3-3 死んだ仲間
コンコン、と扉の音は夜に鳴った。
もうすぐ寝ようと思っていたところだった。
誰だろう、こんな時間に……訝しがりながら、剣を片手にクラハは玄関口へと出て行く。
「はい」
「夜分遅くに申し訳ない」
そして、目を見開くことになった。
知っている顔だった――たった一度、顔を合わせただけ。けれどその服装と合わせれば、記憶は鮮明に蘇ってくる。
「聖騎士団の――」
「できれば、周囲には聞かせたくない話だ。――入れてもらっても?」
どうぞ、とクラハは扉を開いて目の前の彼女――目の前の聖騎士を迎え入れた。
もてなしの茶を淹れようとキッチンに動けば、しかし聖騎士は「お構いなく」とそれを手で制する。
そして、名乗った。
「聖騎士団第四分隊長のアーリネイトだ。……今、最高難度迷宮〈二度と空には出会えない〉の件で、〈次の頂点〉のメンバー全員に話を聞かせてもらっている」
ぎくり、と肩が強張りかけたのを、しかしクラハはなんとか制した。
アーリネイトは部屋の中にぐるりと視線をやってから、さらに続ける。
「パーティ宿舎があるのに、君は外で暮らしているんだな」
「はい、そうですけど……」
「なぜだ?」
直接に言うことは憚られた。
四ヶ月前のあの〈二度と空には出会えない〉での一件以降――パーティへの不信感が募り、外で暮らすことにしたと、正直には。
だから、濁しつつ、しかし本当のことも交えつつ、
「あまり、居心地がよくなかったからです。パーティとは少し折り合いが悪くて……」
じっ、とアーリネイトはクラハを見つめた。
探られている、と感じる。けれど流石に、初対面の相手に隠し事を見抜かれるようなことはない。
「なるほど。立ち入ったことを訊いたな」
そう言って、アーリネイトはその視線を切った。
「それで、どういうことをお訊きに……?」
「あの日、君たちのパーティに何があったのかを訊きたい」
一瞬、言葉を失いかけて。
それでも。
「何が、というのは?」
「最高難度迷宮〈二度と空には出会えない〉――その攻略を、君たちのパーティは諦めているな」
「……」
「聞いていないか。ゴダッハからは、何も」
はい、とクラハは頷いてから、
「でも、何となくは……」
アーリネイトもまた、頷いた。
「最初の攻略から数ヶ月が空いている――最初の挑戦で、メンバーの誰の命も失っていないにかかわらず、だ」
え、と声を上げそうになった。
「そうなれば、流石にメンバーも察しているだろうな。……ゴダッハに直接訊いた。すでにあの迷宮の攻略は諦めた、と」
一体どういうことだ、とクラハは思っている。
間違いなくあの日、〈次の頂点〉はメンバーの一人を失っている。
それなのに、アーリネイトは……。
「奇妙なんだ。Sランクにまで上り詰めたパーティが、そんなに容易く諦めるとも思えない。何か理由があるはずだ。特別な、ゴダッハが語らない理由が。……私はそれが何かを、知りたい」
辻褄の合う仮説が、クラハの頭の中に一つだけ浮かんでいる。
初めから、ジルはパーティ登録されていなかったのではないか、と。
これなら通せる。
サポーターの仕事の中には、そうした登録関係の雑務も含まれている。実際に何度か自分自身携わった業務だから、はっきりとわかる。
ジルをパーティにスカウトしておいて。
しかし、登録自体は行わず。
書類上は存在しないパーティメンバーとして連れ回し……そして、〈次の頂点〉以外の誰も入る資格を持たない迷宮の中で、秘密裏に殺してしまう。
そうすれば。
誰も知らない、殺人になる。
「君は、その理由を知っているか?」
アーリネイトが、訊いた。
その答えを、クラハはぼんやりとわかっていた。
おそらく、目的を達したからなのだ、と。
ジルに対して行われたあの殺人は、おそらく突発的なものではなかったのだ。
パーティ登録を行わない裏雇用――これは、ギルド規定で厳しく禁じられている。街のならず者とほとんど変わらないような形ばかりの冒険者パーティであるならともかく、Sランクの〈次の頂点〉が理由もなく行うようなものではない。
事前に、計画されていたのだ。
ひょっとすると、初めから――。
初めから〈二度と空には出会えない〉の攻略は、ジルの殺害を目的として行われた可能性があるのだ。
そして今、その目的は達された。
だから、攻略を行う気は二度とない。
そんな急ごしらえの仮説であれば……ここまでの不可解の全てが説明できると、クラハはぼんやりわかっていた。
けれどその明瞭な像は、今の彼女には決して見えない。
わからないからだ。
何のために?
どうして、ジルを殺す必要があった?
そのことが、今の彼女にはわからないからだ。
「ええ、っと……」
沈黙が長すぎた。
そのことをクラハは自覚している。これ以上は怪しまれる。怪しまれて何の問題があるのかを考えるよりも先に、声を出す必要がある。自分が咄嗟に処理するには、見えてきた真実は不気味すぎる。
普通に考えれば、ありえないのだ。
竜殺しの大英雄とはいえ――たった一人の青年を殺すために、Sランクパーティの地位と行動の全てが、利用されただなんて。
ゴダッハの行動は、異常だった。
得体の知れない恐怖感――それが改めて、クラハの背筋を上ってきている。
「他の皆さんは、なんて……」
アーリネイトの目つきが鋭くなる。
クラハの質問に答える代わりに、彼女は別の話を切り出した。
「……〈二度と空には出会えない〉の攻略中、四聖女が一人、リリリア様が転移罠によって姿を消した」
クラハは大きく、目を見開いた。
聖女。教会の最高権威。
ここ最近で、この街に来た聖女がいるとするなら、
「あのときの……」
「そのとおりだ。……言い訳に聞こえるだろうが、あのとき、何かがおかしかった」
「何か、というのは」
アーリネイトは瞑目し、
「転移罠は、発動しないはずだったのだ」
「……それは、古びていたとか、」
「違う。……そもそも、我々聖騎士団が、聖女様たった一人が罠にかかってしまうような、迂闊な攻略をすると思うか?」
思わない。
クラハも、聖騎士団の精鋭ぶりは知っている。Aランクの冒険者たちが次のキャリアとして転職することもままあると聞くし、何より聖女の護衛なのだ。並大抵の冒険者パーティを上回る練度で行動していただろうことは、想像に難くない。
「四層から五層へと向かう際に――どうしても通らなければならない部屋があった」
「主部屋ですか」
「いいや。魔獣のいない部屋だった。……が、」
一つ奇妙な点があった、と彼女は言う。
「床に、魔法陣が描かれていた。……部屋一面にだ。絶対に、その上を通る必要があった」
「それが、転移罠だったんですね」
「そのとおりだ」
「でも……」
「確かめたさ。何度も確かめた。聖女様を通す道だからな。騎士団の中でも魔術に長けた者たちが角突き合わせて解析したよ。そしてその結果、導き出された答えは『作動することはない』『聖女様が通っても安全のはずだ』――実際に、我々が先行して、罠が発動しないことを確かめた」
話が呑み込めずにいる。
が、クラハは聞いた通りの情報をまとめて、
「聖女様が通ったときだけ、罠が作動したということなんですか?」
「ああ。そうした罠に、心当たりはあるか?」
「……ない、です。大抵、ダンジョンに仕掛けられる罠は自然発生的で、個人を指定して作動するような複雑な機構は組めないはず……」
アーリネイトは頷いた。
「そうだろうな。冒険者上りの騎士もそう言っていた」
失態は失態だが、と彼女は前置きをして、
「原因不明の失態は、もっと手に負えない。……私は、あの迷宮には、何かがあると睨んでいる。元々、調査自体が四聖女からの指令だったのだ」
「……それは――」
「手がかりはあまりにも少ない。だから私は、知る必要がある」
答えてくれ、と彼女は。
立ち上がって、クラハに、問いかけた。
「君たちのパーティに、何があった? 他のメンバーたちは、みな口を噤んでいる。しかし君は、君だけは、知っているはずだ。
――――あのときリリリア様に言った『死んだ仲間』とは、誰のことだ?」
そのとき、クラハの心を過ったのは。
パーティに裏切られて、下層へと落ちていった、ジルの姿。
そして、もうひとつ。
自分の子どもたちを抱き留めていた、ホランドの後ろ姿も、一緒に。
いつの間にか窓の外には、ぽつりぽつりと雨が降り出している。
冬の香りを孕んだ、冷たい雨が。