第43話【続々々・エイジ】
部屋中に転がる発泡酒の空き缶を一つずつ丁寧に拾い、資源ゴミの袋に入れるカイトの姿に気付いているのかいないのか、エイイチロウは今日撮影したビデオのチェックを、これまた勝手にソフトをインストールしたカイトのマシンで行っていた。まるでカイトの存在など無いかのように、床に寝転がったり、あぐらをかいたりしながら、ぐだぐだの姿勢だった。
カイトはわざとらしくエイイチロウの膝の上をまたいで、缶を拾い集めるが、彼は気付く様子もない。
「エイイチロウ。ゴミを散らかすな。人がわざわざ片づけてる姿が見えてるだろう?」
「注意するなら最初からすりゃ良いじゃんよ。わざわざ人の見えるところで黙って片づけなくても」
「まず謝れ!」
「うん。ごめん。もうしません」
頭を下げ、あっさりと謝ったが、すぐさまビデオチェックに戻るエイイチロウ。カイトはいつものようにわざとらしく溜息をつく。
「お前はいつもそうだ。謝ればいいと思ってる」
「片づけるタイミングが合わないだけなんだよ、カイトとは。うぁ!」
「何だ、どうした!」
突然の叫び声に、思わずエイイチロウに駈け寄った。
「オレ、さらにナギに足りないモノに気付いちまった!」
「……はあ?」
「儚さ!マドイちゃんには儚さがある!やっぱな。多少は影がないとダメだよな。ナギって、天然バカだからな、ホントは賢いくせに。いや、言葉を選べば『まるであなたは太陽だ』ってか?」
「……何の話だ」
またしてもいつものように、わざとらしく頭を抱えてみせるが、エイイチロウはそんな彼を無視して再びビデオチェックに戻った。
「そんなモノばかり撮って、何が楽しい?高等部の食堂が映っていたと思えば、次は中緒惑が1人で喋っている。毎日毎日違うヤツを流して撮っているだけじゃないか?お前のビデオも無理矢理見せられたけど、そうして撮影しているものとは違う素材をわざわざ使うと言っていたのに」
「でも、こうして撮ってないと、オレはよく判んなくなっちゃうんだよね」
新しく発泡酒の缶を開け、勢いよく飲み干す。床に缶を置いた途端、カイトがそれを拾おうとするが、彼はそれをとめた。まだ入っているらしい。
「判らなくなる?」
「人にはだね、自分でも理解できないくらい歪んだフィルターが目の前にしっかりくっついていて、離れないんだな、これが。オレは、出来る限りそれに振り回されたくないわけよ」
「お前の言うことは判らん」
「たまに真面目な話してるんだからさ。そう、いきなり全否定せずとも」
「酒が入ってるからだろうが」
「真面目な話をしたい気分なわけよ。どうせオレは重たくて暑苦しいです」
カイトには、酒を飲みながらくだを巻く、ただの酔っぱらいにしか見えなかった。
「お前のどこが重いんだ?」
「存在?だって、そうやって言われて、いつもふられるんだよ」
「うまくやらないからだ」
「向こうが飽きっぽいんだよ。酷いよな」
「真面目な話か?それが。愚痴にしか聞こえないが。もう少し前向きな話は出来ないのか、お前は」
「そう言うのはちゃんと前を向いてから言えよ、もう」
パソコンの電源を落とし、後ろで光るカイトの目を気にしながら、モニタにカバーを掛けた。
「何だ、真面目な話はどうした?」
「明日早いから、もう寝るわ」
「何だ、勝手に話を始めておいて、勝手なヤツだな。大体、ふらふらしてるだけのくせに、何かあるのか?」
「午前中、バイトがあるんだよ。卒業してこっちに来てる友達に連絡したら、手伝えって言われてさ。これからしばらく、朝早いから。カイトより先に出るわ」
「……そうか」
ふらふらのまま立ち上がり、風呂場に向かって歩き出すエイイチロウを、カイトは床に座ったまま、黙って見送った。そのはずの彼は立ち止まり、カイトの方に向くことなく、呟いた。
「そういやさ、オレと同じ子に、中緒聖って子がいるって言ってたろ?オレの話も通してあるって。ナギの妹だろ?オレ、まだ面識ないんだけどさ」
「ああ。あの子は……」
「もしかしてあの子にも言った?『君は望んでも良い』なんて?」
「もちろんだ。お前と同じ、数少ない資格を持つ者だ」
エイイチロウは、自分が同じ台詞をカイトから聞いたときのことを思いだしていた。しかし、そこにいるはずのエイイチロウは、まだ見たことのないヒジリの姿をとっており、その横には自分を守るように立つマドイの姿があった。
「ナカオマドイは?」
「あの子には資格もなにもない。ただ、『資格者』の守護者として、彼女は指名された」
「だろうな。あの子はなにも望んじゃいない。ただ願い、そのためによかれと動いてるだけだ。しかし、相変わらずだな、カイト。そんな子供を泣かせるような真似……」
エイイチロウの口調は、彼を責めるものではなかった。だからこそ余計に、カイトには彼の真意がつかめなかった。
本当は、真意が存在するかどうかすら、彼には判らなかったのだけれど。
「なあ、カイト」
風呂場の扉の前に来て、やっとエイイチロウが彼の方をふり向いた。その行為に、カイトは胸をなで下ろしたが、その理由は自分でも判らなかった。
「なんだ」
「ムカイ先輩って、結局どうなったんだ?」
「お前の知ることじゃない。何度も言わせるな」
「だったら、マドイちゃんは?ムカイ先輩と同じ目に遭うんじゃないの?もしかして」
ヒジリの姿をとる自分の横で、自分を守るように立っていたはずのマドイ。いつの間にか、エイイチロウは自身の姿を取り戻し、マドイは小さな子供の姿で、彼の服の裾を掴んで泣いていた。
彼女の頭を撫でるが、泣きやまない。仕方なく包み込むように抱きしめるが、それでも彼女は泣いたままだ。
頬を撫でると、彼女は泣きながら彼にすがりつく。子供だと思っていたら、彼女はいつの間にか大人になっていた。
「さあ?本人次第だろう。ムカイは自ら望み、そして望まなかったから、ここからいなくなっただけだ」
「オレだって、望んでここからいなくなったのに?」
そう吐き捨ててから、エイイチロウは急いで風呂場の扉を開け、中に倒れ込むように逃げ込んだ。
終業式を終え、カナタはエイジとレイを伴って、普通科の校舎に向かった。電話に出る気配のないマドイを迎えに、2−Aの教室を覗いたのだが、女生徒に囲まれたヒジリの横にマドイを見つけることは出来なかった。
「ヒジリさん、マドイどしたの?めずらし」
辺りを見渡すカナタの代わりに、ヒジリに声を掛けたのはエイジだった。しっぽを振ってまとわりつく犬のように、レイも彼女に声を掛けていたが、彼女はエイジに応えた。
「それが……」
「あ、さっきの人、なんとなく誰かに似てると思ったら、よーく見ると木津君に似てない?!ねえ?ヒジリちゃん!」
「うん。それはだってあの人、木津君のお兄さんだから」
「えー、そうなんだ!お兄さんなんかいるの?」
ヒジリの横で騒ぐ女生徒の声に判りやすく反応したカナタを押さえながら、エイジは溜息をついた。
「うちのバカ兄貴が、何か粗相でも?」
「ううん、そんな」
首を振り、否定するヒジリの横で、女生徒達が噂話を始めた。
「え、でも、変だったよね。なんか独り言いってたし?聞いてた?」
「なんだったっけ。思わず来ちゃったとか……そんなつもりじゃ……とか……?それにマドイちゃんより小さかったし。橘君の方が似合うのに」
「ねー。残念よねー」
そう言いながら、笑顔でカナタに話を振る。珍しくカナタは笑顔の一つも作れず、黙って彼女たちの話を聞いていた。
「気にしなくても、何か用事があったんでない?」
「別に気にしてないって。マドイも、お兄さんのこと面白いって言ってたし。それだけだよ」
レイのフォローに、必死に対応するカナタの姿が恥ずかしくて痛々しい上に、申し訳ないエイジは、彼の顔を見ることが出来なかった。
「……恥ずかしいな、バカ兄貴。こんな所にまで。でも、めずらし。快く送り出したの?マドイのこと」
「まさか。でも、仕方ないじゃない」
エイジにだけ聞こえるように、小声で不満を漏らすヒジリ。今度はレイがその様子をそわそわしながら伺っていた。
「もう戻ろうか?行こう、エイジ」
「……ああ」
カナタが怒ってるような気がして、エイジは肩身が狭かった。思わず、名残惜しそうにするレイの肩を叩いて怒られてしまう。
「橘君達って、これから用事ある?私たちこれからカラオケ行こうと思ってるんだけど、どう?」
二人で両脇からヒジリの腕を組み、仲良さ気にしていた女生徒の1人がカナタに声を掛けた。その言葉に、レイがにこやかに反応したが、それを遮るように
「あ、悪い。オレ達これから用があるから。なあ、カナタ?」
エイジの言葉に、カナタは強張った表情のまま黙って頷いた。隣でレイが恨めしそうにエイジを睨み付けた。しかし、睨まれたエイジはそれに気付かず、ヒジリに目配せをしていた。その行為がますますレイを焦らせる。
「木津兄弟、ずるすぎ!」
唇を尖らせ、エイジを指さし責めるレイに、溜息をつきながら反論するエイジ。その様子をカナタは苦笑いしながら眺めていた。
「つーか、何でオレとあのバカ兄貴を一括りにして責める?!オレが一体何をした!?」
「ずるいって。やり方がさ。美味しいとこどりっつーの?そう言うとこ似てるよ。見かけはあんまり似てないのに。エイジ巨大だし」
「バカ兄貴が小さいんだよ。お前と一緒で」
「失礼な。だって、エイジの兄ちゃん、ちゃっかりヒジリさんとも……あれ?ヒジリさんって、木津兄と面識あったっけ?」
「マドイちゃんから話を聞いてましたから」
あ、そうか。と小さく納得しながら、レイはエイジとカナタに引きずられるようにしてヒジリから離れていった。
「用事ってこれ?男三人でマック?!色気無い!!普通科の女子とカラオケは!?」
エイジは、喚きちらすレイの手からハンバーガーを奪い、半分食べてから返した。
「なにすんだよ!返せバカ!」
「うっせえな、もう。黙ってろよ。行きたかったらお前1人で行けばよかったろうが!」
「だってさ、明らかにヒジリちゃんの横にいたどっちかの子は、カナタ狙いだったじゃんよ!オレ1人で行ってどうなる!?」
「だからと言って、あんな地雷だらけの女とカナタを一緒にしてどうなる!?」
やっぱり気を使ったのか。とカナタは思ったけれど、口に出すのはやめて、レイとエイジの言い争いを聞いていた。
「別に行ってもよかったけど。途中で帰ってたかも」
どうしようもない怒りと、エイジへの気遣いが相まって、カナタらしくもなく嫌味な台詞をレイに向かって呟いた。
「……ですよね?不機嫌だな、もう、カナタ……。木津兄のことだから、どうせまた撮影したいとか言って連れ出したんだって。気にすんなよ。もっかい電話してみたら?」
昨夜の話はエイジから聞いて知っていたが、あえて触れずに、無かったこととしてカナタに提案してみたが、彼は黙ってポテトを食べていた。
「それより、ヒジリさんの様子、見てた、エイジ?」
「見た。お前、ちゃんと見てるじゃんよ。めずらし」
「え?何が?」
緊迫したムードのなか、会話をする二人に、おもわず愛想笑いを向けるレイ。
「カナタらしくない」
「えー。オレが人のこと見てたら変だって言うの?」
「誉めたんだよ、珍しく」
「らしくないって、誉め言葉かな?」
「ちょっと待ってよ、二人で話進めんなって。ヒジリちゃんの様子を見てるって、どういうことだよ。なにそれ、またゲームがらみ?」
黙って頷いたのはエイジだった。
「オレにはよく判らないや……エイジ、どう思う?」
「ヒジリさん、明らかに兄貴のこと知ってる。でも、面識はないはずだし、兄貴がマドイを迎えに来たときも、そんな話は出てないと見たけど、あの子達の話からするとね。中緒兄が仮に話をしていたとしても、見たこともないのに判るかな?大体、マドイと兄貴の絡みなんて、中緒兄はまだ知らないわけだし」
「ホントにマドイから聞いてたってことは?」
「聞いていてもなあ。オレとバカ兄貴が兄弟だなんてこと、よっぽどよく見ても判んないし。さっきそう言ってた子だって、オレのことよく知ってるからそう言ったわけだし。だけど、兄貴は多分オレの話なんかしてないはずだろうし、あの様子だと。あの二人の共通項なんて、ゲームだけだし」
カナタの顔を見ないまま話を進めるエイジの様子を不審に思いながら、レイは二人の様子を見守った。
「何というか……二人とも、参加者側っつーより、主催者側の匂いはするけど」
あえてエイジがそう口にしたことに、カナタもレイもなにも言えなかった。二人とも同じように感じていたけれど、それを口には出来なかったから。
「……そ、そう考えたら、マドイさんと木津兄が一緒にいるのって、フツーじゃない?ゲームの話でもしてるのかも」
「ああ、そっか。……マドイと兄貴でまともな会話になるのかな?なあ?」
わざとらしい二人の会話に、さすがに困って何も言えないカナタ。何か誤解されているのかと思って、必死に二人の顔色を読みとろうとして見つめる。その行為が、ますます二人をおどおどさせていた。
「えっと、オレ、追加買ってくる。エイジに食われたし!」
いいわけをしながら立ち上がり、レジに向かって小走りで移動したレイを見て、エイジは舌打ちをした。
「何でそんなに気を使うって言うか、エイジが申し訳なさそうにしてんの?気持ち悪いって。オレ、別に怒ってないし……不愉快だけど」
「そう言うのを怒ってるって言うんだよ。レイが逃げるわけだ。お前、普段怒ったりしないから。大体あいつは、オレが機嫌悪いときはからかうぞ?」
そうかな?などと思いながら、自分の普段の行動を振り返ってみたが、思い当たるフシがない。
「だって、まあ、うちのバカ兄貴。あれは誤解されても仕方ない行動だからさ」
「でも、それは別にお兄さんの行動であって、エイジは関係ないし」
「いや、でも、バカ兄貴が……」
「エイジはエイジ、お兄さんはお兄さんだろ?意味判んないよ」
カナタの台詞がありがたくもあり、悲しくもあった。おそらく、彼の兄弟が逆にエイジに対して同じような行動を起こしたときも、彼はそう本気で思っているのだろうと言うことがよく判っていたから。
「どうするかはマドイが決めることだし。オレにも、お兄さんにも、マドイにも意志があって、誰もそれを強要できない」
「お前、中緒兄みたいなこと言うようになったな」
「ホント?」
誉めることもけなすこともないエイジの台詞に、満面の笑みで応えるカナタ。
「喜ぶところじゃねえよ、それ」
良い傾向だとは思っていたけれど、認めるのはしゃくだった。ナギを全面的に受け入れ、認めることは、どうしてもエイジは良いとは思えなかった。彼は綺麗すぎて、自分の中では嫉妬の方が大きいってことを、見て見ぬフリをしていたのだから。
「もっかい、電話してみれば?」
「だからいいって、気を使わなくて。めんどくさいな、もう。オレもお兄さんに気を使わないといけないみたいだろ?」
「お、何だ。戦う気、充分じゃねえか」
エイジがカナタの顔を見て笑ったことが、カナタを安心させた。
「マドイと兄貴がどうなってるかなんて、オレには判らないけど」
『オレもどこまで理解してるか、正直わかんねえけど。それがあの子にとって、どれくらいの負担になってるかくらいは、判ってあげたいだろ?』
どうなってるかは判らなくても、兄の思いは伝わっていた。それをカナタに告げたくなかった。ただ、成り行きを見守りたかった。
「何があってもあのバカ兄貴に気を使う必要なんかねえし。まあ、つかわねえだろうけど」
彼の前では味方でいようと思っていた。
笑いながら、カナタは携帯片手に席を立った。それと入れ替えに、レイがしっかり1セットトレイに載せて戻ってきた。
「カナタってば、マジで怖いんだもんよ。普段、感情の起伏がない奴が怒ると倍怖い」
「そうでもないって。つーか、逃げるほどでもないだろうよ」
「エイジから見たらな。オレとエイジじゃ、カナタだって話せる内容が違うだろ?ま、何にせよ、機嫌が直ったみたいで何より。穏やかなヤツは穏やかなままが一番」
レイの言葉の意味を、エイジは考えてみた。彼からも、自分がカナタとの距離において感じているものが伝わっているのだと思えて、少しだけ曖昧だった彼との距離に手応えを感じていた。
「あ、カナタ戻ってきた」
一瞬「やば」と口にしてしまいそうな顔をしたレイだったが、表情を変えた。
「オレ、ちょっと」
カナタはエイジの隣に置いていたリュックを手にとって、二人に謝って見せた。
「何だって?」
「いや、よく判んないけど。お兄さんも一緒にいるんだけど、『来れば?』って」
「カナタ!それは女に振り回されてる!なにそれ、余裕?!いや、二人を天秤にかけて選ぼうというのか?そんな子には見えなかったけどな……ああ、もう、可愛い女の子って信用ならない……」
レイの極端な話の展開を、二人で口を開けたまま見守ってしまったが、困った顔でカナタが否定する。
「マドイがどう言うつもりかって言うのは、まあ、判んないんだけど……多分、そんなことは考えてないと思うけど……」
「カナタ、謙虚だよ!その態度は!!男なら、もっと強引に!」
「え?それって、押しすぎて玉砕ってこと?」
「そうそう、押しすぎると嫌がられてオレみたいに……って!カナタ!酷!!」
その気はなかったのだが、傷をえぐってしまったらしい。えぐってしまったことに気付かないまま、カナタは店を出ていった。
「……余裕だよな、カナタのやつ。つーか、ホントの所どうなの?エイジは知ってるんだろ?」
彼はレイの質問に対して苦笑いでかわした。
「知ってるんだろ?」
「しつこいな。何で二度も言うか!?知らねえって」
「ああ、そう。ふうん」
ハンバーガーを食べながら、嫌な顔をしながらエイジを見つめる。
「知って……」
「しつこいっつーの!知らないって。ただ……」
「ただ?」
「兄貴は、多分本気な気がするよ。否定するところが余計に怪しい。『カナタがいるから』とは言ってるんだけどな。めんどくさいだろ、っつって」
「そんくらいなら、カナタには言わない方がいいか。何か、エイジの兄ちゃんって、カナタでなくてエイジに超気を使ってるって感じがするし。何か重たい」
固まったままの表情で、押し黙ってしまったエイジに、なんと言ってフォローしていいか判らず、おろおろするレイ。
「オレ、そんなおかしなこと言った?」
「いや、そうなのかな、やっぱ。薄々気付いてはいたんだが。重たいし、意味がわからんのだが」
「意味がわからんこた無いだろ?エイジだって、兄ちゃんに気い使ってるし」
「まあ、それなりに。でもカナタは、兄貴の行動はオレには関係ないって。カナタがそう言う意味で気を使ってるとは思えんかったけど」
「でも、オレにはお互いに微妙な距離で気を使ってるお前ら兄弟の方が、自然っつーか、納得できるけど」
確かに、カナタの突き離し方には、エイジも違和感を抱いていた。抱いていたが、兄の自身に対する態度も、素直に受け入れられるものでもなかった。
「オレ、兄弟いないし、そう言うのよく判んないけどさ」
時々、レイは見透かしたような台詞を吐く。また彼に見透かされるのかと思って、エイジは少し身構えた。
『重いモノも、浮き足立つようなモノも、君は背負ってない。だから、きちんと地面に足をつけて歩いている。人はよく、自分を見失うからさ』
そのユズハの台詞は、転じてエイジやカナタはそうではないと言うことを指し示していた。ユズハの言葉の本当の意味を考えるたび、そしてレイの言葉に動かされるたびに、エイジは少しだけ、彼の言葉が怖かった。
「カナタみたいに、家族のことをあんなにも自然に『いなかったこと』にして生きるより、重たいなあって思いながらも、大事にしてくれてる兄ちゃんを鬱陶しがってる方が、幸せで楽しくて、良いことだと思うけど。まあ、程度だとは思うけどね」
「……オレも、そう思う。何つーか、あいつらには悪いけど、カナタや、中緒兄妹より、オレは遥かに地味で普通な家族関係築けてるわ」
カナタの気遣いと、彼の中にある冷たさに、押されたわけではないはずなのに、心が動いた。彼も、自身も望まぬ方へ。
真っ白い木綿のノースリーブワンピに身を包み、木々が生い茂る公園の奥地で、巨大な切り株にマドイは横たわっていた。
「お兄さん……」
何故かレフ板を持って彼女を照らしていたカナタは、カメラを設置していたエイイチロウにうんざりした顔で話しかけた。
「何だよ、もうちょっと待てって。ちょっと暗いし」
「いや……もしかしてオレ、手伝いに呼ばれたんですかね?」
「まあ、半分くらい?」
「あと……あの……」
珍しく、言いにくそうに言葉を詰まらせるが、こちらを向きもしないエイイチロウに腹が立ったのか、カナタにしては強気な態度で続けた。
「いくらなんだって、あのマドイの格好はベタじゃないですか?あんな格好していいのは、フローネだけですよ!」
エイジのコレクションにあった、一昔前のアニメの主人公を思い出しながら突っ込んだ。
「うわ!何かうちの愚弟みたいな突っ込みするね、お前!出来上がったもの見てから言えよ」
「……いやあ……」
出来上がったものを見ても、ベタだったから突っ込んでいるのだが。とはさすがに言えなかったが。ただ、ベタだと微かにバカにしつつも、その世界に引き込まれた自分がいたのも確かだった。その、映像の持つ力がなんなのか、カナタは判らなかったし、認めたくもなかった。
「まあ、今回はテストも兼ねてっつーか……」
「テスト?」
「テストっつーか、今朝、イベントの手伝いしながら急に思いついてな。衣装と機材借りてきたんだ」
とりあえず座ってるように指示をされたマドイは、逆らいもせず黙って切り株に座っていた。遠くから時々、彼らを見ることはあっても。そしてエイイチロウはカナタもマドイも見ることなく、話を続けながらカメラをいじり続けていた。
「この間うちの愚弟に渡したムービーの中に、ナギが1人で映ってるヤツがあっただろ?」
「ええ……あの隠し撮りのヤツですよね」
「何か、喧嘩腰だよなあ、カナタ。強気だなあ」
責めているような内容にもとれたのだが、何故かエイイチロウの声は喜んでいる様にも聞こえた。
「それをリメイクしようと思って。あれ、ナギよりマドイちゃんの方が似合ってると思わん?だって、ナギって儚さとかゼロだし、なあ?」
「そうですね。とりあえず、ナギさんには似合わないなあとは思ってましたけど」
「否定的だな。それに、あいつあんまり協力的じゃないし。映るの嫌いだから。アイドル顔のくせに、もったいない」
そう言えば、何故彼女は協力しているのだろうか。それが気に掛かった。電話をしたときに、彼女はそんなこと何も言ってなかったのに。昨夜はカメラをまわすなと、エイイチロウに訴えたと聞いているのに。
「よし、そろそろ始めるかな。カナタ、マドイちゃんの方に行って、照らして。マドイちゃんもちょっと寝そべること出来るかな?」
声を掛けながら、マドイに駈け寄り、身振り手振りで指示を出すエイイチロウの後ろについて、彼女に近づくカナタ。
「オレのカウントにあわせて、ゆっくり体を起こして。首を傾けて……」
マドイは、エイイチロウから目を逸らし、黙って頷く。ナギのように真っ直ぐ人を射抜く彼女にしては不自然な行動だと、カナタは感じていた。ただ、その彼女の様子が、エイイチロウの言う儚さだと思ったら、妙に納得出来てしまった。それが余計に不愉快でもあったのだけれど。
「カナタ、レフ!」
「はい」
思わず背筋を伸ばして、言うとおり板を構え、撮影を見守る。
風に揺れる黒髪と、伏し目がちな瞳は、エイイチロウの言うとおり、ナギより遥かに彼の作った世界の雰囲気に似合うだろうことは、カナタも認めざるをえなかった。
何より、ナギの時に感じた違和感が、彼女を見ている限りはなかった。
『ナギよりマドイちゃんの方が似合ってると思わん?だって、ナギって儚さとかゼロだし』
エイイチロウは、何よりマドイの儚さを見いだしていると言うことなのか。カナタはそう思いながら、彼の台詞をゆっくりと噛みしめるように考える。
エイジがいれば、明確に応えてくれるだろうと考えながら。彼は当たり前のように自分側にいると感じながら。