5-1 若くて元気なんだから
ラスティエ教には、正典のほか、外典と呼ばれる教典がある。
そしてそこに記されているのは、道徳教義ではない。また同時に、完全な説話でもない。
滅王と呼ばれる者が遥か昔に存在していた。世界を滅せんと、神を弑せんとする――そして、それを成すに見合うだけの力を確かに有していたと伝えらえる、この世界の大いなる敵。
神の使徒ラスティエと滅王との熾烈なる争い――その詳細が、外典には記されている。
†○☆†○☆†○☆
「オーケー。それじゃあ話を纏めよう」
とうとうこの迷宮村にも文明の火がやってきた。
ユニスが魔法で起こしてくれた焚火に肩を寄せて集まりながら、ぼんやりジルは思っている。こいつはもう信用してしまおう。思い切り信頼してしまおう――リリリアに衛生魔法を使ってもらったときと同じく、何かを与えてもらった分の心の懐きが生まれていた。
「おらが村にもようやく火が来たねえ、ジルくん」
「そうで……だな」
「それもそれで一連の訛った言葉みたいだねえ」
「君たち、目をとろとろさせてないで。せめて寝るのは僕の話が終わってからにしてくれ」
悪い悪い、とジルもリリリアも、ユニスの方に向き直る。
「まず、ジル」
「ああ」
「君は単に迷い込んだアホだと」
「ああ」
悲しみながら、ジルは頷いた。
「で、リリリア」
「はーい」
「君は他の三聖女たちから要請を受けて、この地に何か悪いものがないかを調べに来たと。……これは元々、アーリネイトさんから僕も聞いていた話だけどね」
「おばあちゃんたちから『若くて元気なんだから』って言われちゃったんだよね」
四聖女の平均年齢は九十歳くらいなのかな、と思いながらジルはそれを聞いていた。
「で、君たちは揃いも揃って方向音痴」
「おい、自分だけ逃れようとするな」
「僕も仲間」
ジルの言葉を、ユニスは潔く受け止めて、
「この四ヶ月半の間、延々迷宮を逆走……いや、この場合は順走なのかな? まあどっちでもいいけれど、その途中で階層主もいくつか倒して歩いてきた、と」
「うん。それが……」
リリリアの言葉の先を、ユニスが引き継ぐ。
「外典魔獣、というわけだ」
二人の間に漂う空気についていけず、ジルは訊ねる。
「それって結局、どういうやつなんだ?」
「あれ、ジルはラスティエ教の信徒じゃないのかい?」
「生まれがド田舎なんだよ」
「ふうん? それにしたって、ちょっと不思議なような……」
まあいいや、とユニスは続けてくれた。
「外典魔獣っていうのは、ラスティエと滅王の戦いの際に、滅王が使役したと言われている魔獣だ。分け身とする見方もあるみたいだけど、まあとりあえずそこは本質ではないから省こう。
その魔獣の強靭なること恐ろしく、一体を倒すのに一軍を要し、上位個体になれば国ひとつに匹敵したと伝えられている」
「国ひとつ、って……」
「いま大袈裟だって思ったでしょー」
リリリアからの言葉に、ジルはマズい、と思いながら、
「いや、嘘だとかそういうことを言いたいんじゃなくて……」
「でも、あのジルくんが突っかかってた馬――ナイトメアって言うんだけど、あれで下位個体だって言われたら、どう?」
ぴたり、とジルの身体が固まった。
それからぎこちなく……眼鏡を押し上げようとして、なくて、指先は空を切る。
「……あれで下位か。それなら……」
外典が書かれた時期を、ジルは知らない。
ゆえに、その時代と現代との間に、どれほど軍事力の差があるのかも、もちろん知らない。
が、納得はできる。
あの巨体が暴れ回れば、同じ力量の人間がいないことには人海戦術で押し切ることも限りなく難しい。たとえ勝利したとしても、致命的な損害を被ることに疑いはない。
だからそのことは、受け入れた。
「で、その外典魔獣がいるってのはなんなんだ。とっくの昔にラスティエ……様に滅ぼされたはずなんだろ? 実はその生き残りがいたとか、ここは滅王の作った迷宮だとか、そんな話か?」
「かなり近い、と僕は思っている」
本気でか、と思わず訊き返してしまった。
本気で、とユニスは頷いて、
「少なくとも、残り香がある。君たちが詰まっていたあの扉に描かれた魔法陣も、外典に載っているものだ」
「でも、あれは神聖魔法なんだよね」
ちょっとだけ見たことあるんだ、とリリリアは、
「外典の原本と、第一写本の七冊だけに載ってる、ラスティエの使う魔法陣だと思う」
「おや」
ユニスが眉を上げて、
「リリリアはラスティエ『様』とは呼ばないんだね」
「日記に『様付けされると微妙な気分~』って書いてあったでしょ」
「へえ。流石に僕もそこまでは読み込んでなかったな。今度、大図書館に戻ったら探してみるよ」
「でも『日記ってこれ誰かに読まれたりするのかな、なんか微妙~』って書いてもあったよ」
「本当にそんな口調でか?」
ジルが口にした疑問は、「あはは」という回答しか得られなかった。
話は戻って、
「でも、完全にそのままってわけじゃないみたい」
とリリリアは言った。
「なんていうか、普通の防護魔法じゃないんだよね。外から中に入れないってだけじゃなく、中から外に出さない、っていうのも一緒にやってある」
「でもどっちにしろ、ラスティエがかけた魔法だっていうなら、解かない方がいいんじゃないか?」
ラスティエ教のことには詳しくなくとも、流石にジルだって、そちらが善玉だということくらいはわかる。
だからそれは、素直な提案だったが、
「いや、そうとも限らない」
ユニスが否定した。
「鍵があるんだ。これを解くための」
「うん。私もそう思う」
「鍵?」
つまりね、とユニスはおそらく人差し指を立てて、
「ラスティエほどの人物――そもそも人だったかも怪しいと僕は思ってるけど――その人なら、もっと完璧な魔法陣が組めたはずなんだ。でも、この魔法陣は複雑で高度ながら、一定水準以上の神聖魔法の使い手と、魔法解析者がいれば解ける。そんな風にできている」
「解かれることを前提とした魔法ってことか?」
「僕はそう考える」
わからなくなってきたな、とジルは頬に手を当てて、
「つまり、どういうことなんだ?」
「この迷宮は滅王と関りがある。そして同時に、どういうわけかラスティエか、もしくはその関係者が、この場所に『神聖魔法の使い手』――つまり、『絶対に滅王の手先でない人間』を伴えば通ることのできる、奇妙な関所を設けている」
これが意味するところはひとつ、とユニスは、
「――――よくわからん、ということだ」
「俺はもう寝る」
「大魔導師のお茶目で可愛い冗談じゃないか」
でもそうだよね、としかしリリリアもユニスの言葉を肯定した。
「実際、よくわかんないことはよくわかんないよ。手がかりが少なすぎるんじゃないかな。迷宮と滅王がどんな風に関わってるか、この扉の魔法がどういう意図だったのか、それがよくわからない」
「というかジル。君、冒険者だって言うなら知らないのかい? この最高難度迷宮〈二度と空には出会えない〉のことを」
どうせ聞き役だと高をくくっていたところに急に話を振られて、ジルは内心少し焦りながら、
「知らん。Sランクパーティだけが入れるとか、三層より下には進めなかったとか……。そのくらいか。あ、二人ともわかってるだろうが、入場制限は単純にここの魔獣の強さの問題だろうな。で、三層より下に進めなかったのは、その番人の階層主が強かったからだ」
「迷宮の成り立ちなんかは?」
ユニスに向かって、ジルは小さく両手を挙げた。
お手上げ。
「元々俺は冒険者でもなんでもない、助っ人だぞ。そこまで詳しくは知らない。せいぜい、中にいる魔獣がどのくらい強いかとか、そんなことを聞いたくらいだ」
「ところで君、冒険者登録自体もされてないらしいぜ。知ってた?」
「は?」
かくかくしかじか、とユニスが伝えてくる。
お前はそもそもパーティ登録されていないだけではなく、冒険者登録もされていない、と。
「立ち入り禁止区域に勝手に入り込んでるから、ここから出たら即拘束されて罰金かもね。ははは」
「あ、あのカス野郎、一体どこまで……」
「ジルくん、聞けば聞くほど可哀想だね」
よしよし、とリリリアが口先だけで言った。
「でも、実を言うとそれも謎なんだよなあ」
ユニスがさらに言う。
「確かに」
リリリアも頷いて、
「なんだか、準備が良すぎるよね。最初からジルくんのこと、どうにかするつもりだったみたいな」
「……確かに、言われてみるとそうだな」
「心当たりはないのかい?」
「いや、流石に最初から嘘を吐かれるようなことをした覚えはない」
まして殺害計画を入念に練られるような覚えも、と。
ううん、と三人揃って唸り込んだ。
「僕はどうも、ジルもただの不幸なアホとは思えないんだ」
「思わないでくれ」
「たまたま巻き込まれたにしては、大駒すぎる。僕とリリリアは計画的に放り込まれたと言えるけど、ジルが……当代最強の剣士と呼んでもいい君がこの場にいるのは、なんとも」
「言い過ぎだ」
眉根を寄せて、ジルは反論する。
「そんなには強くないぞ。師匠には一度も勝てたことがないし」
「どうだかね。外典魔獣を一人でのしていたって言う時点で、少なくとも『最強の一角』くらいの称号は間違いないと思うよ」
「しかもジルくん、それで眼鏡がないから全力じゃないんだもんね」
「いや、やめてくれ。あんまり持ち上げられると、世捨て人みたいな暮らしをしてる達人にいきなり遭遇していきなりボコられた場合のダメージがでかくなる。『調子に乗った奴から恥をかく』って師匠から何度も教えられてきたんだ」
「外典魔獣をボコれる人間をさらにボコれる人間がそうそういてたまるかって感じだけどね」
それに、とユニスは、
「この最高難度迷宮で四ヶ月だろう? 入る前よりだいぶ強くなってるんじゃないかい?」
「……まあ、それは」
ぐ、とジルは拳を握る。
確かに、実感としてはある。信じがたい強敵と連日の死闘を繰り広げる中で、今までより遥かに大きな力を、自分は得ている。
「……いや、だが慢心は敵だ」
「僕もそう思う」
「お姉さんもそう思います」
「おい」
漫才はともかくとして、とユニスは、
「どうにも引っかかることだらけだ。だから、ここで僕から提案なんだけど」
なんだ?とジルが訊ねれば、彼も答える。
「いっそ、この扉の先まで潜ってみないかい? この三人で」