6.天迎宮の龍
翌日、龍居城の真ん前まで来た洸は、ポカーンと口を大きく開けてその巨大で絢爛豪華な建造物に見蕩れていた。
「スゴい……」
その様子に、章絢は苦笑する。
「この城と龍居の都の造りを真似て、暁嶌国でも都を造ったというくらいだからな。我が国が誇る最高建築だ」
「洸、ここに描かれている絵は私の師が描いたのよ」
子淡が屋根の裏側を指差し、説明した。
「わぁー。俺もあんなスゴい絵を描けるようになるかな?」
「ええ。きっと」
子淡は笑顔で首肯した。
「洸、そろそろいいか? 麒煉が待ちくたびれていそうだからな」
章絢の言葉に、はしゃいでいたことが恥ずかしくなり、洸は赤面した。
熱を持った顔を見られるのが恥ずかしくて、俯いた洸は、「うん」と小さく答える。
そんな洸の頭を、章絢は優しく撫でた。
「さぁ、行こう」
章絢の後について、子淡と洸は皇帝陛下の御許を目指して歩き出した。
章絢は、守りが厳重な宮城の最奥、数人の武官が守る扉の前まで歩いてくると、その中でも一番身分が高い男へと声を掛ける。
「門下省侍中、李章絢。陛下のお召しにより、参上した。こちらにいる待詔、呉子淡と、その弟子、洸も同様である。言伝を頼む」
「はっ! 承りました」
そう言って、男は章絢に礼をし、扉に向かって、中に聞こえるように声を張り上げて言った。
「陛下。李侍中、呉待詔、その弟子、洸がお越しです」
それに答えるように、中から「入れ」と声がし、男は扉を開けた。
章絢は男に一礼し、部屋の中へと入って行った。
子淡と洸も一礼し後に続く。
三人が中に入ると、再び扉は閉められた。
「麒煉。来たぞ」
章絢は、さっきまでの堅苦しい言葉遣いとは打って変わって、気安い調子で話し掛けた。
「ああ。待っていた」
それに麒煉は、機嫌を損ねるでもなく、いつもの様子で答えた。
そして、立ち上がって、コの字型に並べられた椅子と机が置かれた場所を指し示し、「そこに掛けてくれ」と言い、移動する。
章絢、子淡、洸はその一辺に横並びで座り、その対面に浩藍、真ん中にある一人掛けの立派な椅子に麒煉が座った。
「洸、ようこそ龍居城へ。改めて自己紹介しよう。我が名は瞳国皇帝、李麒煉という。この者は中書令の趙浩藍だ」
「中書令?」
聞き慣れない言葉に、洸は首を傾げる。
「民や官僚達の意見を集めたり、法令の草案を考えたりするような部署である中書省の長官の名称だ」
「つまり、中書省って言うところの一番偉い人のことだ」
「皇帝陛下の秘書でもある側近中の側近だ」
麒煉の説明に、浩藍と章絢が補足する。
「秘書? 側近?」
洸には難しい言葉が多く、チンプンカンプンだ。
「ああ。臣の中で俺の傍にいることを許された、俺に近い、俺の次くらいに偉いヤツってことだ」
そう言って、麒煉はニヤリと口角を上げた。
「それなら、章絢大哥は?」
「章絢は、侍中だ」
「侍中?」
「中書省から上がって来た草案を審議したり、承認したものを私のところまで運び、最終判断を仰いだりする部署である門下省の長官だ」
「難しくて良く分からないけれど、章絢大哥も皇帝陛下の側近中の側近ってこと?」
「まぁ、そう言うことだ」
洸の言葉に、麒煉は苦笑し、頷いた。
「えっと、俺、何でここに連れて来られたんだ? そんな偉い人達がいるところに……」
「心配するな。誰も取って食ったりしないから」
そう言って、章絢は手を伸ばし、洸の頭を撫でる。
麒煉は、「ははは」と笑った後、真面目な顔になって言った。
「洸。前にも少し話したが、お前の持っている力はとても特殊なものでな、この国に取っては宝とも言える。この力のことは、ごく一部の人間にしか知られていない。また、知られてはいけないものなんだ。悪い奴らに悪用されると、国が滅んで、多くの人が不幸になってしまうかもしれない。それだけスゴい力なんだ」
「そんな……」
洸は顔色を失う。
「怖がらせて悪かった。大丈夫だ。心配するな。そんなことにならないように、俺達が保護したんだ」
「そうだ、安心しろ。ただし、このことは俺達以外には話すなよ。もし何か聞かれたら、お前は子淡の従兄弟で、絵を習うために俺達のところで世話になっているとだけ話すんだ。それ以外のことは、俺から口止めされているから話せないと言えば大丈夫だ。もしそれ以上聞いてくるヤツがいれば、教えてくれ。何か企んでいるかもしれないからな」
麒煉と章絢の言葉に洸はなんとか、顔色を取り戻す。
そして、「分かった」と、頷いた。
「洸。もしそんな人がいたら、無理せず、直に逃げるのよ。間違っても探ろうとなんてしないでね。あなたの身体の方が大切なんだから」
子淡はそう言って、慈しむように洸の頬を撫でる。
「子淡大姐……」
洸はあまりに嬉しくて、泣きそうになった。
「よし。それじゃあ、その力について詳しく話そうか」
「うん」
麒煉の言葉に、洸は神妙な面持ちで頷いた。
「先ず、洸のように自分が好きに描いたものを実体化し、自分の意志で動かすことが出来る能力を持つ者のことを、造士と呼んでいる」
「造士?」
「そうだ。恐れ多いことながら、造物主のような力を持つ者のことだ。天帝の恩恵を特別に受けている者、天帝に愛された才能を有する者、そのように考えられている。これはこの国の機密になっている。この能力を持った者を手厚く保護することで、天帝への忠誠を示している。この国で分かっている限りでは、今は師君と子淡、そして洸の三人だけしかいない」
「ふーん」
「『画竜点睛』の話は知っているか?」
「ううん。どんな話なの?」
「二百年ほど前のことだ。張僧繇(ちょうそうよう)という人がいた。当時の皇帝、武帝は僧繇に命じて、天迎宮に絵を描かせた。僧繇は四体の龍を描いたが、瞳は描かなかった。そして、こう言っていた。『瞳を描いたならば、直ちに飛び去ってしまうだろう』と。この話を聞いた人々は出任せだと思い、瞳を描くことを強く求めた。そして、僧繇がその求めに応じて、二体の龍に瞳を入れたところ、たちまち雷が壁を破り、二体の龍は雲に乗って、天へと昇って行ってしまった。という話だ。ここまでは、説話として民にも広く伝わっている」
「実際あった話だと信じている者が、どれほどいるかは分からないがな」
そう言って、章絢は肩を竦めた。
それを横目で見て、麒煉は話を続ける。
「そして、天に昇った龍は「守護龍」として、この国の行く末を見守っていると言われている。これは、この宮を守る我ら皇族と、その周りのごく一部の者しか知らぬ。恐らくは、僧繇も知らなかったのではないかと思う。知っていたならば、残りの二体にも瞳を入れたであろうからな」
「その人も造士だったの?」
「恐らくは。戦なんかの混乱で、正確な情報は残っていない。だが、実際に二体の龍の絵が天迎宮の壁に描かれていて、この絵は張僧繇が描いたと伝わっている」
洸は、「どんなふうに描かれているのだろうか」と、想像を巡らせ、「へー。見てみたいな」と呟いた。
それに、麒煉は何でもないことのように、「いいぞ」と答えた。
「いいの!?」
洸は、飛び上がらんばかりに驚き、喜んだ。
「すぐそこだからな。天迎宮は、天帝をお招きするために作られた特別な宮だ。この地上に存在する建物の中で、一番天に近い、神聖な場所だ。それだけは忘れず、礼節をもって入るように」
「どうしよう。礼節なんて分からないよ」
麒煉の言葉に、喜色が浮かんでいた洸の顔は、一気に翳った。
「そうだな。とりあえず、一番大切なのは天帝を敬う気持ちだ。後は、俺達の真似をしていれば大丈夫だ」
「うん。分かった」
章絢の励ましに、洸は気を取り直す。
「では、案内する」
そう言って、麒煉は立ち上がり、歩き出した。
その後に、四人が続き、部屋を出ると、更にその後を護衛の兵士などが着いて来て、天迎宮へと向かった。
天迎宮の入り口の前まで来ると、麒煉は立ち止まった。
その後ろで、四人も立ち止まる。
兵達は、距離を開けて、天迎宮を取り囲むような配置で守りに付いた。
麒煉は天に御座す天帝に向かって、お伺いを立て、礼をし、宮へと足を踏み入れた。
その後に、章絢、子淡が続く。
浩藍は、宮の前で頭を下げたままだった。
「さぁ、洸」
麒煉の招きに応じ、洸は宮に足を踏み入れる。
洸はその場の圧倒的な清浄な気に息を呑んだ。
上手く呼吸をすることが出来ず、胸が苦しくなる。
「洸、大丈夫か? ゆっくり息を吸うんだ」
章絢はそう言って、洸の背を撫でる。
洸は章絢の温もりを感じて、ホッと息を吐く。
お陰で、なんとか呼吸が出来るようになった。
「ここは地上だが、まるで天に居るような感覚になると言う。実際に天に行ったことはないから、本当のところは分からないが……」
麒煉の説明に、「なるほど」と洸は思う。
空気だけでなく、壁一面に描かれた二体の龍に囲まれて、まるでフワフワと宙に浮いているかのような心地がする。
瞳が入っていなくても、龍の迫力は凄まじく、章絢の温もりが感じられなければ、竦み上がってしまいそうだった。
それでも、目が離せなくて、ずっと見ていたいような不思議な魅力に、洸はすっかり龍の虜となっていた。
そんな様子を三人は笑顔で見守っていた。
「実はな、洸。この二体に目を入れて、守りを完璧にしようと、これまでの皇帝や造士達が目を描き入れて来た。でも、誰も天に昇らせることは出来なかった……。だが、お前なら、それが出来るかもしれない……。何故だかそんな気がする」
麒煉の言葉に、洸は半信半疑で問いかける。
「本当?」
「ああ。あくまでも俺の直感だがな」
「麒煉の勘は、外れたことがないから、きっと本当だ」
章絢は、洸の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「ただ、お前はまだ未熟だ。これから、力のコントロールや画法を子淡からしっかり学んで、時が来たら、またここに目を入れに来て欲しい」
「分かった。……あの、たまにはここに来てもいい?」
「フッ。そうだな、俺達三人のうち、誰か一人と一緒であるならば許可しよう」
すっかり魅了されてしまった洸の様子に、麒煉は目を細め、条件付きで承諾した。
洸は満面の笑みで、「ありがとう」とお礼を言った。
それに、麒煉も笑顔で頷き、「さぁ、次は、画院に案内しよう」と言って、歩き出した。
※画竜点睛……<意味>物事を完成するために、最後に加える大切な仕上げ。また、全体を引き立たせる最も肝要なところ。
この話で、麒煉が語っていた「画竜点睛」の話と実際の故事の違う所は、
「金陵の安楽寺の壁に描いた白龍」→「龍居の天迎宮の壁に描いた龍」
あとは、「守護龍」も創作です。
それ以外は、大体、実際の故事のままのはずです。たぶん。