2-2 落ち葉
西の国にある街だ。
そこはすでに秋の装いだった。あれだけぎらぎらとみなぎっていた夏の生命力は、今やすっかり色を落としている。見上げた空は高く、青色はどこか、雲の白色に霞まされたかのように淡く冷たい。その冷たさに毛布をかけるかのように、黄金色の葉を付けた街路樹が並び、石畳の赤茶色にまだらをつけている。
その街の中に、一際大きな建物がある。
大聖堂。
中庭に、一人の女が座っていた。
金色の髪を、少し冷たさを増す風に晒して、彼女はテラスの席に座っている。目の前にした紅茶はすでに冷めてしまったのか、湯気も立てず、水面に波紋を起こすこともない。彼女はそっと、そのカップのハンドルを指でなぞる。物思いに耽るように、じっと、どこでもない場所を見つめている。
かさ、と一枚の葉がテーブルに落ちる。
「あの、」
と少女の一団が話しかけたのは、そのときだった。
服装を見るまでもなく、話しかけられた場所のことを思えば、それが聖職者たちであることはわかっただろう。この集団の代表を務めるらしい少女は、目の前で立ったまま、しどろもどろの調子で、
「り、リリリア様」
はい、と呼び掛けられた金髪の女は頷く。慌てることも、急かすこともなく、少女が続きの言葉を口にするのを待っている。
「せ、聖女の職を、辞されるとお伺いしました。詳しい事情はわかりませんが、その、私たち……」
「憧れてるんです!」
途中からは、別の少女が引き取った。
「いつか、リリリア様みたいな方になれたらと思って。今回のことって一体何が――」
「ちょっと!」
「あ、いや、」
すみません、と意気消沈するのを、いいよ、と宥める。
「気になって当然のことだと思うし。でも、ごめんなさい。今は他の聖女様たちから口止めされていて。最終処分が決まるまでは、誰にも話せないことになってるから」
そうですか、とか。わかりました、とか。
そういう返事をしながらも、彼女たちはそこを動かない。その様子をじっと見て、
「落ち葉」
「え?」
ちょうどよいものを見つけたと思ったから、手を伸ばした。
立ち上がれば、こちらの方が背が高い。少女たちは驚く。特に手を伸ばされたひとりは、何が起こると予想したのだろう。目を瞑る。
その隙に、指先でひょいとそれを掴まえる。
「ついてたよ」
目を開ければ、あ、と驚きのような、あるいは拍子抜けしたような吐息で答えた。
「あ、ありがとうございます……! 一生髪、洗いません」
「洗いなね」
そのやり取りを皮切りに、きゃいきゃいと少女たちは騒ぎ出した。一人だけずるいだの、今すぐ風呂に叩き込むだの、いいや私は負けない絶対に決してだの、もうすっかり秋ですねえ、だの。言いながら彼女たちは、中庭の落葉樹を見上げる。もう一枚が自分のところに落ちてこないかと、そわそわと待っている。
聖女は、それを微笑みながら見ていた。
そのときふっと、秋風が吹く。指先を撫でるようなささやかなそれが、テーブルに落ちていた一枚の葉を攫っていく。地に落ちて、先に零れ落ちた幾百枚の葉の中の一として、紛れていく。
少女たちの靴底が、それを踏む。
それもまた、リリリアは見ていた。
†
心当たりがあるかと言われれば、全くない。
だからだろう。その新聞を持ってユニスの下に駆け付けたとき、やっぱり彼は、自分たちと似たような反応を示した。
不思議そうな顔をする。
とにかくよく見てみようと、新聞を持って広げる。大して情報量のないそれを隅から隅まで二度三度、目を通す。
「え、」
顔を上げる。
「これ、ジョークグッズ?」
そうであったらよかったけれど。
もちろんそういう話ではなかった。渡したのは、それなりに知名度のある広報紙だ。ジル自身はあまり意識したことはなかったけれど、クラハは知っていた。教会や冒険者ギルドを含めた公的・半公的施設と契約を結んだ報道機関が発行しているものだという。
ということは、
「え、じゃあほんとってこと?」
「になるな」
「なんで?」
書いてないから、わからない。
紙面に載っているのは、『聖女解任か』の見出し。本文も『四聖女のうち最年少である〈島守の聖女〉リリリア氏について解任の検討が行われている。解任事由についての事実関係の調査が終了したのち、その是非が決定される予定』と書かれた以降は、改めてリリリアのここ最近の業績が並んでいるだけ。自分たちの疑問に答えてくれるような何かは、載っていない。
だから、
「ユニスは何か、心当たりはないのか」
自分たちで辿り着くしかない。
場所は今、大図書館の中だった。ジルは外で新聞を受け取って、驚いて、クラハと二人でユニスのところまで報せに来た。てっきり夕食の誘いだと思ったらしいユニスはペンを放り出して喜んだけれど、しかしその後こんな風に会話は続いて、
うーん、と腕を組んた。
「ぜんっぜん。だってこの間、大功績だったよね。実質あのとき、戦略を練ってくれたのもリリリアだし」
「……ああ。そうだな」
そのことについて、ジルは少し思うところがあった。
けれど少なくともそれは、友人の現状に関する突拍子もない報せよりも優先すべきことではない。そう思うから、
「そもそも〈天土自在〉を発見したのだってかなり大きな功績なんじゃないのか。先史時代からずっと見つかってなかった新しい遺跡だろ。教会的にはこういうのって、嬉しくないのか」
「嬉しいと思うんだけどねえ。まだ動かせる重要施設だし、もしかしたら掘ったら色んな新しい情報が出てくるかもって思うと、教会としても図書館火災で失われた分を補うチャンスになるかもって」
なると思うんだけどね、と唇に指を当てて、ユニスは悩ましげな表情をしている。
「その前ということはないんですか?」
クラハが、同じく紙面を覗き込みながら言った。
「たとえばその、南方樹海に来る前に何かリリリアさんにあって、その問題の検討のために一時的に教会本部から外に出されていたとか」
「あー、左遷ってこと?」
それをユニスが、明け透けな言葉で引き取る。
「どうなんだろう。そういう問題を抱えてる人間を合同作戦みたいな場所に出すのかな。一応僕とかウィラエ先生とか、魔法連盟の中核にいるようなメンバーだって一緒にいたのに」
「検討段階では『出しても平気だ』って判断される程度の問題だったっていうのはどうだ?」
「検討した結果、悪化したってこと? ……この『調査中』っていうのでか。でも、それにしても情報が出回るタイミングがよくわからないな」
すみません、とクラハが言って、
「無理がありました。じゃあやっぱり、南方樹海に来た後に何かがあったんでしょうか」
「後ねえ、後……」
しばらく、停滞する時間が十秒。
俺の役目か、とジルは声を上げた。
「悩んでても仕方ないな」
言えば、それを待っていたというように二人ともがこっちを見た。
「そもそも、どういう理由だと聖女が解任されるのかもわからないだろ。これだけ滅王関連の問題が活発になってる状態でリリリアを解任する意図もわからないし」
「まあ……あ、でもそうか。もしかしたら聖女の職を解いて別の場所に使いたいとか?」
もちろん、ユニスが口にしたような予想が合っているかどうかもわからない。だからジルは、
「手紙を書いて、本人に直接訊こう。そっちの方が早いだろ」
「え、無理じゃない? 教会の内部で留め置いてる情報を、僕たちに話したりはできないんじゃないかなあ」
「一応俺、教会の役職持ちだろ」
言えば、少し遅れて「あ」とユニスは口を開けた。
「教会特記戦力?」
頷いた。
特に何らかの組織的な役割の中に位置づけられているわけでもない、ただ行動権を与えられただけの外部協力員の肩書ではあるけれど、ないよりはマシだろう。上手いことこれを使えば情報が聞ける立場になるんじゃないだろうか。そういうことを伝えると、ユニスもクラハも、「ちょっと難しそうだけど」と頭を悩ませ始めてくれる。
けれど、その結果としての案が出るよりも先に、また声はやってきた。
「ユニスさん」
ぎくり、と肩が動いたのは、大して知らない相手だったからだろう。
背の高い男が、大図書館の本棚を抜けてこちらにやってきた。少し息が切れているのを見ると、居場所を探していたらしい。彼は、ふ、と息を抜くと、
「今、外にお客様がいらっしゃってて」
おっと、とジルは小さな心配をした。
来客対応なんて、いかにもユニスは苦手そうな気がする。が、仕事の話になるとかえって気が楽になるのだろうか。ああ、と彼は軽く頷き、
「応接室?」
「はい。待っていただいています」
「どなたかな」
「それが、教会の方で」
ええと、と彼は手元のメモを見る。びっしりと魔法式が書かれているから、裏紙を使ったのだろう。たどたどしく読み上げる。
「聖騎士団、第四分隊長……」
アーリネイト様、と。
†
応接間には、確かに見覚えのある彼女の姿があった。
扉を開けると、ノックの時点ですでにそうしていたのだろう、彼女は立ち上がっている。隣には同じく聖騎士なのか、明るい髪の少女も立っている。
夏の終わり以来の再会に、久しぶりです、とジルは声を掛けた。
訊きたいことが山ほどあった。きっと彼女なら何かを知っているだろうと。ちょうどいいタイミングで来てくれたと、そう思って、口を開こうとした。
「単刀直入に申し上げる」
その前に、彼女が言った。
「聖女辞任を考え直すよう、リリリア様を説得してもらいたい」