21.子淡の回想④
麒煉が去ると、入れ違いで師君が室に入って来た。
「子淡。皇太子から話は聞いたか?」
「はい。大体のことは。詳細は師君に聞くように言われました」
「そうか。まだ、三月ある。それまでに、少しずつ話していこう」
そう言うと、師君は自分の机へと向かった。
「師君! あの……」
子淡は意を決して、師君に呼び掛けた。
「なんじゃ?」
師君は鷹揚に答えて、先を促す。
「皇太子と第二皇子は、その、仲が良くないのですか?」
子淡の問いかけに、師君は思いがけないことを聞いたという風に眉を上げ、顎髭を撫でる。
「ふむ。そうかも知れんのう。二人は、母親が違うことは知っておるか?」
「はい」
「母親同士は、決して仲が悪いわけではないのだが、な。周りが、壁となって立ちはだかり、妨げとなっておる。特に、劉太傅とその周りの者達が、な」
「そうなのですか?」
「うむ。劉太傅は分かっておらん。自分の行いが、皇太子を孤立させていくということを。煌羅皇后も第二皇子も決して、野心を持ったり、劉貴妃や皇太子に仇をなしたりするような狭量な人間ではない。自分の立場も身の丈もよく理解しておられる。それを、ヤツは分かっておらん。劉貴妃と皇太子の方は分かっておられるというのに」
「それでは、本人同士が嫌いというわけではないのですね?」
「嫌いも何も、兄弟と言えども、会ったこともなく、名前位しか知らない他人のような感覚であろう」
いまいちピンと来ない子淡は、先刻の二人の様子を思い浮かべる。
「そういうものでしょうか? 先程、会ったお二人は、とても余所余所しいご様子でした」
子淡の言葉に、師君は目を見開く。
「会われたのか!?」
「はい。画院の前で、ばったりと」
「そうか」
師君は顎髭を撫でながら、思案する。
「第二皇子は、あまり関わりたくはなさそうなご様子でした。皇太子は、去って行く第二皇子を悲しそうなお顔で見ておられました。お二人はご兄弟なのに、仲良くすることは許されないことなのでしょうか?」
子淡は憂いを帯びた顔をして、師君に尋ねた。
「そんなわけがない。周りが険悪だからといって、お二人が仲違いする必要があるものか」
師君は子淡を奮い立たせるように、そして自分自身にも言い聞かせるように、語気を強めて、そう発した。
「ならば、私はお二人の掛け橋となりたいです」
師君に応えるように、子淡は憂いを払い、強い意志の宿った眼差しを彼に向けた。
「そうか、子淡。お主ならば、それが可能かもしれぬ。だが、慎重にことを進めるのじゃぞ。表立って動けば、全てが水泡に帰すかもしれぬ。それだけではなく、子淡も危険に晒されるであろう。特に、劉太傅を刺激するようなことはしないように気をつけるのじゃ」
「分かりました」
「心してかかれ」
師君の注告に、子淡は神妙に頷いた。
「ところで、第二皇子は造士のことはご存じないのですよね?」
「そうだな」
「お話ししては駄目でしょうか?」
「うーむ。儂の一存では決められぬ。陛下にお伺いするゆえ、それまでは話さぬように」
「分かりました」
頷く子淡に、話は終わりとばかりに目配せしてから、師君は自分の仕事に取りかかった。
こうして、子淡は二人の仲を取り持とうと奮起したのだった。
画院からの帰り道、早速、子淡は章絢に問いかけた。
「あの、師哥は、その、皇太子のことを、どう思っておられるのですか?」
突然の子淡の質問に、章絢は目をぱちくりさせた。
「どう、とは?」
「えーっと、好きとか嫌いとか?」
考えながらそう言った、子淡の様子が可愛くて、章絢は思わず笑みを零す。
「フッ。何で疑問系なんだ? 正直に言うと、どちらでもないかな」
「えっ?」
「別に皇太子本人に嫌がらせされたとか、可愛がってもらったとか、そういったことは今まで全くなかったからな。兄弟とは言っても、赤の他人と一緒だよ。まあ、彼奴の祖父の劉太傅やその周りの奴らには嫌みを言われたり、嫌がらせされたりするけどな。それでも、彼奴が扇動しているわけではないことは分かっているから、嫌いにはなれないさ。かといって、好きになれるわけでもないけど……」
「師哥……」
「だからかな、さっき、なんの心構えもなく会ってしまったから、どう接したら良いか分からなくなってしまった……。子淡には迷惑かけたな」
二人は困ったような顔をして、互いを見遣る。
「迷惑だなんて……。私は、恐れ多いことながら、お二人のことを大切な師哥だと思っています。だから、嫌っているわけでないのなら、仲良くして欲しいです。血の繋がった兄弟なのですから……」
「子淡……」
「先ずは、お互いに思っていることを話すところから始めましょう? 微力ながら、私が仲立ちします」
「ありがとう……。だが、劉太傅のことが気がかりだ」
「そうですね……。とりあえず、一度お二人が話せる機会を作りますので、その時に相談しましょう?」
「ああ」
子淡の申し出を快諾し、章絢は微笑んだ。
二人がその他にも色々な雑談をしながら進んでいると、あるお屋敷の周囲が騒がしく、野次馬が集まって来ているところに出会した。
何かあったのかと近くの男性に尋ねたところ、その館の嫡男が武官に引っ立てられているところだということだった。
子淡は呆気にとられ、章絢はその様子を黙って眺めていた。
武官の中に昇月の姿を見たような気がしたが、気の所為かもしれないと子淡は頭を振った。
「子淡。これで少しは、外を歩きやすくなると思うよ」
章絢はそう言って、子淡の頭を優しく撫でた。
それを聞いて、子淡は何となく察した。
昨日の獣が言っていた「公子」が、きっとこの屋敷の者なのだろうと。
そして、章絢の労りに胸が震えた。
−−翌日、子淡は麒煉へ向けて文を書いた。
「話がしたいから、都合の良い日時を教えてもらいたい」と。
返事は直に届いた。
「次の日の昼頃なら大丈夫だ」と。
その時間に画院を訪れる旨が書かれていた。
子淡は文を胸に抱き込んで、ホッと息を吐く。
「良かった……」
−−その翌日、約束の時間になり、麒煉が画院へと訪れた。
子淡の部屋へと辿り着いた麒煉は、従者達に入り口で待つように指示を出す。
いつものことながら、従者達は非難がましく麒煉を見遣ったが、彼は知らぬ振りをして、中へと入り、戸を締めた。
「子淡。少し遅れてしまったかな?」
「いえ。お忙しいところ、お越し下さりありがとうございます」
「いや、構わないよ。可愛い子淡の頼みだからな」
麒煉はそう言って、いつもの椅子に腰掛けた。
お茶の用意をした子淡も、斜め向かいの椅子に腰掛けた。
「子淡、このお茶は?」
一つ多く用意された、茶杯を見て、麒煉が尋ねた。
「師哥に会っていただきたい方がいるのです。宜しいでしょうか?」
「子淡がそう言うなら、会おう」
「ありがとうございます」
子淡はそう言って、奥の物置へと向かい、その扉を開けた。
中から、章絢が出て来て、麒煉は目を見開く。
「第二皇子!?」
「先日振りです、殿下。失礼しても?」
「ああ」
麒煉は呆然としながらも、章絢の問いに答える。
それを受けて、麒煉の向かいの椅子に、章絢は腰掛けた。
「お二人とも、お越し下さりありがとうございます。私にとっては、お二人とも大切な師哥です。だから、仲良くしていただけたらと思い、僭越ながらこの場を設けさせていただきました」
「そうか……。そうだったのか……」
麒煉は、そう言いながら、自分の中で何かと折り合いをつけているようだった。
「子淡、ありがとう。この場を設けてくれて。……第二皇子も会ってくれてありがとう。私は、ずっと君と仲良くしたいと思っていた。言い訳になるが、周りがそれを許してはくれなかった。だから、こうして会うことが出来て、本当に嬉しく思う」
「殿下……」
麒煉が本心で言っていることが伝わって来た章絢は、何とも言えないむず痒い心地になり困惑する。
「図々しいお願いだとは思うが、私のことを『大哥』と呼んでは貰えないだろうか。そして、これからも会ってはくれないだろうか?」
麒煉の懇願に、章絢は目を瞑って、暫し黙考する。
「……会うのは構いませんが、『大哥』と呼ぶのは難しいです」
章絢の胸に今までの色々な出来事が去来し、とても「大哥」と呼ぶ心境にはなれなかった。
「そうか……」
章絢の言葉に、麒煉は項垂れた。
「まぁ、それは追々で良いか……」と言って、麒煉は気を持ち直す。
章絢は背筋を伸ばし、真剣な眼差しで、そんな麒煉を見据える。
「殿下、折角の機会ですので、これだけは言わせて下さい」
「何だ?」
「私は、決して皇帝の椅子を欲してはおりません。その所為で、嫌がらせを受けるのも本当に迷惑です。陛下には、冠礼の折に臣籍降下する旨の了承は受けております。ですから、そのことを劉太傅に貴方様の方からも伝えていただけないでしょうか?」
「それは構わないが、本当に良いのか?」
「ええ。殿下には申し訳ないと思いますが、皇帝という責務は重すぎて、私には背負えません。それに、その椅子に縛られるのはとても耐えられない。私は、そこから逃げることを選んだのです」
「そう、か……」
章絢の見解に、麒煉はとても複雑な心境になった。
「もちろん、臣に下っても、微力ながらこの国の為に尽くすつもりではおります。ですが、出来ればあまり表に立ちたくはありません。私は、ただ平穏な生活を望んでおります。どうか、お許し下さい」
「許すとか、許さないとか、私にそのような大それたことを決める資格はない。だが、兄として弟の願いを叶えたいとは思う。私も微力だが、幾らでも力になろう」
麒麟は、自分達の所為で今まで虐げられて来た弟の望みを、その罪滅ぼしとして、必ず叶えようと固く心に誓った。
「ありがとう。ありがとうございます……」
麒煉の言葉に、張り詰めていた糸が切れたように章絢の目からは涙が零れた。
その後、麒煉と章絢は、何度か子淡の部屋で語り合うことが出来た。
その三度目の時に、師君も立ち会い、麒煉から章絢に造士の説明がされた。
章絢はとても驚いたが、それと同時に、子淡の待遇の良さに納得した。
そして、急に子淡の存在を遠くに感じて、喪失感に襲われる。
だが、それに蓋をして、表面上は今まで通りを装った。
麒煉と章絢は会う毎に打ち解けて、兄弟と言うより友人のような気安い関係となっていった。
それに伴い、段段と麒煉の中で、章絢と一緒に冠礼の儀式を受けたいという気持ちが強くなっていく。
麒煉は先ず、そのことを父である皇帝に話した。
皇帝はそのことを大変喜び、師君にも相談して、その旨を朝議で諮った。
当然、劉太傅一派は渋い顔をした。
だが、麒煉と皇帝、師君の懸命な嘆願が叶い、劉太傅一派の反対意見を棄却させ、章絢も麒煉と一緒に冠礼の儀式を受けることとなった。