5-4 記念にみんなで
「俺の勘ではそろそろ夜だ」
「……ん?」
声をかけてから返答が来るまでにそれなりのラグがあった。
「ごめん。集中してた」
「いや、俺も割り込んで悪いな。でも、あんまり根を詰め過ぎない方がいい。扉が開いても風邪引いてましたじゃ恰好つかないし、しんどいだろ」
「昼夜を忘れ去るのは魔導師の集中の証……とはいえ、確かにそのとおりだね。今日のところは、ここまでにするよ」
停滞はさらに一週間続いている。
扉の魔法陣が、解けずにいるからだ。
「ユニスがそこまで手こずるってことは、相当複雑なんだな」
「まあね。難度それ自体にはついていけてるけど、どうも単に手間がかかってるというのもあるみたいだ。相当厳重にしなくちゃいけない何かがあったんだろうね」
「……それって、解いても大丈夫なのか?」
「最初の扉もそうだけど、通り抜けた後はもう一度かけ直してるよ。完全に解き切らなければ少し手間を加えるだけで魔法陣の復元はできる……ごめん。実を言うとそれで時間をかけちゃってるっていうのもあるんだけどね」
いいさ、とジルは頷いた。
「俺も魔法のことはよくわからん。ユニスが言うならそうなんだろ。そのへんはあなたに任せるよ」
「君は僕のことが好きだな?」
「は?」
「いや、なんでも……」
なんだ今のは、と思いながら歩いて、ジルとユニスはリリリアの待つ拠点へと戻ってくる。どうにも魔法陣の魔力が高すぎるからと、少し扉から離れたところに、三人は陣取っていた。
「お、真っ直ぐ戻ってきた」
快挙だよ、とリリリアは笑う。
これで迷ったら本物のアホだ、とジルは腰にぐるぐると巻かれた紐――蜘蛛型の魔獣から上手いこと素材として入手した――に手のひらで触れた。
その紐は、リリリアの手首に繋がっている。
ぐいぐい、と彼女はそれを引っ張って、
「昔、教会で犬の散歩当番してたことあるんだよね。楽しかったなー。かわいいし」
「俺を見て犬を思い出さないでくれ」
「だって、そのままじゃん」
「そのままだけど」
長いものには巻かれろってね、とユニスが全く関係のないことを言った。
たぶん頭が疲れてるんだろうな、とジルは思い、そうだな、と頷いておいた。
「本当にそうかな、ジル」
「この話広げるつもりか?」
「いや、そんなことはないけれど……」
「ごめんね、ユニスくん。私ももうちょっと手伝えたらいいんだけど。あ、朝もらってた課題は解けたから、あとで教えるね」
「ありがとう。……神聖魔法の部分を解いてもらえるだけで十分だ。構造パズルの担当は僕。むしろ、こっちで時間をかけてしまって申し訳ない」
いいんだよ、と言いながら。
はい、とリリリアは焚火に当てていた肉を手に取って、ユニスに手渡した。
「…………」
「ジルくんが獲ってきてくれたご飯だよ」
「……食べなくちゃダメ?」
「それ以上痩せると骨が皮から飛び出してくるぞ」
「飛び出すわけないだろ。化け物か僕は」
「飛び出すよ~」
「えっ……ほんとに?」
ほんとなわけないけど、とリリリアはユニスに肉を押し付ける。
はぁあ、と溜息を吐きながら、ユニスはそれに齧りついた。
「まっず……」
「水飲め。美味いから」
「ジルくんほんと水好きだね」
「魔獣の不味さを舐めてたよ。魔力が生命活動に関わるとこんなに嫌な風味がつくんだね……」
もぐもぐ、とユニスはそれを噛み、
「僕たちの中だと、それじゃあ一番美味しいのは魔法と縁のないジルってことになるのかな」
「今日から俺は離れて寝させてもらう」
「ジルくんは寝てるときもたまに反射でものすごい動きしてるから、寝込みを襲っても食べられないよ」
「えっ……知らなかった、自分で……」
「あー。こんなことなら身軽さにこだわらないで甘いものとか持ってくればよかったー」
大いにユニスが嘆いた。
「お菓子はともかく、炭水化物がほしいよね」
「そうか?」
「ジルってもしかして北方の狩猟系?」
「……まあ、近い。よくわかったな」
「あのへんって炭水化物を摂る習慣があんまりないんじゃないかと思ってね」
「じゃあ普段もこんな感じだったの?」
「いや、流石にもうちょっといいもの食ってたよ。それに昔はともかく、別に狩りだけで生活してたわけでもなかったしな」
甘いものが食べたいよね、とユニスが言った。
甘いものが食べたいね、とリリリアも言った。
「にしても、改めて本当に深い迷宮だな。全部で今……百七十階層くらいか?」
「ちょっと常軌を逸して思えるね。自然発生したかどうかも怪しいけど、人の手が入れられたかどうかもかえって怪しく思えてくるよ」
「全部で何階くらいあるんだろうねえ」
「キリよく二百階とかじゃないか」
どうだろうね、とユニスが言った。
「こういうのはなんとも。規則性なんて所詮は人間が考えただけだしね。二百十六階かもよ」
「なんだその中途半端な数字」
「六の三乗。二でも三でも六でも十二でも二十四でも三十六でも七十二でも割れるって聞くと、そっちの方が僕は気分がいいけどな」
よくわからんな、とジルは自分の分の肉に齧りついた。
不味い。
生まれ育った村を出てから、今が一番故郷の味を懐かしんでいる。……いや、砂漠で迷ったときもどっこいか。
「でも、これが最後の扉な気がするなあ」
リリリアが言った。
「なんとなくだけど」
「聖女の言うなんとなくっていうのはかなり説得力があるね」
「大魔導師はどう思うんだ?」
「星が遠いと直感が鈍るんだ。勘弁してくれよ」
「私も家の中にいる方がだいぶ調子がいいなあ」
あのね、とリリリアは、
「最初の人間がどこにいたか、って話があるでしょ?」
「お。論を戦わせるかい? 今は南方から発生したって学説が主流みたいだね」
「あ、ごめんね。そっちは本題じゃなくて……」
考えてみてよ、と彼女も肉を噛んで、
「最初の場所からこう……わーって人が広まったでしょ」
「大移動、ってやつだね」
「へえ」
「移動する人と移動しない人が分かれたのって、不思議じゃない?」
ふうん?とユニスが相槌を打つ。
「仮説が?」
「あるんですよ。つまりね、移動しやすい人と移動しにくい人って、初めから決まってるんじゃないかって。動物っぽく考えるんだけど、縄張りを守ろうとするタイプと、縄張りを広げようとするタイプがあって、元からそういうのが人によって決まってるんじゃないかなあって、私は思うんだよね」
「縄張りを広げるタイプがどんどん大陸に広がっていって、守るタイプは定住したというわけかい」
「そうそう。で、私はそれで言ったら縄張りを守るタイプだと思うんだよね。あんまり外に出たくないっていうか。でも、家の中でじっとしてるの嫌だーっていう人もいるでしょ? あれがずっと不思議だったんだけど、そういうことなのかなあって」
しばらくの、沈黙が流れた。
「……え、終わり?」
ジルがそれを破った。
「終わり」
「何だったんだよ、今の話」
「前から考えてたことだったんだけど、誰にも言ったことなかったなーと思って」
「なんだそりゃ」
「でもそれ、魔導師でも何となくそういう傾向はあるな。とにかく外を巡って魔導書を探す人もいれば、部屋の中に籠って瞑想するタイプの人もいるし」
「ユニスくんはどっち派?」
「うーん……僕は内的宇宙を通って外的宇宙へ旅するタイプだからな。どっちもできるけど、どっちかと言うと見た目には縄張りを守るタイプに見えるかも。大図書館も広がってるんだか閉塞してるんだかわからない……ここみたいな感じだしね」
「ジルくんは?」
「俺? 俺は……」
不意に、自らのこれまでを省みて、
「旅するタイプ、かな……。ただ、俺の場合はまたちょっと、事情が違う気がするけど」
「事情?」
「もっと小さい頃に故郷で〈体験〉をしたんだよ。……ていうか、たぶん方向感覚がぶっ壊れたのもそのときだと思う」
「言い訳だ」
「言い訳かな?」
「言い訳……ではないと思うんだけどな。あとはその後師匠に連れられて放浪したのも効いてるかも」
「でも、確かに幼少期に〈体験〉を食らうとかなり違うかもね。僕も実はそのタイプなんだけど、あれの前と後じゃかなり感覚が違うよ」
「えー。じゃあ二人とも、ちょっとお姉さん懐疑派?」
「それだとお姉さんの実在を疑ってる人みたいだな」
「かなり過激だね、僕ら」
話もそこそこに、彼らは夕食を終える。
ぱちぱちと、焚火の音だけがあたりを包んでいた。
「……もうそんなにかからずに、扉は開けられると思う」
ぽつり、とユニスが呟いた。
「リリリアの言葉を信じるなら、もうすぐこの迷宮も踏破だ」
「長かったな……」
「なんかもう、私は感覚麻痺しちゃった」
ふ、とユニスは笑って、
「いいなあ。僕も、もっと早くから冒険に参加したかったよ」
「可愛いこと言ってる」
「可愛いこと言ったとも」
リリリアの方へ、ユニスは胸を張って。
「同年代の友達って、憧れだったんだ」
「じゃあ、外に出てからも文通とかしようよ。ジルくんも」
え、とユニスと、それからジルも声を上げた。
「私の字、びっくりするほど可愛いからね。震えろ」
「……僕は今、引くほど感動してる」
「あー……」
「お、冷たい人がいる」
いや、と慌ててジルは手を振って、
「単にここから出たらまた旅に出るつもりだからだよ。出すのはできても、受け取りが難しい」
「次の行き先を書いておいてくれれば、その街の手紙屋さん宛てに送るよ」
「……そんなサービスがあるのか」
たぶん、とリリリアは頷いた。
たぶんなのか、とジルは少しだけ呆れた。
「そうか、ジルもやってくれるか……」
ユニスは勝手に決めつけて、
「それじゃあ、週七くらいで手紙を送るよ。楽しんでもらえるように暗号付きで……」
「ややこしいことするやつだな」
まあいいけど、とジルも頷いた。
二人旅から三人旅になって、迷宮での人間関係は少し変わった。
ジルは未だにリリリアを相手に定期的にドギマギしている……が、ユニスも同じような扱いを受けているのを見れば、本格的に己の勘違いぶりも透けてきた。
おかげで今は、ただ普通の、Sランクパーティにスカウトされたときに思い描いていたような冒険仲間として、二人を見ることができている。
たぶんリリリアは八十歳の既婚の老婆ではないんだろうなと気付きながら……それでも、それなりに平静を保てている。
奇妙な縁で結ばれた、友人くらいの距離感で。
「じゃあ今日は、記念にみんなで寄り添って寝ようじゃないか!」
「頭がおかしいのか?」
咳き込みかけた。
「なんだい、ジル」
「乗り気じゃないの? ジルくん」
「いや、乗り気だったらマズいだろ……ていうか、なんかずっと訊き忘れてたんだけどユニスって、」
あれこれ訊くのヤバいか、と口から滑り出す直前にジルは思ったけれど。
滑り出したものを止める術はなかったので、
「男女どっちなんだ。声からじゃわからん」
「えっちだね……。人の下半身の形状に興味津々で……」
「そういう話はしてないだろ!」
「声以外からでもわかりにくいけどね」
リリリアからの補足。
「いいじゃないか。そんな些細なことは」
「些細……」
些細か?とジルは首を傾げないでもなかったが、しかし性別の話題に安易に触れてものすごく怒られる、という経験はうっかり旅の途中でしている。
「……いや。すまん。変なこと訊いた。気を悪くしたなら謝る。申し訳ない」
「いやいいよ。僕、男女どっちなんですかって訊かれることに喜びを覚えてる節があるから」
「おい」
「他の人にはあんまり訊かない方がいいと思うけどね」
で、添い寝、とユニスは、
「しよう」
「しない」
「しようよ、ジルくん」
「…………しない」
「揺れた」
「揺れてない」
じゃあコイバナしよう、一般的に遠足の夜はコイバナするんだろう、とユニスが言って、ごろりとその場に寝転がる。
私のところは女の子ばっかりだったからそうでもなかったなあ、とリリリアも続く。
俺のところの遠足は日帰りだった、とジルも同じく、大してよく模様も見えない天井を見つめるようにして仰向けになって。
それからぼんやり眠りに就くまで、三人は年相応の、くだらない話をしていた。
悪くない、と穏やかに燃え盛る炎の熱に肌を温めながら、ジルは思っていた。
ひどい始まり方だった割には……この冒険は、悪くない。
いや、むしろ――――と。
最高難度迷宮の最深層へと続く最後の扉は、この夜から三日後にようやく解かれることになる。
そして、それからさらに二日後。
この三人のうちの二人が、命を落とす。




