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10-2 日々気を遣って生きてるから



「うおわあああああ!!!!!」



 とユニスが叫び、樹海の枝という枝から一斉に鳥が飛び立つ。

 その横で、ジルは平然とした顔をしていた。


「大袈裟だな」

「いや、全然大袈裟じゃないよ! びっくりしたあ!」


 大きな大きなトカゲの尻尾を、むんずと素手で掴まえながら。



 あれから、二日が経った。

 探索の旅は、順調というほかない。すたすた歩いて、ぐんぐん漕ぐ。そればかりの日々が続いていて、どんどん樹海の真ん中に聳え立つあの大樹に距離は近付いている。


 その一方で、たとえばこんなハプニングもある。

 大人が両腕を回すようなでっかいトカゲ。それがついさっき落ちてきた樹上を見つめて、ユニスは胸を押さえていた。


「び、びっくりした……。ほんとびっくりした……」

「全然気付かなかったのか? 上の方で普通に音がしてただろ」

「全然気付かなかったよ。ジルも突然僕に覆い被さってくるし……唐突な恋の始まりかと思った」

「適当言ってないか?」

「うん。びっくりしすぎて」


 あはは、とロイレンが笑う。


「でも、大トカゲが上から降ってきたら人間、誰だってびっくりしますよ。私だって結構ここには慣れたつもりですが、驚きました」

「じゃあ眉ひとつ動かすことなくそれを空中で掴まえたジルは?」

「人間じゃありません」

「おい」


 全く、とジルはトカゲを茂みの方に帰してやる。

 それは一目散に、振り返らずに森の深みへ消えていく。


 その背中を見ながら、不意にジルは、この間の話を思い出した。


「信じられないな」

「ん? 何が」

「あれが竜の元かもしれないってのが。トカゲはトカゲじゃないか?」

「いや、僕の目から見るとあれも『トカゲはトカゲ』で済ませられるレベルのものじゃなかったけど……」


 ユニスもまた、同じようにその方向に目を凝らす。


「というか、三人旅になってどれだけ僕たちがリリリアに守られてたかわかってきたよ。トカゲもそうだけど、虫もすごいし……」

「そうか? ユニスが何だかんだ避けてくれてる分、普通よりは全然楽だけどな」

「普通の旅は僕には一生できそうにないな……」


 でも、とロイレンが言う。


「確かに、少し気が抜け気味になっているかもしれませんね。ジルさんはともかく、ユニスくんは」

「う」

「リリリアさんがいると家の中を歩いているのと大して変わらなくなってしまいますが、今回は一緒じゃありませんからね。私もそうなってしまいがちですから、お互い気を付けましょう」

「……だね。うん。もう少し、緊張感を持って取り組むよ」


 本当に気持ちはわかるんですけどね、とロイレンが笑う。

 それから彼は、懐からがさがさと折り目の付いた地図を取り出して、


「さて。思わず私も衝撃で道を忘れてしまいましたから、現在位置の確認をさせてください。ええっと、〈天土自在〉の方向が――」

「その前に、」


 それを、ジルが止めた。

 ん、とロイレンが顔を上げる。何、とユニスが訊ねる。


 答えるためにジルは、空を見る。

 目で見てもわからないから、すんすん、と鼻を鳴らす。



「どこか、休めるところを見つけた方がいいかもな。……雨の匂いがする」






「お、今のは動かなかったね。いいんじゃない?」

「いえ、一瞬反応してました。もう少し方向性を絞ってみます……!」

「真面目だな~」


 その頃、研究所。

 倉庫の一室で、クラハはリリリアに見守られながら、清掃という名の特訓に励んでいた。


「――――あ、」

「あ。今のは思いっ切り動いちゃったね」

「…………」

「クラハさんって、結構負けん気強いタイプ?」

「えっ。……そんな風に見えますか?」

「一回始まっちゃうとずっとかかりっきりだから、そうなのかなと思って。でも、こういうのって肩の力を抜いた方が案外上手くいくものだよ。ちょっと、」


 休憩にしよっか、とリリリアが言うのと。

 クラハが扉の外に人の気配を感じたのは、ほとんど同時のことだった。


「今開けま~す」

「お。これはありがたいな。どうも」


 リリリアが開けた扉の先にいたのは、ウィラエだった。

 首のあたりまで及ぶような高さの紙束を両手で抱えて、いかにも重たげな足取りで部屋の中に入ってくる。


「持ちます」

「っと、至れり尽くせりだな。年を取るのもそう悪いことじゃないらしい」

「とか言っちゃって。クラハさん、さらにその半分持つよ」

「大丈夫です、このくらいなら。これ、どこに置けばいいですか?」

「そうだな、そこの棚にしようか」

「じゃあすみません、リリリアさん。そこにあるものだけちょっと脇によけてもらえたら」


 はいよ、とリリリアが倉庫の一画、木の棚の一段を空けてくれる。

 クラハは自分が受け取った分を置いて、それからウィラエが抱える残りの分もしっかり置いて、


「…………」

「あらら。休憩が一瞬で終わってまた練習が始まっちゃった」

「す、すみません。埃が多いから気になって……ここだけ。ここだけやらせてください」

「お、神聖魔法の練習か」

「です。ちなみにウィラエさんは、これできますか?」

「神聖魔法の手法はあまり詳しくないが、風と念動を使えば似たようなことはできるよ」


 そら、とウィラエが指を弾く。

 すると瞬く間に、棚の半分が埃ひとつない美しい状態に変わる。


 近くに置いた魔合金は、何の反応も見せなかった。


 おー、とリリリアが拍手する。これはもう、とクラハも同じく拍手するほかなく、ウィラエは妙に慣れた様子でその賛辞を受け取った。


「ユニスくんが『ウィラエ先生ならその気になれば大魔導師の称号も三回は取れる』って言ってたんですけど、本当ですか?」

「たらればの話をするにしても、随分遡って人生が分岐してしまうからな。私からは何とも言えないよ。出力不足は否めないし、大魔導師のように『先史文明から通して見ても新規性のある』魔法を考案するのが自分の性に合うかもわからない。あの子が自分にとって好ましい人物を過大評価する傾向にあるのは間違いないが……それよりクラハさん。こういうのは慣れの問題だよ。リリリアさんと一緒に、日々積み重ねてみるといい」

「慣れ、ですか」

「だろう? 神聖魔法の第一人者殿」

「うむ。大人になっていくにつれてご飯を服にこぼさなくなるように、意識して取り組めばいつの日か当たり前のようにできるようになるのだ。というわけで、今度こそ休憩ね!」


 はい、とクラハは苦笑する。

 もちろん、折角リリリアに見てもらっているのになかなか結果が出せない不甲斐なさは感じる。けれどこれだけ気を遣ってもらっておいてぐだぐだと失敗にこだわるのも、それはそれで良い生徒とは言い難いだろう。


 そう思って手を休めれば、最初にそれが目に入った。


「ところでこの紙、どうされたんですか? 随分な量ですけど」

「単なる計算紙だよ。が、案外こういう過程を記したものが残っていないと困ることも多いからね。一旦ここに仮置きさせてもらうことにしたんだ。このままでは部屋が埋まってしまう」

「これ全部ですか? へえー」


 ぱらぱらと、リリリアが紙を捲る。


「全然わかんない」

「ふふ。わかるように書いていないからな。一応、〈天土自在〉に関する事前知識を付けておこうと思ってね。向こうから持って帰ってこられたデータを少し分析してみたんだ」


 少し、と思わずクラハは繰り返してしまった。

 少し、と茶化すようにリリリアもそれを繰り返す。


 少しだよ、とウィラエは微笑む。


「あれだけの大規模施設となると、どれだけのデータが残っているかわからない。こんなのは小指の先どころか、切り落とした長い髪のほんの一かけらにもみたないだろうな」

「何というか……本当に、スケールの大きい話なんですね」

「ちなみに、何かもうわかっちゃったりしたんですか?」

「ん、そうだな。それほど確かなことはないが、強いて言うなら――」


 ウィラエの言葉が途切れたのは、もう一度扉がノックされたからだった。


「はい」

 今度は、クラハがリリリアより先に動いた。


 扉を開ける。

 すると、残りのふたりがそこに立っている。


「よす。頑張ってるおねーさんたちに差し入れの時間でーす」

「粉系、使い切っちゃいたくて。デューイとふたりでクッキー焼いてみたんです。美味しい方が私で、無駄に美味しい方がこいつです」

「おい。無駄かどうかは食べる人が決めることだろ」


 デューイとネイ。

 クッキーの盛られた大皿と、ティーポットを手に。


 ウィラエ先生もいたのかちょうどよかった、なんてデューイが言う。

 テーブル……、とネイが辺りを見回す。

 それっぽいものを見繕って、クラハが部屋の中央に持ってくる。その間にウィラエとリリリアがクッキーと紅茶を受け取って、デューイとネイが忙しなく動いてスペースを作る。


 晩夏の午後の、即席の茶会。

 配膳を終えれば、思い思いに話し始めた。


「何の話してたん?」

「最近した恋の話だよ」

「お、任せてくれよ。得意技だぜ」

「技とかあるの? この話題」

「実際は何の話だったんですか?」

「恋の話だよ。なあ、リリリアさん」

「ねえ、ウィラエさん」

「この人たちもしかして適当なことしか喋らないんですか? クラハさん、正解は?」

「ウィラエさんが〈天土自在〉を分析していたそうなので、その結果がどうだったかという話をしてました」

「お、」


 それも得意、とクッキーを齧りながらデューイが言う。

 何でも得意だねえ、とリリリアがお茶を飲む。


「で、どうだったんすか実際のとこ」

「そんなに多くのことはわからなかったよ。ただ、やはり〈震え〉は〈天土自在〉から漏れ出す魔力が原因のようだな。これは特に間違いがないと思う」

「おん? んじゃ、どっかしら問題が出てるってことすか。急に表に出てきたってことは」

「わからない。何らかの起動サイクルがあったのかもしれないし、隠蔽系列の魔法の寿命が切れた可能性もある。こればかりは詳細分析を待つしかないが、今のところさらに急激な魔力漏出の傾向はないから、しばらくはあのまま保つだろう」

「ちなみに、どんくらい漏れてる……ってか、その急激な魔力漏出ってのが起こるとどうなるんすか」


 ん、とウィラエは唇に運びかけたカップを置いて、


「まあ、このあたり一帯は吹き飛ぶだろうな」

「オレもうさっさと実家に帰ろっかな」

「デューイ。帰りの馬車代折半しましょうよ。乗り合わせで」

「気が合うな、オレら」

「安心するといい。軽く確かめただけだが、〈天土自在〉の管理システムはまだ正常に稼働していた。あれだけの規模のエネルギー施設なら――どうも、蓄積可能な魔力総量が巨大すぎて何を主目的に建てられたのか想像が付かないんだが――そう粗末な管理システムということもないだろう。何しろ竜のマークで危険を報せるほど、言葉の通じなくなった未来にまで届くような設計がされているんだから」


 ああ、とデューイが頷く。


「『時を超えたデザイン』すね。まあ、そっか。そんだけ長く保つことを前提にしてるなら、管理体制もばっちりか」

「それ、私結構疑問なんですけど。魔獣の種類ってそんなに長い間変わらないものなんですか? そもそも竜だって、私たちは強力な魔獣の一種だと思ってるけど、昔はありふれた生き物だったかもしれないじゃないですか」

「ネイさんの言うことにも一理あるが、しかし状況証拠から見るとそういう意図が汲めてしまう。竜のマークはほんの一例だよ。他にも色々と、先史文明の人々が我々宛てに言語を介さないメッセージを残そうとした形跡はあった」

「あ、そうなんですか」


 ということは、と。

 リリリアが、まとめにかかった。


「〈震え〉の原因は〈天土自在〉からの魔力漏出が原因。潜在的な漏出規模は大きいけど、リスク自体はそこまで悲観視するほどのものではないってところかな。できるだけこっちとしてはそのリスク評価と管理は慎重にしたいところだけど……って、休憩中なのに仕事の話しちゃった。もっと不真面目な話に戻そう」

「お、恋の話すか?」

「誰がお前の恋の話を聞きたいんだよ拷問かって。それよりリリリアさん、さっきからすごい勢いで食べてないですか?」

「気のせいだよ。ほらご覧なさい、私の食べ方を。こんなに優雅」

「これ何か手品見せられてます?」

「このクッキー、甘さが控えめで美味しいな。私はこのくらいが好みだから、後でレシピを教えてもらいたいくらいだよ」

「適当に作っただけっすけどね」

「余ってた砂糖入れただけなんで、分量とか全然……てか私、どっちかって言うともっと甘い方が好みなんですよね」

「あれ、まだジャムが余ってませんでしたか?」


 クラハが言えば、ネイが「それだ……」と言ってこっちを見る。


「取ってこようかな。あーでも、使い切っちゃうとパンに塗るのがなくなっちゃうか」

「ちょっとくらいなら、後で私が樹海の浅いところで取ってくるので平気ですよ」

「あ、ほんとですか? んじゃお言葉に甘えちゃおうかな――」

「これはダメなの?」


 言ったのはリリリアだった。

 話の途中で見つけていたらしい。彼女は椅子から腰を浮かすと、棚のひとつに歩いていく。


 透明な瓶。

 赤いものが入ったそれを、彼女は手に取る。


 一瞬、手元が光った。


「あら。食べちゃダメなやつだ」


 言うと、ネイが少し遅れて立ち上がった。


「あー、それ。木の実の潰したやつなんでジャムっぽいんですけど、ダメです。石とかも入ってるんで」

「そうなんだ。何かの薬?」

「いや、普通に絵の具です。……そのへんまでは、リリリアさんもわからないんですね」


 うん、と頷いてリリリアは、瓶を棚に戻した。


「食べる前にチェックするのって、食べられるかどうかだけだから。ごめんね、気になる? さっきのクッキーと紅茶にもやっちゃったけど」

「いや、別に。実際リリリアさんに倒れられたら全滅しかねないですし、聖女……っていうか誰でも、人から渡されたものに何が入ってるか気にするのって普通のことじゃないですか? ねえ、デューイ」

「オレはそもそもそんなチェックをかけてることに気付いてなかった」

「ばーか」

「私もフィールドワーク先では似たようなことをやるな。クラハさんも癖付けていないか? たまにやっているのを見るが、冒険者だからかな」

「はい。私も回復役で同行することはありましたし、こういうのは気を遣って控える方がトラブルに発展しやすいですから」

「あー。まあ確かに。それで怒り出した時点で向こうの方がヤバいですもんね」

「なんでお前はこの話題に付いてけてんの? 冒険者でも聖女でも魔導師の先生でもないのに」

「お前と違って日々気を遣って生きてるから」


 大変なんだなあ、とデューイが言う。

 他人事じゃないですよ、とネイが言う。


 それにしても、とクラハはそれを見た。


「綺麗な赤色ですね。この倉庫、独特な匂いがすると思ってたんですけど、こういう絵の具の匂いだったんでしょうか」

「お、クラハさん。匂いの掃除もやってみる?」

「は……やってはみたいんですが。そこまで細かいことはまだできそうにないです」

「そっかそっか。ゆっくりやろうね」

「結構そういうの、先生が好きで取ってくるんですよね」


 ネイが言った。


「樹海で取った植物とか鉱物とか。珍しい色が出るって言って絵描きとかに売ってるんですよ。高値で売れたら私の給料もちょっと上がります」

「色なー。オレも塗装したりするけど、材質の問題もあるし、絵描きはこだわるわな」

「ですね。そのへん、先生も自分で描くから需要がわかるみたいで」

「やっぱりそうなんですか?」


 クラハは、


「この間、この部屋で絵筆を持っているところを見たので、そうなのかなと思ったんですが」

「描きますよ」

「そもそも自然系の研究者はその過程で絵を描くことも多いし、ロイレンは図鑑の作成もいくつか手掛けているからな」


 ウィラエの答えに、なるほど、と頷く。

 デューイが席を立って、


「そういやオレもあいつの絵、そんなにまじまじ見たことねーな。何かないか探してみようぜ」

「デューイさん、勝手には……」

「見ていいですか! 研究所責任者代行さん!」

「あ、私? いいんじゃないですか。別に、見られたくないものなら鍵のある部屋に入れとくでしょ」


 ネイも席を立って、ふたりはごそごそと倉庫の奥の方に向かっていく。


 クラハは少し、迷った。

 見たいか見たくないかで言えば、見たいのだ。けれどデューイやネイのようにロイレンと親しいふたりならともかく自分は……そう思えば、リリリアとウィラエと同じく席に着いたまま。


 やがて、あったあった、と言ってふたりが戻ってくる。


「こんな感じ。うめー」

「ね。魔法もできて絵もできてって、できすぎて腹立ちますよね」


 夏の絵だ、とクラハは直感的に思った。


 緑と青が基調になった、風景画。

 夏葉のよく茂る様子も、温かな海のよく澄んだ姿も、それらすべてに降り注ぐ命そのもののような日差しも、全てが美しく描かれている。


 樹海の一部を切り取って、それを素材に描いたような――いやきっと、実際にそうしたのだろう。そうでなければ、こんなに美しく、瑞々しいものにはならない。


 目を奪われたから、思わず口に出た。


「綺麗な絵、ですね」


 デューイとネイも、同じく頷いて応えてくれた。


「どっかに出してみりゃいいのにな。美術館とかで所蔵されるかも……って、どーなんだろ。オレ、絵の上手い下手とかそんなわかんねーんだよな」

「私だってそんなにわかんないですよ。こういうのに詳しそうなのは――」


 それから、ふたりが視線を注ぐから。

 自然、クラハも隣に座る人に目を向ける。


「……いや、美術館には収められないだろうな」


 ウィラエは。

 どこか、何かを懐かしむような――遠い過去を思うような顔で、そう言った。


「お、そうなんすか?」

「描きかけだろう、それは」


 え、とデューイが絵に向き直る。

 クラハもまた、ネイと一緒になって覗き込む。


「どこ……が?」

「少し見ただけではわからないか。端の方に、少し白いところが残っている」

「あ、ここ? いや、これってこういう技法じゃ……」


 ウィラエが指したのは、樹海のほとりの部分だった。

 確かに言われてみれば、絵の具の塗られていない、下地がそのままの部分が残っている。


 しかし、クラハにはデューイの言うとおり、


「そういう技法みたいに、確かに見えますね」


 人が三人。

 そこに立っているように、今の時点でも見えるのだ。


「な。これはこれでいい感じだと思うけど」

「ね。他のところが迫力あるから、私らみたいな素人じゃそういう風にしか見えないですけど」


 書きかけに見えるのが、一人。

 そうとは捉えないのが、三人。


 残りの一人の意見を伺おうと、クラハは再び視線を動かす。


「雨」

「え?」


 そのときすでにリリリアは、絵を見てはいなかった。


 外を見ている。

 視線の先を追う。


「うお、ほんとじゃん」


 デューイが最初に駆け寄った。


 窓の向こうに広がる、夏の終わりの広大な樹海。

 その上に覆い被さるように、暗雲が立ち込めて――この遠くからでも肉眼で捉えられるほどの、激しい雨が降り注ぎ始めていた。


 耳を澄ませば、もうここまで音が届いている。


 わ、とネイが声を上げた。


「洗濯物、今のうちに取り込んでおかないと」

「手伝います」

「あす。さんきゅです」

「オレも行く。外干ししてる道具があんだわ」


 どたばたと、にわかに倉庫の中は忙しなくなる。

 ネイに続いて扉をくぐる一瞬、クラハは振り向いた。


 雨雲。

 それはこの場所で夏を過ごせばすっかり慣れっこのもので、実際、樹海を探索しているときだって夕方にあの雨に降られたことは一度や二度ではなかったけれど。


 それでも思う。


「……大丈夫かな」


 呟いた言葉は、慌ただしさの中に消えてしまって、誰にも届かない。

 それをさして気にすることもなく、クラハは再び踵を返し、ふたりの後を追う。


 その直前。

 窓辺に立つリリリアの背中が、妙に印象に残った。



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