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12-2 無事だといいんすけどね



 一番近い町に辿り着いたとき、すでにデューイは這う這うの体だった。

 当たり前のことだ。彼は特別頑強な肉体を持っているわけでもなければ、卓越した魔導師や聖職者のように自身の行動を効率的にサポートするような魔法を日常的に使用できるわけでもない。体力どころか魔力も底を尽きて、あのそれなりに見慣れた建物の姿が見えたときには、もういっそ泣き出してやろうかというくらいに安心した。


 しかし、辿り着いた先の町はといえば、その安心からは程遠い。

 警告を報せる鐘が、カンカンカンカンと、頭を揺らすほどに鳴り響いていたからだ。


「ちっくしょ……。誰もいねーのかよ」

 そしてデューイが辿り着いた先、町の境界の辺りにはもう人の姿は全く見えなかった。


 当たり前のことだ。今、デューイが来たのは樹海のほとりに立つ研究所の方向から。つまりはあの黒煙がもうもうと空に聳え立つ方角から来たわけであって、人は普通、火から遠ざかろうとする。


 まだ休めねーのかよ、と。

 悪態のひとつでも吐きたいような気持ちで、デューイはさらに町の奥に潜っていく。『ようこそ、空に一番近い町』の張り紙を、すれ違いざまに風に揺らす。


 ようやく人を見つけても、話しかけることだってろくにできない。

 ひどい混乱具合だった。


 おそらく、とそれなりの期間をここで過ごしていたからデューイにはわかった。例の〈天土自在〉が発見されてからの人口の流入に、町が対応できていないのだ。右往左往しているのの多くは、流れに乗ってこのあたりで商売を始めようとしたらしい新参者で、冒険者ですら戸惑ったり慌てたりした様子で、とにかく自分たちはどうすべきなのかと忙しく悩み続けている。


 デューイもまた、同じ状況だった。

 背中の方からじりじりと何かが迫ってきているのではないかという恐怖に駆られて――いっそ、この町も出て実家の方まで走って帰りたくすらなる。


 そんなときに、見つけた。


「ウィラエさん?」

 藍色の髪が、人垣の向こうに揺れた。


 声にしてから、ぎくりと背筋に嫌なものが走った。思い出したのだ。今朝起きて、部屋の中に置かれていたあの紙のこと。



 ――――『他の二人とは決して顔を合わせないように』



 あれは一体、何だったのか。

 いつもならこんな細かいことを彼は考えない。しかし今日このときばかりは、その後に起こったあの火災、もぬけの殻になって自分ひとりだけが残されていた研究所、そういうものとあの文言が簡単に結びついてしまう。


 声をかけるべきじゃなかったか。

 思ったときにはもう遅く、これだけの喧騒の中で藍色の髪の彼女は、こちらの声を耳聡く拾って視線を向けてきた。


 一瞬、その目が大きく開く。

 けれど、そのほんの一瞬の後に彼女は、人の間を縫うようにしてこちらに近付いてきた。


「デューイさん。無事だったのか」


 敵意が感じられる口調ではなかった。

 それで思わず、これだけ露骨にと自分でも思うくらいにデューイは肩から力を抜いてしまう。いつもの、あの頼りになる魔導師のウィラエの姿をそこに見たと思ったから。


「何とか。そっちも大丈夫すか」

「ああ。私も朝起きてすぐに……手紙は見たか?」

「あ、あれウィラエさんが?」


 いいや、とウィラエは首を横に振る。


「リリリアさんじゃないか。筆跡に見覚えがある。私もあれを見て、研究所を出てきたんだ。君もか?」


 っす、とデューイが頷けば、


「すまなかった。君のことも起こして一緒に連れて来られたらよかったんだが」

「いや、でもあれに書いてあったじゃないすか。残りのふたりには会うなって」

「…………ああ」


 一瞬の空白が、妙な含みを感じさせたような気もした。

 じり、と不安が背中からにじり寄ってくるのをデューイは感じる。ここで素直に「じゃあ言われたとおりに」なんて言って別れられる性格ならば楽なのだろうが、生憎で、


「何が起こってんすか、これ」

 これを機会にと、訊ねかけた。


「わからない」

 そしてウィラエの答えは、問いかけと同じくらい簡素なものだった。彼女が樹海の方角を見上げる。デューイもまた、同じようにその南の空に目を向ける。


 心なしか、煙は落ち着いてきたように見える。

 あの空の下にいるだろう友人の顔を、デューイは思い浮かべた。ジル、ロイレン、ユニス。


「……無事だといいんすけどね」

「ああ」

 迷いなく、ウィラエは頷いた。


「オレこれから教会、つか、避難所に行くつもりなんすけど」

 その迷いのなさのおかげだったのだと思う。デューイはウィラエにそう伝える。誘いの言葉でもあった。このままふたりで避難しませんか。しかし、ウィラエは首を横に振る。


「今、ちょうど近隣の街に救援要請を呼びかけたところだ。ひとりくらい、状況を把握している人間が必要だろう。私はもう少し様子が把握できる場所から樹海を監視しておくよ」

「救援って、消火の?」

「滅王案件の対策チームだ」


 そしてまた、飾り気のない言葉でウィラエは言った。

 滅王、と自分が繰り返したその響きに、デューイは何か嘘くさいものを覚える。


 本当にそんなものに自分が巻き込まれる日が来るとは思わなかった、というのが正直なところだからだ。ロイレンの気付きに端を発したあの調査探索中すらも、どこか自分にはそういう気楽さがあったらしい。そんなことを、今更になって自覚する。


「教会に逃げるというのは、良い目の付けどころだ」

 呆然としていると、ウィラエが重ねて言った。


「滅王案件の際には、すでに教会側で緊急時の対応法が共有されている。流石に襲われるのが初めてとあっては全てが完璧にとはいかないだろうが、ここにいて混乱に巻き込まれるよりは、遥かにマシな選択だろう」


 そうして、デューイの肩を励ますように叩くのだ。


「こっちは私に任せておいてくれ。デューイさんは、とにかく無事で」

「……どうもです! そっちも気を付けて!」


 彼女が念押しのように教会の方角まで教えてくれるから、今度こそデューイは、もうすっかり萎え切った足で人ごみの向こうに消えていく。



 しばらくウィラエは、その背を見つめていた。

 やがて、それが完全に見えなくなったころ。彼女は収まる気配のない喧騒の中で、さっきまでしていたようにもう一度目線を上に向ける。その先は空だ。夏の終わりの、こんなものがどこまでも続いているなんてとても信じられないような、青すぎる空。


 太陽の眩しさに目を細めて、


「ロイレン、」


 彼女はひとり、呟いた。


「今でもなのか」





「声を出さないで聞いて」

 どこからともなく声がしたから、ジルは初めは驚いた。


「言いたいことがあったら口だけ動かして。それで大体何が言いたいかわかるつもりだから」


 しかしすぐに、それがリリリアから発されたものだとわかる。不思議な響き方だった。妙に音に広がりがない。ひょっとしたら自分にしか聞こえないようにしているのかもしれない。


 樹海の中を行く途中のことだ。

 動いているものであれば、比較的にこの視界の中でも捉えることができる。だからジルはクラハとリリリアのふたりが先に行くのをどうにか追い掛けながら、徐々にぬかるんでいく木々の隙間を、共に駆け抜けていた。


 周りに聞かせられない話でもするつもりなのか。

 わからないが、声を出すなと言われてわざわざ出す意味もない。念には念を入れて頷くこともせず、唇の動きだけでジルは伝えた。


 わかった。


「だいぶ近くに見えてきたから、もうすぐ〈天土自在〉に辿り着くと思う。私の目算だからあんまり当てにしないでほしいけど、あと五分くらいかな。それで、そのときのことなんだけど」


 ジルくん、と彼女は名を呼んだ。


「ロイレンさんを相手に、迷わず剣を向けられる?」


 まあ、とジルは思った。

 当然の疑問ではあるだろう、と。


 この夏の間を親しんで過ごしてきた相手なのだ。毒を盛られたとはいえ、はっきり言ってジル自身、まだ頭の中で理解が到達していない。なぜロイレンがこんなことをしたのか、初めから滅王の手先だったわけか、それともゴダッハと同じように外典魔装の持つ力に精神を飲み込まれたか、あるいは先ほど自分で言った通り、それとは全く関係のない動機があるのか。そのことが全くわからないから、憤りも悲しみも驚きも、何もかもが現実感をまるで持たない。


 炎の中から起き上がったあの瞬間こそ、反射的な敵愾心が自分の身体を動かしていたけれど、今となってはそれすらもう肌の下にしまい込んでしまって、形を失ってしまった。


 けれど、ジルは答えた。


 もちろん、と。


「ジルさん、ちゃんと付いてこられていますかっ?」


 お、とジルはそれで顔を上げる。クラハから定期的に入る確認の呼びかけ。もちろん今度は喉まで震わせて、声で以てそれに答える。


「ああ、大丈夫だ!」

「もうすぐ〈天土自在〉の付近に着きます! リリリアさんも、もし可能であれば見つからずに侵入できる方法について考えておいてもらえませんか!」

「ううん。無駄だから気にしなくていいよ」


 リリリアがこともなげに言って、


「どうせロイレンさんが〈天土自在〉に居座ってるなら、周辺の偵察くらいはやってるはずだから。向こうが念入りに準備したのを相手に時間をかけるより、正々堂々正面から行こう。こっちにはそれができるだけの力もあるはずだし、それを察知して向こうが拠点を離れるなら、それはそれでこっちの優勢になる」


 少し間があってから、はい、とクラハが答える。

 しばらくの疾走、それからリリリアが再び、


「対峙したら、できるだけロイレンさんには何もさせないで」

 ジルにしか聞こえない声で言った。


「でも、命までは取らないでほしい」


 ジルは、少し悩んだ。

 これがいつもの会話の中であれば、単純に「気持ちの上ではそうだろう」という形で納得できる。しかしこれがわざわざクラハに聞こえないように交わしている会話であることを思えば、もうひとつ奥まで踏み込んで訊ねる。


 何もさせないのと、命を取らないの、どっちを優先すべきだ?


「命を取らない方を優先して。最悪の場合、〈天土自在〉にロイレンさんが何らかの操作を施していて、それが私たちじゃ手に負えない可能性があるから」


 それはロイレンから解決手段を聞き出す取引をすることを前提にした作戦か?

 なら、命を取らないだけじゃなくて意識も奪わない方がいいのか。


「意識はいいよ。どうせ私が戻せるし、尋問も……あんまり使いたくはないけど、確実にできる手段を持ってるから」


 なるほど、とジルはそこでようやく納得した。

 ロイレンが何かをしているかもしれない。しかも、〈天土自在〉に蓄えられているだろう先史時代からのエネルギーを使って。彼もまた一流の魔導師であることを思えば、たとえ彼を打倒したところで事態の解決手段を自分たちが持っているとは限らない。だから、その鍵となる首謀者を壊さないように確保しろというわけだ。


 わかった、とジルは答えた。


 尽力はする。

 が、それはそれでリスクがあるぞ。


「大丈夫。その場合のリスクは私が引き受けるから、ジルくんにはできるだけのことをしてもらえればそれでいいよ」


 それは、とジルは言い掛ける。

 しかしそれよりも先に、クラハが言うのだ。


「もうすぐ〈天土自在〉の正面です! リリリアさん、ロイレンさんの居場所はわかりますか!」


 そしてリリリアもまた、会話を打ち切ってそれに答える。


「外典魔装の気配がある! 大体の高さはわかるから――」


 何かの光が、前方を行くリリリアから放たれるのをジルは見た。

 懐かしいと思ったのはあの最高難度迷宮の中で何度も目にして、助けられた光の色だったからか。その懐かしさが、自然とジルの呼吸をその光と合わせた。


「ジルくん、跳んで!」



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