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9-3 頼んでおかないとな



 そうして夕食の後、くじ引きが行われた。

 やがて訪れる魔法連盟の調査隊のために、あらかじめ道を開けておく――つまり、再びあの〈天土自在〉の足元まで辿り着き、ユニスの開発した〈迷宮外転移魔方陣〉を設置するための、人員選びのくじ引きが。


 全員で行くことはできない。

 少なくとも〈迷宮外転移魔方陣〉を繋げるためには、二地点の両方に優れた魔法使いがいなければならないからだ。


 だから、最初に選ぶのはその魔法使い。

 ユニスひとりか――あるいは、ウィラエとリリリアのペア。


 その次に、そして早くも最後に選ばれるのは、道案内役だ。

 もしものとき……つまり、何らかの理由で〈天土自在〉に向かった人員が帰還不能になった場合にそなえて、これもまた、どちらか片方は研究所に残ることが望ましい。


 南方樹海での探索に慣れたロイレン。

 あるいは冒険者的な地図作成・地形把握能力を評価して、クラハ。


 今回は探索がメインというわけではないので、技師のデューイと探索助手のネイは留守番。


 代わりに、護衛と移動の馬力を兼役して、ジルが確定している。


 くじ引きは厳正と言えば厳正で、そうでもないと言えばそうでもなかった。

 デューイがそのへんから拾ってきた草を適当に裂く。ネイがその草の尾っぽに、絵の具で色を付ける。


 そして最後に、その尾っぽをぎゅっと握ったジルの手から、それぞれの候補たちが草を引いていく。


 選ばれたのは――。





 夕風が、涼しく吹いている。

 夕食を終えてひとりジルは、薄暗がりの淡く夜に溶けていく空を見つめていた。


 虫の声と鳥の声は、あれだけ昼間はやかましく響いているのに、今この瞬間に立っていれば何だか、一瞬の幻だったような気さえしてきて。


 夏ももう終わりだな、と。

 当たり前のことを、彼は思っていた。


「ジルさん。お待たせしました」

「お」


 声がするから振り向けば、今しがた部屋から剣を取ってきたクラハが、そこに立っている。


 稽古の時間だった。


「今日、ちょっと重めにやっていいか?」

「私は大丈夫です。でも、ジルさんも明後日が出発なら……」

「その代わり明日、ちょっと休ませてもらえないかと思って」

「はい、それは全然! もちろんです。そちらを優先してもらえれば」


 助かるよ、とジルは立ち上がる。

 それからしばらく、ジルにとっては軽い、けれどクラハにとっては大変重たいだろう、打ち込みの稽古が始まる。


『ちょっと重め』というのは大体、クラハの腕が全く上がらなくなるくらいの打ち込みの量を指す。『重め』は足が動かなくなって立ち上がれなくなるまで。『限界まで』は体力回復に使う魔力が残りの一滴もなくなるまで。


 前に、練習を見学しにきたユニスが怯えていた。

 曰く、「死んじゃうよ……」とのことだった。


 しかし、


「剣筋が乱れてきたな」

「はいっ、」

「風が乗ってない。それじゃ当てても意味ないぞ」

「――――っ!」

「よし、その調子。苦し紛れはもう少し追い詰められるまで取っておけ」

「はい!!」


 結局、これが一番なのではないかとジルは思っている。


 基礎的な練習のやり方は一通り教えたから、クラハはもう、自分だけでもそれをこなすことはできるのだ。細かい技術に関しても相当飲み込みが良いのか、それとも日々の予習復習の成果か、ジルの目から見て即効性のあるようなものは東の国での滞在中に――あるいは他にも暇そうな剣の達人どもが寄ってたかってお節介にかかったのがよかったか――ある程度習得し終えている。


 となると、必要なのはそうした基礎と技術を身体に染み込ませるための時間で。

 その時間を短縮するためにもっとも有用なのは、自分の力量の少し上くらいで延々追い詰めてくる相手との絶え間のない対峙だろうと、そう思う。


「足」

「っ」

「肩」

「――!」

「体幹」

「っはい!」

「見てない。位置。タイミング。握り。顎。剣先。爪先。呼吸。遅すぎ。早い。肩。頭空いてる。重心。高さ。それじゃ胴見えるぞ。軽い。力がなくなったら――そう。それ。完璧。いいな、力抜けてる。そのまま――遅れるな。畳み掛けるぞ。あと三十秒。二十。二分追加。一分追加。四十。十。五、四、三……」

「っ!」


 最後の最後に、一際鋭くクラハの剣が閃く。

 重力にそのまま引かれたような、力の抜けた、美しい振り方で。


「ゼロ」


 それを難なく、ジルは躱した。


「実戦はここまで。お、とうとう剣を離さなくなったな」

「………な、……っ、」

「息を落ち着けて、水分補給して、それから感想戦にしよう。最初よりだいぶ保つようになったし、やっぱり下地がしっかりしてると成長が早いな。鍛えた成果がそのまま出てるよ」


 それからは、ひとつひとつの動作を細かく見ていく。

 ふたりでさっきまでのやり取りを再現して、要所要所でジルが「ここは手元で誤魔化さずに引き切った方が良かった」「俺だったらこれでいいけど、クラハは下から斬り上げて相手の武器を逸らせるほどの膂力がないから……」なんて解説を入れる。クラハも「ここ、前に出るのも良いと思ったんですが魔法がまだ上手く合わせられなくて」と自分の状態を報告したり、「そっちの位置取りだと、一、二、三……でこう、背中側に回られてしまうイメージができてしまったんですが、他に切り返し方があるんでしょうか」なんていくつも質問を重ねたりする。


 そして、それらのほとんど全てを、クラハはノートに取る。

 夕明かりはもう、その文字を照らすのがやっとだった。


「……はい。後でよく復習して、次に活かしてみせます。ジルさん、今日もありがとうございました」

「ああ。明日も見て気付いたことを言うくらいはできるから、もし何か引っかかったことがあったら声を掛けてくれ。俺が出る前に、気になったことは解消しておこう」


 はい、とクラハは頷く。

 今のうちにその『引っかかったこと』を見つけておくつもりなのか、会話が終わればすぐにまたノートに目を落とす。まだ少し、この研究所の壁に寄りかかったまま時間は続きそうだった。


 だから言うべきかどうか、ジルは少し迷って――結局、口にする。


「残念だったな。くじ、外れて」

 ついさっきの話だ。


 当たりくじを引いたのは、ロイレンとユニス。

 確定枠のジルを含めて、この三人で再び〈天土自在〉を目指すことが決まった。


「あ、いえ」


 クラハが顔を上げる。


「確かに、残念なのは残念ですけど。ジルさんたちのペースならそれほど掛からないうちに〈天土自在〉まで到達して、〈転移方陣〉の設置をしてくれると思いますから。リリリアさんもお暇な時間に神聖魔法を教えてくださると仰っていたので、これはこれで」

「そっか。じゃ、さっきのところなんかも俺が戻ってきたらできるようになってるかもな」

「頑張ってみます。……あの」

「ん」

「もしかして私、落ち込んでるように見えましたか?」


 うん、と頷くか迷った。

 落ち込んでいるんじゃないかとは思いはしたけれど、実際にそう見えていたかと言えばそうとも言い切れない微妙なところで――、


「すみません。気を遣わせてしまって」

「いや。そういうわけじゃないんだけど……くじ引きが終わったときにさ、」


 しかし、言葉を濁して遠慮してばかりもあまり良いことではないらしいと、ジルも学び始めていたから、


「クラハが、外れくじをじっと見てたから。気にしてるのかなとは思った。ちょっとだけ」

「あ、それはその」


 違うんです、と。

 遠慮がちに、クラハは言う。


「その……ちょっとおこがましいんですが、考えてしまって。あのとき、ロイレンさんとふたりでのくじ引きになりましたよね」


 そのことも恐れ多いんですが、と。


「もし私がもっと強くなって護衛役を兼ねることもできれば、ジルさんとのくじ引きも――――あの、すみません。本当におこがましい話なんですが」

「いや、いいよ」

「その、二回チャンスがあったのかなって。そう考えていたんです。でも、さっきあれだけ差のある指導を付けてもらったのに、ちょっと大それすぎた――」

「全然」


 ジルは、先回りしてその答えを口にした。


「全然、大それてなんかない。そうやってなりたい自分を思い描くのは、何も悪いことじゃない。すぐに強くなるよ。俺よりクラハの方が、断然器用だし」


 でもそのときは、と。

 努めて笑って、ジルは言う。


「俺がいない分ユニスが移動係になるから、それはそれで大変かもな」

「…………はい」


 気持ちが伝わったのか、それ以上はクラハも必要以上の謙遜も、卑下もしなかった。


 代わりに、はにかむような顔で言う。


「前に、チカノさんから聞いたことがあって」

「へえ。何を」

「ジルさんの本気の剣を一度でも凌げたら、戦闘技術は文句なしに一流だって」

「……知らないところで、随分持ち上げてもらってるな」


 気恥ずかしさが湧いてくる。

 けれど、チカノがそう発言した意図も、すぐに理解することができた。


「俺の場合、長所がパワーとスピード……魔獣を相手にする場合は目だけど、対人で競う場合はまずそこになって、全然誤魔化しが効かないからな。確かに、俺も人を相手にしたときに初太刀をいなされたらかなり警戒すると思う」

「あ、でもわかります。稽古のときにいつも思うんですが、ジルさんってよく動きを見てますよね。私も、自分じゃ意識できなかった癖をたくさん教えてもらっていますし」

「傍から見るとよくわかるっていうのもあるけどな。ただ俺の場合、一定以上の魔獣が相手だと魔力由来の仕込みが見抜けなくてかえって踏み込みすぎてピンチを招いたりも、っと、」


 話が逸れたな、と自分で気付く。

 続きをどうぞ、と手で促せば、クラハは少し居住まいを正して、


「いつか、それができたらなと思っています。ジルさんに勝つのは、正直に言ってイメージができないんですが。一撃、凌げたらと。そんな風になりたいと、今は思っています」

「……そっか」


 はい、とクラハは笑った。


「なので、落ち込んでいるとかそういうわけではなくて。むしろ奮起したというか。あの、ジルさんが樹海に行っている間も稽古、欠かさず頑張ります!」


 ああ、とジルは頷く。

 ならよかった、と。安心して腰を上げる。


「そうだな。楽しみにしてる。……けど、その他にも」

「何ですか?」


 訊き返してくるクラハを見ながら、



「向こうで俺たちが迷ったら、クラハに迎えに来てもらわなきゃならないから。そっちも頼んでおかないとな」



 できるだけ、重たくならないように言葉にしたつもりだった。

 けれど内心の動きに気付いていたのか、クラハの瞳は一瞬、大きく開いた。


 ひょっとすると、とジルは思ったのだ。

 これだけ前向きになったのだから――もしかすると今なら、こんな風に言ってももう、大丈夫なのかもしれないと。あの頃を彷彿とさせるような言葉だって、こんな風になら口にしてもいいのかもしれないと。


 果たして、彼女は、



「――――はい」



 立ち上がって、笑った。


「そのときは、迎えに行きます。……こう言うとその、ちょっとあれですが。今回はリリリアさんもウィラエさんもいますから。一緒に」

「……ああ、よろしく」


 言うべきことを言えば、後は一日が終わるばかり。

 ふたりは並んで、研究所の玄関へと向かっていく。


「だけど実際、俺たちが迷ってもすぐにはわからないよな。いつものペースだったら結構長く潜ることになるし」

「あ、でも。今回はそんなに長くはならない予定なので、早めに気付けるとは思います。それにユニスさんもロイレンさんもいるので、何かしら魔法で合図ができると思いますよ」

「そっか、その手があったな。ちなみに俺だけだと狼煙を上げるくらいしか合図の方法が思いつかないんだけど、これじゃ火事になるよな。こういうときって冒険者たちはどうしてるんだ?」

「……あの、ジルさん。狼煙って森に直火を点けることではなくて……」

「え」


 行く前に教えます、とクラハが言う。

 覚えられるかな、とジルはちょっと不安になって答える。



 玄関の扉に手を掛けるとき、そのノブの不思議な冷たさが、背筋を震わせる。

 夜と、夏の終わりの気配だった。



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