ぼくとおばあちゃんちとファミコン
一晩中エアコンつけっぱなしでも喉がやられなくなってきた。
これって喉痛み抑えのスキルがあがったってこと?
父方のおばあちゃんちは、
実家から徒歩15分で割と近かったので
小学生の、まだ1人でお留守番出来ない時、
よく預かってもらったように思う。
いくのはあまり嫌じゃなかった。
それはゲームをめちゃめちゃ、やれるから(笑)
自宅では1日1時間という定め(カルマ)から逃れられないでいたが、
おばあちゃんちでは無限大だった。
いくつかお気に入りのゲームはあったが、
悪魔城ドラキュラくんは、難しすぎず、簡単すぎず、なんというか、
ぼくにゲームを教えてくれた存在である。
ロックマンくらいになるともう難しい。
ドラキュラくんの難易度はわいわいワールド2と同格くらいかな。
悪魔城ドラキュラのパロディみたいな優しいタッチのゲームで、
そういう意味でもお子様向けだったように思う。
ドラキュラくん以外には、熱血硬派くにおくんとか、ソンソンとか、
キャッスルクエスト、クインティなんかをやっていた。
というか、そうやって今思い返すに、つまり、
たくさんゲームができた=おばあちゃんも別に孫に興味なかったんだろうな。
そんなにね。いい意味でね。(どんな意味だ。・・;)
おばあちゃんとあまり対話した記憶もないしな。
でも両親とも働いていたから、割と預けていて。
逆にいうとよく預かってくれたのは有難いなって思う。
門を開けて、少し長くて急な階段を昇って、玄関について。
玄関あがってまっすぐいくと居間。
まっすぐじゃなくて右に行くとファミコンがある部屋。
居間のさらに奥へ行くと仏壇の部屋。
居間から階段を上がると寝室の部屋。
今考えるとすごい広かった気がする。妹弟と、かくれんぼでもしてたんかな。
今でも室内構造を鮮明に思い出せるわ。俯瞰的に。
おばあちゃんちでは、ごはんにお味噌汁をかけて食べるネコマンマも学んだ。
(子供の時以来たべてないけど。)
だされたイチゴを全部たべて怒られたり。
(おばあちゃんの分を取っておくという発想がなかった点については、小学生ながら軽率だし、猛省すべきだとは思う。が当時はマジでそういう発想がなかったんだろうな。)
でも今では、そこに住んでいた未婚のおじさん(父の弟)もおばあちゃんも
人気者だから異世界に召喚されて。
あんな田舎じゃ家(&土地)の買い手もいなくて。
とても切ない。嫁の家と繋がった反面。祖母とは切り離され疎遠になる。
そういうものなのかもしれないけどね。
本当に怖いのがぼくの親が召されたときよ。
まじどうするよ。
喪主なんかできんよ。長男だけど。
考えるのもおぞましい。でも二人とも割といい歳で。
考えたくはないけど。考えなきゃいけない時期でもある。
なんてなぁ。これが人生って名のロープレか。
それではまた:->
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