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4-1 ここに二人で住んじゃう?



 何度見ても、だった。


「……ここしかない、よなあ」

「ここしかありませんねー」


 一応、一週間近くは彷徨ってみたのである。

 左手を壁に付けたまま、ぐるぐると。この階層を何度も何度も巡って、他にないかを探してみたのである。


 が、やはりここしかないように思える。


「じゃあ、行き止まりってことになるけど」

「なりますなー。まったくもって」


 ジルもリリリアも一芸特化の阿呆と言えば阿呆ではあるが、何も一から千まで考えなしのとんでもない阿呆というわけではない。

 彼彼女にも大型類人猿あるいは人間相当の知恵というものがあり、自分たちが通ってきた場所にそれなりに目印をつけるくらいのことは、欠かさずしてきた。


 そして、今二人が停滞しているこの階層に入ってからというもの。

 行き当たる階層通路にはことごとく、その目印がついているのである。


 つまり、行き戻る道しか彼らの前には横たわっていないようなのだ。


 で、代わりに見つけたのが。


「リリリアさ……リリリアは、」

「とうとうさん付け」

 ごほん、とジルは咳払いをして、


「この扉、開けられないのか」

「ないなー。魔法の専門家がいないと」

「専門家じゃないのか」

「なんでもかんでも一人でやれたら人間はこんなに数増やしませんよ、お兄さん」


 途轍もなく大きな扉だった。


 ジルの裸眼でも、そこに扉があることくらいはぼんやりとわかる。


 黒い。

 そして、でかい。

 あの巨馬すら悠々と頭を上げたまま通れそうなくらいの高さがある。


 そんな扉が、ふたりの目の前に、堂々と聳え立っていたのである。


 もう一度、とジルはその扉に手をかけた。

 ぐ、と押し込む。もちろん、あらん限りの内功を身に溜めて、全力で。


 しかしそれでも、扉は動かない。

 自分が押してみしりとも動かないのであれば、これはもう間違いなく魔法が関わった特殊な扉だろう――そう、彼にはわかる。


「やっぱり、道間違ってたんだな……」

 そう、ジルは溜息混じりに呟いた。


 何度も思ったことだった。

 どうも自分たちは、上っているのではなく下っているのではないか、と。

 やたらに複雑な起伏を持つ階層通路に上下感覚を騙されて、実は延々下り続けているのではないか――地上から遠ざかっているのではないかと、思っていたのだ。


 そしてとうとう、その疑問に答えが出た。

 実際に、間違っていた。

 そうでなければ、こんな大掛かりな行き止まりに突き当たるはずもない。


「そうでもないんじゃないかな?」

 しかし、リリリアはそう言った。


「え?」

「だって別に、行き止まりが下の方にあるとも限らないでしょ?」


 たとえば、と彼女は言う。

「私がいたのが四層だから……実は今は五層にいて、そこで行き止まってるとか」

「……まあ、なくもない、かもしれないが……」


 そんなことがあるか?とジルは首を傾げている。

 大抵はこういう大きな壁は、下層の方に設置されているものなのではないか。迷宮に潜った経験がこれ以外にあるわけでもないから単に肌感覚に過ぎないが……そう、彼は思う。


「それに、あれかもよ。本当は向こう側……地上側から開けるための扉で、こっち側からは開かないとか」

「……引く扉、ってことか?」

「あとは単純に、魔法で一方通行にされちゃってるとかなのかもね。あ、でもこれは魔力の流れ的に難しいかな」


 ううん、とジルも首を捻る。そう言われると、元々大して自信のあった考えではなかったようにも思えてくる。所詮は勘だ。より自信ありげに勘をぶつけられれば、当然揺らぐ。


 試しに引いて開くか確かめてみようかとも思って、どこかに窪みがないかを探した。


「……ん?」

 そして、違和感を覚えた。


「ちょっとこれ、見てくれないか?」

 呼び掛ければ、「どうしたの?」とリリリアは近付いてきてくれる。


「模様があるような気がする……扉の表面に」


 そう言えば、彼女はどうやら扉に顔を近づけてくれているらしく、


「……ほんとだ。なんだろう、これ」

「見た目にはわからないのか?」

「うん。黒色が濃すぎて陰影が全然わかんないから……」


 どうしようかな、とリリリアは言った。


「もしかしたら、表面を全部なぞれば、私でもわかるような魔法陣が描かれてるのかもしれないけど」

「このでかさじゃ……」


 見上げても見上げきれないような大きさだ。

 ジルだって内功を用いて跳び上がらなければ、容易くはその頂点に届かないほどの高さ。


 窪みに指を引っかけてクライミングする、という手もなくはないが……


「俺じゃあ、魔法陣の正確な形は掴めないしな」

 ジルは純剣士――魔法は対人戦に使われるような汎用性の高いものを除けば、知識はからきしだ。


 それではいくらこの扉の全てに触れることができたとしても、ベースとなる知識がない以上、その全体像を記憶し、転写することすら難しい。


「あ、そうだ。あれしてみる?」

 リリリアが思いついたように言った。


「何?」

「ジルくんが私のこと肩車して、ジルくんが登る役、私が触る役ってやつ」


 望むところだ、と本物の心が返事をしかけた。

 天国に入れてあげますよ、と言われたら大抵の人間がそっちの方向へ脇目も振らずに走り始めるのと同じ原理である。


 が、ジルは耐えた。

「……よくない、んじゃないかな」

「まあこの大きさだもんねえ。そんな地道なことやってたら、一体終わるのはいつのことになるやら。半年とかかかっちゃったりして」


 あはは、とリリリアは笑って、

「もういっそ、ここに二人で住んじゃう? 結構楽しいもんね」


 八十歳の老婆。

 八十歳の老婆、八十歳の老婆、八十歳の老婆!


 ジルは心の中で、そんな呪文を唱えた。

 残念ながら、すでに効き目は薄れてきている。


「……そういうわけにもいかないよな」

「そうだねー。ここ、ご飯美味しくないし。それに私の護衛についてた人も、早く帰ってあげないと可哀想だしなあ」


 ここでジルの中に、既婚者、という新たな可能性が降ってきた。

 

 そう、これは辻褄の合う、かなりの説得力を持った仮説なのだ。


 こんな場所に一ヶ月――そろそろ二ヶ月になる――も二人きりで、ドギマギしているのが自分の側だけだというのが、まずおかしいのだ。向こうの側に余裕がありすぎる。もちろんそれは年齢が重要なファクターとして働いた結果導き出された当然の状況なのかもしれないがしかしこれはそもそもが既に相手のいる人間の余裕と言うものなのではないか? いやそうに違いないそうに決まっているリリリアは既婚の八十歳の老婆であり彼女の言動の一つ一つは単に自然体として出力されている彼女にとってはごくごく当たり前の朗らかコミュニケーションであり一方でそれに対して自分ばかりがこうして心の臓を何かで挟まれて締め付けられたような痛みを感じてまさにこれこそ大ピンチつってなナハハみたいな状態にされている理由を解明できる仮説というのは自明的にたったひとつしかないのであり


「どうしようね、これから」

「――――はっ!」

「え?」

「いや、なんでも」


 色ボケしている場合ではない。

 ジルは正気に返って、冷静にそう思った。


 八十歳の老婆で既婚者。もうそれでいいじゃないか。決着だ。ごくごく普通の青少年みたいな悩み事はやめよう。自分で言うのもなんだが、この状況でそんな暢気なことを考えているのは端的に言って頭がおかしいし気味が悪い――そう思って、ジルは頭を元に戻す。


 それなりに腕が立つはずの、旅の剣士に戻る。


「正直言って、俺は客観的には……主観的なのか? まあいいや。ここは底側の行き止まりなんじゃないかと思う」

「うーん……そうかなあ」

「俺はな。だから引き返すべきなんじゃないかと思うんだけど……」


 ここで、彼の頭に過るのは、方向音痴の二つの種類。

 正しい道の途中で、心が先に迷ってしまうタイプ。


「もしもリリリアの言うとおりこっちが地上なんだとしたら、また長い時間をかけて地下深くまで潜り直すことになる」

「たぶん、今度はそんなに時間かかんないと思うけどね」

「階層主もめぼしいのは仕留めたからな。ただ、完全なマッピングをしながら進めたわけじゃないから、最低でも二十日は見た方がいい。未踏の階層もまだあるだろうから、それを含めると一ヶ月、それか二ヶ月……。もしそっち側が間違っていてまた戻ってくる羽目になるなら、四ヶ月以上だ」


 俺一人で進んでた頃は目印なんかほとんどつけてないしな、とジルは付け加えて、


「これが完全な行き止まりならよかったんだけど、もしそうじゃなかったら……」

「下手したらずっと、本当にこのあたりでぐるぐる迷ってるだけになっちゃうかもね」


 ううん、と二人は各々腕組みして、ほとんど同じ角度で首を捻った。


 引き返して、それが外れていた場合――つまり、実はこの扉をくぐる方法が存在していた場合――大きく時間を失うことになる。


 かといって、その方法が存在していなかった場合……いつまでもここにいても、ただ老いていくほかすることがない。


 四ヶ月という試算は、一度戻ってダメだったらまた戻って来ればいい、と気軽に言えるような期間ではない。


 特に、まだ若者であるこの二人にとっては。


「……あ、じゃあ、こうしない?」

 リリリアが言った。


「二週間くらい、ここで待ってみようよ」


 二週間?とジルが訊ねれば、


「そう。そうすれば、満月か新月かのどっちかが来るはずでしょ」

「……ああ、なるほど」


 魔力の満ち引きか、と納得した。

 月の満ちる日と失われる日は、この地上の魔力に不可思議な変化をもたらす。


 迷宮の中でこそ見たことはないが……ジル自身、旅の中で「冬満月に花咲く草原」や「夏新月に凍る湖」に出会ったことはある。


 それに合わせて開く仕組みがあるのかもしれない、と疑うことは十分に可能だ。


「それなら、一ヶ月くらいは待った方がいいんじゃないか。どっちか片方でいいとは限らない……」

「一ヶ月って長くない? 二週間くらいが辛抱の限界な気がするんだよね、気持ち的に」

「……まあ、確かに」


 一ヶ月停滞するくらいなら、その期間で四ヶ月の行程を切り崩したくもなる。


「確か近いうちに日食があるって聞いたから、それまで待ってみたいような気もするんだけど……のんびりしすぎちゃってもよくないかなあと思うし。私もちょっと、二週間で何か見えないか扉を調べてみるからさ。どう? この案」

「……あ、待ってくれ。その前に一個だけ」

「ん?」

「聖剣化してくれないか」


 そう言って、ジルは剣を差し出す。

 ああ、と意図を汲んでくれたらしく、リリリアは魔法をかけてくれた。


「ちょっと離れててくれ」

 そう言って、扉のすぐ横――普通の壁になっている場所へと、ジルは剣を構える。


 思い出したのだ。

 最初に自分が、この迷宮に取り残された理由。


 ゴダッハによる〈魔剣解放〉――それに伴う、地面の崩落。


 この迷宮は、力ずくでも破壊できるのだということを、思い出した。



「未剣――〈爆ぜる雷〉!!」



 カッ、と光が爆発する。

 地面が融解するほどの温度が、辺りを包む。技を繰り出したジル自身も、その肌に激しい熱を覚える。


 煙が立ち込めている。

 それを、ジルは剣の一振りで払って。


 結果は。


「――眼鏡がないから、全然見えない」

「ああ、はいはい」

 ととと、とリリリアが駆け寄ってきて、代わりに見てくれた。


「あー……」

「どうなってる?」

 眉間に皺を寄せながら、ジルも精一杯目を細めて、


「ダメみたいだね。普通の壁のところは削れてるんだけど、その奥に黒いのが……これ、あの扉と同じかな。たぶんぐるーっと取り囲んじゃってるんだと思う。見えないところも、内側で」


 そう簡単にはいかないか、とジルは肩を落とした。

 所詮はゴリラのゴリラ知恵か、と。


「まあまあ。でも、発想はよかったんじゃない?」

 ぽん、とリリリアがその肩を叩いて、


「私は魔法陣を見る方法を考えてみるから、その間ジルくんは壁をばっこんばっこん壊して回っちゃってよ。どこかに抜け道あるかもしれないしね」


 そうするか、とジルが応えて。


 二週間の停滞が、決定した。



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