4-2 失踪したんじゃないか
「お嬢さん」
「え?」
最近クラハは、どうも美形と縁がある。
最初に出会ったジルも、いかにも若手の剣士的な体型と相まってシュッとした青年だったし、その後に少しだけ顔を合わせた聖女リリリアは言うまでもなく。
そしていま、定食屋で話しかけてきた隣席の紫髪の人物も、並々ならぬ美形だった。
なにせ、一目見てもその性別がよくわからない。
「ここで一番美味しいメニューは何かな?」
「ええっと……」
黒いぴったりしたインナーの上に、ゆったりした上着を重ねている。首元のあたりは細いけれど、それで体形のほとんどが見えなくなっている。
座ってはいるが、その身長は女性にしては高く、男性にしてはやや低い、程度だろうと思える。
紫色の髪は肩に触れるか触れないかの微妙な長さ。すらりとした釣り目だが、刺々しさはない。以前に見た聖女とはまた異なる、銀河色の瞳の、どこか飄々とした印象のある人物だった。
全然、面識はない。
「ここに来るのが初めてなら、ハンバーグ定食がいいと思います。定番なので……」
しかしクラハは、落ち着いてその人物――男女を限定しない人称代名詞としての『彼』の語を用いよう――彼の質問に答えた。
元々クラハは、話しかけられやすい性質だ。
いつも行く店には大抵顔と名前を覚えられているし、二日に一度は道を訊かれる。迷子の子どもに泣きつかれることもしょっちゅうだ。
だから、そういうこともあるだろうと思って、答えた。
「それじゃあもし……僕が、この店に来るのが初めてじゃないとしたら?」
僕、という一人称からも、まだ性別は確定できなかった。
冒険者は素性がそれぞれあり、女性でも「俺」、男性でも「あたし」と使う人間もときどき見かける。
それに、目の前の彼の話し方は、妙に芝居がかっているように聞こえたから。
まあいい、とクラハは思う。
別にそれがわからなかったところで、何かが変わるというわけでもない。
「ここは何を食べても美味しいですけど、」
とクラハは前置きして、
「スペシャル定食は豚カツが三人前で、ご飯のお替りが自由です」
言ってから、ちょっとだけ後悔した。
見た目に判断することは難しいが、どうもそこまでたくさん食べるようには見えない、と気付いたから。
完全に自分の好みを伝えてしまった――そう思って、撤回しようとして、
「ありがとう。そういうことを訊きたかったんだ」
しかし彼は、ふ、と微笑んだ。
ぱっ、と彼は手を挙げた。
たったそれだけの動作が、どういうわけか綺麗に整っている。注文、と声をかけるよりも先に、店員が傍に来ていた。
「スペシャル定食、二人前」
「え」
「安心してくれ。僕は大飯食らいだ」
戸惑う店員にそう言った通りだった。
やがて運ばれてきた異様な量の豚カツを、彼はぱくぱくと、大して苦でもなさそうに平らげていった。約四人前を平らげた時点で、米のお替りはすでに七杯に及ぶ。八杯目は店員が気を利かせて、三人前分が入るような巨大な深皿に米を盛って運んできた。
「うん。なるほど、これは美味しい」
にやりと笑って彼は言って、
「ところで、」
と隣に座るクラハに、再び話しかけてきた。
「そういう君は、麺しか食べないのか」
確かに、クラハのテーブルには、一杯の蕎麦しか存在していなかった。
食事は冒険者の基本だ。だから、普段だったら彼女だって、こんなに少ない量で昼を済ませることはしない。
けれど、今日は。
「……あまり、食欲がなくて」
「ふうん」
ぱくぱくと、それからも変わらない勢いで、紫髪の彼はスペシャル定食を平らげていった。そして食後の茶を、と頼みでもするかのようにクラハと同じ蕎麦を頼む。
それも瞬く間に平らげてから、彼は伝票を持って立ち上がる。
そして、言った。
「そんなに悪いやつじゃなさそうだな、君は」
「――え?」
「どんな形にせよ、僕が決着をつけよう。だから、まあ待っていたまえ」
その口ぶりは。
何かを、知っているかのようで。
「あの、」
「いいものを教えてくれてありがとう。君の味覚は素晴らしい」
しかしクラハの言葉に取り合わず、彼は定食屋を出て行った。
†○☆†○☆†○☆
「あれ……?」
午後からの勤務だったから、定食屋を出てからはその足でパーティ宿舎へと向かった。
〈次の頂点〉のパーティ宿舎は、単にメンバーが寝泊まりするだけの場所ではない。装備や物資もまとめてここを倉庫として置き、また事務作業に必要な書類もすべてここにある。拠点も兼ねているのだ。
だから普段だったら、攻略のない日はもっと人がいるはずなのに。
「誰も……?」
人気が、まるでなかった。
不思議に思いながらも、とりあえず彼女は自分のロッカーへと進む。鞄を入れて、コートをかけて、それから執務室へと進んでいく。
そこには、誰の姿もなかった。
「ホランドさん?」
「よ」
その、たった一人を除いては。
「どうしたんですか。珍しいですね、こっちに来るのは」
そう言って近づきながら、クラハは、
「……あの、どうして誰もいないんですか?」
そんな疑問を、口にした。
白いものの混じり始めた顎髭をなぞりながら、ホランドが答える。
「ゴダッハが朝から姿を見せてない」
「……はあ」
「失踪したんじゃないか、って騒ぎだ」
クラハの瞳が、大きく開く。
「何か、根拠が、」
「過敏な反応だと思うか? ……俺は、そうは思わない」
あいつには逃げるだけの理由があるからな、と。
ホランドは、椅子に凭れ掛かって、天井へと首を傾けた。
「他の奴らはこれが周りに知られる前に、って総出で捜索だよ。クラハ、今日は昼から夜までなんだって?」
「はい」
「一人は情報のハブ役が欲しいから、ここでお前は待機だそうだ。で、俺はそれをお前に伝えるために残ってたのさ」
わかりました、とクラハは応えた。
しかし、ホランドはそのまま、動かなかった。
「聖騎士」
「――っ」
「お前は反応がわかりやすいな」
ひひ、と不格好に彼は笑って、
「もう少し腹芸も鍛えとけ。器用なのはお前のいいとこだからな。何でもできた方がいい……で、」
視線は合わせないままに。
「言ったのか」
「……言い、ました」
「だから、そういうときは知らない顔して『何のことですか?』って答えときゃいいんだよ」
はは、と乾いた笑いを彼はまた。
目を、合わせないで。
そうか、と。
「言っちまったか……」
溜息のように、呟いた。
「なんて言ってた。あの聖騎士の……アーリネイトだったか。直接家に来たのか?」
「はい。夜に」
「うちに来たのも夜だった。そのへんは周りの目を考えてくれてたんだろうな」
クラハは、彼の視界の外で、ぐ、と拳を握りながら、
「私以外が口裏を合わせるとなると、一人の証言では難しいと言っていました。ジルさんは〈次の頂点〉へのパーティ登録どころか、冒険者登録もされていなかったようで、書類からも追うことはできないと」
「……そうか。そこまで徹底してんのか」
「ただ、そのことは踏まえた上で、追加の調査を行うと言っていました。詳細までは聞いていませんが」
「聞いてたとしても誰にも話さねえ方がいい」
ちらり、と。
ようやくホランドは、クラハを見た。
「そんなことまで俺にべらべら喋って、悪用されるとは思わねえのか?」
「アーリネイトさんからは、かえって圧力になるから、訊かれたらいつでも答えていいと言われています」
「色々と考えるねえ、騎士様は……」
「それに、」
クラハは、それを見つめ返すこともできず、
「ホランドさんなら……」
「よせよせ」
手を振って、彼は立ちあがる。
「変な期待かけんな。……いまのことは、誰にも言わない方がいい。確かにプレッシャーにはなるだろうが、お前自身の立場が危うくなる。……ゴダッハが、まだ近くに残ってねえとも限らねえ」
「……はい、わかりました」
「素直でよろしい」
不器用に笑ったのち、ホランドは不意にその表情を消して、
「……いざとなったら、荷物纏めてこの街を出ろ」
「え――」
「事がでかくなりすぎてる。――大魔導師の目撃情報があるみたいだ」
大魔導師、と。
クラハは口の中で、その言葉を繰り返す。
国際組織である魔法連盟が加盟者の中から認定する、現時点で七人だけに与えられた称号。
細かなことを無視して平たく解釈してしまうなら――それは、この世界にいる魔導師の中でも、最も優れた七人のうちの一人がここにやってきた、と考えていい。
追加調査、と聖騎士アーリネイトは言っていた。
まさか、と。思う気持ちがある。
「しかも来たのは、よりにもよって〈星の大魔導師〉様だそうだ。……うちは元々Aランク相当だったのをゴダッハの魔剣で無理やり引き上げたようなパーティだからな。はっきり言や、俺は〈二度と空には出会えない〉の攻略も荷が勝ちすぎてると思っちゃいたんだが……今は、もっとひどい」
途轍もないことが起こる、と。
不吉の予言のように、ホランドは言った。
「途轍もないこと、ってなんですか」
「さあな。……お前、あの大英雄の兄ちゃんから、何か受け取ったりしてるか?」
思い当たるものは、一つある。
だから、クラハがそれを答えようとして、しかし先にホランドが手で制した。
「いい。言うな。俺だけじゃなく、誰にもだ。……今朝方、あの兄ちゃんが借り住みしてた部屋から物が全部消えてた。始末されてたってことだ。それで他の奴らもゴダッハの野郎の失踪を疑ったわけなんだが……」
いいか、とホランドは声を潜めて、
「今、あの兄ちゃんがうちのパーティにいた証拠になるのは、そいつくらいしか残ってねえ。……どんなに些細なものだろうが、とにかく持っておけ。いつか、それがお前を助ける鍵になるかもしれねえ」
「ホランドさん、どうして……」
そこまで、という気持ちと。
そこまで気にしてくれるのに、という気持ち。
二つがクラハの心の中でぶつかり合って、言葉にはなってくれなくて。
「お前は正しい側に立て」
そう、ホランドは言った。
真っ直ぐに、クラハを見つめて。
「生きてると、段々な。立ちたくても立てない……そんな場面が増えてくる。積み重ねたものの重さに、身動きが取れなくなっていく。……言い訳に聞こえるかもしれねえが」
「…………」
「でも、お前はそうじゃない。後悔にまみれて窒息するには、お前はまだ早いのさ。……要は、おっさんのお節介だよ」
言い切って、ホランドは歩き出す。
立ち尽くすクラハの肩を、すれ違いざまにポンと叩いて、
「弓、なかなか上手くなってきたじゃねえか」
クラハは、息を呑んで、
「――――見て、くれて……」
「そこから先は場面と目的を意識していけ。もう少しでCランクにはなる」
じゃあな、と振り向かないまま。
ホランドは片手を挙げて、去っていった。
しばらく、クラハはそれを見送った後。
上着の内ポケットに手を差し入れて、それがそこにあることを、確かめた。
小さなケース。
ジルの残していった眼鏡が、そこには入っている。