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エピローグ-3 ばーーか


「――よし」

 ユニスは毎朝、鏡の前で笑顔の練習などをしている。


 実のところ彼は、年の離れた姉ふたりと兄ひとりを持つ末っ子としてこの世に生を受けている。友達は全然いなかったが、家庭内では蝶よ花よと猫かわいがりされて育ってきた。


「今日の笑顔も完璧だ……!」

 というわけで、自分が可愛いことを知っている。


 少なくともお喋りよりは顔立ちの方に自信があるし、だから昔、ジルたちと初めて会うための事前準備中には、無口キャラで攻めるのもアリだなとすら思っていた。


 しかし、今は思う。

 普段から多弁な方向でコミュニケーションをしていてよかったかもしれない。いざこうして誰かと話しにいくときに、慣れているのと慣れていないのとでは、全然違うから。


 朝食を摂った。

 今日は出掛けるよと言うと、ジルが「一緒に行くか」という。ユニスはノーを突き付けた。四六時中僕と一緒にいたいっていうのもわかるけどね……。すると彼はあっさり引き下がる。


 別に、


「これから大図書館でも一緒だしな。一応、買い物で荷物持ちが必要だったりするかと思っただけだ」


 クラハは「道は大丈夫そうですか」と。大丈夫、と答えれば「気を付けて行ってきてくださいね」と。一方でリリリアは「いってら」と軽く言った。実は自分を一番子ども扱いしていないのはリリリアかもしれない、と思うこともある。


 まあ実際、子どもみたいなものだったのだから仕方がないのだろう。


 けれどひとたび外に出てみれば、人が自分を見る目はまるで違う。

〈天土自在〉に辿り着けば、遠巻きにして噂をされる。


 かつてはウィラエの弟子として。次は最年少の大魔導師として。滅王の封印者として。今は外典魔獣上位種の撃破者として、この場所に集う全ての魔法関係者から、畏敬の念で以て見つめられる。


 その視線をユニスは、背筋を伸ばして、受け止めながら歩いた。

 人に道を訊ねる。制御室はどこか。すると、どうも自分が方向音痴だという噂をちょうど知ってくれている人に当たったらしい。わざわざ仕事の手を止めてまで、そこまで案内してくれた。


 扉を開ける。


「――ユニス?」

「先生。こんにちは」

 中には幾人もの魔導師が詰めていて、その中にひとり、知っている顔。


 ウィラエが立っていた。


 彼女はいくつかの作業を手早く終わらせると、近くの魔導師に二、三の指示を出してからこちらに向かってくる。いつもと変わらないように見えたかもしれない。もしも、その顔を見慣れている者でなければ。


「どうした。何かあったか」

「ううん。ただ、もうすぐ僕たちも出発だから。今のうちに挨拶をしておこうと思って。……調査は順調?」

「順調ではあるが、芳しいとは言えないな」


 中を覗き込めば、ウィラエが素直に答えてくれる。


「致命的なプロテクトはないが、単に情報量の問題で解読に時間がかかる。この場所に詰められる人間にも限りはあるし、後は進め方を見つつだな」

「そっか。何か手伝った方がいいことはあるかな?」

「特にはないよ。大図書館の方で、少しゆっくりしてくるといい。特に君とジルさんは、ダメージが大きかったからな」


 うん、と頷く。

 いつもならユニスは、それで帰る。けれど、


「先生、今からちょっと出られる?」


 ウィラエは、不思議そうな顔をした。

 けれど「何か話したいことでもあるのか」とか、そんなことすら彼女は訊かない。生徒がそう言えば、必ず彼女は答えてくれる。


「わかった。少し待っていてくれ」





 内緒の話だと言えば、ウィラエは〈天土自在〉の一画を人払いして用意してくれた。


 魔導師たちの休憩場所にかける思いは素晴らしい。先史時代の空き部屋は、今やコーヒー休憩用の給湯室と変わりつつある。ふたり分淹れてあげようとユニスは思ったけれど、やっぱり自分ではまだ、やり方がよくわからない。結局ウィラエに手伝ってもらいながら、ようやく何とかなる。


 ふたりで同時に口をつける。

 そして、ふたりで一緒に笑った。


「薄」

「薄いな」


 カップを机に置く。この場所まで運び込む際の重量の問題だったのだろう、脚の細い、頼りない椅子にふたりは座った。昔よくこうして、単なる休憩やお喋りのように魔法を教えてもらっていたことを、ユニスは思い出している。


「それで、どうしたんだ」


 ここでずばっと切り出せたら、大層かっこよかっただろうに。

 でも、そうはならない。ユニスは、あーとかうーとか、何の意味もない音を口から吐き出す。どう切り出したらいいか、迷っている。


 でも、ウィラエはいつも最後まで待ってくれる。

 だから今日も、そうしてユニスは話し出せた。


「大丈夫? つらくない?」


 ウィラエが、大きく目を見開く。

 でもやっぱり、ユニスにはそう思えてならなかったのだ。


 だって、自分はつらかったから。この夏、友達が増えたと思った。ロイレンとも仲良くなれたと、本気で思っていた。けれど、あんな結果になった。悲しい思いをした。やるせない気持ちになった。どうすればよかったのだろうと、あれから日が経った今になっても、そう考えてしまう。


 一夏の付き合いでも、それなのに。

 ウィラエは。ロイレンの学生時代を教師と生徒として過ごしていた彼女は、どう思っているのか。教師としてのウィラエの姿を知っているから、ユニスには、予想が付いてしまう。


 きっと、彼女はもっとつらい。


 しばらく、ウィラエは答えなかった。彼女は俯いている。もっと気の利く言葉が言えたら、とユニスは思う。ジルだったら、相手が欲しい言葉を衒いもなく口にできるだろうか。リリリアだったら、それをそうとも感じさせないで、優しい逃げ道を用意できるのだろうか。


 どちらも、ユニスには難しい。


「もうすぐ、秋が来るな」

 だから次の言葉は、ウィラエから出てきた。


 落ち着いた、いつもの声だった。アイスコーヒーの入ったカップに、両手を添える。


「こっちの方が、大図書館よりもずっと暑い。馬車で進むうちに、みるみる気温が下がっていくだろう」

「……うん」

「ユニス」


 ウィラエが笑う。

 子どもを安心させるような、自分は君の味方なのだと教えるような。初めて会ったときからずっと、自分に向けてくれていた微笑み。


 それでも、ユニスは。



「温かくして行きなさい。風邪を引かないようにな」


 ウィラエが泣いているところを、この日初めて見た。





 後は、研究所に帰るだけのはずだった。

 が、ユニスは案の定〈天土自在〉の中で普通に道に迷ってしまった。


 意地を張らずに案内を付けてもらえばよかったと思うが、時すでに遅し。いつの間にか、誰もいないような区画まで迷い込んでいる。だからユニスは、もういいや、と思った。とにかく、外に出てみよう。そうすれば何かしら道は開けるはずだ。それが道と呼べるかはともかく。


 どこからか、風が吹いてきている。

 きっとこっちだと進んでみれば、それが一気に開けた。


 そこはどうやら、あのときジルが壊した外壁の場所らしかった。

 壁に大穴が開いていてる。それはもう爽快なくらいで、ぽっかり空いたその場所から、夏の終わりの青い空が覗く。せせこましい建物の廊下になんて見向きもしないで、大いなる樹海に向けて、湿り気を帯びた風が抜けていく。


 そこにひとりの青年が、足をぶら下げて座っていた。

 煙草を口に咥えて、天を仰ぐようにして、外に向けて細く煙を吐いている。


「あ、」

「ん?」

 知っている顔だった。


 彼は振り向く。おお、と慌てる。懐から小さな灰皿らしきものを取り出して、まだ結構吸えたのではないかと素人目にもわかる長い煙草を、惜しげもなく消してしまう。


「ユニちゃん。どしたこんなとこで」

 デューイだった。


 どしたこんなところで、と言われても。意外すぎる光景だったから、ユニスは戸惑っている。が、とりあえず最初に訊くことははっきり決まっていたから、それを声に出してみる。


「――吸うの?」

「いや、全然吸わねー。今だけ、今だけ」

「身体に悪いよ?」

「だから吸わねーって」


 吸わないならいいか、とはならなかった。

 ウィラエに対してそうしたのと、同じことだった。ユニスはてこてこデューイの傍に寄っていく。隣に腰を下ろしてみる。それで、


「うわ、煙草くさ」

「おい。これでも傷付くんだぞオレは」

「でもここ、すごいね。開放感があって。落ちたら死ぬけど」

「な。見てこれ、オレの足。さっきから震えてんの」


 見たら、本当に震えていた。

 呆れるやら何やら。オレまあまあ高所恐怖症なんだよね、とまでデューイが言うから、次に口にする言葉も自然と決まる。


「じゃあなんでこんなところにいるんだい」

「いや、室内でこんなん吸ってたら迷惑千万だろ。世が世なら――ってか、今まさに国家に保護されるべき大遺跡だぜ」

「…………中毒?」


 違うって、とデューイは苦笑いをする。

 ポケットから取り出すのは、煙草の入った箱だった。結構高かった、と彼は言って、


「昔、遊びでロイレンと煙草作っててさ」

 少しだけ、昔話をしてくれた。


 まだ樹海に『震え』が起こる前だったという。ロイレンが、樹海からある植物を持って帰ってきた。いつものように成分チェックを終えて、彼は言う。どうもこれは、喫煙すると煙草と同じような作用を起こしそうだな。へえ、とデューイはそれに興味を示した。


「研究者たるものまずは自分からとか唆してみたら、案外あいつ乗り気なんだよ。だけどそれが臭せーの何の。オレらどっちも普段は吸わねーからこんなもんなのかとか思ってスッパスッパ吸ってたら、ネイが普通にマジギレして。臭いが消えるまで帰ってくんなって研究所から叩き出されてさ。そりゃオレらも悪かったけど、真冬だぜ?」


 凍え死ぬかと思ったね、と語るデューイの表情は明るい。

 でも、明るいだけでもない。


「んで、このあいだ町に下りたときに、これを見つけたわけ。そういや本物ってどんな味すんだろって、興味本位」

「美味しかった?」

「オレはコーヒーとか酒の方が好きかな。あっちはあっちで飲みすぎたら身体に悪いんだろうなって感じだけど」


 残ったのは誰かにやるわ、とデューイは箱を床に置く。そういや今日はどうしたのよ、なんて当たり障りのない話を始めようとする。


 その前にユニスの手が、デューイの背中に触れる。


「――どわあっ!」


 びっくりするくらい、デューイはびっくりした。

 飛び上がる。ユニスは目を丸くして、それを見上げる。立ち上がったデューイは肩で息して、こっちを見下ろしている。


「な、なんだ急に。殺人事件かおい」

「いや、」


 もちろん、全然そんなつもりじゃなかった。手のやり場を失ったまま、所在なくユニスは答える。


 ただ、


「悲しそう、だったから」


 デューイの目が、わずかに開く。

 意外そうな顔だ。でも、その理由がユニスにはわからない。本気で突き落とされると思ったから、ちゃんと別の理由が出てきたことに驚いたのか。それとも目の前のいかにも「魔法のこと以外は何もできません」な魔導師に、一丁前にもそんな感情を察知する力があるなんて思っていなかったのか。


 あるいは、単に――


 デューイはやがて、くしゃくしゃと髪を掻いた。

 ただでさえ長いから、あっという間にそれがほつれる。ああちょっと、とユニスは立ち上がる。が、人の髪を勝手に触るのもどうなんだろうと思って、やっぱりその手は中途半端なところで止まる。


「ああっ!」

 そうしたら、デューイがばっとその金髪を翻して、




「ロイレンの、ゴミカス野郎ーー!!!!」




 それはそれは、見事な叫びっぷりだった。


〈天土自在〉の高さから見る景色は、遮るものが全くない。だから、空と海を越えて、大陸の果てまで届いてしまうんじゃないか。そう思わせるくらいの、大絶叫だった。


 たぶん、〈天土自在〉の中で働いている人たちにも聞こえたと思う。

 にわかに塔の中がざわつく気配を感じる。しかし、そんなことは気にせずにデューイは言うのだ。


「オレさあ、この間ジルのところに行ったわけ」

「う、うん」

「てっきりあいつめっちゃキレてんだろうなと思ってたから、便乗して超キレ散らかすつもりでいたわけ。全く信じられねえ奴だよなとんでもねえことしやがってどういう了見なんだあのカスボケアホダボふざけんなバカくらいのことを言って、明日からは心機一転すっきり頑張ろうみたいなつもりだったわけ」


 なのにさあ、と半ば八つ当たりのような声色で、


「あいつまで全然怒んねーんだもん。そしたらこう、わかるか? このモヤモヤしたさ、そういう気持ちに名前が付かなくて」


 発散できなくて。

 でも、と彼はこっちを見た。


「――悲しかったんだな、オレ」


 その顔を見て、ユニスは思った。


 たぶん、さっきウィラエと話していたときにも浮かんだことだったのだと思う。自分が何をどう感じているのか。それを言葉にするとどうなるのか。ここ一年くらいに扱った魔法式のどれよりも簡単で単純で、でもそれは、ジルの言葉を聞いてリリリアの言葉の意味がわかったみたいに、ふたつを重ね合わせることで、ようやく本当のところがわかる。そういうものだった。


 今わかった。


 咳払いなんて、全然しない。

 一秒以内の、速攻勝負。ユニスは両手を口の脇に置く。大声を出すときに、自然と目を瞑る。


 叫んだ。




「ロイレンの、ばーーか!!」




 隣でデューイが、目を丸くしていた。

 こんなこと、もちろんやったことがない。目立つし、子どもっぽいし、恥ずかしい。樹海の鳥が飛ぶ。葉が落ちる。水面には波紋が広がって、ようやく大声の出所を見つけたらしい魔導師たちが、廊下を歩いてくる。


 顔に熱が溜まる。

 耳が赤くなっているような気がする。


 なのにデューイが大袈裟に髪を掻きまわすから、笑ってしまう。




 この夏、ユニスは少しだけ大人になった。



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