ルート分岐は認めない
Ⅰ
「叙述トリック?」
スカイブルーの瞳を瞬かせ、羽燐は読んでいた小説から顔を上げた。
れもん色のポニーテールに生まれながらに青い双眸。キメの細かい、透き通るように白い肌。
相も変わらず、雑誌のグラビアを飾る美少女アイドルたちにも、一歩たりとも引けを取らない秀麗さだ。
「そ。やれラスト一行の衝撃だの、必ず二度読みたくなる!だの。最近のミステリはやたらとオビや紹介文で煽ってるけど、そういうのって知らないからこそ、愉しめるもんなんじゃないの?」
「んー、むぐの言うことは尤もなんだけどねー」
「何だ、煮え切らないじゃん」
「まあね」
開いていた小説に栞を挟むと、羽燐はそれを、横幅にして一メートル以上ある大仰すぎる書斎机の上に置く。
難しい問題だよ、と探偵部の一年生部長は自嘲気味に笑ってみせた。
Ⅱ
六時間目の授業を終えたぼく――紅月葎は、部活もないので手持ち無沙汰に、親友の乱刃羽燐が部長を務める御音学園探偵部に顔を出していた。
部員数たった一名。羽燐が単身立ち上げた探偵部は、それでも校内における評判は悪くないようで、部室棟からあぶれてしまう弱小文化部も少なくない中、こうして最上階に堂々と居を構えているのだから、立派なものである。
まあ、上に行けば行くほど上り下りに時間が掛かるので、必ずしも良い面ばかりとは言えないが。そこまで求めるのは罰当たりだろう。
「ミステリにキャッチーさはやっぱり必要だと思うよ」
書斎机に見合う大きさの、これまた立派な革のイスに座っている羽燐は、なぜか白い体操着に紺のハーフパンツという体育仕様だった。日灼けの気配すらない長く華奢な手足が、妙に艶めかしくぼくの瞳に映る。
――いかん、いかん。親友をどんなふうに見ているんだ、ぼくは。
「キャッチーっていうと、トリックばーん!!とか、真相どーん!!みたいな?」
「……うーん、アバウトだなあ」
羽燐が困ったように苦笑する。
「でも、言わんとしてることは間違ってないかな。むぐだって、自分でUMA研の調査報告を小説にするときは、わかりやすいインパクトを重視するでしょ」
「そりゃあ、読者の気をなるたけ引かなきゃだからね」
ぼくは未確認生物研究会という部活に入っている。そこで巻き込まれた事件や、日常のやりとりなどを小説として記録に残しているのだった。
ジョン・H・ワトスン博士の頃から綿々と続く、一種の様式美である。
「ミステリも同じだよ。単純に延々と殺人捜査しているだけの作品じゃあ、訴求力に欠けるし、何よりもエンタメとして面白くないもん」
「なるほど」
ぼくはここで名前を挙げるとファンの方々から総スカンを喰らいそうな、某有名作家の古典ミステリを思い起こす。
「確かに地味だよなあ」
「ロジック主体の作品は、それはそれでぞくぞくして垂涎ものなんだけどね」
「如何んせん、マニア以外にはウケが悪い、と」
「そういうこと」
羽燐がにっこりとしながら、人差し指を立てる。
「一般の読者の心を掴むためにはどうすれば良いのか? そこで登場するのが、インパクトのあるトリックだったり、真相の意外性だったり、或いは親しみやすいキャラクターだったり、ね」
「最近流行りのユーモアミステリとか、学園モノ、コージーミステリも、キャラを立てた作品だね」
「どこか陰のある綺麗な女の子の探偵役と、彼女に恋する草食系男子――みたいな組み合わせも近頃のトレンドかな?」
羽燐がいわくありげな視線を寄越す。何アピールだ。
ぼくはさらっと黙殺した。
「それはともかく、叙述トリックも結局はそういうことなんだよ。男の子かと思ったら女の子、実際の事件かと思いきや作中作、現在の出来事のフリをして過去の話――」
いつの間にやら交代している語り部、読者に対して情報を秘匿する信頼できない語り手、同姓同名の人物、双子トリック etc……。読み手の先入観を利用し、まんまと騙して衝撃を与えるミステリ技法。それが叙述トリックだ。
「すかっと騙された爽快感は何物にも替え難いものがあるし、たったの一行で世界がひっくり返る感覚は、一度体感したら病みつきだよ。ついつい人に薦めたくもなる。ネットの感想サイトや掲示板の効果もばかにならないからね。叙述トリックのわかりやすい驚きは、口コミ効果と切っても切れない関係なんだよね」
「だからこそ、店頭で『これは驚けますよ』と推すわけか」
驚かされることを前提に読み、驚かされて人に話す。そうなることが予め約束された、予定調和の作品観賞。
何だか、『泣ける』作品に共通する匂いを感じる。
果たしてそれは、本当に物語を愉しんでいると言えるのだろうか。
予期せぬところに驚きがあり、感動があるからこそ、人はより物語に浸れるのではないだろうか。
「辛辣だねえ、むぐは。確かにミステリ読みの中にはサプライズのためのサプライズである叙述トリックを、所詮は飛び道具として批判する向きも少なからずあるけどね」
「そこだよね。叙述トリックって結局のところ、読者に対して仕掛けられているのであって、作中人物にとっては意味の成さない――隠されてすらない――ことが大半だから、物語における必然性に欠いている印象がある」
「逆にいえば、その点を克服して登場人物たちのストーリーと叙述トリック成分が不可分となってる作品は、それだけでミステリとしての質も高くなるんだよね」
「初野晴の『退出ゲーム』に収録されてる某短編とか、麻耶雄崇の『貴族探偵』所収のあの作品とか?」
「むぐ! それ以上はネタバレだからっ」
ぼくもそう思って、ギリギリまで譲歩してタイトルだけは伏せたのだ。
「素晴らしい作品を紹介したくとも、いざとなると名前を挙げられないのはジレンマだなぁ」
「ふふ、それも叙述トリックの抱える問題のひとつかもね」
んんーっ、と机の上に覆い被さるように前傾になって、羽燐は大きく腕を伸ばす。背骨以外に凹凸のない、なめらかな体操着の背中。無防備な動作に羽燐の胸元が緩み、淡い桜色をした先端がちらりと見えた。
何となくいたたまれなくなって、ぼくは慌てて目を逸らす。
「それは良いんだけど! なんで羽燐は体育のカッコのままなのさ!?」
先ほど目にしてしまったものに、ぼくの心臓は早鐘を打ちっぱなしだった。
いやさ。待て、ぼく。そんなつもりまったくはなかったのだ。
「んふふー、いつもの姿よりも、こっちの方がむぐは好きかと思って」
「ぼくにそんな特殊な性癖はない!」
「ええー」
不満そうに羽燐がぶうたれる。
「だいたい、好きとかあり得ないからっ」
「断言!? ひどっ」
あからさまにショックを受けているふうだが、構うものか。
「当たり前だ。――男同士で、気持ち悪い」
乱刃羽燐。細雪のような白い肌を引き立てる青色の瞳、甘さを感じさせるれもん色の髪。溌剌としたポニーテール。そんじょそこらの女の子では相手にならないほど美少女然としているけれど、それでも彼は間違いなく男子生徒なのだ。
Ⅲ
「ちょっ、ちょっ、ちょっ!」
プリントアウトした原稿を読み終えた羽燐の、第一声はそれだった。
「なんで、あたしが男の子になってるの!?」
「いや、叙述トリックの作例だし」
「そういうのは別個にキャラクターを作ってやってよ、むぐ!」
生まれつきのものであるれもん色の髪を束ねたポニーテールを揺らし、羽燐が訴える。
裾出しした男子用の長袖ワイシャツから女子制服のスカートが覗く校則違反な装いは、小説の中の『乱刃羽燐』とは違う、乱刃羽燐のいつもの恰好だ。
「だいたいこれ、シリーズものでしょ!? いままでの作品と切り離した作中作にして登場人物の性別を変えちゃうなんて、展開が強引すぎるって! ミステリとしては――というか、小説として反則だよ!」
シリーズって。メタな突っ込みだった。
さすがに自分のこととなると、落ち着いてはいられないらしい。
まあ、ぼくも自分が女の子に描かれている小説を読まされたら、そのくらい必死に抗議もするだろうけど。
月曜日の放課後。ぼくは手持ちの小説原稿を携えて、親友である乱刃羽燐の元を訪れていた。
御音学園部室棟、最上階。探偵部の部室である。
叙述トリックについてのあれこれを書いた短編小説を、羽燐に読んで貰うためだ。
「でもほら、男女誤認は叙述トリックの王道展開だし。作中作もよくある手法じゃん」
日常のやりとりも小説にしている、とぼくは確かに記したハズだ。
「ついでにいえば、作中の『乱刃羽燐』が現実の乱刃羽燐と同姓同名の別人である可能性も、叙述トリックの話題が出た時点で疑って掛かるべきだと思うね」
「それにしたって、友だちの名前を使ってやる?」
書斎机に顎を載せてスカイブルーの瞳をうむう、と淀ませる羽燐。
「あたしと、この『羽燐君』が別人って構造は、初見者にはちょっとわかり難い演出じゃないかな」
「それならそれで良いんだよ。作中の『羽燐』が女の子だってミスリードができてれば」
「そういえば、『羽燐君』の一人称は出てきてなかったね」
「そこは気を遣いましたから」
えへん、と胸を反らせてみせた。
普段の羽燐のように「あたし」と言わせてしまってはさすがに、髪の長い男の子では通せない。かといって、いわゆるぼくっ娘にするのも小狡い感じがしたのだ。
最終的に、『乱刃羽燐』には「ぼく/私」の一人称を用いない形で会話して貰った。
「それと、この一連のセクハラ要素はどういうことなのか、説明を求めます。知り合いの女の子をモデルにしたには不適切な内容なんじゃないかな」
右手の人差し指でとんとん、と原稿を叩く。
羽燐の青い瞳が、深い色に燃えていた。炎は赤いものより青い方が温度が高い、と聞いたことがある。
「確かに宜しくないかとは思ったんだけどさあ、それも一応伏線だったんだよ」
体育着の背中に下着の線が出ず、尚かつ緩んだ胸元から直接胸が見える。
つまり、『羽燐』はブラを付けていない=女子ではなく男子である、という図式だ。
「羽燐が指摘したように、同姓同名を疑えるのはシリーズ既読者に限定されちゃうからね。初見者さんが読んでも、作中の『羽燐』が男の子だと辿り着ける伏線を撒いておかないとフェアじゃない」
「そういうことなら、今回限りは許してあげる。今回限りだからね」
それでも渋々、といった雰囲気だった。
ミステリ好きの羽燐にとって、ミステリとしての論理は何よりも重視すべきものなのだ。多少のセクハラくらいは目を瞑ってくれる――なんて述べてしまうと、足元を見ているようで忍びないが。
――ちなみに。『ぼく』が度々、『羽燐』の誘惑を振り払おうとしていたのも、改めて言うまでもなく、彼が男だったからに他ならない。
そう考えると、件のサービスシーン(や、重ね重ね羽燐には申し訳ない表現だけれども)を含め、性別誤認のひっくり返しは、ラブコメ方面を期待していた人に対しての裏切にもなるわけで。ことキャラクター小説においては、インパクト重視の叙述トリックは諸刃の剣といえるのかもしれなかった。
Ⅳ
「ふむふむ。まずは『むぐ』と『羽燐君』の会話パートがあって、それから解決編として『現実世界のむぐ』と『現実世界の羽燐』がやりとりする場面がある、と」
ルーズリーフに書かれたぼくの自筆の小説を一読し、羽燐は要点をまとめてみせた。
「作中作を使った入れ子構造だね」
勿論、この羽燐はぼくの親友であり、探偵部の一年生部長でもある女の子の乱刃羽燐だ。
月曜日の放課後のこと。ぼくが探偵部の部室にお邪魔すると、羽燐は案の定、部屋の奥にでんと置かれた木目の美しい書斎机のその奥で、イスの背もたれにゆったりと身体を預けながら、本を読んでいた。
そこでぼくは昨今のミステリ小説における叙述トリックの在り方について常々考えていたことを彼女にぶつけ、一枚のルーズリーフを差し出した。
授業中、あまりに暇を持て余したぼくが片手間に執筆した、叙述トリックを巡る短編小説だ。
そろそろお察しのことと思うが、最初の数行以降はすべてぼくの創作である。
そもそも、メタ発言がまかり通る以上、それはフィクションに決まっているのだ。シリーズだとか、初見者さんだとか、リアルな会話でそんなものが出てくるハズもない。
さしずめ、虚構性の強調、作中作であることの伏線といったところか。
「ていうか、むぐ。『現実世界の羽燐』は許してあげたみたいだけど、あたしはそこまで広い心は持ってないからね」
羽燐が声を低くして睨んでくる。
「最近ちょっと、むぐのことを甘やかしすぎたと思うんだ」
「またまたー」
茶化してみるも、羽燐の表情は揺るがなかった。うわあ、そこまで怒っちゃいますか。
『羽燐君』のサービスシーンが逆鱗に触れたらしい。いや、女の子としてはそれが普通なんだろうけれど――。
完全に調子に乗っていたと言わざるを得ない。
「羽燐――」
「明日から」
静かに目を伏せる羽燐から発せられるだろう死刑宣告を、黙って待つ。
「罰として、むぐは明日から一週間、あたしを思いっきり甘やかすこと」
ん、と彼女はにこやかに微笑んだ。――はい?
〈fin.〉