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3-2 失礼だねー、キミ



「女だけはやめとけ。バツ五の俺が言うんだから間違いない」


 五年前にそれを聞いたときには『バツ五の人間が言うことなんだから間違ってるだろ』とジルは思ったし、実際に口にも出していつもの五倍の苛烈さの修行を押し付けられもした。


 が、しかし当時十四の彼にとって、己を導く師匠の言葉と言うのはそれなりに重みを持つものだった。だから『また妙な偏見を人生の真理みたいに言い出しやがったなこのオヤジは』と思いつつ実際に口に出しつつ、なんだかんだと言って女性関係はのらりくらりと避けて通ってきた。


 避けて通れてきた。

 それが今は、回避不能なのである。


 三ヶ月をたった一人この日も差さない迷宮の中で不潔極まりなく極限状態で彷徨って――そこに現れた、気のいい感じのお姉さん。その人と二人きりで一ヶ月をすでに暮らしていれば。


 うっかりした拍子に『ああ、好きだなあ……』とか、そういうことをしみじみ思っちゃわないでもないのである。


 今までは、こんなことはなかった。


 三年前の毒竜殺しで師匠が腰を痛めるまで――「俺は秘湯巡りの旅に出るからお前は眼鏡屋でも探して散歩してろ」と言い残してジルに一人旅を許すまでは、保護者付きだったから。特に誰と親しくすることもなかった。大抵の人間は『あの男の弟子』として扱ってきたから、それ以上の進展はなかった。


 一方で一人旅を始めてからは、すでに自分に先行して名前ばかりが一人歩きを始めていた。若くして竜殺しを成し遂げた大英雄。自分自身ではなく名前に近付いてくる相手に恋心の芽生えるはずもなく。定住すらしないで流れていけば、心の交流をする暇もない。


 強いて言うなら「こんなガキが竜殺しィ~?」「本当かどうか確かめてやろうじゃねえか!」のお決まりの台詞とともに決闘を申し込んでくるような腕自慢の中に、それなりに友情を築いた少女もいた……が、所詮はそれも汗と涙の物語。


 機会がなかったのだ。

 そして今、機会が来ている。


 食事の後にいつも手を握ってくれるお姉さんに心臓を締め付けられて、年相応に死にかけているのである。



「――――落ち着け。集中……!」

 ふーっ、と細く鋭く、ジルは息を吐いた。


 彼らが現在拠点としているセーフエリアの周りは、リリリアの神聖魔法によって簡易的な聖域化が施されている。街にあるような教会と同じく、その中には雑魚魔獣は入ってこられないようになっているのだ。――もちろん、この迷宮における『雑魚』とは文字通りの雑魚ではなく相対的なもの……それができるだけでリリリアの力の凄まじさが間接的にわかるというものではあるが。


 とにかく、魔獣は襲ってこない。

 だから深く深く、ジルは意識を瞑想の中に沈めることができる。


 こんなことを考えていてはいけない、と思っているのだ。


 だって、ふたりきりなのだ。

 街で出会ったのとは、まるで状況が違う。


 確かにリリリアは卓越した聖職者のように思われる――が、一般論で考えてしまえば、近接戦闘に長けた剣士の方が、一対一の戦いには分がある。一体この男は恋だの愛だので悩んでいるはずなのにどこと話を接続させようとしているのだ、と思われるかもしれないが、この迷走する理屈屋の頭の中では、この異常な接続にも複雑な論理が通っているのである。


 誰も助けに来ない場所に二人きりで。

 片方が片方を好きだとわかったら。

 しかも矢印を出している側の方が、どうも直接対決すれば強いとわかってしまったら。


 嫌じゃないか?

 そう、ジルは心配しているのである。


 気分的にはすごく嫌なんじゃないかと思う。

 だって、自分に置き換えてみればわかるはずだ。たとえば全身が触手でできていて常に毒液を分泌している異様な魔獣(自分より強い)と二人旅をしていると考えたとして……その魔獣が、自分に気のある様子を見せていたら。


 嫌じゃないか?

 すごく。


 よくない、とジルは思う。すごくよくない。

 自分が同じ立場だったら、選択の余地がどこにもないように感じてしまう。実際に選択の余地があるかないかは問題ではない。そういう風に感じてしまうこと、それ自体が問題なのだ。


 たとえこの前提が間違っていて……仮に『実は自分よりリリリアの方が総合的な戦闘能力において卓越している』という隠れた事実があったとして考えても――この迷宮でのサバイバル下で、人を跳ねのけるのにはそれ相応の心理的負担を伴うことも間違いない。


 正々堂々、という言葉がある。

 ジルは結構、この言葉が好きだ。


 だから今、彼は必死で瞑想に取り組んでいる。今この状況でリリリアに「あなたのこと……ちょっといいなと思ってます」と伝えるのはどう考えても状況を悪用した卑怯な手段だと思うから。とりあえず気持ちは押し込めるし、たとえ伝えるにしてもこの迷宮を出てから、約一年程度の文通を交わしたのちに徐々にほのめかしていこうと思っている。


 心頭滅却。

 深く深く、ジルは瞑想の世界に入り込む。


 周囲の空気を体内に取り入れる。

 そして体内にある淀みを、長く外気へ吐き出していく。


 心の奥底にある刃を探り出して――それを鋭く強く、研ぎ澄ますように。

 身体の隅々に満ちる内功……それを押し広げて、均等に。どこにも詰まることなく、ぐるぐると満たすように。


「……いや、待てよ」


 八十歳かもしれない、と思った。

 リリリアは。


 一度そう考え始めると、そうに違いないとすら思えてきた――――だって、ここまで神聖魔法に卓越していて若いはずがない。例の巨馬を倒したときにも確か自分は同じことを思っていたはずだと、ジルは思い出している。それに、聖職者は大抵晩年に力のピークが来ると聞いたことがある。そうだ、そうに違いない。


 大体、顔の形だっていまだにおぼろげなのだ。

 ありうる。この可能性は十分に。


 リリリアはただ明るく朗らかで、声と話し方と態度が可愛くて、手が柔らかくて、やたらにいい匂いがするだけの、八十歳の老婆だ。


 間違いない。

 これが真実だ。


「……なるほど、そういうわけだったか」

「何が?」


 一拍置いて。


「――――おわあっ!?」

「失礼だねー、キミ。乙女に向かって叫び声」

「あ、いや、すみません……」


 もちろん、この迷宮の中に人語を喋る存在は、今のところ二人しかいない。

 ジルがジル自身に話しかけたわけではない以上、残るはたった一人。


 リリリアが、いつの間にか隣に座っていた。

 すごくいい匂いがする、とジルは思った。


「どうしたんですか」

 思わず敬語を外すのすら忘れながら、ジルは問いかける。


「最近、寒くなったと思わない?」

 そう、リリリアは言った。


 言われてふと、ジルも辺りを気にしてみる。

 確かに、ここに来たときは夏真っ盛りだったから、その頃と比べると随分涼しくなってきた。四ヶ月。季節が移り替わるには十分な期間が経っていて、秋すら越して冬へ姿を変えていても不思議ではない。


 肌寒いということなのだろう、と解釈して。

 ジルは、上着を脱いだ。


「どうぞ」

 そう言って、リリリアの肩――多分そのへんにあるんじゃないかと思う――に、その上着を引っかけた。


「え?」

「寒さには強くできてるから。身体が冷えるようなら使ってくだ――使ってくれ」


 八十歳の老婆なのだから、と。

 それは心の中だけで呟いて。


 しばらくの、沈黙があった。

 何かやらかしたのかと思って、ジルは大層心配になった。


 そしてその不安に耐え切れず「あの、俺何か変なことしましたか」と訊こうとしたとき。


 ふふ、と。


「結構、私のこと図々しい人だと思ってる?」

 リリリアは、笑った。


 ジルは焦って、

「いや、そんな、」

「違うよ。寝るとき寒いだろうと思ったから、魔法をかけてあげようと思って来ただけ。――〈ときどきは、誰かがあなたに触れるでしょう〉」


 ぱあっ、と光が溢れる。

 すると指先から、ぽかぽかと温かな熱が湧いてきた。


「たぶん十時間くらいは効くと思うから。夜更かしせずに早めに寝なね」

「――あの、」

「ん?」

「いま、手、」


 触れてなかったのに、どうして。

 魔法が使えたんですか、ということを、彼はたどたどしく。


「?」

 とリリリアは首を傾げたらしく、それから、


「あ。私、別に触らなくてもこういう魔法は使えるよ。練習してるから」


 何を言い返すこともできなかった。


 それじゃ改めておやすみー、と彼女が立ち去っていくのに、おやすみなさい、と挨拶を返すことしかできなかった。


 だって。


「じゃあ、なんでいつも食べた後は……!」

 手に触れてくるんだ、と。


 彼女の足音が消えてから、地面にへたり込むようにして、ジルは嘆いた。


 訊いてみるという手もある。もしかして、衛生魔法だけは触らないと使えないんですか、と。それで「そうだよー」と返ってくれば、それで済む。


 でも、もしそうじゃなかったら。


 そうじゃなかったとしたら――――、



「八十歳の老婆だったとしても……!」


 

 ところで他の出来事のインパクトが強すぎてすっかりジルは忘れているが。

 彼の上着は、リリリアの肩にかかったままである。


 少なくとも、迷宮にいる間は、ずっと。


 まだまだ二人の冒険は続く。




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