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3-3 これっぽっちもないんだ



 よく晴れた朝だ。


 大図書館の周囲は、その姿を隠すように林に覆われている。風も穏やかで、秋ともあれば大気も涼やかになる。夜型の魔導師たちが目の下にクマを作ってふらふらと散歩をするのにうってつけの気候ではあるが、今日この日は、ほとんど誰の姿もなかった。


 いたのは、一人だけ。

 明るい髪の少女だ。


 彼女は瞼を閉じたまま、ぐるぐると大図書館の周りを歩いている。その足取りに重さがないのを見れば、彼女が眠る直前というわけではないことが、これほど早い時間に動きまわってもけだるさを感じさせないほど寝起きが良いということがわかるだろう。


 ぴた、と足を止める。


 むむむ、と眉間に皺を寄せる。


 しばらく彼女はそうしていた。誰に邪魔されることもない。何かの力を込めているような肩の張り方で、やがてはあっ、と息を吐いてその力を抜く。別に、何かが起こったわけでもない。変わらず林の葉は揺れ、雀は足元を歩く。


「あー……」


 髪に手櫛を入れる。

 指が髪先を弾くともう一度、今度は溜息のための息を吐いて、


「やめよっかなあ、仕事」


 と、ニカナは呟いた。





「正直、あんまり得意じゃないんだよね。こういうの」


 とうとうその日が来た、という朝。


 コーヒーとバナナと山盛りのエッグトーストをもりもりと食べながらユニスが呟くのを、対面でクラハは聞いていた。


「ユニスさんでもあるんですね。魔法関連で、苦手なことが」

「比較的ってレベルの話ではあるけどね。僕よりも得意な人がいないから僕がやることになってるわけだし。でも、この手の作業は本当はウィラエ先生とかリリリアの方が得意だと思うなあ」


 大図書館での基礎的な調査は、空振りに終わった。


 改めて整理し直すと、今回この場所に来たのは〈天土自在〉の発見がきっかけだ。未踏の南方樹海の奥地に、これまで見つかっていなかった大規模の先史施設が存在した。まずはその施設が一体何物であるのか、現地に赴いたチームが調査する一方で、大図書館にもその手掛かりとなるものがないかを探す。これが第一の目的になる。


 それに関連して、他にも複数の副次的な調査項目が設定されている。

 何と言っても大きいのは、〈天土自在〉と滅王との関係を探ることだった。〈天土自在〉を外典魔獣上位種が襲撃したあの事件。実行犯であったロイレンが昏倒状態にあるために、彼に力を貸したと思われる滅王側の背景が把握できていない。一体何の目的があってこの襲撃が計画されたのか。〈天土自在〉の規模を考えれば、放置していい疑問でもない。


 また、〈天土自在〉の機構に残された地図も問題だった。

 ユニスとリリリアの二人が、ロイレンに対抗するために内部情報を確認していた際に遭遇したそれには、現代において知られるのとは異なる形の世界地図が描かれていた。現代の常識では、この星には大陸はただ一つであり、海洋面積は陸地面積に遥かに優越する。しかし、その地図には現代の文明が把握していない五つの大陸が追加で描かれていた。これもまた、少なくとも学術方面においては多大な調査意義を持つ謎として、すでに大図書館では共有されている。


 つまり、大きく分けて謎は三つ。


〈天土自在〉の正体。

 滅王との関係。

 五つの大陸が表された謎の地図。


 そして、これらの謎に対する答えは、大図書館の『開架』から得ることはできなかった。


 だから本命は『閉架』――それも特に、今日これから多くの人員を割いて行われる〈原庫〉調査が、その謎を解明する手掛かりになることを期待されている。


「〈原庫〉は――」


 最後の確認の意味も込めて、クラハはユニスに訊ねた。


「開架にあるような、歴代の図書館員たちが作成してきた写本と違って、魔導書の『原本』が保存されている場所ですよね。魔力を帯びているから、密集した形で保存すると干渉しあって、それこそ魔力スポット化してしまいかねないという」

「そうだね。正確に言うなら、魔導書の『原本』だけじゃなく、それらに値するような貴重な本――つまり散逸や消失を防げるよう、保存の魔法をかけた『原本』も〈原庫〉には多く含まれている」


 そしてユニスも、面倒がることなくその確認に付き合ってくれた。

 えっと、と調査前にチームに挨拶をする機会があるからだろう。彼は手元に置いたスピーチ原稿に目を落としつつ、


「だから、大図書館ができる前はかなりバラバラにこれらの魔導書は保存されていた。それを集積して体系的な研究ができるようにとこの場所を作り上げたのが、〈図書館の大魔導師〉――大図書館と魔法連盟の創設者にして、一番最初の〈大魔導師〉だね」


 もっとも、と彼は言う。


「そうして文献リソースを一団体が集積させたことが、かえって非組織的な魔法研究の可能性を著しく狭めてしまったっていう批判もあるんだけど……どうかな。実際、こうした体系化が〈図書館の大魔導師〉さえいなければ未来永劫果たされることのなかった横道なのかっていうと、僕はそうでもないと思うな」


 朝から一体どこでこんなややこしい話が展開されているかというと、大図書館併設の宿泊施設。ユニスの部屋だった。


 最近、ユニスはよくクラハの部屋を訪ねてくる。今暇、とか。ご飯一緒に食べようよ、とか。多分これまでジルが一手に担ってきたそれが、彼がいなくなったことでこっちに回ってきたのだろう。クラハとしては、光栄でこそあれ特に迷惑には思っていない。


 多分、弟妹がいたらこんな感じなんじゃないかな、と。

 同年代だろう大魔導師を相手に、そんな不思議な感覚を得ていることもある。


 ふとクラハは、ユニスのコーヒーカップが空に近付いていることに気が付いた。朝食は食堂から貰ってきてそのまま持ち込んでいるだけだけれど、飲み物だけは部屋で沸かした。コーヒーの入ったポットに手を伸ばして、もう一杯飲みますか、と訊ねる。うーん、とちょっと悩んだ後、半分だけ、と彼は言った。


 カップを両手で持ちながら、


「で、〈原庫〉はそうして大図書館の中に安定的な保管環境を作り出せたんだけど、一人二人がちょっと入って閲覧するだけならともかく……」

「それも、慣れた魔導師でないと危険なんですよね」

「まあ、ガス溜まりでわちゃわちゃ動くみたいなものだからね。学園に通ってるくらいの魔導師だと、まず司書付きじゃなければ潜れないよ。だからある程度危険を伴わずに研究できるように、写本で構成された『開架』を備えてるわけだし」


 そこにこれから、魔導師の一団が入っていく。


〈天土自在〉から得られた情報を元に、さらなるヒントや未解明の事実が〈原庫〉に眠ってはいないかと、本棚のあちこちを引っ張り出しては読み漁る。


 暴走しないよう、〈原庫〉内の魔力調整役はそれはもう大変なコントロールが必要なのだそうだ。


「でも、」

 とクラハは言った。


「この状態だと、かえって貴重な魔導書が危険に晒されてませんか。ちょっとした刺激で魔力が暴走するようじゃ」

「本は無事だよ。本はね」

「……本以外は」

「相当前の人だから、〈図書館の大魔導師〉って。それに本人の残した手記によると、先史文明の散逸を相当悔しがってたみたいで、まあちょっと、すでにお亡くなりの偉人を指して言うのもあれだけど、偏った人っていうか……」


 言ってから、ふっとユニスは視線を遠くした。

 何かを考えているような表情だった。クラハは特に、「どうしましたか」とは問い掛けない。マッシュポテトと腸詰めをもぐもぐ食べながら、その顔色を見つめている。


「最近さ」

 と言う直前、ユニスは一瞬、瞳を横に流した。


 クラハはその視線の先を追う。ベッドの上だ。そこには今自分たちが使っているテーブルの上に置かれていて、ついさっき「どかしちゃうね」と雑にユニスが放り投げたものが転がっている。


 真っ白な論文原稿。


 タイトルには、『時戻しの秘法について』の文字がある。


「……まあ、今言うことでもないかな」


 頑張ろうね、とユニスが言う。

 はい、ともちろんクラハも答えた。





「すぱっと私が最初に断って後は自由時間っていうのと、順を追ってちゃんと話し合いをして最終的に断られるので、どっちがいい?」


 どっちにしろ断られるのは既定路線らしかった。


 リリリアに招かれて入ったのは、簡素な部屋だった。仮住まいらしく、生活感はほとんどない。助かった、とちょっとだけジルは思っている。これでそういうのがすごい部屋に入ったら、多分五秒くらいで謝りながら出ていく羽目になっていたと思う。


 まあ座って、と言われて座る。

 お茶とコーヒーのどっちがいい、と訊かれて、じゃあお茶で、と答える。


 どん、とお茶の葉が入った容器と、お湯の入ったポットを目の前に置かれる。


「ではどうぞ」

「…………」


 自分でやれ、ということらしかった。


 私は味に責任を取れない、とリリリアは言う。別にこちらとしても、わざわざ「俺は客だぞ茶を出せ茶を」と詰め寄る気は起きない。スプーン何杯入れればいいんだ、と訊く。わかんない、と答えが返ってくる。何もかもが曖昧なふわふわした空間が形成され、とりあえず一杯分で試してみる。


 うっすい。


「で、どっちがいいの」


 後二杯か、いや三杯、と指を迷わせていると、リリリアが正面に座っている。両手で頬杖を突くようにして訊ねてくる。


 じゃあ、とジルは答えた。


「順を追わせてもらっていいか。俺もあんまり、状況がよくわかってないんだ。自分から辞めるって言い出したってのは本当なのか?」

「ほんと」

「誰かに脅されたとか、無理やり命令されたわけでもなく?」

「そういうわけでもなく」

「理由は?」


 彼女の唇は、しばらく開かなかった。

 ここでもまた、ジルは無理に「俺は客だぞ答えを出せ答えを」と詰め寄る気を起こさなかった。自作のお茶に口をつける。ありえないほど濃くなった。我ながら人の家でやりたい放題にも程がある無法ぶりだったが、わざわざ言わなければバレやしないだろうと思って、何食わぬ顔でそのまま啜り続ける。


「ざっくりでいい?」

 頷けば、続けて、


「使っちゃいけない神聖魔法を使ったから」

「……それは、どんなやつか訊いてもいいのか」

「人に幻を見せる魔法」


 どういう反応をしていいものか、迷った。


 重ねて訊ねてみようか。どんな場面で、どんな風に使ったのか。それとも、どうしてそれを使ってはいけないのかを確認した方がいいのか。魔法に関する知識が薄いだけに、いまいちどう受け止めていいものかわからなくて、


「それって、」


 あれそういえば、と思い出した。


「ロイレンも俺に使ってきてなかったか。ほら、〈天土自在〉で戦ってたときに」

「……あれとは、ちょっと違う感じ。もうちょっと……なんて言うんだろう。使っちゃいけない使い方があるんだよね。で、それって私の中での解釈だと、教会の人が特にやっちゃいけないやり方だから、こんなことしておいてのんきに聖女ですってやってる場合じゃないよねって思って。だから自分で、」


 リリリアは大きく手を振って、


「追放! というのが現状です」

「……なるほど?」


 魔法を引き合いに出された上に、今度は「教会の人が特に」と来たものだから、もうほとんどリアクションらしいリアクションも取れなくなった。せめてこの場にいるのがユニスなら、と思わずにはいられない。彼ならもう少し、魔法絡みのところから話し合いの引き出しを作ることができただろうか。


 自分には、その引き出しはない。


「ちなみにそれって、いつ使ったんだ。あ、全然。話したくないならいいんだが」

「ジルくんのその会話の仕方って、悪い人を相手にしたらもう秘密にされ放題だよね」

「……まあ」

「ロイレンさんと戦ったとき」


 覚えてるかな、と訊かれた。

 それは外典魔獣上位種〈銀の虹〉を相手に、自分が手こずっていたときの話だった。援軍としてユニスが駆け付けてきて、それからほんの少しの後、〈天土自在〉の砲撃が〈銀の虹〉を貫いて――という場面のこと。


「あのときに、ロイレンさんの動きを止める……いや、こういう言い方は良くないね。ロイレンさんが『時を戻すのを諦める』よう仕向けるために使っちゃった」


 ああ、とそれで納得をした。


 あの場面でリリリアはロイレンと、何らかの『取引』を成立させていた。その『取引』の背景に、その魔法を用いた精神的な揺さぶりがあったのだろう、と。


「でも」

 そうなると、魔法に疎くとも言えることがあった。


「それは、仕方なかったんじゃないか」

「仕方なかったからって責任を取らなくていいわけじゃないよ」


 けれどきっぱり、リリリアはその言葉も返してくる。

 特に、と彼女は、


「聖女っていうのは、教会のトップだからね。それが『やっちゃいけないことをしたんだけど仕方なかったから許してね』で何事もなく過ごしてたんじゃ、他の人だって『それってやっていいんだ』って思っちゃうよ。それじゃダメ。『やっちゃいけない』って建前は、誰かが守り続けなきゃ」


 その誰かが私、と言った。


 しばらく、ジルはその言葉に考え込んでいた。言えるだろうか、と。何も持たず、何の責任も負うことなく旅を続けている自分が、目の前の『聖女』に向かって、何か助けになるような言葉を、説得力のある言葉を、一つでも投げかけられるだろうか、と。


「……じゃあ、」


 結局、ジルは、


「聖女を辞めた後どうするとか、もう決めてるのか」


 単なる友人としての言葉しか、考え出せなかった。


 そうだねえ、とリリリアは、


「まあ、こんなご時世だからね。もっと平和な時代だったら、素直に実家に帰って別の仕事でもしようかなと思うんだけど。ちなみにジルくん、私って他にどんな仕事が向いてると思う?」


 急に、回答の自由度がやたらに高い質問も投げてきた。


 えぇ、とジルは戸惑う。リリリアは、さっきまでの会話に漂っていた真剣さがどこへやら。急に楽しそうな雰囲気で「医療とかそういうの以外で」と注文も付けてくる。


「どんな仕事って、」

 とジルはリリリアを見つめて、


「…………」

「あ、何も思いつかない? 何もできなそうだから?」

「いや! そんなことはない……けど」


 何となく、と口をついて言葉が出る。


「リリリアって、最初に会ったときから『聖女』のイメージが強いから、いざ他の仕事って言われれるとな」

「あー、ひどい。私に頭の中で『聖女』のラベルを貼って管理してるから個人としてのイメージが全くこれっぽっちもないんだ」


 いやそんな、と言いつつ本当に何も思いつかないようでは、そう思われたって仕方ない。何か一つくらい、と必死に頭を動かして、


「あ、事務!」

「…………」

「そんなに気に入らないか?」

「ジルくんにだってあるでしょ。できるけどあんまり気に入らないなこれっていうことの一つや二つくらい。でも、ギルド職員とかはいいかも。冒険者ギルド」

「何かやりたいことがあるのか」

「ジルくんの専属になるよ。どうせギルドに立ち寄らずにどこかで迷子になってるから暇だろうし、お金も預けたら預けっぱなしで興味ないです残高いくらかわかりませんってタイプでしょ? お金が寂しがってるから私がときどきお散歩に連れ出しておいてあげるよ」

「それ横領だよな」

「羨ましいか?」

「羨ましいとかそういう問題じゃないだろ」

「羨ましいならジルくんもやれば? 冒険者っていうか、剣士を引退したら」

「誰を相手に」

「私。それまでの間にジルくんが懐に貯め込んでいたお金は全部私の懐にスライドしてるから」

「なんで俺の懐からリリリアの懐にスライドしたやつをもう一回こっちにスライドさせるんだよ。それなら最初から共用で――」


 いいだろ、というところで、ジルは。

 何だか自分が妙なことを言っていないかということに気付いて、言葉を止める。


 冷静に発言を精査する。


 あ、いや、と言う。今のって大丈夫だよな、と不安になる。言い訳めいたことを口にしようとして、いやそんなことを言い出した方が良くないかもこんなことで引っ掛かったり動揺したりしてる方が意識しすぎで変かも、と思い直したりする。


 リリリアは、窓を背にして微笑んでいる。


 よく考えれば、部屋の中には自分と彼女しかいない。


「か、」

 ジルは、勢いよく立ち上がった。


「換気しないか。結構、話し込んでるから」


 よく考えれば、これも後から振り返ってみれば全然おかしな提案だった。


 今の状況は当たり前のことだったからだ。リリリアは現在、聖女を解任されるかどうかの処分検討中で部屋に籠っている身。自分もまたアーリネイトの手引きでここまで来て、教会特記戦力というよく把握していない肩書きがあるとはいえ、ある程度騒ぎを避けて、目立たないようにここまで来ている身だ。人目に付かないように、密室に籠っていること自体はおかしくない。むしろ話し声が外に響きかねないのだから、窓や扉を開け放ってしまう方がおかしい。


 しかしリリリアがにこにこ笑って止めないものだから、ジルはそれを実行してしまう。窓を開ければ、夕暮れに向けて少しの冷たさを孕みつつある秋風が、部屋の壁を撫でていく。その風に乗るようにして、ジルは廊下に続く扉も開けてしまう。


「――お」


 するとその廊下が、白い泡で満たされているのを見つけた。



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