表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/142

3-1 勉強になります



「全然地上に辿り着けないねえ」

「…………」

 ガラガラガラ、と迷宮の奥深くに、地面を削る音が響いていた。


 歩いているのは二人の男女――――正確に言うなら一人の男が歩き、それに女が引っ張られている。男の腰には紐のようなものが巻き付けられていて、その先は巨大な蟹の甲羅に繋がっている。


 その甲羅の上で三角座りをしながら、女は言った。


「大丈夫? 私、重くない?」

「いや、大丈夫。これもまた修行になる」

「それ重いってこと?」

「本当は全然修行になってない。全身から刻一刻と筋力が失われていくのがわかる」

 よろしい、と言って女は微笑んだ。


 それからまた、思い出したように彼女は言う。

「結構上ってると思うんだけどなあ……。すごく深いんだね、ここの迷宮」

「…………」

「聖騎士団のみんな、どうしてるかなあ……。私がいなくなって、怒られてないといいけど」

「…………」

「流石にそれは虫が良すぎるかなあ? うわー……帰ったらどう謝ろう。絶対みんな怒ってるよねえ」

「考えたんだけど、」


 重々しく、男が言った。


「ん? 何、どしたの」

「その、気のせいかもしれないんだけど、そろそろ認めるべきなんじゃないかと思って」

「何が?」


 勇気を出して、息を吸って。

 彼は。


「――――迷っているんじゃないか、俺たち」


 ずっと胸の奥にくすぶっていた疑念を、吐き出した。


 だって、いくらなんでもおかしいんじゃないかと思う。

 第三層から叩き落とされたとき、確かにその距離が長かったことは覚えている。


 でも、ここまでじゃなかったんじゃないか。

 いくらなんでも四ヶ月も進んでまだ地上に戻れないほど深くには、落ちてこなかったんじゃないだろうか。


 過ちを認めるのは本当に苦しいことである――が、それを彼は、やり遂げた。

 ひょっとすると自分たちは間違った道をアホみたいな速度で突き進んできたアホだったのではないか――その残酷な真実を受け入れる、覚悟を決めた。


「――――ジルくん、知ってる?」


 それに対して、彼女は。


「方向音痴はね、大きく分けると二種類があるんだよ」


 いかにもしたり顔を浮かべていそうな声色で、言った。


「一つは、ごく純粋に間違った道を進んじゃう人たち――私たちは、これじゃないよね」

「……なぜ?」

「やだなあ。私たち、ここまで来る道をずっと勘で決めて来たけど、意見が分かれたことは一度もないでしょ? まさか二人ともがそんな常に間違った道を選択し続ける致命的な方向音痴だなんてこと、ありえないよ」


 そうだろうか。

 すでに彼は、そのことにすら若干自信を失っている。


「そして、方向音痴の二種類目はね――――本当は合ってる道を進んでるのに、途中で不安になっちゃって、わざわざ間違った道に入っていっちゃう人」

「……俺は今、そうなりかけていると?」


 そのとおり!と元気よく女は言った。

 その声に釣られて飛び掛かってきた魔獣を、男が目にも止まらぬ速さで仕留めた。


「迷ってはいけませんよ、お兄さん。結果が出ないときにどれだけ踏ん張れるかが大事なんです。結局大抵のことは、最後まで粘ればどうにかなることが多いんですから」

「……最後まで粘って、何もなかったら?」

「何もないことを知ったと自分を慰めて、元の道を戻ればいいんだよ」


 はあぁ、と彼は溜息を吐いた。

 一理どころか二十五理くらいあるな、と思いながら。


 迷っているのではないか、という懸念があるのは嘘ではない。

 嘘ではないが、しかしここまで計百二十階層分の移動を繰り返した以上、今更引き返したところでいったい何になるのか、という思いも共にあるのだ。


 この道の先に何もなかったとしても……引き返してから「やはりあの道で合っていたのでは……」と不安を抱え込んでいるよりは、行き着くところまで行き着いてしまった方が、ずっといい。


 そう思うから。

「……勉強になります。リリリア先生」

「うむ。どんどん学びたまえ、ジル少年」


 十字路の真ん中で、ふたりは立ち止まる。


 どっち、と無言の間に互いが互いに問いかけて、


「右」「右!」

 答えは、同時。


 がらがらがら、と甲羅とともに、ふたりは進む。


 残念ながら、そっちが下層へ続く道。




†○☆†○☆†○☆




「不味すぎて泣きそう」

 沈鬱な顔で魔獣の刺身に向き合うリリリアの横で、思いのほかジルは涼しい顔をしている。


「水が美味い……俺はそれだけで十分だ」

「向上心のない人間が文明を衰退させていくんだよ、少年」

「壮大なスケールで貶さないでくれないか」


 リリリアが旅に加わってくれたことで、戦闘力は間違いなく倍増した。

 が、食糧事情は大して改善しなかった。


 なにせ、そもそも食べるものが魔獣くらいしかない。

 そのうえ、リリリアが使えるのも神聖魔法と衛生魔法がほとんどで、なんと小さな種火を起こす魔法すらろくに使えないときた。


「寝ぼけて使って、部屋を燃やしちゃったりしたら危ないでしょ?」

 との彼女の発言を、初めジルは単なる苦しい言い訳(あるいは屁理屈)と取っていたが、実際に朝目を覚ますと辺り一帯がピカピカになっていることが四回程度あったために、おそらく本心から言っているのだろうと今は理解している。


 ちなみにジルは、全くもって魔法を使えない。

 例の巨馬を倒したときのように爆発を発生させることはできるが、あれはまた魔法とは少し異なる。単に力が溢れすぎて魔法と似たような現象が起こるようになったというのが実態に近い。当然、そんなものを調理用に使おうとしたら刺身が炭になるだけだ。


 ゆえに、この二人はこのサバイバル生活の中、いまだに焚火すら起こせずにいる。

 衛生魔法のおかげで、水だけは透き通るように清らかになってはくれたけれど。


「すごく疑問なんだけど、ジルくんって今まで旅してたのに、火起こしもできないの?」

「火を起こして野山が燃え広がったら危ないからな」

「いや、そういうところを込みで。だって、焚火もできなかったら普通、こういう暮らしはできないでしょ」

「本当のことを言うと、師匠から『二度とやるな』と厳しく言われて、やり方丸ごと忘れることにしたんだ」

「なんで」

「不器用だから」


 ああ……とリリリアは諦めたような溜息を吐いた。

 ジルはそのことを大変遺憾に思うところではあったが、しかしここで「なんだその反応は俺を馬鹿にしてるのか」と混ぜっ返したところでろくな展開になるとは思えなかったので、こっそり一人で傷つくだけに留めた。


 ぐびぐびぐび、と水を飲む。

 ぷはーっ、と息を吐いて、嫌なことはすべて忘れる。


「水が……美味いな!」

「百回言ってるよ、この人……」


 ところでこの迷宮の中には、当然時計などという親切なものは存在していない。

 同時に、太陽も見えず、月も星もない。ダンジョン内部に満ちた魔力が淡い光を放つ――それだけが、この場所にある自然光。


 だから、今が朝か夜かもわからずに、ふたりは適当に食事を摂っている。

 眠くなったら寝る。そんな非常に素朴な生活を送っている。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした。……はい、じゃあジルくん、手出して」

 言われた通りに差し出せば、リリリアにその手をぎゅっと握られた。


 スプーンやらフォークやら、そんな気の利いたカトラリーもこの場には存在しない。


 一度だけ作ろうとは試みた。魔獣の骨を上手いこと加工すればそれらしいものが作れるのではないか、と。

 しかしジルは自分の手元がどうなっているのかよく見えなかったし、リリリアはジルの刀を握ってから一秒で「うわあ! 滑った!!」と絶叫した。


 というわけで、二人はいまだに豪快に、手づかみで魔獣の肉を生で食らい続けている。


「はい、じゃばじゃば~。綺麗になりました~」

「ありがとう。助かる」

「いえいえ~」


 よってジルも、食事の後にはこうして手に洗浄魔法をかけてもらっている。 


 だいぶ文明的になってきた、とジルは思っている。

 たぶんリリリアはそうは思っていない。スタート地点がここだから。


「じゃあお姉さんは寝るけど……」

「食べてすぐに寝ると胃がおかしくなるぞ」

「寝たいときに寝ないと心がおかしくなるよ。ジルくんはまた、修行?」

「ああ」

「たまには休めばいいのに」

「いや。このあたりの階層主はもう自分の力だけじゃ厳しくなってきた。まだまだ力不足だからな」

「……へえー」


 ぎくり、とした。

 リリリアの声色が冷たかったから。


「あ、いや。そういう意味じゃなくて」

「やっぱり納得してないんだー。ふーん……」


 この一ヶ月の間に、ぽつりと一言、溢してしまったことがある。


 自分の力で決着をつけたかった、と。


 悔しかったのだ。例の巨馬……長いこと自分の壁になっていたあの階層主を、結局リリリアの力を借りることで強引に突破してしまったことが。

 自分の力量だけではあの巨馬を打ち倒すことができなかった……正面から試練を突破することができなかった、そのことがどうも、ジルの心にぼんやりと不満を残していたのだ。


 そして、その一言を呟いてからのリリリアは、ちょっと怖かった。


「へえ~。じゃあ、余計なことしちゃったかな?」

「ごめんね? そういうところ、気が利かなくて」

「いやー、残念だなあ。そっか。邪魔だと思われてたんだ」

「せっかくこうして、たくさん人のためになる魔法を覚えたのになあ」

「そっかー」

「ドブ水飲む?」


 全部、穏やかな口調で。


 考え出すとキリがないことだと、ジル自身、わかっている。

 自分の力だけで、というのはそもそも自惚れなのだ。


 自分の振る剣だって、どこかの誰かが作ったものに違いない。

 それに、今こそ手元にはないけれど、眼鏡だって。どこかの誰かが作ってくれたものがあるかないかで自分の強さは随分違うし、今までそのことをどうとも思ってこなかった。


 自分は誰かの手助けの下で、力を発揮できている。

 あの巨馬を倒したときは、たまたまその手助けが目に見えやすい形になっていただけ。むしろ、自身の力が誰かに支えられたものであることを謙虚に見つめ直す、いい機会だった。


 そのはずだと、今は思っている。

 けれど。


「いや、別に人の手を借りるのがどうこうというわけではなくて、人の手を借りる以上、俺もその手を借りるに恥じないだけの努力をしたいというか、あとはほら、習慣というか、自己満というか……」


 うっかり口に出てしまうことはある。

 だいたい、どこかしら「俺が俺が」の気持ちを持っていないことには、ただの剣士がこんな場所まで流れ着いたりしないのだ。


「ふーん……」

「あの……す、すみません……」

「まあ冗談だけどね」

 へらり、という口調でリリリアは言った。


「え、」

「ジルくん、かわいいってたまに言われない? 年に三回とか」

「いや、むしろ師匠からは『かわいくない』とか『クソ生意気』とか……」

「あー、それもわかる」


 何をわかられているんだ、と困惑していると、


「年下の男の子をからかうのは面白いねえ」

 しみじみと、リリリアが言った。


「……はあ、そうですか」

「あと、たまにジルくん敬語混じるよね。素直にそっちにしてくれてもいいのに」

「いや、まあ。どうしてもそっちが年上だから……」

「無理して敬語使わないようにしてるの、なんかかわいいね」

 うふふ、とリリリアは笑った。


 そうですか、とジルはもう一回言った。

 そして心の中で、これ以上この場所にいると危険だ、と思っていた。


「早く寝てくだ……寝てくれ」

「はいはい。お邪魔しました」


 おやすみ~と気の抜けた声でリリリアが言うのに、ジルもおやすみ、と返して、ずんずんと進んでいく。


 そしておそらくもうリリリアに自分の声は届かないだろうという場所まで歩いていって、どっかりと座り込む。剣を身体の横に置いて、瞑想の体勢に入る。


 ぐるぐると、身体の内部にある力を回すようにして。

 今日は内功を洗い直そうと、そう考えて。


 ぐるぐると。

 ぐるぐると。

 ぐるぐると、思考が。


「……まずい」


 ぺち、と顔に両手を当てて、俯いて。

 ジルは、絞り出すように呟いた。


「……好きになりそう…………」


 迷宮の奥深く、若い二人が彷徨っている。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ