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6-1 どっかに逃げちまえ



「よ」

「ホランドさん、」


 扉を開くと、彼がそこに立っていた。


 夜。冬の。

 街灯りもこのあたりは絶えて寒々しく、細く開いた玄関戸の隙間から覗くのは散りばめられた星々だけ。風はほんの数秒の間に、ノブを握ったクラハの手を赤くかじかませ、星の光を氷河のように見せかけていた。


 ホランドは、冒険者が普段着るような、活動的な服装に身を包んではいない。

 ごく普通の――それこそ、ある平和な家庭の父親がするような、だぶついたコートを羽織った砕けた格好で、そこに立っていた。


 右手には袋をぶら下げて。


「ほら、これ。見舞い」

「え」

「聞いたよ。家、燃えたって。……どのあたりだ?」

「あ、こっちの、裏手の方で……」


 すみません、いただいちゃって……とクラハは頭を下げてそれを受け取りながら、サンダルをつっかけて外へと出る。ホランドを案内しつつ袋の中を少し覗き見ると、果物がいくつかと、街で名の知れた菓子店の包みが入っていた。ホランド自身はあまりそうした店には詳しくなかったはずだから、家族のうちの誰かに助言を貰ったのではないか、と大した意味もない推測をする。


 ここです、とクラハが言えば、家の表面に黒い染みがついているのが夜目にもわかる。


「すぐ気付いたのか」

「はい。暖房を最近節約していて、それなのに妙に暖かいなと思って様子を見に来たら……」

「不幸中の幸い、ってやつだな。怪我もないみたいだし、とにかく無事でよかったよ」

「はい」


 ホランドは一度屈みこんでそれを見た後、「……そうか」と呟いて、立ち上がった。


「騎士団の方では、調査は?」

「あ、いえ。聖騎士団の方が見てくれることになって」

「ふうん。そうか……」


 しばらく、彼は顎髭をなぞっていた。

 クラハもそれ以上何を言えばいいのかわからず、彼の前で立ち尽くしていた。



 クラハの家に火が放たれたのは、つい三日ほど前のことだった。

 そして彼女自身、その犯人に心当たりがない――と言えば、嘘になる。


 ゴダッハの失踪以降、〈次の頂点〉は活動休止期間に入った。元より彼のワンマン的な経営体制の敷かれていたパーティ。頭を欠いて動けるほど、Sランクの看板は軽いものではない。


 だから、と彼女は考えている。

 その失踪の火種を作った人物……つまり、聖騎士団にあの迷宮であったことを話してしまった自分が、パーティメンバーたちに恨まれているのではないか、と。


 その恨みの行きどころとして、家ごと焼かれそうになったのではないか、と。



 ごお、と強い寒風が吹いて、クラハはぶるりと身体を震わせた。


 おお、とホランドは言って、


「悪い悪い。身体が冷えちまうな。今日はその見舞いに来ただけだ。一応、美味いってやつを訊いてきたから、まあゆっくりそれでも食って養生してくれ」

「上がっていきますか。お茶でも……」

「いい、いい。外聞が悪いだろ。こんな夜中に子持ちのおっさんを家に上げたら。てか、お前もそういうの気にしろよ。うちのガキどもも最近は色気づき始めて……」


 っと、と彼は口を閉じて、


「余計な話か。ダメだな、めっきり説教がましくなっちまって」

 暖房は点けて寝ろよ、と言ってホランドは踵を返す。


 せめて見送りくらいは、とクラハはその背中を追う。


 そして玄関前で、呼び止めた。


「あの、」

「ん?」

「…………あ、いえ」


 どうなるんでしょうか、と。


 クラハは、訊きたかった。

〈次の頂点〉はまるで動く気配を見せない。一方で、ゴダッハの行方が判明するわけでもない。そのためにこの一月半の間、彼女はずっと宙吊りにされたようで、何もできずにいたから。


 これから先、どうなるんでしょうか。

 ジルを――人のことを見殺しにしておいて、そこから先に続いてしまっているこの日々は、一体どこに着地するんでしょうか。


 私は、どうしたらいいんでしょうか。


 そういうことを、彼女は訊きたくて。

 でも。


「……なんでも、ありません」


 訊けるわけがなかった。

 今、その続きの日々を――ホランドにとっての安寧を脅かしているのは自分だと、自覚しているから。


 聖騎士団に情報を流して……彼の家族と過ごす平穏な生活が崩壊する火種を撒いたのは、自分だとわかっているから。


 わざわざ、もうパーティだって機能していないのに自分の様子まで見に来てくれたこの優しい人に……そんなことを、訊けるはずがなかったのだ。


 しかし。


「――お前、家族はいるか?」

「……え、」

「少なくとも、こんなところに一人で――しかも、家に火ぃつけられても実家に戻りもしねえでまだ居座ってんだ。近くにはいないんだろ?」

「そう、ですけど」


 ホランドは。



「それならお前――今すぐ、どっかに逃げちまえ」



 そう、言ってくれた。


「え――」

「とぼけた顔してんなよ」

 彼は笑って、


「前にも言ったろ。いざってときには荷物纏めてこの街から出てけって。……今が、そのときなんだよ」

「でも、私、」

「もういい。突っ張るな。生きてりゃ、引いた方がいい場面が必ずある」


 彼は、唇の隙間から白々と息を吐きながら、


「本当を言うとよ、お前だけじゃねえのさ」

「……どういう、ことですか?」

「パーティ全員が、だよ。昔から……いや、昔からってわけじゃねえ。あいつが魔剣を拾ってから――みんな、あいつに脅されてんのさ」


 クラハの水色の瞳が、夜に大きく見開かれる。


「それって……」

「深くは訊くな。……そういうことがあった、ってだけのこった。お前が特別悪いわけでも、弱いわけでもねえ。だから――」



「いいや、訊かせてもらう」



 三人目の声は、クラハの背後から聞こえてきた。


 振り向かずとも、彼女にはそれが誰のものなのかわかる。

 ついさっき、ちょうどホランドがこの家に訪ね来るよりも前に、彼女自身が迎え入れていたから。


 しばらくは君の家で異常がないか見張ろうと言って――夜の用心棒を買って出てくれていたから。


「今の話、詳しく訊かせてもらう。……もう、知らぬ存ぜぬでは通させんぞ」


 ホランドは、その三人目を確かめるや、自嘲のような笑みを漏らし、


「まいったね。家族には、早く帰るって伝えてあるんだがな」


 武骨な片手で、その顔を覆った。


「心配は要らん。うちの若いのに伝言にでも行かせよう。もちろん、君の名誉に十分配慮する形で」

「そうかい。そんならまあ、娘と同じ年の子どもの家に押しかけた、ってよりかは、そのへんの飲み屋に引きずり込まれたとでも言っておいてほしいね」


 そっちのがまだ恰好がつく。

 どうせ後からカミさんにゃ叱られるが、と言って。


「頼むよ。聖騎士団第四分隊長、アーリネイト殿」

「承った」


 ホランドは、アーリネイトを、まっすぐに見つめた。




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