偽物と、偽善
セットに到着する。さあ、ドラマの開始だ。霞と一斗は、撮影開始の時間が来ても舞台にいなかったため、清水が探しに行ったらしい。慌てていたスタッフから、そう聞いた。
そして、また問題が発生してしまった。それは、葵の演技能力だ。
霞は、若手人気女優。葵にそんな事が出来るのか?
分からない。ただ、がむしゃらに演るしかないのだ。
一斗は、緊張していた。
「開始する!」
監督の大きな声が、セット中に響き渡る。
周りは、シーンとしている。
意外にも、順調に進んだ。
ドラマ撮影も、半ばまで撮れた。
さぁ、あの殺陣のシーンだ。
「ヤアッッッ」「トォォッッ!」
二人の殺陣シーンは、迫力があった。
手には汗を握り、竹刀が手から滑り落ちそうになる。
前にいる霞は、いつもよりぎこちなく、危なっかしい。だが、楽しかった。
まるで、本当に此方に牙を向いているようで、迫力があった。
こんなに演技で緊張したのは何年ぶりであろうか。
一斗はそう考えていた。
同じく葵も緊張していた。
前には、人気俳優である鈴木一斗。
周りには、プロの監督。テキパキ働くスタッフ達。
とにかく、一所懸命だった。周りも、私も。
私は、台本をチラリと見たのみ。
これで上手くいったのは、もしかしたら私に演技の才能が!? ……じゃなくて、私はほぼアドリブ、一斗はそれに合わせてくれているから上手く進んだのだ。
因みに、アドリブがだめと言われた時は、霞の美貌を利用し、ごねた。(良い子はしちゃいけないことだけどね)
一斗は流石、プロだ。私とは違う。台本通りに進めていく。私のアドリブでずれても、いつの間にか台本通りに戻してくれる。
私は緊張と共に、殺陣シーンへ突入した。
一斗の目つきが一瞬にして変わった。
まるで、此方に牙を向いているようだ。
あぁ、これがプロ。演技に入り込める。
私も、演ってやろうじゃないか。復讐の為に!
「ヤァッッ!」
葵は、一斗に竹刀を叩きつける。
一斗は、唸るとその場に倒れた。
「…………」
その場は、沈黙した。
誰も喋らない。
一斗も立ち上がらない。
(私は、一斗を殺めてしまったの?)
葵は、焦った。
「カァッート」
監督の明るい声がセット中に響き渡る。
周りの空気が一気に緩む。
一斗は、のっそり立ち上がった。
「いやー、霞は凄いなー」
一斗は、ニコリと笑いながら言う。
その偽善の笑顔のなか、一つの考えが浮かんだ。
ーーーー霞は、きっと記憶喪失をしたのだろう。頭をうち、川に棄てられたのだから、記憶喪失をしても、おかしくない。医療関係には疎い一斗は、そう考えた。
ならば、もし……霞がこれを思い出したら?
いつの間にか、一斗は険悪な表情になっていた。
「どうしたの?」
猫なで声のぎこちない霞が言う。彼女の青い髪が、さらさらと揺れる。
「いや、なんでもない」
また、笑顔を造る。
だが、裏は真っ黒。笑顔なんてあるわけがない。
あの、優しい一斗はもういない。
ーー霞をコロサナキャ……