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9-1 次に行きたいところ



「クラハはあるか? どこか、次に行きたいところ」

 あれから二週間が経ってからの、研究所の食堂でのことだった。



 夏は、少しずつ終わりに近付いていた。

 街への買い物から帰って研究所の中に入ったあのときの、少し肌寒く感じるくらいの温度差は鳴りを潜め始めている。あれだけ熱い息を吐いていた樹海の木々も徐々に冬へ向けてその熱を内に込め始めて、あの抜けるような青色も、空の奥へと遠ざかりつつある。


 しばしの別れは、全ての夏に訪れることで。

 おそらく、今年の分もそう遠くない。


 八人で構成された樹海の探索チームも、その夏の終わりを前に、今は腰を落ち着けていた。


「え、」

 そして、朝と昼の間の食堂に何となく集った四人のうちのひとりとして、クラハはちょっとだけ戸惑っていた。


「私ですか? ジルさんの予定があれば、そっちを優先してもらえれば……」

「俺も別にないんだ。今のところ、教会も魔法連盟も何もないよな?」

「教会からは特にないね。今すぐやらなくちゃってほど切羽詰まってるところはないし、旅先でふらっと何か見つけたら解決してほしいな~ってくらい。自主性を尊重する職場です」

「魔法連盟も今はあれの解析待ちかな。というか、実は僕も次にやること決まってないんだよね」


 あれ、とジルは不思議そうな顔をして、


「やらないのか? あの塔の解析は」

「昨日書面で正式に解析チームから外れることになっちゃった。基本的にはウィラエ先生が主導して、後は向こうから来る増員に任せることになるみたい」

「なんで」

「ああいうのって別にひとりが突出してればいいってものでもないんだよね。施設が広いし拾わなきゃいけない情報も多いし、その割に極端に高度な魔法理論が要求されるかっていうとそうでもなかったりするし。必要なのは時間と人手、根性。……あと、協調性」

「ユニスも協調性あるだろ。今回の調査も上手くいったし」

「んふ。んふふふふふふ……まあそう見えちゃうかなあ! だよねえ!?」

「勘違いの可能性が出てきたな」


 でも自然に自分を『突出』してるって言う人は協調性なさそうだよねえ、とリリリアが言う。いーっ、とユニスが歯を見せる。可愛い可愛い、と笑ってリリリアがその頭を撫でる。ふふ、とクラハがそれを見て笑えば、ちょっと恥ずかしそうにユニスが居住まいを正す。


「――というわけで。魔法連盟からしてみれば僕みたいなのは浮き駒にしておきたいんだろうね。理論系の最高峰だから、何かトラブルがあったときの切り札にしておきたいだろうし」

「私も浮き駒になりたい。決して教会本部の管理職には戻らずに……」

「よかったあ。協調性なくて」

「今からユニスくんに協調性を与える禁忌の神聖魔法を使います」

「やめ……やめないで」

「やめます」


 だから、とジルがこっちを向いた。


「そんな感じ。特に俺の方では次にどこに行きたいとかはないんだ。チカノのところに行ったのは一応、他に剣とかそれ以外の武器を習うならこういうところもあるぞって紹介する目的があったんだけど」

「えっ」

「えっ」

「…………言ってなかったっけか」

「……はい」

「親切な先生だなあ。『この人の指導方法とか性格とか自分と合わないかもな』ってなったときのために、別の受け入れ先を一番最初に紹介しておくだなんて」

「何リリリアのその棒読み」

「空間に癒し効果を与えてあげようと思って」


 色々と思うところはあったが、こういうことをいちいち言っていると話は進まない。お気遣いいただいてありがとうございます、とクラハは小さく頭を下げて、話の続きを待つ。


「……まあ、だから。今のところは特に計画はない」

「ジルさん自身はどこに行きたいとかはないんですか? 要不要だけじゃなくて、単純に『ここに行ってみたい』とか」

「あんまり自分で旅するときはそういうことを考えないんだ。どうせそう思っても行けないから」

「人に悲しき過去あり」

「リリリアもそんな感じじゃないの?」

「私には人に送り迎えをしてもらうという裏技があります。そもそも外出したいって思うことがほとんどないけど」

「ジルさんも、今なら私が送り迎えできますよ」

「……はい。ありがとうございます。考えておきます」

「下手に出た」

「見てなよユニスくん。このふたり三年後とかにはジルくんがクラハさんに全面的に敬語を使うようになって、クラハさんはジルくんに『黙ってついてこい……』って感じになってるから。ジルくんの全財産を賭けてもいいよ」

「俺の?」

「人のお金を賭けると自分の懐が痛まずに済むからね」

「今のうちにクラハさんに媚び売っておこうかな」


 なりません、と苦笑しながらクラハはリリリアとユニスに言う。リリリアはからかうように笑っていて、ユニスはちょっと照れるように。ジルだけがなぜか腕を組んで考え込んでいる。ちょっとだけクラハは思う。もう少し自分を強く保ってほしい。


「まあでも、ふたりが行きたいところがないって言うなら私からおすすめの場所があるよ」

「へえ。どこだ?」

「私の執務室で職場体験させてあげるよ。何から何まで何もかも」

「そこ以外にするか。だいぶ絞れてきたな」

「今なら私から神聖魔法の直接指導付き!」

「――え、」

「釣れたな……」


 反応してから、しまった、とクラハは思う。

 教会はいいところだよ~と、リリリアがおどろおどろしい手招きをしている。どうやっているのかクラハは全くわからない。自分が同じ動きをしてもああはならない気がする。


「そ、それなら僕も釣っちゃおうかな。大図書館の僕の研究室でお茶するっていうのもあるよ。も……もちろん? 僕が魔法の直接指導をしてあげてもいいけど?」

「えっ、本当ですか?」

「――よしっ」

「騙されないで、クラハさん。ユニスくんは今すごく可愛い子ぶってあなたを誑かそうとしています」

「ぶってない!」

「元から可愛いか」

「えへへ」


 両方から、すごく魅力的な提案が飛んできていた。


 正直なことを言うと、クラハはこの春から夏にかけての数ヶ月の間にものすごく強くなった実感がある。今までの冒険者生活はなんだったのか――とはまさか言わないが、バラバラだったのものが形になり始めて、「戦うというのはこういうことだったのか」というような気付きに至ることだって一度や二度ではない。


 そして、剣を教わっていて起こることは、おそらく魔法や神聖魔法を教わる中でも起こりうることなのではないかと思う。


 けれど、


「ありがたい話なんですが、私ひとりで決めることでもないですし」

「ジルくんは私といられたら幸せなんだから気にすることないよ」

「えっ、そんなこと言っていいの……?」

「いいんだよ。事実の摘示だから」

「じゃあ僕も言っちゃお。気にすることないよ。僕といられたら幸せなんだから」

「こいつらすごいな……」

「褒められてる」

「これで褒められることあるんだ。これからどんどん言っていこうかな」

「本当にすごいな……悪い意味で……」

「悪い意味で褒められてる」

「悪い意味で褒められることもあるんだ」


 まあでも、とジルは、


「このふたりはともかくとして、本当にクラハの都合優先でいいぞ。どこにいたって日課のトレーニングはできるし、リリリアのところでもユニスのところでも、何かしら俺だって学ぶことはあるしな。このくらいまで来るとっていうのも傲慢な言い方だけど、明確に『こうしたら強くなる』ってのがないから、行き当たりばったりで手探りするしかないんだ」

「ああいうのないの? 秘境に行ってパワーアップ、みたいな」

「だったらもっと強いと思わないか?」

「ジルはその説得力かなりある方だと思うけど……」


 だいたいそんな場所への行き方は知らん、とジルは言う。

 それについてはクラハも同感だった。そもそもこの南方樹海だって大陸の秘境のひとつなのだ。そこで苦戦の素振りも見せなかったジルは、少なくとも現時点で自分が案内できるような秘境では、劇的に腕を磨くことはできないのかもしれない。だったら確かに、異なる道ながら同じレベルに立つリリリアやユニスの傍にいた方が、彼にも何か分野横断的な成長が――


 ふと、頭を過った。


 そのジルがいまだに戻ることをしない、北の果ての雪原。


 そこは一体、どんな場所なのだろう?

 そこで待つのは、一体どんな――



「だから後はクラハの将来像とか、そういう話だよな」


 はっと顔を上げた。

 考え込んでいた。けれどジルは気付いていない。さっきまでの会話と同じトーンで続ける。


「俺なんかは剣を振る以外はからっきしだけど――」

「私も神聖魔法だけです。仕事は知らん」

「僕も魔法と可愛さだけだね」

「――だけど、クラハは手札も多いしな。冒険者としてやっていくにしても、色んな取り組み方があるだろうし。どのあたりを積極的に探検してみたいかとか、それをどんな風にやりたいかとか。ひとりでやるのかチームを組んでやるのか、戦闘主体でやるのか、探索主体でやるのか。他にも冒険記を書きたいとかトレジャーハントをしたいとか、そういうのもあるんだろ?」


 ちょっと勉強した、とジルは言う。

 そのときクラハは、ある言葉を思い出している。昔、〈次の頂点〉に入る前。まだ初心者同士で流動的にパーティを組んでいた頃に、自分と同年代の子から聞いたことがある。


 学校とかで、こういうのがあるらしい。

 生徒が教師と向き合って、将来何するんだとか、そういうことを話し合う行事。



「クラハは将来、どうなりたいんだ?」


 進路相談。



 そして、さらに正直なことを言うと。

 やりたいことが多すぎて、「これです」とすぐに答えることは、今のクラハにはできない。


 窓の外には、夏の終わりの残光が照りつけていた。

 まだ青い空。まだ白い雲。まだ終わっていないとばかりに朝からやかましく鳴き続ける夏虫たち。


 このあいだ声と姿を突き止められたばかりの、まだ名前のない極彩色の鳥が森の枝に留まって、ずっと遠くから窓の中を覗き込んでいる。その背後、木の洞に潜んだ小リスは枝の先に着いた小さな実を狙って、その鳥が飛び立つのを今か今かと待っている。


 一方で、海へと流れる河の片隅では大蛇が尾っぽを翻す。その音に驚いたオオトカゲが、ひっくり返って腹を見せる。その足が草の根を引っ掛ける。引っ張られた土が河へと滑り落ちる。魚が躍る。水が跳ねる。あと二秒で、その音は木の洞まで届く。



 けれど、遠い研究所の窓までは届かない。


 樹海の奥に聳える大樹の塔は、そのすべてを見ていた。



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