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1.中書令 柳公蘭

 その日は春の盛り。漂う大気に暑さと湿りを感じる、初夏とも思えるような陽気であった。木々を覆う葉は色濃く盛り上がり陽の光を反射し、花々はところかしこに咲き乱れ目にも眩しい。


 ここ、昇龍殿の大広間では、毎日恒例の朝議が執り行われていた。


 奥の中央には湖国ここく三代皇帝・ちょう英龍えいりゅうが鎮座している。御前の一段低い空間には紫袍しほうを身にまとう上級官吏が中央にある道を挟み二手に分かれて向かい合い、立ち並んでいる。その中には枢密院すうみついんの長官である枢密使すうみつしよう玄徳げんとくと、その副官、枢密副使すうみつふくし侑生ゆうせいの姿もある。


 ただでさえこのような陽気であるのに、居並ぶ面々によって濃密さを増した朝議の場の空気はひどく重い。だがそのようなことはこの場の誰にとってもすでに日常でしかない。


 大広間では、ひと月前に後宮で生じたおう美人びじんの事件について、今、玄徳げんとくが報告を終えようとしているところであった。


「……王美人の御遺体は皇帝陛下の命によって王家へと返還されることとなっていましたが、三日前に無事到着したとの知らせを、昨日、早文にて受けております。王家のほうではこのたびの陛下のご配慮に感無量であったとのことで、娘御の自害をもっても皇家に反抗する気概は見られないようです。また、王美人の側近の女官は全て後宮を退去し、実家に戻る、または寺に入ったことが確認できております。後宮においてはこのたびの騒ぎは幸いなことに表立つこともなく、現在においても特段影響はない模様です。……以上をもちまして、このたびの騒動については終焉したものとみなしたく存じます」


 玄徳が口を閉じると、一人豪奢な椅子に座る英龍が無言でうなずいた。


 皇帝による最終判決が出たものとみなし、居並ぶ官吏たちも言葉を発することなく仕草のみで同調の意を示し出す。


 すると、玄徳に向かい合うようにして立つ一人の女性が動いた。


「これで終焉とは都合がよすぎではありませんか。よう枢密使すうみつし


 この齢五十近い女性こそ、湖国の最高機関である二府の一つ、文官を束ねる中書省ちゅうしょしょうの長官、中書令ちゅうしょれいに就くりゅう公蘭こうらんである。


 公蘭こうらんは前皇帝の時代における『天子門正』としても名高い、現在の湖国最高位にある女官吏である。そのため、中書令の権威を考慮しなくても、現皇帝の御世においても、彼女の発言は十分すぎる重みをもっていた。


 公蘭の厳格な声音は居並ぶ官吏に一石を投じた。公蘭が立つ側、中書省所属の官吏から同調する声が聞こえだし、波紋のようにゆっくりと広がっていく。対する玄徳が立つ側、枢密院所属の官吏からは動揺するようなざわめきがそっと、だが確かに湧き上がりつつある。向かい合う二組の官吏による集団は、まさにこの国の政治の縮図、二府の対立を表していた。


 しかし玄徳は表情を変えることなく、姿勢を正すと公蘭に向き直った。


りゅう中書令。それはどういう意味でしょうか」

「あなたのおっしゃったことは結末のみでしょう。なぜこのようなことが起こったのか考察し、二度と同じ災厄を生じさせないことこそ最も重要なことではないですか」


 公蘭の描かれた細い眉がきっとひそめられた。年齢相応にやや濁りがかかった瞳は、その分、長い時をかけて研磨された鋭さを隠すことはない。


「たとえば、王美人がこのようなことを起こされたのは、陛下がこれまで後宮を顧みてこられなかったからでしょう。違いますか?」


 ざわめきがひときわ大きくなった。


 家臣の身でありながら皇帝にここまで強く意見を述べることができる者は数少ない。


 英龍の隣に控える黒衣の青年、英龍の異母弟であり後宮を管理するちょう龍崇りゅうすうが一歩進み出で、「それは私の咎である」と述べたが、皇族の謝罪ですら公蘭は気にとめない。


「それになぜ王美人を自害させるようなことになったのですか? たった三人しかおらぬ妃の一人を亡くすなど、事の重大性をお分かりですか? 枢密院は策を誤ったのではないですか。聞けば、経験の浅いただ一人の武官に任せていたとか。此度のことはそのように軽いものではなかったはずでは?」


 侑生が歩みでようとするのを、玄徳がその手に持つ扇で制した。


「柳中書令。あなたがおっしゃることこそ結果論ではありませんか? 少なくとも我々は法に則り最善の策をとりました。今回の件を受け、枢密院では後宮への武官の配置も含めて改法の観点から検討していく所存です。その際には中書省の方々にも忌憚ないご意見を伺いたいと思っております。よろしくお願いいたします」


 公蘭が少し思案しながらもさらに口を開こうとした、その時。


 奥に坐する英龍が先に動いた。


「余も楊枢密使の言うとおりであると思う。これ以上事を大きくすれば王美人の生家、王家に何かしら影響するおそれもある。王家の支配が強い海南省を現状からして刺激したくはない。よってこの件はこれにて終焉とする」


 皇帝の言葉を受け公蘭はやや逡巡したが、両手を顔の前で組むと無言で拝した。


 最大の難関である柳中書令の攻略ができ、侑生がほっと肩の力を抜いた。その仕草に玄徳が横目でちらりと侑生を見やる。「まだ終わっていない」という指摘に侑生は慌てて姿勢を正した。

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