移動る(うつる)〜ある大学生の怪談〜
これは、ある春の日に起こった出来事だ。
私は、理学部に所属している大学生だ。その日、私は河川敷に来ていた。雲ひとつない清々しいまでの快晴だ。
私には、少し変わった習慣がある。勉強などで行き詰まったり、集中出来ないときは、野外で勉強するのだ。今日は、どうにも勉強に集中出来ず、自転車に乗って、この河川敷まで来たのだ。草むらに腰掛けスケッチブックと鉛筆を取り出す。これも私のこだわりで、ノートを使わずにスケッチブックで勉強をするのだ。私は、スケッチブックに大量の数式を書き記した。どうやら、この河川敷に来たのは正解らしい。私は、順調に問題を解き進めていった。
しばらく、問題を解いていると、背後から声が聞こえる。
「ママー!お絵描きしてる人がいるよー!!」
小さな子供の声だった。残念ながら、私は絵を描いているわけではなく、数式を書き殴っているのだが。すると、こんな声が聞こえた。
「本当だね。あのお姉さんは、どんな絵を描いているのかなぁ。」
「ねぇねぇ!見に行ってもいいかな!?」
「邪魔はしちゃダメよ。」
「はーい♪」
親子の会話が終わると同時に、草の上を歩く足音が、近づいてくるのを感じた。その足音は、やがてピタッと止まった。ごめんよ、絵じゃなくて数式なんだ。そう思っていると、その子供が叫んだ。
「ママー!ヤバイ人がいるー!!」
えー!変人扱いですか!?思わず私が振り向くと、先程の母親が走ってこちらに近づいて来るのが見えた。
「コラー!!何言ってるの!!!」
その母親は、顔を赤くしてそう言った。
「うちの子が、失礼な事を言ってしまってすみません。」
母親の顔がより一層赤くなる。
「えー。だって〜ヤバイんだもん。」
そう言って私の方を指さす。私は、微笑みながら言った。
「いえいえ。いいんですよ。確かにちょっと変ですもんね。」
「とんでもない!本当に失礼しました!!」
そう言って母親は、子供を連れて下流の方へ歩いて行った。母親って大変だな。私も子供の頃は、ああやって面倒を見て来たのだろうな。大学に通えるまで育ててくれた事を改めて感謝しないと行けないな…。問題もちょうど解き終わったし、少し休憩にしよう。私は、スケッチブックを草むらの上に置いた。
川辺をしばらく眺めて休憩していると、ある事に気がついた。岸に財布が浮かんでいる。私は、その財布を手に取り中身を見た。中には、小さなお守りのようなものが入っている。そして、手に取って気がついた事ではあるが、その財布は革製で、あまり見るような財布ではなかった。どこかの高級なブランドのものだろうか。だとすれば、警察に届けた方が良いだろう。ちょうど気分転換に身体を動かしたかったところだ。私は、自転車のカゴにスケッチブックとその財布を入れて、交番へと向かった。
自転車で河川敷の出口に向かい、信号待ちをする。私は、その信号の反対側に一人の老父が同じく信号待ちをしていることに気がついた。小綺麗な服装で、白い髭が特徴的な見た目の老人だ。私が横断歩道を渡るとその老人は、横断歩道渡ることなく、ただ私の方をじっと見つめていた。私は、そのことに疑問を持ちながら、ゆっくりと自転車を漕いだ。老人は、ちょうど私が、横断歩道を渡り終わった時に声をかけて来た。
「すみません。〇〇公園はどこにありますか?」
なるほど、私に道を尋ねたかったのか。私は、その老父に公園への道を教えた。
「〇〇公園へは、この路地を入って真っ直ぐ進んで下さい。その後、民家に突き当たるので、そこを左折します。しばらく直進すると、信号のある車通りの多い道に出るので、右に曲がって歩道を歩いて下さい。そうすると、公園までの案内板がありますよ。」
ここから、〇〇公園まで行く道筋は、結構複雑で距離も遠い。この老父は、歩いてそこまで行く気だろうか?私は続けて言った。
「バスを使うのであれば、この道沿いにしばらく歩けば…。」
「いいえ、歩いて向かいます。親切にありがとうございました。」
「そうですか。では、お気をつけて。」
私はそう言って、自転車を再び漕ぎ始め、路地に入った。それは、先程老父に説明した路地と偶然同じ路地だった。しばらく自転車を漕いでいると私は、ある事に気がついてしまった。
老父に間違えた道を教えてしまった。
私は、「路地に入り直進すると、民家に突き当たる。」と老父に説明したが、それは間違いで、その手前に二手に分かれるY字路があった。そのY字路を斜め右に進まなくてはならないのだが、説明が無くては迷ってしまうだろう。
やはり戻って、老父にその事を伝えた方が良いだろう。そう思ったが、戻るのも面倒くさい。きっと、他の人が道案内をしてくれる。そうして、葛藤しているうちに、例のY字路に来てしまった。そのY字路では、私の予想の通りに、老父がどちらに進めば良いか分からず佇んでいた。私は慌てて、老父に声をかける。
「すみません!先程、道を伝えたときに、このY字路の事を忘れていました。ここを斜め右に進むんです。」
老父は笑顔で私に言った。
「そうだったんですね。助かりました。誰にでも間違いはあります。ですから、気になさらないで下さい。どうもありがとう。」
「いえ、こちらこそ失礼しました。」
そう言って私は、そのY字路を斜め右に進んだ。あのY字路で、老父に会えて良かった。そう思ったのだが、私は自分があまりにマヌケであったことに、ようやく気がついた。
ちょっと待て!なぜあの老人は、私より先にY字路にいたのだ!?私は、先にあの路地に入った。途中、あの老父に抜かされた覚えはない。ましてや、老父は徒歩なのに対し私は自転車だ。追いつけるはずがない。いや、気のせいだ。そう言う事にしておこう。道もきちんと教えたし、もう私に用はないはずだ。そうして、楽観的に自転車を漕いでいた私は、次の突き当たりのT字路に差し掛かっていた。
老父には、左に曲がる様に言ったが、私の目的地はこの突き当たりを左に曲がったところにあった。普段であれば、そのまま一時停止せずに右に曲がってしまうのだが…。今回ばかりは、ゆっくりとT字路の手前で一時停止をした。なぜならば…。普段人があまり通らない道であるにも関わらず、右折側のカーブミラーに人影が写っている。私は、一時停止した後にゆっくりとT字路の中心に移動し、さらにゆっくりと右側に首を回した。するとそこには…。
電柱の影からこちらの様子を伺う老父の姿があった。
私は、それを見て、血の気が引くのを感じ。声にならない声を漏らしながら、全速力で反対方向に自転車を漕いだ!!
なんで!?なんで!?なんで!?
考えれば、考えるほど、混乱するばかりだ。グルグル回る思考の中で私は、「ママー!ヤバイ人がいるー!!」と指を差した子供の事を思い出した。あれは、私を指さしたものだと思っていたが。しかし今、思うとそうではなかった。明らかに川の辺りを指差していた。あの子供がヤバイ人と言ったのは、私ではない川の中心で佇んでいた老父の事だ。そう解釈せざるを得なかった!とにかくここを直進すれば、人通りの多い通りに出られる。逃げなければ!!
私は無我夢中で自転車を漕いだ。自転車のスピードと必死な状況が相まって、その通りに出るまでの間は刹那の瞬間だった。私は、その場所にたどり着けた事に安堵し辺りを見渡した。しかし、私の置かれた状況は絶望以外の何物でもなかった。あの老父は、人混みの中を無表情のままこちらに近づいてきている。これだけ人がいても出るのかよ!!私は、通りを右に曲がり全速力で自転車を漕いだ!そして気が付いた。
〇〇公園へ誘導されている。
このままではマズイ!そう思ったが、気づいたときにはもう遅かった。道を変えようにも、老父が先回りをしてこちらに迫ってくる。私は、パニックになりながら、ただひたすら逃げ続けた。気づけば〇〇公園の目の前まで来てしまっていた。
もうダメだ、と思ったその時、突然公園の反対側の民家の扉が開き、そこから老婆が姿を現した。
「あの、どうかしましたか?」
老婆は私の様子を見て只事ではないと思ったらしく家を出てきたのだ。老婆に話しかけられた私は平静を取り戻し、周りを見渡すとあの老父の姿はもうなかった。
「すみません。ご迷惑をおかけしました。」
そう私が、老婆に言った。だが、先ほどまで私の顔に目線を合わせていた老婆は、その目線を私の自転車のカゴに移していた。老婆は、私に尋ねた。
「この財布はどちらで?」
「先程、河川敷で拾いました。交番に届けに行く最中なんです。」
「もしかして、その中にお守りの様なものが入っていないかしら?」
私は、老婆のその言葉に驚愕した。私は、何も言わずに、財布を開き中に入っていたお守りを老婆に見せた。老婆はそれを見るなり私に言った。
「ちょっとウチに上がってもらえるかしら?」
老婆はそう言った。普通その様な要求は聞かないだろう。しかし、財布の中にお守りが入っていた事をピタリと当てたその老婆の言うことを私は聞かずにはいられなかった。私は、老婆の言うがままに家の中へと入った。
老婆は、私を居間に案内すると手を出し例の財布を貸す様に言ってきた。私は、財布を老婆に渡してその言動を見守る事にした。老婆は、私から財布を受け取ると、仏壇に備えて拝み始めた。私は、その様子を何となく眺めていた。そして気が付いた。その仏壇に飾られている写真に写っている人物が…。
先ほどまで、私を追いかけていた老父だった。
老婆が言うには、私が拾った財布は、老父が大切にしていた財布で、中に入っていたお守りは、老婆が老父にプレゼントした手作りのお守りだったらしい。老父はある日、登山に出かけてから行方が分からなくなり、数日後に死体となって河川敷で発見されたそうだ。その際どうしても、財布が見つからなかったらしい。その話を私は、老婆の口から聞かされ、財布を届けた事に礼を言われた。私が先ほどまで、その老父に追いかけ回されていた事は流石に話せなかったが、言う必要もないだろう。きっと、老父は誰かに気づいて欲しかったのだ。それをこの老婆に話すのは、野暮というものだ。
私は、老婆に礼を言われながら家を後にした。家を出て間も無く。
「ありがとう…。」
そう、声が聞こえ、私は振り返った。そこには、私を見送る老婆の横に笑顔で見送る老父の姿がうっすらと見えたような気がした。
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