28.志は気の帥なり
章絢と昇月は、次の建物の中へと潜入した。
「ここは……」
「ああ。牢のようなところだな。一部屋ごとに錠が付いてやがる」
「鍵はこいつの部屋にあったのか? どうする? 取りに戻るか?」
昇月は、長の生首を持ち上げながら、忌ま忌ましそうな顔をした。
「いや。これで開けて行こう」
そう言って、章絢は師君が王宮の牢で使っていたような金属の棒を取り出した。
一番手前の部屋の鍵を開け、扉を開いた先に、探していた泰潔が居た。
「居た!」
突然扉が開き、目に飛び込んで来た人物に、泰潔は瞠目する。
「李侍中!?」
「無事だったか?」
「はい」
「それは良かった。ならば、行くぞ」
「李侍中。この者も一緒に連れて行っては頂けませんか?」
「誰だ?」
章絢の問いに幽楽が答える。
「鍛冶屋の幽楽と申します。十年程前、瞳国からこの国へと連れ去られてきました」
「それは、大変であったな。共に連れて行こう」
「ああ、有り難うございます……。あの、他の部屋も開けては貰えませんか? 同じ瞳国の者達が入れられているんです」
章絢の労いに、幽楽は感謝し、頭を垂れた。
章絢は、幽楽の悲壮な様子に感心し、快くその頼みを承諾する。
「よし。分かった」
章絢達は、手分けをして他の独房に入っている者がいないか、部屋の外から声を掛けて確認した。
全ての部屋に、瞳国から移り住んだ者達が入れられていて、章絢は順番に全て鍵を開けた。
全員が廊下に出たのを見計らって、章絢は声を発した。
「この砦の長は討ち取った。お前達が、直に瞳国へと戻るならば、飛燦国へと自らの意志で密入国した者も今回は不問に付そう。この国に残るというならば、反逆者として捕らえさせてもらう!」
その言葉を聞き、数人が直に自己弁護し始めた。
「俺達は、彼奴らに騙されただけだ。瞳国に敵対するつもりなんてなかったんだ!」
「そうだ! 瞳国に帰れるのなら、帰りたい」
「こんなところに来なければ、彼奴らだって死ななかったのに……」
自分勝手な言い様に、幽楽は気色ばむ。
「はん。お前らは、自業自得だろう? 彼奴らだって自暴自棄なって勝手に死んだんだ。お前らも、ああなる前に助けが来て、良かったじゃねえか。この方々に感謝しろよ」
章絢は、呆れ顔でその様子を眺めていた。
「随分と勝手な事を言ってくれる。だが、それが人と言うものか……」
−−事大か、それとも自らの都合の良い言葉を鵜呑みにして、そのように事を進めただけか……。しかし、人の事をとやかく言えない。天帝にひれ伏す俺も、この者達と五十歩百歩と言った所か……。
「『居は気を移す』という。もし、ここへ来てそのようになってしまったというのならば、次の場所では天帝に恥じぬ生き方をして欲しいものだ」
章絢はそう独り言ちた。
「では、皆付いて来い!」
章絢はそう言って、建物から出て行った。
皆、慌ててその後を追う。
丁度そこへ、徐都事など他の味方が大きな鎚を持って、やって来た。
「李侍中! 全て、壊し終わりました」
「出会した奴らも、伸しときましたよ」
武官達も、汗を拭いながらそう言った。
「そうか。ご苦労様。これで、この砦は終わったな」
章絢は、感慨深気に辺りを見回した。
砦の出入り口へ移動した章絢達は、そこで一旦立ち止まる。
「昇月。帰りは、別行動にさせてもらっても良いだろうか?」
「ああ。ここまで来れば、砦西は目と鼻の先だからな。別に構わないぞ」
章絢の言葉に、昇月は鷹揚に頷く。
「そうか。それじゃあ、悪いがお前達には、この者達を連れて、砦西の張県令を訪ねて貰いたい。前に住んでいた村は、湖の底に沈むから新たに住むところが必要であろう。張県令ならば、良きように取り計らってくれるはずだ。君達も砦西に戻ったら、力になってあげてくれ。だが、くれぐれも助長しないようにな」
章絢は、昇月と武官達、そして砦西の文官達に向けて、そう指示した。
昇月達は、「はっ! お任せ下さい」と、自身の胸を叩いて見せた。
「次の県令になる徐都事もそちらに同行してもらっても構わないのだが、未だ龍居の方の引き継ぎが済んでいないだろう?」
「はい」
「なら、俺と一緒に師君の龍で龍居まで連れて行ってもらおう。張泰潔。君もだ。君には訊かなければならない事が沢山ある」
「分かりました」
「昇月。先に出発してくれ。追っ手がかからない所まで進んだ頃を見計らってから、俺達はここを発つ」
「分かった」
「では、頼んだぞ」
「ああ。達者でな」
「お前も」
章絢と昇月は互いの拳を合わせて、別れを済ませた。
その横で、泰潔と幽楽も別れの挨拶をする。
「幽楽。短い間だけれど、会えて良かった」
「俺も。あんたに会えて良かったよ。お互い、その道を極めような!」
「ああ! もちろん!」
二人は笑顔で、握手を交わした。
「お前達! 何ものも『人の和に如かず』だ。皆で協力して、新天地で健やかに過ごせよ!」
歩き出した集団に、章絢がそう餞別の言葉を贈った。
こうして、昇月達一行を見送った章絢は、少し離れた場所で控えていた師君を呼びに行った。
「師君。無事、砦を落としました」
「そうか。だが、穏便には済まなかったようだな。衣が随分と血に塗れておる」
師君は目敏く、章絢の身を見回した。
章絢も自身を眺め、項垂れる。
「はい。結局、手を汚すことになりました」
章絢は、簡単に事の成り行きを師君に話した。
「この国の宰相が反逆を企てていると、この砦の長と側近が話しておりまして……。あの者達は、瞳国から来た者達を殺そうとしておりました。それに、宰相の手の者だったので、我が国の為にも討たざるを得ませんでした」
「そうか」
「少々、他国の内政に干渉し過ぎてしまいました。天帝はお怒りになられるでしょうか?」
「どうであろう? それが、私利私欲の為ではなく瞳国にとっても必要なことであったのならば、お怒りになることはあるまい」
「そう、ですか……」
全く私利私欲が無いとは断言出来ない章絢は、師君の言葉を聞き、何とも言えない表情をした。
更に、他にも心配事が有り、顔が曇る。
「ところで、王妃様はご無事でしょうか? 心配です」
僅かな邂逅であったが、血の繋がりがある所為か、章絢は王妃の事が気に掛かっていた。
「儂の方から、宰相の企ては鳥を飛ばしてお報せしておこう」
「はい。お願いいたします」
師君の申し出に、章絢は有り難く頭を下げる。
「急いで戻らなければ、な。陛下が心配しているであろう」
「はい。ですが、砦にいた瞳国の者達を昇月達に砦西まで送って行かせることにいたしましたので、我々とは別行動になります」
「そうか」
「それで、先程出発したばかりですので、もう少し昇月達がここを離れてから、我々は発とう考えております。この砦に追っ手が潜んでいないとも限りませんので」
「それは、杞憂ではないか? お前も昇月もそのような気配は感じなかったのであろう?」
「まぁ、そうですね」
「ならば、心配無用じゃ。直に発とう」
「では、そのように」
章絢達が砦を発った頃には、既に、空は白んで来ていた。
上空から砦を眺めると、破壊された鍛冶場や武器庫などが見えた。
「随分、大胆に破壊したものだな」
「ええ。まぁ、私達も数日間檻に閉じ込められて、かなりの鬱憤が溜まっておりましたので」
徐都事は清々したと言わんばかりの様子であった。
瞳国の方へと目を向けると、雨が降りしきっている様子が、まるで紗の布が国を覆っているかのように見えた。
上空の方には、雨雲が渦巻いている。
「師君。あの雨雲を一つ、砦の上に呼び込めないものでしょうか?」
「ほう。出来ないこともない」
「では、お願いいたします。鍛冶場の炎は全て消してくれたとは思いますが、万が一、火事になっては、ここら一帯に燃え広がって、大惨事になることでしょう。幾ら敵国とは言え、戦とは無関係な者まで、犠牲になるようなことがあっては、天帝のお怒りを買うでしょうから」
師君は、乗っている龍に雨雲を吸い寄せさせ、近くまで来た雲を今度は、砦の真上まで吹き飛ばすようにした。
砦一帯に雨が降り注ぐ。
「流石ですね。ありがとうございます、師君」
「ほっほ。これ位お安い御用じゃ」
章絢達が国境を越えると、瞬く間に雨が止み、蜷局を巻いていた二体の龍も天界へと帰って行った。
雲が晴れた丁度その時、朝日が昇り始めた。
「眩しい……」
「すっかり夜が明けましたね」
日が昇る方角へと進んでいた為、陽の光が目を刺した。
皆一様に手を翳す。
その隙間から、信じられない光景が目に入って来た。
「あれは!?」
「鳳凰……?」
「まさか!?」
鳳凰は一行の方へと向かって、飛翔しているようだった。
その距離が近付き、触れそうな距離で、上昇する。
そして、一行の上を旋回し始めた。
「ああ……」
泰潔は何かを掴もうと鳳凰へと手を伸ばす。
鳳凰が一声啼くと、彼の手の中に柔らかな羽毛がヒラヒラと舞い落ちて来た。
彼は、それを掴むと大切な宝を抱え込むように懐へと入れ、鳳凰へと頭を垂れた。
「天は、私に使命を果たせと仰せなのですね……」
再び顔を上げ、鳳凰を仰ぎ見る彼の頬を、一筋の雫が伝っていった。
章絢達は、その神々しい光景にただただ見蕩れていた。
我に返ると、いつの間にか鳳凰は飛び去っており、眼下に目を向ければ、都の傍まで来ていた。
「龍居城が見えて来たぞ」
「ああ!」
泰潔は、長年振りの故郷に感激のあまり言葉が出なかった。
師君、章絢、徐都事の三人は、ただただその心中を推し量り、沈痛な面持ちで眺めるばかりであった。
※「志氣之帥也(志は気の帥なり)」……志は気力を従えるものである。
「居移氣(居は気を移す)」……住む場所や環境が人の気性を変える。
「天時不如地利。地利不如人和。(天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。)」……天のもたらす好機は地勢の有利さには及ばない。地勢の有利さは人心の和合には及ばない。