が同時に集まった。
う、としり込みするような気持ちもありながら、しかし彼女も続ける。
「その……私も最初にゴダッハさんが魔剣を持っていると聞いたときは、すごく驚いたんです。あの、私、冒険譚を収集するのが趣味で、ちょっとマニアックなものまで知ってはいるんですが」
「……ああ、妙に知識があると思ったんだ」
ホランドの言葉にどことなく気恥ずかしいような気持ちになりながら、
「そもそも、迷宮にそうした物……魔剣でなくとも、人工物が置いてあることって少ないじゃないですか。ホランドさんもわかりますよね?」
「ああ。そりゃな」
彼も頷いて、
「そういうのが欲しけりゃ、先史遺跡に潜るさ。迷宮潜りの目的は、踏破した先にある最深部の核を魔法制御して、迷宮内部に溜め込まれた魔力由来の鉱石・燃料資源の採掘を容易にすること――それから名誉と意地のためだ。……俺らにゃ、もう語る資格もないが」
彼の言葉の後半を、無理矢理にクラハは呑み込んで、
「迷宮が溜め込んでいるのは、もっと無秩序に魔力形成されたものです。何度かゴダッハさんの魔剣〈灰に帰らず〉を見たことはありますが、あんなに綺麗な形で自然に発生することは、おそらくありません。……あ、それとも、〈灰に帰らず〉の原形になる魔鉱石を発掘して、その後加工した、というような話ですか?」
だとしたら、とクラハは思う。
いきなり話に割り込んで、知った風な口を利いて、恥ずかしいことをした、と。
しかしホランドは、いや、と首を振った。
「〈灰に帰らず〉は最初に見たときからあのまんまの形だったよ。ただ、俺の考え方はお前とはちょっと違う」
こつん、とテーブルを爪の先で叩いて、
「遺品だと思ったんだ」
そう、彼は言った。
「遺品?」
「そうだ。……珍しいこっちゃねえさ。もっとも、クラハが来てからの二年は〈それは遥かなる深海に似た〉踏破の功績計算待ちで大した迷宮に潜ってなかったから、実感が湧かねえだろうが」
よくあることさ、とホランドは言う。
「途中でパーティが全滅して、荷物だけが残るってな。そこまで物騒な話じゃなくても、その道の途中で攻略不能の判断をして、軽量化のためにその場に物資を置いて踵を返すこともある。そういう落とし物が、迷宮の中にゃよく転がってんのさ」
「しかし、魔剣ともなると何が何でも置いていきはしないはず――なるほど。だから遺品と睨んだのか」
そういうことだ、とホランドは、アーリネイトの言葉に頷いた。
なるほど、とクラハも彼の言うことを理解して、
「すみません。出しゃばったことを言って」
「いい、いい。若えのが出しゃばらねえでどうする」
つっても、と彼は座り直して、
「いい加減、本題に入らねえとな」
その声のトーンを、さらに落とした。
「……そうだな」
アーリネイトも、同じくして。
「先ほど言っていたな。脅されていた、というのはどういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。……俺ぁ一度、パーティを抜けようとしたことがある」
え、と思わず声に出した。
が、この場を止めるほど価値がある驚きではない――そう判断して、クラハは自分の口を、手で押さえる。
「俺だって自分の身の程くらいは知ってるさ。ゴダッハが魔剣を手に入れたことで、ネックだった戦闘力不足が解消されてとんとん拍子のAランク迷宮踏破。そのうえその迷宮の商業価値が評価されてSランク認定……そんな夢物語に耐えられるほど、俺は自分を大した人間だとは思ってねえ」
「それは卑屈か? それとも、謙遜か?」
「事実だよ。……俺だっていい年だ。力のピークが遠のいてることは嫌でもわかる。んで、冒険者になる前にゃ幾分普通の――言い方がよくねえな。まあ、ゲンコツ使わねえような仕事をしてたこともある。Sランク迷宮なんて身の丈に合わねえ大挑戦で怪我する前に引退を……そんな風に考えたこともあるのさ」
それに、とホランドは。
「ゴダッハもそのころにはもう、どっかおかしくなってたからな。長いこと付き合ってきた仲間だけどよ……わかんだろ? 家族を抱えるようになったら、いつまでも諸手広げて大親友ってわけにゃいかねえ。守るべきものにも優先順位がある」
「……すまないな。私は仕事人間だから、容易くはそれには頷けない」
だが、とアーリネイトは言う。
「最低限の納得は示そう」
「難しい話じゃねえさ。俺がいなくてもゴダッハは生きていけるだろうが、家族はそうじゃねえって、それだけの話よ。だから、言いにいったわけだ。やめさせてくれって」
「そうしたら?」
ぐ、と。
ホランドの拳が、テーブルの上で握られた。
「その日、あいつは何も応えなかった。事務方に作ってもらった離脱届もただぼやーっと受け取るだけでよ。本当にこいつ大丈夫か?って心配になったもんだ。
が、要らねえ心配だったらしい。
家に帰ったらよ、あいつ、俺の家族と一緒になって、飯を囲んでやがった」
それは、と思わずクラハが口に出す。
ああ、とホランドもそれを認めて、
「脅しだよ。カミさんは妙な空気に気付いてたが、なにせ俺にとっちゃ仕事の上司だ。邪険にするわけにもいかねえ。薄ら笑いで思ってもねえような上滑りの社交辞令を吐いて、ガキの頭をへらへら撫でて――んで、食い終わって見送りの名目で二人きりになって、どういうつもりだって問い質したら、あいつはこう言った。
『わかるだろう』『二度と妙なことは考えるな』
……それで、俺の目の前で離脱届をビリビリに破って、終わりだよ」
動けなかった、とホランドは言う。
「何も俺だけがこんな目に遭ってるわけじゃねえってこともわかる。俺より正義感の強いやつもいりゃ、気の強いやつもいる。ゴダッハのやり口に対する愚痴だって、俺は裏で何回も聞いてきた。そいつらが急に無口になって、しかもずっとパーティに籍を置いてんだ。不気味だろ?」
「……彼らからは、直接訊かなかったのか?」
「訊けねえよ。俺だって、訊かれたら答えらんねえ。そうやって答えたことで、どんな不利益を被るかもわからねえからな」
だからだったんですね、とクラハも口を出す。
「ジルさんがあんな目に遭ったとき、誰も何もしなかったのは……」
「正直、俺もビビったよ。……ありゃつまり、あの場にいたほとんどの奴らが裏で脅しをかけられてたってこったろ。そうじゃなけりゃ、曲がりなりにもSランクまで上った冒険者の集まりだ。あんな無法、容認するはずがねえ」
「……なるほど、な」
アーリネイトが、深く息を吐いた。
「すべての元凶はゴダッハだった、というわけか。……道理で、誰も口を割らないはずだ」
「……結局は、保身だがな」
「団結して歯向かうことは――いや、そうか。ゴダッハが戦闘力の中核を担っていたのだったな」
束になったって敵いやしねえよ、とホランドは言った。
「〈魔剣解放〉なんざ食らったら、骨も残らねえ。……クラハの家に火が着けられたのも、脅しの一種だろうな」
「ゴダッハはこの近くにいると思うか」
「どうだか……。いてほしくねえとは思うがな」
あの、とクラハは声を上げて、
「ホランドさん、こんなことを言ってしまって大丈夫なんですか。ご家族は……」
口で答えるよりも先に、ホランドは手で、目の前のアーリネイトを示した。
「この間から、聖騎士団が俺たちの家の周りに張り付いてる。……監視目的だろうが、流石にゴダッハの野郎が近付いてきたら、見てるだけってことはねえだろ?」
「……目敏いな。応援が到着したのはつい先日のはずだが」
「家から出ない日々が続きゃ、些細な変化にも目敏くなるさ。それに、これでも一応は弓士だからな。目はいいつもりさ」
これで俺の語れることは全てだ、とホランドは椅子に凭れ掛かった。
「ゴダッハはまだ見つからねえのか?」
「ああ。……一週間前からは人海戦術で近隣の食料品店に張り込んではいるが、一向に姿がない」
「冒険者はいざとなりゃ社会から距離を置けるからな。……それで、野郎がどんな風に聖女様の一件と絡んでくると思ってるんだ?」
しばし、アーリネイトは押し黙った。
それでもやがて――彼女の唇は開く。
「リスクを背負って情報提供してもらったんだ。こちらも、話すのが筋というものだろうな。……今回の一件、聖騎士団長らは滅王案件と睨んでいる」
「め……!?」
驚愕に、ホランドの目が見開かれる。
それと同じくして、クラハも。
「……一体いつの話をしてんだ、おい。御伽話じゃねえんだぞ。何千年前の外典が、なんで今更絡んでくる」
「滅王って……その、本当に現代で、ですか?」
二人の疑問に、しかしアーリネイトはねじ伏せることはしない。
それは、彼女も抱えている疑問だったから。
「君たちの言うこともわかる。私自身、滅王とこの一件がどう繋がっているのかは、未だにその線を見出せずにいる」
だが、と彼女は、
「三聖女からの口添えがあり……また同時に、魔法連盟からも同種の予知報告が見られるようだ。その予知者の中には、大魔導師も名を連ねている」
「なんだそりゃ……」
ホランドは、天を仰いだ。
「ゴダッハの野郎も、滅王案件に関わってるってことか?」
「そう睨んでいる。仮説だが、時期的に見るとその魔剣〈灰に帰らず〉が滅王の、」
「――――あの、」
二人の会話に、クラハは割り込んだ。
「ん?」「どうした?」
「いえ、その、気のせいかもしれないんですが……」
クラハは天井を見上げる。
光の魔法石が詰められたランタンが、カタカタと揺れている。
「揺れてます、よね」
「ああ」
「なんだ、この音……?」
ホランドとアーリネイトが立ち上がる。クラハもそれに続くようにして。
窓辺へと寄っていって、アーリネイトがそのカーテンを勢いよく開く。
そして三人は、夜空に鳥が飛んでいるのを見た。
ただし、象を食らいかねないほどに巨大で、禍々しい魔力を放つ、鳥を。