装甲信仰
これ…書きはじめてからここまで書くのに一年以上……
装甲。それはいるかどうかもわからない神よりもよっぽど、
信用できるし、信頼できるものである。
装甲があれば矢が降り注ぐなか突撃できるし、
装甲があれば生傷を負って痛みに余計な思考を奪われることもない。
装甲があれば狭い通路でも戦える。敵も味方もまともに動けないのならなおさら装甲こそが重要である。
装甲こそ正義。装甲こそが守りである。
たとえ時代が変わっても、装甲は決してなくならないであろう。
「敵正面、弓来ます!」
「盾構え!」
雨のように降ってくる複数の矢。
山なりに飛んだそれらは、落下する高さが高いほど、威力が増す。
もちろん狙った場所に当たらないことのほうが多いが、当たれば死に至る。
そして、敵がまとまっていて、そしてそこに多数の矢を振らせれば、こちらの被害を考えることなく一方的な損害を与えることが出来る。
こちらは耐えるか、耐えながら前進するか、耐えながら同じく反撃するしかない。弓矢から身を隠すのには、盾が必要で、立て掛けたものや、前進してるときは味方に掲げてもらったりする事でしのぐ。
しのげると。信じる。それは盾という装甲への信仰である。
矢が刺さる、剣に斬られる、槍で突かれ、斧に吹き飛ばされる。
それらは全て人に痛みを与え、死を与える。死ねばそこで終わり。
個人として何も成せずにに終わり。国や組織としても、長時間の訓練や与えた装備が無駄になる。
痛みならどうか。痛みは反応を鈍くし、判断を鈍らせ、動きを鈍らせる。
それらを防ぐのが装甲である。
装甲さえあれば、生きて故郷の地を踏める可能性が上がるし、
国や組織として見ても、装甲を与えた部隊は長く戦い続けることができ、その剣は何度も振るわれるだろう。
「攻撃準備」
「総員、構え!」
盾を片手に構え、剣を抜くもの、腰につけた鎚矛を手に取るもの。盾を背負い長物を両手に構えるもの。
皆、目立った負傷もなく、士気も十分。
ここで一人でもうめき声をあげようならば士気を下げる。
死の臭いに怯えなくとも、ふと脳に響く弱気。
例え生き残ってももう片腕が利かぬ、脚が動かぬかもしれぬ。
怯え、震え、逃げそうになるかもしれぬ。
恐れる必要は無い。己れには鎧という装甲がある。
生きて帰るのだ。
見よ、対面の鎧も盾もないひ弱な軍勢を。
弓矢も防げず泣き叫ぶ軍勢を。
装甲を持たず、すがる事も出来ない哀れな軍勢を。
敵軍は今の今まで装甲の素晴しさを、信仰を
忘れたのか。それとも知らずに今の今まで生きて来てしまったのか。
装甲という戦場の神の一人を忘れるとは情けない。
それは一人で独占しても意味がない物だ。
全員だ。全員が装甲という信仰を持ち初めて役に立つのだ。
例え数で負けていても、装甲を持たぬ、血を流し続けながら泣き叫んでいるような軍勢などに負けるものか。
「突撃前へ、進めー!」
それが戦場での何百年も前からの決まり。
そして何百年も続く戦場での約束。
信じる者は救われる。それが戦場では絶対の真理。
信者達は生きて帰り、装甲に感謝を捧げ、不信心者に装甲の素晴しさを説き、
目に見えぬ想像上の神を切って捨て、
目に見える実在する神を点検し、身につけ、走り、
ただの祈りや喜捨などが戦場では無意味で、
装甲の前では全くの無意味であることを示し、
新たな信者を作るのだ。
装甲は今でも重要です。
土手、塀の裏、全てを使って生き残りましょう。