14.雌雄を決する
戦闘シーン、残虐な描写が若干出てきます。
鷹の姿が目に入った麒煉は、腕を差し出した。
鷹はその腕に止まり、口を開ける。
「行け!」
鷹から発せられた章絢の声に、麒煉は安堵し、皆に合図を送った。
麒煉の合図を受けた州軍の兵士達は、それぞれ火長の指示に従い、在所へと攻め込んで行く。
「お前達は、章絢と鄭県尉の補佐を頼む」
麒煉は、丹管と砦西の武官達には、そう指示した。
丹管は麒煉を一人にすることを渋ったが、章絢を心配する麒煉にほだされて、仕方なく従った。
一人になった麒煉は、少し離れた場所で待機し、全体を見渡していた。
−−陛下。
在所を見据える麒煉に、その場に現れた狗が話し掛ける。
−−飛燦国への手土産ですが、孫州司馬が発見し、無事に趙州牧の許へと運ばれました。
「そうか」
その時、在所から逃げて行く敵兵が目に入った麒煉は、狗に新たな指示を出す。
「奴らを追え」
−−はっ!
狗は彼らを追って、姿を消す。
暫くして、徐々に制圧されて行く様子を見遣った麒煉は、「そろそろ頃合いか」と呟き、丘を下りて行った。
在所に近づいた所で、討ち漏らした兵が逃げ出そうとしている所に出会した。
サッと、間合いを開き相手を観察した所で、ただの下っ端が恐れをなして逃げ出したわけではないと悟る。
「チッ。厄介な……」
顔を顰めて、麒煉は舌打ちする。
相手も嫌そうな顔をして、唾を吐き捨てた。
「ケッ。ツイテナイな。よりにもよって、物凄く面倒くさそうなのと出会すとは、な」
「ふん。それはこっちの台詞だ」
お互いに話しながらも、見合って、隙を窺う。
「ハッ!」
「ヤッ!」
−−カキーン。
剣を合わせ、弾き、また間合いを取る。
「チッ」
相手の舌打ちの後に、麒煉が問いかける。
「お前は飛燦国の者か?」
「だったらどうする?」
「出来たら、生け捕りにしたいところだ」
「はっ。捕まるわけがないだろ! テヤッ!」
−−キーン、カチャ、シュッ。
二人は、疾風迅雷のごとく剣を打ち合う。
「クソッ」
膠着状態となり、再び間合いを取った。
その時、麒煉の刃が相手の頬を擦り、少しだけ切れる。
だが、麒煉も袖を切られ、裂け目から腕が覗いていた。
お互いにこのまま長引くのを、よしとしなかった。
男が飛刀を投げるのと、麒煉が「狗!」と、叫ぶのは同時だった。
男の投げた飛刀が狗に当たり、狗が紙に戻って破れる。
飛刀は勢いを殺され、麒煉に当たることなく、地面に落ちた。
その光景を見ていた男は、目を見開き動揺するが、直に構え直し、次の麒煉の攻撃を受け止める。
「お前、方士か!?」
「さあな!」
「チッ!」
再び身を離し、間合いを取る。
ちなみに、方士とは、神仙の術を使う者のことである。
麒煉が懐に手を入れたのを見て、男は間合いを詰めながら剣を振り上げた。
「これで終わりだ!」
そう力強く言った男の声と、麒煉の呟きが重なる。
−−シュッ。
「フッ」
麒煉を正面から袈裟懸けに斬りつけた男は、人を切った感触がしなかった気もしたが、勝利を確信し、不敵に笑った。
ところが、次の瞬間、なぜか背後に気配を感じ、向きを変えようとした。
「なっ!?」
隙が出来た男よりも、麒煉の動きの方が早かった。
麒煉は、神速果敢に後ろから腕を回し、男の首を圧迫して意識を刈り取る。
そして、実体化した縄で男を縛って拘束した。
「これを使いたくはなかったが、生け捕るには仕方なかったよな……」
男に切られた紙を拾い上げながら、麒煉は肩を落とす。
力が拮抗し、殺す気でかかって来る相手に、剣だけで立ち向かって、峰打ちしようとするのは無謀というものである。
ズルと言われようが、手段は選んでいられない。
与えられた力は、有効活用するべき。
ただし、驕って乱用してはいけない。
というのが、麒煉の考え方だ。
麒煉は、洸に練習させていた、自分の肖像画を実体化させ、囮にしたのだった。
* * *
−−時間は少し遡る。
章絢は、麒煉に合図を送った後、懐に冊子を仕舞い、部屋から出ようとしていた。
その時、突如として掛けられた鄭県尉以外の者の声に、その場に緊張が走る。
だが、聞き覚えのある声と話の内容で、味方と分かり、強張りが解けた。
「李侍中。こちらから、抜けられます」
「黄御史! ここにいたのか!?」
「ええ。ずっと姜別駕に張り付いておりましたので」
「今の今まで、全く気配を感じなかったよ」
章絢はそう言って、苦笑した。
「まあ、存在感がないのが私の特技ですから」
「いや、そこは『気配を消すのが得意』って言うところだろう?」
黄御史の言葉に、章絢は思わず突っ込みを入れる。
「流石、李侍中。余裕ですね」
「おっと、敵中だった。黄御史相手だとついつい和んで、緊張感が霧散してしまう」
章絢の言い様に、黄御史は肩を竦める。
「さっ、鄭県尉が反応に困っているようなので、行きますよ。付いて来て下さい」
黄御史の案内のもと、章絢と姜別駕を担いだ鄭県尉が出口へと向かって進んで行く。
暫くすると、外の方が騒がしくなり、剣を打ち合う音や怒声などが聞こえて来た。
「来たか」
章絢は味方の到着に、口元を緩める。
それから、懐の冊子を触り、「戻れ!」と唱えると、鷹がその中へと消えて行った。
「うっ……」
「姜別駕が意識を取り戻しそうだ。そろそろ、猿轡を噛ませておいた方が良いかな。鄭県尉、頼む」
「はっ!」
鄭県尉は章絢の指示に従い、持っていた手巾で、意識が戻りかけている姜別駕に猿轡を噛ませた。
意識が戻った後は、舌を噛み切って自害するのを防ぐため、猿轡を噛ませるが、逆に意識が無い時にすると、気道を塞ぎ、窒息させてしまう危険性がある。
「ふが、ふご、むぐ、うご」
肩から下ろされた衝撃で完全に覚醒した姜別駕は、じたばたと足掻き出した。
「李侍中。もう一度、気絶させてもよろしいでしょうか?」
鄭県尉がそう言った途端に、姜別駕は大人しくなった。
その様子に、章絢は目を眇める。
「気絶させられるのは、余程、嫌と見える。それとも、俺が誰だか分かって大人しくなったか? フン。お前はもう逃げられない。大人しくしていることだ」
章絢の冷酷な目に射竦められ、姜別駕は顔色を失い、震え出した。
「行くぞ」
章絢の言葉に頷いた鄭県尉は、姜別駕を担ぎ直し、後に続く。
外が騒がしくなった為か、建物の中で敵と出会うことはなく、移動することが出来た。
出口に差し掛かった所で、丹管と砦西の武官達に合流した。
「ご無事で良かった」
章絢と鄭県尉の姿を見た武官達が、ホッと息を吐き、微笑む。
「お前達も無事で良かった。この通り、姜別駕は捕獲した」
鄭県尉はそう言って、部下達に担いでいる姜別駕を見せた。
「外はどんな様子だ?」
「圧倒的に我らの方が優勢です」
章絢の問いに、丹管が答えた。
外の様子を窺い、黄御史が言う。
「流石、国境の州軍ですね。ほぼ、制圧し終わったようです」
「そうか。李丞相の姿は見えるか?」
「こちらから見える範囲には、居られないようです」
「分かった。もう少し場が落ち着き、李丞相から指示があるまでは、ここで待機していよう」
「はっ!」
章絢達がその場で待機して暫くすると、麒煉の怒号が響き渡った。
「我が名は、李賢斗! この国の丞相である! 大人しく縛に就け! 逆らう者には容赦しない」
それを聞き、抵抗を止め、投降する敵兵が増える。
更に、まだ抵抗している者達に追い打ちとばかりに、章絢が出口から出て来て、声を張り上げた。
「姜別駕は捕らえた! 無駄な抵抗は止めろ!」
鄭県尉が皆に見せつけるように、姜別駕を掲げる。
それを見た敵兵達は、遂に投降した。
敵兵達は拘束され、亡くなった者も全て弓州の牢へと送られて行った。
麒煉は、敵兵が一人残らずいなくなった在所を、黄御史と丹管に残ってもらい、もう一度、隈無く調査させた。
そして、自身は、尋問部屋に入れた姜別駕と飛燦国の間諜と思われる男を、問い質していた。
椅子に縛り付けられて、棒で打たれても二人は抵抗し、男は口を噤み、姜別駕の方は、「自分は無実だ。嵌められたのだ」と喚き、中々尋問は進まなかった。
先に口を割ったのは、やはり姜別駕だった。
張県令から届けられた不正の証拠を突きつけられ、抵抗を諦めた。
男はそんな姜別駕を蔑んだような目で睨んでいた。
だが、麒煉が懐から取り出した一枚の絵を目にした途端に、男の顔色が変わった。
「これは誰だ?」
麒煉が見せたのは、男が気絶していた時に懐を漁って見つけたものであった。
「くっ」
男は、憎々し気に麒煉を射るように睨みながらも、奥歯を噛み締め、話そうとはしなかった。
その様子を傍で眺めていた章絢は、懐から洸が描いた母親の絵を一枚出し、男に見せつける。
「なぜ、お前がそれを!?」
男が持っていた絵に描かれていた女性と同一人物と思われる絵を見せられ、男は動揺を隠せなかった。
「この女性は、飛燦国の王女ではないか? お前は王女を捜すため、この国に潜入していた。違うか?」
その問いに、男は絵から目を逸らし、そのまま沈黙を守った。
「はぁ。しぶといな」
章絢は呆れて溜め息を零す。
「これ以上は話さぬか……。明日また来る。逃亡せぬように、厳重に見張れ!」
麒煉は、男に猿轡を噛ませ、見張りの武官達に命令した。
尋問部屋を後にした麒煉と章絢は、外に並べるように置かれた数十体の死体に目を向ける。
−−「士は己を知る者の為に死す」と言うが、姜別駕はそれに値する者では決してなかった。
彼らはきっと、それすらも知る機会がなく、推し量ることも出来ない、徳も学もない者達であったのだろう。
何と哀れな者達か……。
雑然と転がされるように並べられた、粗末な衣を纏った躯達に、麒煉は国の貧困、そして国主としての自身の無力さを思い知った。
あまりの情けなさと、無力感に苛まれた麒煉は、奥歯を噛み締める。
その様子を見守っていた章絢は、白くなる程握り締められ血が滴っていた麒煉の手を手巾で包み、その心中を慮るのであった。
※ 士爲知己者死(士は己を知る者の為に死す)……男子たるものは、自分の価値をわかって待遇してくれる人のためには、命をも投げ出して尽くす。
火長……兵士10人を一火として、その長のことをいう。