24.章絢の夢想
謁見の間で飛燦国の王を待っていた章絢達使節団一行は、その後、押し寄せて来た兵に取り囲まれた。
身構えて、戦闘態勢に入ろうとしていた昇月達武官を、章絢は宥めるようにして、兵達に問い掛ける。
「これは、どういうことでしょう?」
「お前達を牢に入れるようにとのご命令だ。連れて行け」
上官と思われる男がそう言って、部下達に指示を出した。
章絢は相手に殺意が無いのを感じ取り、無抵抗でその指示に従った。
昇月達も、大人しく彼に倣う。
兵達は、従順な章絢達に警戒しつつも、手荒に扱うことはなく、牢まで連行した。
そして、章絢達は、まとめて同じ檻に入れられた。
兵達が去ると、章絢は密やかに信を書き、誰にも気付かれないように現の力を使って鷹を出し、それを咥えさせて麒煉の許へと飛ばした。
「私達をどうするつもりでしょうか?」
徐都事が緊張した面持ちで、問い掛けた。
「直に殺すつもりは無いようだが……」と言い、章絢は思案に耽る。
「戦争の開始時に、合図として本国へと我々の首を送る心積もりやも知れません」
文官の一人がそう言って、唇を噛む。
その言葉に、皆が渋面となった。
質素な食事を与えられ、暫くすると、牢にカサカサという衣擦れのような音が聞こえて来た。
昇月が口元に人差し指をあて、「シッ。静かに。誰か来る」と呼び掛ける。
皆、沈黙し、耳をそばだてた。
黒い衣を頭から被った人影が、檻の前で止まり、小声で話し掛けて来た。
「貴方がフルの息子?」
牢に不似合いな女性の声で問い掛けられた章絢達は、驚いて目を見開く。
「フル」とは、章絢の母の名である。
「貴方は、もしや?」
章絢の問いに応じて、彼女は黒い衣を頭から取り、顔を晒した。
「私はこの国の王妃。そして、フルの従姉妹よ。ごめんなさい。手荒なことになってしまって。私では、貴方達をここから逃がすことも出来ない」
泣きそうな顔で詫びる彼女に、章絢達は困惑する。
「いえ、貴方の所為では……」
「貴方の名前は?」
「李章絢と申します」
「そう。やはり貴方がフルの……。何処と無く彼女と似ているわ」
「そうでしょうか?」
彼女の言葉に、章絢は満更でもない様子で、嬉しそうな顔をした。
「ええ。フルの葬儀には参列出来なくてごめんなさい」
「いえ。あの時は、体調を崩されていたと聞きましたから……。今は、もう?」
「ええ。大丈夫よ。あの時は、ショックのあまりに気力が無くなってしまって、お別れの挨拶をすることも出来なかったのは、後悔しているの。フルとは本当の姉妹のようにして育ったから……」
「そうですか……」
「フルは幸せだったのかしら?」
「えっ? どうでしょう? そう、だと良いのですが……」
「そうね。こんなに素敵な息子がいるんですもの、きっと幸せだったと思うわ」
そう言って、顔を綻ばせた王妃に、章絢は曖昧に微笑む。
「ずっと、気に掛かっていたのよ。私が二人を引き会わせてしまったようなものだから……」
「母から聞いています。貴方の婚礼の折に、この国を訪れて、父と出会ったと」
「フフ、あの子と貴方の父親は、お互いに一目惚れだったようだから。羨ましいわ……。本当はもっとゆっくり貴方と話したかったけれど、あまり時間がないの。我が国も一枚岩では無いわ。王は、瞳国へ攻め込む気でいたけれど、私と息子はずっと反対していたのよ。最近はその所為で、疎まれていたけれど……」
「そうですか……」
彼女の話を聞き、章絢は光明を見出した。
「何とかして、貴方達を逃がすようにしてみるわ。ごめんなさい。もう行かないと」
「王妃様! もう一つだけお教え下さい」
「何かしら?」
「ニマ王女のことを」
章絢がそう問い掛けた瞬間、「何?」という野太い怒声が牢に響いた。
「ニマだと?」
「王様!?」
王の登場に、王妃が狼狽える。
「お前、もしやニマの行方を知っているのか?」
そう言って、王は章絢の許まで駆け寄り、檻の間から章絢の胸倉を掴んだ。
その拍子に、章絢の服の内側から数枚の絵が床へと落ちる。
「この絵は、ニマ!?」
王妃の言葉に、ハッとした王は絵をマジマジと眺めた。
「ニマ……。何故、お前がこの絵を持っている?」
「それをお話する前に、お聞きしても宜しいでしょうか?」
「何だ?」
「王女の行方をお知りになったら、どうなさるおつもりですか?」
「はっ、そんなのは決まっておろう? ずっとニマを探しておったパサンと結婚させてやらねば」
「パサン」とは、章絢達が連れて来た捕虜の男の名前である。
「そうですか……。ですが、彼女には他に思っている御方がおられるようですが?」
「何?」
「父親として、彼女の望みを叶えて差し上げようとは思われませんか?」
そう言った章絢を、王は鼻で笑う。
「何を馬鹿なことを言っておる。王族に生まれた者にそのような自由はない。一官吏に過ぎぬそなたには、そのようなことも分からぬか?」
「フン。そんなもの糞食らえ!」
「何と、下品な……!」
章絢の反抗的な態度に、王は顔を更に赤くし、胸倉を掴んだままの手に力が入る。
章絢はそれに臆することなく、言を継いだ。
「王よ、聞くが良い。王女は、不帰の客となられた。この地を踏むことは二度と無い」
「嘘をつくな!」
王は激昂し、章絢の顔を思い切り殴った。
「やめて! この子はフルの子よ! 貴方は、瞳国ばかりか煌羅国をも敵に回すおつもりですか!」
「黙れ!」
王は諌める王妃を突き飛ばす。
「キャッ!」
「王妃様!」
後ろで控えていた、官吏の一人が声を上げ、転んだ彼女に駆け寄った。
怒りが収まらない王は、控えていた牢番から棒を奪い取り、檻の隙間から床に転がった章絢を打ち付けた。
「うっ」
「やめて!」
王妃の静止を無視し、王は何度も、何度も章絢を殴打する。
昇月達は、章絢を王の傍から離そうとしたが、それを章絢が止めるように目配せする。
下手に王を刺激し、他の者達が害されるのを章絢は恐れたのだ。
章絢は痛みで顔が歪み、意識が朦朧として来ていた。
「章絢!」
昇月が顔を歪めて章絢に手を伸ばす。
そんな時だった、急に王が苦しみ出した。
「うっ。くっ」
地面に崩れ落ちた王の身体を、王妃が揺する。
「王? 王! お前達、王を早く運んで、侍医を呼びなさい!」
王妃は顔面蒼白となり、取り乱した様子でそう命じた。
官吏達は、慌てて命令に従う。
「はっ!」
王を抱えた彼らと、王妃は慌ただしくその場を後にする。
そんな遣り取りを頭の片隅で聴きながら、章絢の意識は落ちていった。
−−子淡。君に逢いたい……——。
* * *
−−ここは、芙蓉宮?
「母上! 綺麗なお花がいーっぱい咲いているよ!」
「この花は、扶桑花と言って私の大好きなお花なの。陛下が私の為にと、自ら植えて下さったのよ。私は幸せ者だわ」
「そうなんだ!」
嬉しそうに話す母親に、幼い章絢も笑顔になった。
「池に咲いているのは水芙蓉、あちらのは木芙蓉よ。この芙蓉宮はね、何代か前の皇帝が、芙蓉が好きだった寵妃の為にと作らせた宮なのよ」
「寵妃って、なあに?」
「王に最も愛されている妃のことかしら?」
「じゃあ、母上は父上の寵妃なんだね!」
「ふふ。そうかも知れないわね」
そう言って、大輪の花が咲くように皇后は笑んだ。
夢の中の場面が切り替わる。
−−今度は、食堂か?
「母上ー! 見て! 今日は彩の好きなものばかり!」
「そうね」
はしゃぐ章絢に、彼女はクスクスと楽しそうに笑う。
「でも、すごいごちそう? 今日は何かあったの?」
そう言って、章絢は首を傾げた。
彼女は、小さな章絢に目線を合わせ、真剣な顔をして話す。
「今日はね、あなたの本当の誕生日なの」
「えっ!? もっと先じゃないの?」
「ええ。これはあなたを守る為なのよ。決して誰にも言っては駄目よ。でも、陛下と花梨なら大丈夫。あなたと私、そして陛下と花梨、四人だけの秘密よ。約束して」
「はい。天帝に誓って、誰にも話しません」
鬼気迫る様子の母親に、章絢は神妙に約束の言を口にした。
彼女は、それに安堵の息を吐き、章絢の頭を撫でる。
「ええ。良い子ね」
章絢は、麒煉よりも数ヶ月先に生まれていた。
だが、当時の後宮で横行していた毒による暗殺の脅威を少しでも取り除く為、皇后は妊娠の可能性に気付くと、病と称して、早急に芙蓉宮へと避難した。
そして、更に数ヶ月後、劉貴妃の懐妊の噂を聞き、自分よりも強い後ろ盾のある彼女を立てた方が生き延びる可能性が高くなると判断した。
ひっそりと信用出来る者だけで、麒煉が生まれるまで、章絢の誕生を隠した。
更に、誕生したのは公主であると性別も偽った。
瞳国では、公主よりも皇子の方が王位の継承を優先される。
その為、それによって、より生存の可能性を上げたのだった。
力が弱く、傀儡の皇帝と言われていた劉章も、彼女と生まれて来る我が子を守るため、自分に出来る精一杯で彼女に協力した。
章絢と麒煉が十二歳の時に、遂に麒煉が皇太子へと擁立された。
そして、章絢はこの時から公主ではなく皇子として、生活するようになった。
「彩。ごめんなさい。私に力が無いばかりに、隠れるような生活をさせて。本来ならば、貴方が皇太子となるべきであったのに……」
「やめて下さい、母上。私は、母上に感謝しております。皇太子、ましてや皇帝など、私は望んでおりません。こうやって、穏やかに過ごせたことを感謝こそすれ、厭うことなどあり得ません。それとも、母上は、私が皇太子となることを望んでおられたのですか?」
「いいえ。いいえ、彩。そのようなことはありません。貴方が、元気にスクスクと育ってさえくれればそれで十分……」
「それならば、これで良かったのです。ありがとうございます、母上」
「彩……」
−−この頃からであったか、母上の身体が弱り、寝込むことが増えていった……。
私が皇子として過ごすようになったことで、劉太傅や他の者達から悪意が増えていったのだろう。
母上を守らなければと、必死に勉学や武芸に打ち込んだものだったが、今思えばそれも他の者達の猜疑を煽る原因となってしまっていたのだな。
母上、浅慮な俺を許して欲しい……。
また、場面が変わり、皇后の今際の際の姿が浮かぶ。
−−母上の死に顔は、とても安らかなものだった。
少しは安心させてあげることが出来たのだろうか?
母上……。
更に、場面は変わる。
「子淡。俺はいずれ君主になる麒煉を支えられるような官吏になる。そして、造士である子淡に相応しい人間になれるように上を目指す。だから、それまで待っていてくれないか? その時になったら、子淡に求婚したい」
「師哥……」
「子淡。今はもう、君の師哥ではなく、一人の男として見てもらいたい。だから、『師哥』ではなく、『章絢』と呼んではくれないか?」
「それは……」
「駄目か? 私のことをそのようには見られないだろうか?」
「違うの。嬉しくて……。私で良いの?」
「子淡が良いんだ」
「うっ、ひっく……」
「泣かないで、子淡」
「うっ。私、待ってる。ずっと。だから、いつの日か、貴方の妻にして下さい」
−−ああ、子淡!
そうであった、母上が亡くなって沈んでいた時に、子淡と気持ちが通じ合って、「天にも昇る心地とは、こういうものなのか」と、そう思ったのだった。
だが、結婚するまでは本当に長かったな……。
思いが通って、八年後、やっと求婚出来た時は、一仕事を終えた、何とも言えない達成感を得たものだった……。
「子淡。随分と待たせてしまって、すまない。そして、待っていてくれて有り難う。本当に、俺には過ぎたる女人だ」
「章絢」
章絢は、扶桑花が咲き誇る頃、芙蓉宮へと子淡を誘い、池の中にある浮き島の亭で、求婚した。
「子淡。君と俺は比翼の鳥だ。君がいなくては、俺は飛ぶことが出来ない。どうか、この哀れな男の翼となってくれ」
「ええ、私はあなたの翼、あなたは私の翼です。そして、連理の枝のような夫婦となりましょう」
「子淡、有り難う。俺は本当に幸せ者だ」
「章絢、こちらこそ、有り難う。私も幸せよ」
* * *
「−−……ん! 章絢!」
「昇、月?」
「大丈夫か?」
「ああ、あれは夢だったのか……」
−−だが、夢の中で母と子淡に会えた。
それに、あれは実際に過去にあった出来事だ。
今更、あの頃のことを夢に見るとは……。
「何のことだ?」
「いや。何でも無い」
−−子淡、待っていてくれ。
何としてでも、俺は君の許へと帰って行くから……——。