エピローグ-2 頑張りました
「とりあえず一本な。出発前にもう一本こさえてまた渡すわ」
「いつも悪いな」
「悪いのはオレだわ。樹海に潜る前に出来上がってたら、お前もあんな怪我しないで済んでただろ」
気にするなって、とジルが言う。どんよりと落ち込んだデューイは、溜息を吐きながら椅子に座る。その間で、クラハは左右に視線を行ったり来たりさせている。
それはある日の昼のこと。
デューイがジルに新たな呪い破りの眼鏡を届けに来た、研究所の実験室でのことだ。
「仕方ないだろ。そんなことが起こるってわかってたわけでもないし――うお。すごいな。久しぶりだから感動する」
「ほんとはもっとこだわりたかったんだけどさあ。もうこれでスペアも合わせて一本もなくなっちまったから、ほら、あったろ。あの暫定これでってリストの一番上にしといたレシピ。それで作っちまったわ。フィッティング大丈夫そうか? 動いてズレねえ?」
「ああ、多分」
ジルが横を向いたり上を向いたり。
あるいは椅子から立ち上がって、ちょっと動いたり、窓の外を見てみたり。クラハはその横顔を眺めていた。どちらかと言うと、こっちの顔の方が見ている時間は長いと思う。一週間程度のこととはいえ、再び眼鏡をかけた彼の横顔に懐かしさを覚える。目が合う。何となく手を振ると、振り返してくれた。
「大丈夫そうだ。ありがとうな、忙しいところ」
「一応、前よりは多少頑丈になってる。……と、思う。けどやっぱ『絶対に壊れない』ってほどじゃねーから、そのへん気を付けといてくれ」
「了解」
「前のよりちょい重いと思うんだけど、どうする。軽いのも作っとくか。戦ってるときってそういうとこまで気になるもんか?」
「いや、普段使いで慣れてれば気にならないと思う。むしろ同じくらいの重さで作ってもらった方が、付け替えたときに違和感がないから順応しやすいだろうな」
りょーかいりょーかい、と逆向きに椅子に座ったデューイは、小さなメモ帳にそれを書き留めながら、
「こっちで新しいのが作れたら、それも送るわ。送り先って『大図書館』だけで届くか?」
「大丈夫だと思う。あ、宛名のところにユニスの名前を書いてもらった方がいいかもな。俺じゃなくて」
「はいよ。つって、本人がいねーと実際呪い破りとして機能するかテストできねーから、あんま期待はしないでほしいけど……合間見てやってみるわ。つか、スペア何本要る? 前はお前『そんな持ってても全部なくす』とか言ってたけど、今はクラハさんもいるし、代わりに管理してもらえるだろ」
そうですね、とクラハは頷いて、
「私、預かっておきますよ」
「それならもう二、三本持っておいた方が安心か?」
「分断されたときのために、ジルさんが常にもう一本は携帯しておいた方がいいと思います。それで、今回みたいなときのために私がもう一本。後は普通にしていれば大丈夫だとは思いますけど、何かのアクシデントで破損したときのために、もう二本くらいあると安心だと思います。……多いですか?」
「んにゃ。ここケチってもしょうがねーからな。馬鹿みたいだろ。眼鏡作る手間と金を惜しんでたら、世界が滅んじゃいましたとか」
「金なら出すぞ」
「ん。まあ、基本の素材はお前から貰ったやつで賄えるから。もしなんか追加で必要になったら、また改めて相談する」
次は剣の話だった。溶けた分はデューイの在庫から補充を出してくれる。が、全力に耐えられるほどではないから、壊れたら店売りで補充するように。こっちはスペアを持ち歩くのも大変だろうから、一旦最低限のそれだけ。
「一応、もし〈天土自在〉から良いのが発掘されたりしたら、お前に渡るように交渉しとくわ。既製品ならそのまま、素材ならオレが加工する感じで。管理者が教会で現場責任者がウィラエ先生だから、そのへんは融通利くっしょ」
ご注文承りました、と彼はメモ帳を閉じた。
「で、大図書館でなんか見つかりそうなわけ」
「そういうそっちは、〈天土自在〉で何か見つかりそうなのか」
デューイが肩を竦める。ジルも同じように、肩を竦める。
でも、とクラハは口を挟んだ。
「〈天土自在〉の方では、少なくとも何かわかるんじゃないでしょうか。ユニスさんたちが見つけた大陸地図もそうですし、未発見の先史文書が大量に見つかったようなものですから」
「それはそう。ユニちゃんもこっち残ってくれりゃあいいのに……とオレなんかは思うんだけど。どう。こっちにくれない?」
「それ、ユニスが聞いたら喜ぶぞ。人気者で困るって」
「困らせちゃおっかな。オレ、ユニちゃんが調子乗ってるところ見んの結構好きだわ」
行先は、バラバラになることが決まっていた。
デューイとウィラエは、残って〈天土自在〉の調査を行うことになった。リリリアとユニスのふたりが発見した、先史時代の『知らない大陸』が描き込まれた地図についてはもちろんのこと、内部に保管された文書や物品についても。すでに到着した魔法連盟と教会、公務冒険者などの連合調査隊と共に、捜索と解析を行っていくことになる。
一方で、ユニスとリリリアはそれぞれ分かれて行くことになる。
元々が魔法連盟と教会の役職持ちだ。今回は滅王に関する何かの事件が起こるのではないかと派遣され、そして実際、それを解決した。その一つの区切りとして、ふたりはそれぞれの拠点――大図書館と教会本部に帰ることになる。
クラハはジルと、どっちについて行こうかと頭を悩ませた。
しかし結局は、ユニスと共に行くことに決めた。南の国の北西に位置する大図書館へ。理由は単純で、そちらの方が力になれることがありそうだから。ユニスが「大図書館で先史時代に関する情報を集めてみる」と言うのを、手伝えることもあるのではないかと思ったから。
そして、残った者たち。
この夏に一緒にいたはずのふたりは――
「ネイがどこに行ったかって、やっぱりそっちもまだわかんねえ?」
訊ねられても、クラハはジルとともに首を横に振るしかない。だよなあ、とデューイは頬杖を突いた。
知っていたそうである。
デューイの証言だった。あの日、避難した先の町でネイに会った。彼女はロイレンがその事件を起こすことを知っていたような口ぶりだった。しかし、追い掛けた先にその姿はなかったと。
今も彼女は、見つかっていない。
もしかすると、という疑いはどうしてもあって、だから次の言葉がしばらく出てこない。
窓辺に、一羽の小さな鳥が降り立った。
ちちち、とそれは小さく鳴く。何とはなしというように、デューイはそれを見ている。
「オレさあ、」
口を開いた。
「いまだにあんましっくり来てねーんだよな。ロイレンがすごいことしようとしたって話」
心からの、という声だった。
悲しんでいるというわけでもない。怒っているというでもない。ただ、起こったことの意味がわからないと、どう受け止めていいかわからないと、そう吐露するような声。
「実際〈天土自在〉の調査チームにもさ、ロイレンの知り合いとかいるわけ。でも、みんな『えー』みたいな。時を戻すとかって、なんか良いんだか悪いんだかよくわかんねーしさ。〈銀の虹〉? とかいうのはビビったけど、本格的にヤバいことになる前にお前らが処理してくれちゃったし……」
あ、と彼は口を押さえる。
「あんま言わない方がいいか、これ。そっちはすげえ被害食らってんだもんな」
まあ、とクラハは思った。
自分は大してダメージもなかった。だから、この質問に答える人間としては不適だろう。そう思って、隣を見る。
ジルは、
「――正直、俺もあんまりしっくり来てない」
そう言って、デューイを驚かせた。
「マジ? あんな全身ズタボロになっておいて?」
「戦ってるときは、そりゃ『ぶちのめす』くらいのことは思ってたよ」
「だよなあ」
「いまだにそのへんの水とか飲むのに躊躇うし」
「あ、それオレも。この国、水自慢がいいとこなんだけどな」
ただ、とジルは言う。
思案げな顔だった。ときどき、とクラハは思う。この人はこういう顔をする。どこか遠くを見るような目。言葉なのか何なのか、それをじっくりと心の中で確かめるような表情。
普段はあんまり感じないけれど、実は意外と繊細な人なんじゃないかと思うこともある。
「寝て起きたら終わってたしな」
「寝ぼけてんのかい!」
「…………」
デューイがチョップを向ける。ジルは頭の上にバツ印を作って、それを防ぐ。クラハはふたりの間で、それを苦笑いしながら見ている。
「でも、結構本当にそんな感じだよ」
ジルが言った。
「戦ってるときは、もうそれどころじゃないから勢いで行けるんだけどな。けど、改めてこうやって考えると、よくわからん」
「ショックで?」
「ショックっていうか。結局あれから、ロイレンの話も聞けてないだろ」
捕縛されたロイレンは、あれ以来昏睡状態にある。
南方樹海の治安管轄権を持つのは、当然南の国だ。しかし本人が滅王と接触した可能性があり、非常に高い実力を持つ魔導師であることから、近く、南の国の大教会にその身柄を移される予定だと聞いている。
「だから?」
「だから、滅王との繋がりもよくわからないし。そもそもなんで『死んだ友達を蘇らせよう』って人間が、世界を滅ぼそうとしてる奴の復活に手を貸すんだ」
ジルの疑問は、とても素朴なものだ。
しかしデューイは、口を噤んだ。クラハもまた、それに答える術を持たない。
「滅王って、一体何者なんだ?」
誰もそれを、知らないからだ。
ジルの呟きは、誰に拾われることを期待していたわけでもないらしかった。訪れたのは、会話の自然な区切り。穏やかな静寂。夏の終わりに、窓から少し温度の低い風が吹き込んでくる。カーテンが揺れる。草の、淡くなった香り。
「……なんかさあ」
デューイが、呟いた。
「最近オレ、怖えーわ」
空に真っ白な雲が流れている。
風に乗って、どこかへと消えていった。
さて、とデューイが腰を上げる。メモ帳を懐にしまう。パンパン、とポケットを叩いて、確かめて、
「んじゃ、そろそろ帰るわ」
と。
なんだ、とジルは驚いたように言った。
「泊まっていくんじゃないのか?」
んにゃ、と背伸びをして、下ろして、
「定期連絡の人らに一緒にくっついてきただけだからさ。夜までに町に着けば、一緒に〈天土自在〉に戻れるし。普通に向こう戻るわ。日帰り旅行だな」
「結構町も遠いだろ。ゆっくりしていけばいいのに」
「まあなあ。別にここに泊まって、明日帰っても仕事に支障はねーんだけど」
ちょっとな、と。
デューイは、笑って言った。
「ここにいると、寂しくてさ」
†
デューイを町まで送って、その帰り道。
夏はもう終わりかけだけれど、それでもまだまだ日は長い。クラハはジルと、まだ明るい研究所の近くの道を並んで歩いている。
見上げれば、〈天土自在〉が目に映る。
少しだけ、クラハは思い出した。ネイとこの道を歩いた日のこと。そんなに遠い昔というわけではないはずの、何気ない一日のこと。
しっくり来ない、とふたりは言った。
クラハも同じ気持ちだった。あれからずっと。ずっと、現実感に欠けたような、ふわふわとした日々が続いている。
あの夏は。
八人で過ごしていたあの日々は、最終的にこの結末に至るためだけの、単なる幻だったのだろうか。必ず失われることが約束された、見せかけばかりの蜃気楼だったのだろうか。
それとも――
「そろそろ稽古、再開するか」
ぽつりと、隣でジルが呟いた。
ジルは、ふたりで歩くときは必ず歩幅を揃えてくれる。だから、その言葉に答えるために足を緩める必要もなければ、速める必要もない。
ただ横を向いて、クラハは訊ねた。
「もう大丈夫なんですか? 無理はしない方が」
「いや、逆にちょっと無理しておこうかなって」
「……なんでですか」
「リリリアがそろそろ教会に戻るって言ってただろ。なら、いてくれるうちに身体を動かしてみて、もし不調が出たら見てもらおうと思って」
ああ、とクラハは頷いた。
一番最初に、リリリアがこの場所を出ていく。仕事が積もり積もりてとは彼女の言で、すでに迎えの聖騎士団は南の国に入国を済ませたそうだ。
「確かに、そっちの方が安心かもしれませんね」
「だろ。でもあんまりやると怒られるから、最初は軽くな。……そういえば、あれ。貰えたんだって?」
あれ、の言葉で伝わる。
はい、と頷いて、クラハは服の袖からそれを取り出した。
でろ、と柔軟に動きを変える、半液体の金属。
魔合金。ロイレンを捕まえるのに一役買ってくれた、先史時代の遺物を。
「今度、正式にリリリアさんとウィラエさんが持ち出しの許可を出してくれるそうです。〈天土自在〉に使われている素材としては、それほど珍しいものではないそうで」
「よかったな。見た感じ、クラハの器用さにかなり合った道具みたいだし。しばらく未剣向けの基礎練もそうだけど、その道具の使い方を考えるのもやってみるか」
はい、と頷いてクラハはそれを手の中で遊ばせる。
紐状にして、あやとりのように広げてみたり。あるいは玉の形に変えて、手の甲から肘にかけてを転がしてみたり。おお、とジルが拍手をしてくれるから、はにかんでそれに答えたりする。
「今回、大活躍だったな」
ジルが言った。
彼の言った『大活躍』というのが何を指すのか、クラハにはわかった。
リリリアを案内して、ジルを迎えに行けたこと。それからふたりを〈天土自在〉まで誘導できたこと。ジルと共に、ロイレンが逃げた先まで追跡できたこと。そして最後に、魔合金を使ってロイレンを〈銀の虹〉から引き離せたこと。
ひとつひとつは、きっと誰でも代用が効くことだと思う。
だからいつもならきっと、今までのクラハならきっと、「そんなことないです」とか、そんな言葉でなかったことにしてしまう。
けれど、今回ばかりは。
「――頑張りました!」
ジルを迎えに行けたことが、あの日何もできずにいた自分まで、迎えに行けたみたいに思えたから。
クラハはそんな風に答えて、自分から両手を差し出してしまう。
ジルは、嬉しそうに笑った。
「これからも、頼りにしてる」
「はいっ」
ぱちん、とふたりで手を合わせる。
それすらも、単なる空元気なのかもしれない。クラハは、自分でわかっている。この夏は、そうやって笑って全てを片付けられるほど、単純なものじゃなかった。もし単なる魔獣が相手だったらもっと喜べたはずだと、はっきり思うところもある。
それでもふたりは、並んで歩いた。
研究所が近付いてくる。草の切れ間から、あの真っ白な外壁が目に入る。ジルも眼鏡をかけていたから、それに気が付いたのだと思う。
「俺ももっと、強くならなくちゃな」
そう、気を抜いたひとりごとのように、呟いた。
クラハは隣を見上げる。また、あの表情だった。何かを考えているような顔。それでデューイといたときの会話が思い出される。ふと思う。
自分は、確かにそれほどのダメージを負わなかった。
でも、ジルは――あれだけの大怪我をしたジルが、どうしてあんな風に冷静なままで、ただやりきれなさを抱えた風に話していたのだろう。
「ジルさん」
「ん?」
「ひとつ、訊いてもいいですか」
ジルは、最高難度迷宮を抜けた後も、人を責めなかった。
一年だ。一年の期間を、あの深い穴底の中で暮らして。もうすぐ死ぬという呪いをかけられた中、まだ二十年程度しか生きていないうちの一年を費やして、それでも誰のことも責めなかった。
優しいんだろうと思った。
器が大きいんだろうと、人を許せる人なんだろうと、そう思っていた。
けれど今、クラハは――
「自分に呪いをかけた狼のことを、どう思ってますか」
思わぬことを訊かれた、という顔だった。
ジルは、即答しない。全く考えたこともなかったことを訊かれたかのような戸惑い。顔を逸らす。家路に目をやる。真っ直ぐ前を見ているけれど、視線はきっと、本当はそこではなかった。
「――どうだろう。よく、わからないな」
クラハは、ふとジルの手を見た。
ついさっき、自分の手と触れたはずだ。両手と両手を合わせた。そのときの音を、温度を、感触を思い出す。確かにそれは、そこにあった。
なのにどうしてか、それが淡い幻のように思える。
クラハは少しだけ、この人がいつか、どこかに消えてしまうような気がした。




