13.断じて敢行すれば鬼神もこれを避く
「やはり、無血では済まなかったか……」
聞き慣れた声が耳に入り、麒煉は目を開け、声のした方を見る。
「章絢!」
「遅くなった」
転がる躯に顔を顰めながら、章絢は麒煉に声を掛けた。
「いや、早い方だ。ここは制圧し、金商の者達は捕らえたが、姜別駕には逃げられた。今からヤツの私兵がいる在所へ向かう。一緒に来られるか?」
「もちろんだ」
麒煉の問いかけに、章絢は力強く頷く。
それに、麒煉も頷き返した。
孫州司馬に向き直った麒煉は、彼に指示を出す。
「孫州司馬。ここの何処かに、俺達が都から運んで来た飛燦国への手土産の織物と陶器がある。それは、こいつらの悪事の証拠にもなる品だから、見つけ出して、厳重に管理してもらいたい」
「畏まりました」
「頼んだぞ」
「はっ!」
「では、直に出発する。孫州司馬。二分の一は連れて行っても構わないか?」
「もちろんです。どうぞ、お連れ下さい」
「よし。羅隊正の隊の者は付いて来い!」
麒煉は声を張り上げ、号令を掛けた。
それに従う武官や兵士達が、声を張り上げ返事をする。
「はっ!」
「鄭県尉。我々も行くぞ!」
「はっ!」
一緒に砦西から来た武官達に呼び掛けた章絢は、その返事を聞き、凛々しい表情で麒煉の後に続いた。
麒煉達は、姜別駕の私兵の在所から少し離れた丘まで辿り着き、そこから様子を窺っていた。
敷地は結構な広さがあり、私兵の人数は、予想以上に多くいるようだった。
「『桃李言わざれども、下自ら蹊を成す』という。姜別駕は、本当はこの国を裏切ってはおらず、国のことを考えて、飛燦国と遣り取りしていたのではないか?」
麒煉はずっと燻っていた思いを、章絢に話した。
「それは違うぞ。張県令に不正の証拠を見せてもらったが、ヤツがこの国のことを考えているようにはとても思えなかった。『小人は利に喩る』という。彼奴らは甘い汁を吸いに群がる虫と一緒だ。姜別駕も所詮、飛燦国という甘い汁に群がる虫の中の一匹に過ぎない。おっと、虫に失礼かもな」
章絢は吐き捨てるように、そう言った。
それを聞いた麒煉の顔から、迷いが消える。
「そうか。少し気が晴れた。とは言え姜別駕は大事な証人でもあるから、出来れば生け捕りにしたいが、これだけの兵が居ると厳しいかもしれないな」
「随分弱気だな。これ以上逃げられると、飛燦国へでも行かれて、ゆくゆく捲土重来ということになるかもしれない。そうなると厄介だから、この際、生死にはこだわらない方が良い。とりあえず、ここを壊滅させて、一敗地に塗れさせることを考えよう」
「そう、だな。何か良案があるのか?」
章絢の苛烈な発言に、麒煉は肯定の言葉を発しながらも、表情は難色を示していた。
「うーん」
章絢は、そんな様子の麒煉が納得しそうな案が中々浮かばなかった。
「恐れながら、申し上げても宜しいでしょうか?」
二人の遣り取りを横で窺っていた鄭県尉が、おずおずと口を挟む。
それに二人は、「ああ」と言って、許可を出した。
「では。不肖の身ながら、姜別駕を生け捕りになさりたいのでしたら、兵と姜別駕を分けるようになされば宜しいかと愚考いたしました」
「どうやって?」
麒煉は鄭県尉の案に食い付き、即座に詳細を尋ねた。
「姜別駕は恐らく、この在所の一番奥にいるものと思われます」
「まあ、そうだろうな」
「ならば、敵に気付かれないように潜入して、姜別駕を捕らえ、それから全体を攻撃すれば、被害も最小限で抑えられるのではないでしょうか?」
「そうだな。だが、気付かれずにどうやって潜入する?」
麒煉と鄭県尉の遣り取りに、章絢が口を挟む。
「李丞相。潜入は、俺と鄭県尉に任せてはもらえないだろうか?」
「何を言っている!? 二人だけでは無理だ」
麒煉は章絢の申し出に驚き、直に却下した。
だが、章絢はそれでも引き下がることはなかった。
「大丈夫。鄭県尉は、一人で百人分程の力は持っているし、俺の能力は分かっているだろう? それに、少ない方が見つかる心配も減る」
章絢の己の力を過信した自惚れとも取れる言葉を聞き、麒煉は暫し黙考する。
「はぁ。お前が鄭県尉を信頼に値する者だと見込んだのなら、お前に任せよう」
だが、結局、章絢が言い出したら聞かないことを知っていた麒煉は、諦めたようにそう言った。
「ああ。必ず、姜別駕を捕獲する」
「ならば、二人からの合図を確認次第、攻め込むことにする。だが、敵の動きがおかしかったり、一時経っても合図がなかったりした場合は動く。いいな?」
麒煉は念を押すように二人に言った。
「はっ!」と、二人は真摯に答える。
「気をつけて行って来い。合図を待っている」
「ああ。では行ってくる。鄭県尉!」
「はっ!」
身を翻し、素早く丘を駆け下りる二人の姿を、麒煉は心配そうに見つめていた。
「やはり、入り組んでいるな」
「そうでございますね」
在所に潜入した章絢と鄭県尉は、気配を消し、陰に身を潜めながら、奥の方へと進んでいた。
途中、何度か敵に見つかりそうになった。
だが、その度、相手が声を上げる前に、鄭県尉が気絶させ、目に付かない所へ移動していた。
そんなことを繰り返しながら、やっと一番奥の部屋に辿り着くと、中から苛立った声が聞こえて来た。
章絢は、鄭県尉に静かにしているように目配せして、戸に耳をあてる。
耳を澄ませると、飛燦国へと逃げる算段をしているようだった。
「どうやら、ここみたいだな」
「ええ」
小声で話す章絢に、鄭県尉も小声で返す。
「では、行きますか。鄭県尉、準備はいいか?」
「はい」
鄭県尉はそう言って、懐に隠し持っていた縄をちらっと見せる。
章絢はそれに頷き、戸を開けた。
「!」
いきなり中に入って来た章絢と鄭県尉に驚いた姜別駕は、目を見開き固まった。
それから、入って来た相手の顔を見て、表情が喜色満面に変わる。
二人を見て、姜別駕が最初に発した言葉に、今度は章絢が驚いた。
「鄭県尉! 助けに来てくれたのか! これはなんと心強い」
−−おっと。これはまさか、絶体絶命か!?
章絢の顔からは、冷や汗が吹き出し、流れ落ちていった。
* * *
−−その頃、丘の上で待機していた麒煉は、在所の方へと目を向けながら、でかい図体でウロウロしていた。
部下達は、そんな上司を内心では鬱陶しく思っていたかもしれないが、もちろん表面に出すことはない。
「二人は大丈夫だろうか?」
「鄭県尉は本当に強いので、ご心配には及びませんよ」
落ち着かない様子の麒煉の問いに、砦西の武官は冷静沈着に答えた。
「そうか……」
−−だが、もし、鄭県尉が姜別駕と繋がっていて、奴らに左袒(味方)したならば、どうする?
章絢一人では、四面楚歌ではないか……。
「やはり、俺も行く」
そう言った麒煉を火羽が諌める。
「李丞相。それではこちらの指揮は誰が執るのですか?」
「それは、そなたでも良いだろう?」
麒煉にしてみたら、「州軍の一隊を取り仕切っている火羽ならば」と、彼を買って言ったことだった。
「いいえ。何を仰っておられるのですか? 私には、恐れ多いことでございます。ここは、二人を信じて、合図を待ちましょう」
処罰も恐れず、真剣にそう言った火羽に、鹿を指して馬と為すようなことは出来ず、麒煉は時間を短くすることで妥協した。
「……分かった。なれば、一時ではなく半時だけ待とう」
−−章絢。頼む、無事でいてくれ。
* * *
「その者は、鄭県尉の部下ですかな?」
章絢の方を示して言った姜別駕の言葉に、鄭県尉は眉根を寄せる。
「姜別駕。ご無沙汰しております」
「ああ」
「こんな形で再会することになるとは、とても残念でなりません。まさか、飛燦国と繋がっておられたとは……。そんなヤツに一時でも従っていた自分も許せません。ですから、貴方を捕らえることで、汚名を雪がせていただきます!」
「何だと!」
鄭県尉は電光石火の勢いで、姜別駕と周りにいた敵兵二人を気絶させ、縄をかけた。
「貴方がなぜ、私を味方だと思ったのか、理解に苦しみます」
意識を失った姜別駕に、鄭県尉は吐き捨てるように言った。
きっと、州軍に追われた姜別駕は、窮地に追い込まれ、正常な判断力をなくしていたのだろう。
そこに現れた鄭県尉に、一筋の光明を見出したのも、仕方のないことなのかもしれない。
「流石、鄭県尉。その右に出ずる者なしだな。だが、まだ敵中だ。油断するな」
一瞬でも鄭県尉を疑ってしまったことを恥じながらも、章絢はそう言って、汗を拭い、息を吐く。
「はっ!」
章絢の言葉に、生真面目な鄭県尉は更に気を引き締めた。
「姜別駕!」
「一体、これは!?」
「どうした?」
二人は、立ち去ろうとしていた所で、異変に気付いてやって来た敵兵達に見つかった。
「おっと、見つかったか。鄭県尉。姜別駕を連れて、少し下がっていてくれ」
「はっ!」
章絢は懐から冊子を出し、開いた紙面をなぞって、叫ぶ。
「縛れ!」
すると、冊子から飛び出した鎖が、敵兵達を一纏めに縛り上げた。
「うわっ!?」
声を上げられたのは一瞬で、鎖に強く締められた兵達は気を失った。
「李侍中! これは?」
「鄭県尉。このことは、他言無用だ。まぁ、言ったところで誰も信じないとは思うが、な」
そう言って、章絢は片目を瞑った。
鄭県尉の頭は混乱していた。
だが、「では、合図を送るぞ」との章絢の言葉で、ハッと我に返り、力のことを考えるのを止めた。
そして、頷き、合図を送るように促す。
章絢はまた別の紙面を開き、指でなぞって「行け!」と発した。
すると、紙面から一羽の鷹が飛び出して行った。
※ 「斷而敢行、鬼神避之」……断固とした決意をもって敢行すれば、何ものもそれを妨げることはできず、必ず成功することのたとえ。
「桃李不言、下自成蹊」……徳のある立派な人のもとには、特別なことをしなくても、自然と人が慕い集まることのたとえ。
捲土重来……一度敗北した者が態勢を立て直し、再び勢力を盛り返し攻めて来ること。
一敗地に塗れる……二度と立ち上がれないほど大敗すること。
四面楚歌……周囲がすべて敵や反対者で、孤立し、助けや味方がいない状態のこと。孤立無援。
鹿を指して馬と為す……自分の権勢をよいことに、理屈に合わないことを無理に押し通すことのたとえ。
右に出ずる者なし……その人以上に優れた人がいないこと。
隊正……兵士50人を隊とし、その長のことをいう。




