肌おろし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんはアルコールのパッチテスト、どうだった? 僕は時間を置くと赤くなるタイプ。いわゆる「不活性型」って奴かな。お酒を全く飲めないタイプじゃないけど、体調を崩す恐れがあるらしい。将来、飲み会とかに誘われたら、注意をしないとね。
しかし、身体って律儀なものだよねえ。正常な肉体だったら、異常を感じると、真っ先に色なり感覚なりでその度合いを教えてくれる。この仕事、人間がやるとしたら結構、ストレス溜まるんじゃない?
休める時は徹底して休めるけど、出動イコール命の危機ってえなると、なかなかしんどいよねえ。救急隊員とか? あ、身体を守っているんだから当たり前か、なはは。
そうなると、僕らの生活習慣がそのまま彼らの給与になっているってとこかな? こいつは自分本位なことばっかしていると、いざって時にストライキを起こすのも納得だ。
僕たちは「自分の体は自分が良くわかっている」というけど、所詮は主観なんだよねえ。もしも何かに誤魔化されでもしていたらおしまいかもしんないのに、言ってのける人はたいした自信だと思う。
その検査というかテストに関して、前にちょっと不思議な体験をしてね。その時のこと、耳に入れておかないかい?
それは小学校の4年生くらいだったと思う。当時のクラスは学校の怪談が大流行していてさ。七不思議はもちろんのこと、やれテケテケに追いかけられただの、やれ口裂け女を通学路で見かけただの。
この手の話を学校に持ってくるだけで、すぐに誰かが飛びついてくれた。どこそこで、いつ見つかったとかで、警戒態勢が取られたこともあったっけ。ウソかホントかなんて二の次でその場で盛り上がれれば、それで良かった感があったよ。
そんな中、また新しい話題が僕たちの間であがった。「妖怪 肌おろし」の話だ。
肌おろし。そいつは僕たちの身体を、おろし金を連想させるざらついた何かで触っていくという、不気味な存在。普段は僕たちの暮らしの中に溶け込んでおり、姿を見せないのだが、そいつがとうとう目撃されたという話だった。
持ってきたのは、同じクラスの女子。彼女は塾の帰り際、ある大人の女性とすれ違った時、右腕を「ざらり」と撫でられた感触があったらしい。ほんの一瞬のことで、反射的にすれ違う相手を見やっちゃったけれど、その相手自身は特に足を緩めることなく、遠ざかっていってしまう。
その女性は、麦わら帽子をかぶり白いワンピースを着た、背の高い人だったという。目深にかぶっていたせいで、目元が良く見えなかったこともあって、後ろ姿しか確認できなかったとか。
「絶対、あの人が『肌おろし』だって。もし見かけたら、近寄らない方がいいよ」
女子が撫でられた右腕をぎゅっと押さえながら、みんなにそう告げたんだ。
それから僕たちは、麦わら帽子にワンピースのいでたちをした女の人を、徹底的に避けるようになる。その年は流行りのファッションだったのか、例年に比べて10代後半から20代あたりの女の人が、よくその恰好をしているのを見かけたんだ。
僕たちはそれを確認すると、たとえ数百メートル離れていようが道を折れて、視界にすら入らないように心掛け続けた。一時期の口裂け女のように爆発的な規模で騒ぎになったりはしなかったけど、何日か置きに「肌おろしに撫でられた」と告げる人が後を絶たない。
自分のかわし具合に自信を持っていた僕は、そのたびに「どうせ話題作りのための狂言だろ」と心の中であざ笑っていた。僕にできることを、他の人ができないはずがないって、そう思っていたんだ。
自分が実際に、撫でられる側に回ってしまうその時までは。
ある日の夕方、僕は親に頼まれた買い物で、厚揚げを買ってきてほしいとお願いされる。どうしても必要だから、複数のお店をはしごしてでも探してもらいたいとのこと。それだけなら却下案件だったけど、好きなお菓子やアイスを買っていいと条件がついたことで、すぐさま了承。財布を握って外へ出たんだ。
時間帯に加えて、曇り気味ということで気温はそこまで高くない。僕は財布を握って厚揚げを探しに出かけたけれど、手近のコンビニは軒並み全滅だった。仕方なく、少し遠めのところにある業務用スーパーまで、足を伸ばす。
道中、件の服装をした女の人を見かけるたび、地元民ならではの裏道に逃げ込んだ。肌おろしの目撃情報は下火になりつつあったけれど、こういう時が一番危ないんだと、警戒心を緩めない。
のべ20分くらいの遠回りの末に着いた業務用スーパー。目当ての厚揚げはここぞとばかりにどかんと置いてあり、残りは自分のおやつのみ。せっかく外出して、購入の許可も下りているんだから、思い切り買わなきゃ気が済まない。ドリンクコーナーとスナック菓子のコーナーで当時の自分が好きだった菓子をかごにつぎ込み、残りは帰りに食べ歩くアイス、と冷凍食品コーナーへ向かう。
直前に並ぶ、袋に入ったロックアイスとそこからにじみ出る冷気。これこそ夏の醍醐味だよなあ、と思いつつ、棒のアイスたちへ手を伸ばした時だった。
伸ばした手の甲に、ざらりと撫でられた感触がする。一瞬、あまりの冷たさに肌が驚いたのかと思って、いったんは引っ込めちゃったんだ。
先ほどまで白かった手の甲が、赤色を帯びている。やがて毛穴の一本一本からにじんでいるんじゃないかと思うほど、細かい斑点がぽつぽつと浮かび始めた。遅れて、強いかゆみも襲ってきた。
虫刺されがひどくかぶれてしまったような不気味さに、つい僕はがりがりとひっかいてしまう。その時、冷凍庫の前の通路の端に、ひものついた麦わら帽子が落ちていることに気がついたんだ。
肌おろしに撫でられて、そこの部分がかぶれたという子の話、ごく最近に聞いたことがあった。次の日に僕は、そのクラスメートに話を聞いてみたんだ。
彼は手の甲と、上腕の違いこそあれ、肌おろしに撫でられて、その部分がかぶれてしまったという数少ない経験者だった。当初は虫刺されをネタにしているとみんなに判断され、ほとんど相手にされていなかったはず。彼自身も相当、落ち込んでいるように見えた。
そこに同類となる僕が話をしてきたとなると、いくらか気安い口調で、それからのことを話してくれたよ。どうもあの日以来、何度か撫でられることがあるらしい。背中にふとももに首の後ろ側に。そのいずれもが真っ赤になって、その日のうちに引っ込んでしまうんだ。
「最初はすごく緊張したけどさ、結局は蚊に刺されたのと変わらないよ。放っておけばいい」
彼はそう結論付けていたらしい。でも、僕はそう簡単に納得はしなかったんだ。
当時、理科の実験でリトマス試験紙を使ったことが、脳裏をよぎったからだ。酸性なら赤色を示し、アルカリ性なら青色を示すその紙の不思議が、特に印象強く焼きついていた。
――もしかして僕たち。あのリトマス試験紙を浸された水溶液のように、試されているんじゃなかろうか?
そう判断した僕は、家に帰った後、これまで親がもっぱら使っていた日焼け止めクリームを貸してもらう。手の甲の赤い部分を日焼けと伝え、納得してもらった。
それから僕は毎朝、一番にシャワーを浴びると、全身にクリームを塗りたくるようになる。服の外へはみ出さないところへも、徹底的にだ。件の彼の話では背中もやられたという話。その時には服も着ていたとのことだから、奴にとって服の有無はたいした問題じゃないのだろう。
効果があるかどうかはわからない。でも、できる限りのことはやっておかないと、と僕は小遣いを切り崩して自分の分を買ってでも、毎日、「お手入れ」を欠かすことはなかったよ。
結論からいって、僕の判断は正解だったらしい。
学校の帰り際。誰も周りにいない一本道で、僕は肩をざらりと撫でられたんだ。半袖に隠したにもかかわらず、もろに肌が撫でられたんだ。
だが今回の結果は、どうやら相手にとって望み通りの結果じゃなかったらしい。それから一分置きに、何度も体を撫でられたんだ。前に触れた彼が話していた箇所を、順番にさ。まさかデリケートエリアまで迫ってくるとは、相当焦っていたんだろう。抜かりはなかったけれど。
およそ一時間、必死さを覚える猛攻の後、ぴたりと撫でられるのは止まってしまう。すでに家へ帰りついていた僕は、風呂場で裸になってみると、撫でられた箇所は妙に白いものが固まっていた。汗が乾いて塩が残るのと似て、肌になじんでいたものが、無理やり外へ引き出されたような、気味の悪い感じだったよ。
一方の彼はというと、変わらずに対策なしで撫でられ続けていたらしい。終業式の日などは、ひとりだけ顔を真っ赤にしてきたよ。やはり、不健康そうな赤い斑点がぽつぽつ浮かんで、周りのみんなも手放しで「やけたねえ」とは、コメントしづらかった。
夏休みの間、僕が肌おろしに触れられることは、もうなかった。学校が始まった時にも、すでにみんなの関心は他の怪談に向いていて、ブームは過ぎ去った感じだったよ。
しかしただ一人、彼だけは違った。休み前は赤くなった箇所を自慢げに見せてくれたのに、今はクラスの誰よりも青白い肌をしている。しかも、以前よりスキンシップを多く取るようになってきた。よく男子同士でやるどつき合いじゃなく、もろに体にひっついてくるタイプ。
「あったかーい」と、どこかのレポーターみたいなことも言い出すから、なかなか気味が悪い。卒業までその癖は抜けず、あまりにも神妙な抱き着き具合と、気の抜ける拍子の言葉から、彼の新しい持ちネタだとみんなには認識されたよ。
僕としては結果を出し続けた彼があの休みの間に、肌おろしに何かされたんだろうと思っている。でもその話を振っても、彼は本当に心当たりがないとばかりにきょとんとして、首を傾げるばかりだったんだ。