12.飛竜雲に乗る
戦闘シーン、残虐な描写が若干出てきます。
−−その頃、砦西の庁舎を訪れた章絢は、県令の執務室で聲卓と向かい合っていた。
「李侍中がこちらに来て下さって、助かりました。ご報告したいことは山程あったのですが、書簡では憚られることばかりでしたし、今はここを離れられない状況でしたので」
聲卓は、ホッとした様子で章絢に語りかけた。
「そうか。だが、差し障りのない書簡の一つ位、送ってくれても良かったんじゃないか? 麒煉もやきもきしていたよ」
章絢は、少し非難するような口調で言う。
それに謝辞を述べて、聲卓は章絢へと顔を寄せ、小声で話す。
「それは申し訳ありません。実はそちらの方は、姜別駕の協力者を炙り出すためにも利用していましたので、李侍中までは届くことはなかったのでしょう」
聲卓に合わせて、章絢も小声になる。
「やはり、そうだったのか。それでは、こちらから送った書簡は届いていたのか?」
「全てが届いていたかは分かりかねますが、幾つかは届いておりました」
「では、人員や資材の方は?」
「実は、それを姜別駕が強奪し飛燦国への貢物にしようと企んでいるとの、密告がありまして……。姜別駕の手の者を捕らえるのに、そちらの方も利用させていただきました。ですが、まだ完全には炙り出せなかったので、念のため奪われないように、ある場所に隠しております」
章絢は感心した様子で、「ほう」と口から零した。
「姜別駕と潜入している飛燦国の者、それと繋がっている者を捕らえることが出来ましたら、工事の方も本格的に進めるつもりでおります」
「ということは、捕らえる目処がついているのか?」
聲卓の言葉に章絢の期待は高まる。
「はい。証拠が手に入りましたので。それと、こちらは、姜別駕と通じていた者の名簿です。丸印が着いている者は、既に捕らえた者で、その丸が黒く塗り潰されている者は処分した者です」
そう言って、聲卓は章絢に書類を手渡した。
「結構いたな。よくこれだけ見つけて、捕まえたものだ」
章絢は、目を輝かせて、名前を見て行く。
その名前の中に羅文を見つけ、目を見開いた。
「まさか!? 揚県丞も、か?」
思わず、声が大きくなった章絢に咎めるような視線を送って、聲卓は小声で答える。
「彼は、姜別駕が砦西の県令をしていた時からの県丞ですから、関わっていない方がおかしいです」
「まぁ、そう言われるとそうだな」
章絢は肩を竦め、声量を抑えた。
「ただ、彼は、今回は囮のようなもので、今は牢に入っていますが、処分する気はありません」
「どういうことだ?」
眉根を寄せて章絢は、聲卓に詰め寄る。
「彼を助けにか、口を封じにか、潜んで来た者達を捕らえております」
厳つい顔の章絢に怯むことなく、聲卓は飄々と答えた。
それに、章絢は皮肉とも取れる言葉を紡ぐ。
「それは役に立つ囮だな」
その言葉に、聲卓は軽く肩を竦める。
「ええ。それと、実は資材の件を密告して来たのは、彼なんですよ。他にも彼は、姜別駕の横領や飛燦国との遣り取りの証拠を握っていて、私と取引したんです」
「姜別駕を裏切ったのか?」
章絢の片眉が上がる。
「いえ。そもそも彼は、姜別駕の仲間というわけではなかったそうです。姜別駕の不正を知っていて、それを正すことが出来るようにずっと機会を伺いつつ、姜別駕にはそれを悟られないように、上手いこと味方の振りをしていたということです」
「ふーん。随分な役者だったんだな。口中の虱だっただろうに、姜別駕に噛み潰されなかったのだから」
章絢は腕を組み、思案しながらそう言った。
「まあ、そうですね。彼には彼なりのやり方で、自分の身と義を守っていたんです。私も都から戻り、調査していて矛盾に気付いたので、それまで隠していた彼は相当なものですよ。処分するのはもったいないです」
「そこまで買っているなら、処分する必要はないとは思うが……。実は、今回、陛下も李丞相として来ているんだ。今は弓州の庁舎にいるが、後ほどこちらに来ることになっている。その時に、なんと言われるか……」
「そうですか」
「張県令。そう言うわけだから、陛下とお会いしたら、李丞相として対応するように。陛下と李丞相が同一人物だと知っているのは、限られたごく一部の者達だけだ。決して他言せぬように」
「畏まりました」
聲卓は神妙に頷いた。
−−トントン。
それから、今後の動きについてどうするのが最善か、相談していたところで、戸が叩かれた。
「どうした?」
聲卓の問いに、戸の向こう側から逆に問われる。
「張県令。こちらに李侍中はいらっしゃいますか?」
「ああ」
「弓州の方から、使いが来ております」
聲卓の返答に、やっと用件が話された。
「通せ」
章絢の許可を受けて、二十代と思われるがっしりした体格の男が入室した。
「失礼いたします。弓州武官の羅炎羽と申します。恐れ入りますが、李侍中で間違いないでしょうか?」
「ああ」と言って首肯し、章絢は印綬を見せた。
「恐縮です。李丞相より書簡を預かっております。どうぞご確認下さい」
そう言って、炎羽は章絢に書簡を手渡した。
章絢は受け取り、目を通す。
「張県令。少し兵を借りられないだろうか? 李丞相が州軍を率いて、姜別駕を捕縛するため、金繁商会へ乗り込んで行くようだ。合流するように指示が書かれている」
「分かりました。こちらも手薄には出来ませんので、あまり出せませんが、県尉と数名お貸ししましょう。お急ぎでしょうから、このまま県尉のところまでご案内します」
章絢の要望に、少し困りながらも聲卓はそう答えた。
それに安堵し、章絢は、「ああ。頼む」と言った。
聲卓に訓練場まで案内された章絢と炎羽は、早速、県尉と引き会わされた。
「鄭県尉。こちら、李侍中と弓州の羅武官だ。今から、李侍中の指示に従って、金商の方へ行ってもらいたい」
「承りました」
「だが、牢の方は、このまま厳重に見張りを置いておいてもらいたい。それ以外で、離れても支障のない武官と兵士を数名伴って行ってくれ」
「はっ!」
「鄭県尉。よろしく頼むよ」
章絢の挨拶に、鄭県尉は「畏まりました」と、頷いた。
「そうだ。金商に行く前に、都から荷を運んで来た、官吏達を捕縛してくれ。逆らう者は、切っても構わぬが、従う者はあまり手荒にしないでもらいたい」
「はっ!」
章絢の命を受けた、鄭県尉は凄まじい早さで、抵抗しようとした武官達を気絶させ、大人しく従った文官達を縛り、部下達に牢へ連れて行くよう指示した。
「すごいな。流石、国境の地を守る武官の長だ」
感心する章絢に、思わず頬が緩み、聲卓の口が軽くなる。
「ええ。鄭県尉がいれば、百人分位の働きはしてくれますので」
「そうか。それは心強い。……張県令。もう一つ頼みがある」
「なんでございましょう?」
「実は、…………——−−」
「そうですか。承りました」
章絢の願いを聞いた聲卓は、笑みが深くなった表情で快諾した。
「よろしく頼む。では、行こうか」
「はっ!」
章絢は、鄭県尉と炎羽、他五名の武官と兵士を従えて、金商へ向けて高速で馬を駆けさせた。
* * *
州軍を従えた麒煉は、一足先に金商の一里前まで来ていた。
「あそこが金商か。でかいな」
「李丞相。ご準備はよろしいですか?」
州司馬は、最終確認をする。
「ああ。それでは行くか」
麒煉はそれに笑顔で答えた。
そして、挑戦的な目で金商を見据えながら、号令を掛けた。
「皆の者、後に続け!」
「おおー!」
州司馬は門番を一瞬のうちに捕縛し、「鼠一匹、逃すな!」と、部下達に指示を出す。
それに従い、兵達は速やかに金商を取り囲み、麒煉、州司馬と、精鋭の者達三十名程が、中へと押し入った。
「姜別駕! ここにいることは分かっている! 大人しく縛に就くが良い!」
麒煉が声を張り上げる。
それを聞いた、質の良い高級な衣服と宝飾品を身に纏った小太りの男が、護衛らしき男達を従えて奥から出て来た。
「これはどうしたことでしょう? あまりに横暴ではございませんか?」
姜別駕ではないが、偉そうな男の態度に、麒煉は男の身分を判断し声を掛ける。
「お前はここの支配人か?」
「そうです」
「大人しくしていれば、手荒にはしない。逃げたり、抗ったりすれば、容赦無く切る!」
「そんな!」
「言い訳は後ほど聞く! 女子供も縛って連れて来い!」
麒煉の命を受けて、武官達は剣を携え、立ち向かって行く。
「李丞相! 姜別駕がいました!」
一人の武官が、麒煉に向かって声高らかに叫ぶ。
「俺に構わず、捕らえろ!」
麒煉は、手向かって来た姜別駕の私兵らしき男と応戦していた。
剣ではなく、双鈎を使う相手に少し手子摺り、奥歯を噛み締める。
そこに、州軍の武官が男を背後から一閃に切り付け、決着が付いた。
「助かった」
麒煉はそう一言声を掛け、姜別駕の向かったと思われる方へ走る。
裏道に出たところで、先に来ていた州司馬に頭を下げられた。
「申し訳ありません。取り逃がしました」
「追っ手は?」
「はっ。数名追わせておりますので、すぐに居所は割れるでしょう」
「ならば、戻って来るまでに、ここの片付けを済ませよう」
「はっ!」
「これで全員か?」
「はい……」
前庭に集められた捕縛者達を、睨み付けるように見渡した麒煉の問いかけに、支配人は力なく答える。
「嘘をつくと、身のためにならんぞ」
「本当です! 逃げたのは、姜別駕とその部下達だけで、ここの者達はこれで全てです」
恐怖で青ざめた支配人の顔色を見て、麒煉は納得する。
「そうか」
「李丞相! どうやら、姜別駕は私兵達の在所の方へ逃げたようです」
部下からの報告を受けた州司馬が、麒煉に伝えた。
「俺は姜別駕を追う。ここは孫州司馬に任せてもいいか?」
「はっ!」
「捕縛した者は全員、牢に入れておけ。亡くなった者は、検視官に見せた後、家族に引き渡せ。身内がいない者は、集団墓地へ丁重に葬ってやるが良い」
「畏まりました」
金商の関係者は、殆どが抵抗することなく、縛に付いた。
だが、姜別駕を逃がす為に、彼を守って命を落とした者達の亡骸は、幾許か転がっていた。
麒煉は命の儚さに、何とも言えない気持ちになり、瞑目する。
−−姜別駕は、お前達が命を懸けてまで守るような男なのか?
麒煉の心の声に答えるものは、誰もいなかった。
※ 飛竜雲に乗る……賢者や英雄が時に乗じて勢いを得て、才能を発揮することのたとえ。
口中の虱……容易く噛み潰されることから、きわめて危険であることのたとえ。