第一話 <頼りない月>
朝陽の光はどこでも清々しい。
夜を徹した後ですら、怨めしい闇を払い除ける陽の光は、無垢でありキラキラと輝いていて気持ちを晴れやかにするものである。
陽の光だけではない。
早朝には、目を覚ましたばかりの小鳥のさえずり、生物がごそごそとネグラから出てくる騒々しい予感がする。
朝陽に清められた深い闇から表れたのは、穴だらけで粗末な農作業小屋と、その隣にある大きな薪の山であった。
薪は同じような大きさで割られ、整然と並べられて人の背くらいの山を作り、筵がかけられている。
光に照らされたその山のような薪の一つがポトリと地面に落ちると、青い瞳が覗いた。
「よし、何とか逃げきったぞ!」
若い男の圧し殺したような声がした。
次いで、「だったらここからすぐにでも出ましょう」と若い女の声がする。
そして、薪の山の上にかけられている筵がもぞもぞと動くと、青年と同い年くらいの若い女が現れた。
二人とも金髪碧眼で、男の方は緑色のチュニックに黒い麻のズボン、手には長剣を握っていた。
もう一人、女の方は白いカチューシャに深い藍色のドレス、汚れた白いエプロンをかけた給仕の格好をしていて、手には書簡を握っている。
金色の細くて長い眉とほつれた長い金髪は、強い朝陽に照らされて白金色に輝いていていた。
若い女は薪の山から出て、そこに置いてあった矢筒を肩にかけ、弓を手に取ると、男の方に背負い袋を付き出しながら、
「生き延びたはいいけど、これからどうするの?」
と、たずねた。
男は、剣を下ろさずに辺りを警戒して首を回し周囲をキョロキョロしながらも、女に渡された袋の紐に腕を通して、
「エリーゼ様に報せないと…」
と、答えた。
給仕の格好の女は、筵を元通り丁寧に薪の山にかぶせながら首を横に振る。
「ダメよ」
「何故さ、ミツカイ様だぞ?」
「よく考えて。エリーゼ様はよくても、その周りがダメかも知れないじゃないの」
女の言葉に、男はうつむいた。
そして「うーん」とうなると、
「じゃ、どうするのさ?」
とたずねた。
「信頼できる人を頼るわ!」
そう言うと、女はドレスの裾を捲り上げ、農作業小屋の前を通る道とは反対側の、森の方へと踏み出した。
「おいジュリア、待てよ!」
男は慌てて追いかけた。
ジュリアと呼ばれた給仕の女は、それに振り返る事もなく、ズンズン進んで行った。
朝日は高く昇っていった。
小屋に農夫がおとずれ、中の道具を持って出て行こうとした。
その時、にわかに馬蹄の音が響き、高らかに馬がいななく。
農夫は何事かと小屋の外をのぞいて手に持った鎌をポトリと落とした。
「この小屋に誰かいるか?!」
馬上の騎兵がそうたずねた。
夏も近いというこの暑さにも関わらずきっちりと銀色の鎧を着込み、暗い紫色のマントを羽織っている。
頭にかぶっているのは、馬の鬣のように中央に長い緑色の毛の生えた銀色の兜である。
そんな騎兵が十騎ほど並んでいたのだ。
「…だ…だれも…」
農夫はしどろもどろに答えた。
騎兵は機嫌が悪そうに恫喝する。
「隠すと為にならんぞ?!」
「め…めめ滅相もない!」
「ならばソコをどけ!」
騎兵はそう叫ぶと鐙近くにかけてあった槍を取り出した。
「ひぃ!おたすけー!」
農夫は腰を抜かしながらも小屋から飛び出し、畑の方へ走って逃げる。
農夫が怯えるのも無理はない。
彼らは黒蝶騎士団と名乗る騎兵隊である。
黒蝶騎士団は、ポード国を滅ぼした大戦以降に組織された騎兵隊で、その大戦の頃は子供であったであろう若者を中心に組織されている。
その大戦以降、十年以上大きな戦争は起きていない。
黒蝶の主たる任務は警らである。とはいえ、元々の警備隊は既に兵士達が勤めている為に、何をするという訳ではない。
手柄になりそうな事件や事故に首を突っ込んでは乱暴狼藉を繰り返し、この辺りの人々に悪評が広まっていたのだった。
「カクラム、これを見ろよ!」
馬に槍乗ったまま、槍で薪の山をつついていた騎兵がそう声を上げると、黒毛の馬に乗った男が騎馬のまま近付いた。
カクラムと呼ばれたその端正な顔立ちの男は、騎馬のまま崩れた薪の山を覗き込む。
そこには人が二人隠れるに十分な大きさの空洞があり、中には干し肉の欠片や折れた弓矢、よれよれになった手拭いが落ちていた。
「ここに隠れていたのか…」
舌打ちと共にそうつぶやいた騎兵の男、カクラムは腹いせに槍を薪の山に突き刺した。
ガラガラと崩れ落ちる木切れから槍を引き抜いて、
「ここの農夫を、あのオヤジを捕らえるぞ!」
と不機嫌に叫んだ。
それで三騎ほどが馬首を返し、畑の方へ馬を駆る。
「みっちり拷問してやる…」
カクラムは端正な顔を歪め、唇を噛み締めた。
港町セゲロには立派な屋敷がある。
高い壁と深い堀に囲まれ、塔のような物見台がいくつかあり、城と見まごうばかりのその屋敷には、ジャコブというフラン軍第七師団の長が住んでいる。
その城の南を通る大通りを西へ少し行ったところに、この町の中央広場がある。
中央広場は地方裁判所や議事堂、兵士の待機所、兵器の開発所、市場、駅など、政治経済の中枢となるものが集合している。
その広場の噴水前に、中年の男が十字架にかけられ、晒されていた。
十字架の男は全裸で、脚や腕にひどい怪我をしており、指は原型を留めていない。
その十字架の後ろに設置された一段高い舞台の上へ、銀色の鎧に暗い紫色のマントの男が上る。
緑色の鬣のついた兜を小脇に抱え、ベルトに銀色に輝く長剣を吊るしている。
「この男は農夫でありながら、悪人の男女一組を自分の農作業小屋へかくまった!」
壇上の男はそう叫んで端正な顔を歪めた。
その時、
ガランゴロン
と広場に時を告げる鐘が鳴り響く。
最初の一回は捨て鐘である。
鐘の音を試す為の鐘だ。
これから暫く間を置いて、本当の時を告げる鐘が鳴る。
「待って!」
農夫の十字架の前に、観衆を掻き分けて一人の少女が飛び出て来た。
年の頃は十歳を越えたばかりだろうか。
前を紐締めした緑色のコルセを着て頭には白いスカーフを巻いている。
「パパは…父は無実です!ただ毎日麦の世話をしていた父が悪い人をかくまうなんて…!」
必死に訴える少女を見た壇上の騎士は、端正な顔をさらに歪めて糾弾する。
「その父親の農作業小屋から逃亡者が隠れていた形跡が見つかったのだ!この者でなければ、お前がかくまったのか!」
「そんな…私は何も…」
絶句する少女に黒蝶の騎士は、
「捕らえろ!こいつも同罪だ!」
と叫んだ。
すると紫色のマントの騎士達がすぐに周りを取り囲み、逃げようとする少女を取り押さえた。
「よし、処刑しろ!」
壇上の騎士がそう号令すると同時に、
ガランゴロン
と鐘が鳴る。
三度続けて鳴り響くその鐘は、悲しい少女の叫びと悲鳴を掻き消して、父親の断末魔をも飲み込んだ。
「黒蝶の連中も、こうやって狩ってやりたいわ…」
若い女は、だらんと身体を垂らした兎の耳を握って、火を起こしている青年に突き出した。
「いい獲物だ!」
青年は嬉しそうに兎を受け取り、皮を剥ぐ。
「でも、火を出して奴等に居場所がバレないかしら?」
青年は荷物から鍋を出しながら、若い女がたずねた。
「道沿いに逃げると思ってるようなバカだぞ?夜の森の中から出る煙なんて、気にも留めないだろうさ」
兎をナイフで捌きながら、青年が答えた。
「だからって、こっちもバカに付き合う道理はないでしょ」
女は呆れて言った。
それで青年は肉を捌く手を止め、微笑んで女を見つめた。
「ジュリア、大丈夫さ。僕らはきっとエリーゼ様の元へたどり着ける。この森はセゲロから十分に離れているし、何より、あの夜よりも楽勝だろ?」
青年とジュリアという若い女は兄妹である。
このフラン国の東側、湖の畔にある村で生まれ育った。
そこでの幸せな生活は、兄のセナが十一歳、妹のジュリアが八歳の時に、山賊の一軍に襲われて壊されてしまう。
何百という山賊達が村に押し寄せ、村人を皆殺しにしたのだ。
兄妹は身を隠しながら命からがら逃げ延び、フラン軍に拾われ今の生がある。
青年は、その時に比べればこんな逃亡劇など訳もないと言っているのだ。
悲しみとも微笑みともつかない顔で、妹のジュリアは、
「そうね…」
とうなずいてため息をついた。
生い茂る森の木々の間から垣間見える夜空は真っ黒であった。
ちょうど星のない隙間なのか、薄ぼんやりと光る爪の先のような形の月のせいなのかは分からない。
頼りないオレンジ色の炎で炙った兎の肉を頬張り、内臓と香草だけを煮たスープをすすって腹を満たした兄妹は、そのまま木の幹に背中を預けて眠りについた。
パチパチと音を立てている炎が、暗闇の中で兄妹を見守っているようであった。
どれくらい眠っただろう。
夏が近いといえども夜中の森の中は冷える。
しんしんと冷たい風が身体を包み込んでいるような気がして、ジュリアは寝返りをうちながら身を丸めた。
足元にある焚き火が消えているのではないか。
不安にかられ、重たい瞼を開いた。
そこは全てに闇の天幕をかけたような世界であった。
ぼんやりと頼りなく光る三日月が、かろうじて目の役割を残している。
足元にあるはずの火はパチパチという音もたてず、オレンジ色の光も発していない。
動物の声や虫の音もなく、ただ静寂の暗闇があるだけであった。
ジュリアは、氷を押し付けられたような寒さにブルッと身震いして上半身を起こした。
眠る時に胸に抱いていた短剣がスカートの上に音もなく落ちる。
少し離れた隣の木の幹に背中を預けて寝ていた兄セナは、立ち上がって鞘のままの長剣を握っている。
横目で妹が起き上がったのを見た青年は、
「何かいるぞ…」
と小声でつぶやいた。
暗闇の中ジュリアも眉を寄せ、青い瞳を凝らして辺りを見渡す。
黒い絵の具で塗りたくった森の中には何も見えない。
しかし、暗闇の奥からだろうか。
「コオォォォ」
という、何か恐ろしい巨大な獣の静かな鼾のような、死者の寝息のような、甲高くもくぐもった音が聞こえる。
「何の音?」
ジュリアがそうたずね終わる前に、セナは唇の前に指を当てて「しっ!」と短く息を吐いた。
ジュリアはそれで話すのをやめ、上半身を起こした時にスカートの上に落ちた短剣を給仕の服の胸元に差し込みハイウエストの帯に挟むと、木の幹に立て掛けた弓と矢筒を取った。
矢筒から矢を一本抜き、ドレスの裾を少し噛んで引き裂き、矢の先に巻きつける。
そして、消えかけている焚き火に突っ込んで息を吹き掛けた。
黒い炭は命を吹き込まれたように赤く光り、弓矢の先に火が付く。
その火矢をつがえて、音がしたらしき方向へ射ようと弦を引きながら月を見上げたその時、
「キャ!」
と短い悲鳴を上げて青い瞳は頭上に釘付けになった。
妹の悲鳴で、長剣を抜き放ちながら何事かと見上げたセナも、驚いて動きを止めた。
そこには、真っ黒の空洞の瞳で兄妹を見詰める黒衣の骸骨が浮かんでいたのだ。
黒衣はボロで、ない筈の風になびき、手に持っている巨大な鎌は三日月のようにぼんやりと光っていた。
慌てて我に返ったセナは、
「ジュリア、射て!」
と叫ぶ。
それでジュリアもはっと我に返り、弦を引っ張って火矢を頭上に放つ。
コオォという音を立てながら、その骸骨は黒衣をたなびかせて悠然と火矢を避け、暗闇の中へと飛び去って行った。
兄妹がしばらく呆然としていると、ガシャガシャ、ザッザッ、ズルズルと、今度は森の中を近付いて来る賑やかな音が聞こえた。
音のする方向へ、もう一度火矢を放つ。
火矢の光であぶり出されたのは、また骸骨であった。
しかも、今度は武装している。
角が折れた兜をかぶり、胸当てだけになった鎧を着て、穴の空いたブーツを履き、錆びた長剣を引きずっていた。
「何…あれ?」
ジュリアはセナを見つめた。
「さっきの、タロットの死神みたいなのが連れてきたのか…」
顔を合わせた二人は一瞬の後に、何かに弾かれたかのように一斉に行動を開始する。
セナはしゃがみこんで地面に抜き身の長剣を置き、素早く背負い袋からランタンを取り出し、慌てて油を注いで焚き火から火種を移して灯りを付けた。
ジュリアは、足音を立てて迫り来る骸骨の方へ少し駆けて行き、矢をつがえて弓を構える。
はたして、死者であろう骸骨の戦士に矢なんてものが効くのか、疑問である。
しかし、今の自分達には、剣と矢しか武器がない。
「いくぞ、ジュリア!」
セナは、立ち上がりながらそう叫んだ。
二人は一目散に森の中を、骸骨の戦士が迫り来る反対方向へ駆け出した。
だが、走り出してすぐ、数十メートル行ったことろで、迫り来る骸骨に出くわした。
松脂を塗ったような色の骨を曝し、無表情ながらも下顎を大きく開き、「コオォォォ!」と暝府の声を上げながら錆びた戦斧を振り上げる。
それを見たセナは、
「やるしかない、突っ切るぞ!」
と叫んで走りを速めた。
腰にぶら下がるランタンが激しく左右に揺れる。
その度に灯りは左右の木々を代わる代わるに照らした。
ジュリアは目の前にある大きな倒木の上に飛び乗ると、骸骨目掛けて弓矢を放った。
矢は空を切り風の音を立てて骸骨戦士の腰骨の間をすり抜けて行った。
「頭を狙え!」
セナはそう言いながら長剣を両手で握って骸骨の胸を横へなぎ払った。
ガキン
無音の森に金属音が響き、火花が散る。
地面に突き立てた戦斧の柄に当たった長剣を滑らせ、一歩踏み込んだセナは、骸骨の腰骨に蹴りを入れた。
骨をギクシャクとさせて弱々しくよろめいた骸骨戦士の頭を、弓矢が射抜く。
兜の中の頭蓋骨が弓矢に弾かれて吹き飛んだ。
セナはジュリアの方を振り返る事なく、
「抜けるぞ!」
と叫んで前方を睨む。
そこには、何体かの骸骨戦士が不気味な声を吐き出しながら、得物を振り上げていた。
兄妹は気勢を上げ、そこへ突っ込ん行った。