第38話【続々・コトコ】
高等部が昼休みを迎えたころ、工事中の学園中心部にあるドームの前で、ナギは「ゲーム」の予約を取っていた。候補日は今夜。しかし、いつも通りちっとも返事がないことに、彼は複雑な思いだった。今夜のゲームの時間まで12時間を切っている。この時点で返事がないようでは、おそらく開催されないだろう。
溜息と共に携帯を閉じた途端、彼の妹からの着信で、再び携帯を開いた。
「なんだ、マドイ。どうした?声が暗いし」
『ユーちゃんを置いてきたって聞いて』
「……マドイまでなんだよ。オレがユズハと一緒にいないことがそんなにおかしいか?」
『ううん。そんなこと無い。でも、すぐに帰っちゃうって聞いたよ?ヒジリにも顔を見せてあげてくれないかな?』
「ん?うん。もちろん。そう言うなら。そっちに行くよ。外の方がいい?」
『こっちに来て。あのね今日、学校ね、半日なの。だから』
マドイが何かに焦ってるような気がして、ナギは少しだけ心配になってきた。
「なんだよ。何かあった?夜じゃダメか?」
『うん。良いよ。何時くらいになりそう?』
少しだけ、「ゲーム参加」の返事が来ることを期待したが、無いと判断して。
「八時くらいに行くよ」
『ありがとう。待ってるから』
そう言って電話を切った彼女に、どうしても違和感を拭えなかったが、可愛い妹のたっての願いを断るようなマネは彼はしたくなかった。
「誰と電話してたの?人を呼びだしておいて」
「妹だよ。それより、大丈夫だった?授業は?」
携帯を閉じ、振り向くと、コトコが笑顔で彼を見上げていた。
「しかもこんな所で。学園の中じゃなくて、もっと他になかったの?」
「いや、ここに用があったから」
ほんの少しだけ甘えた声を出すコトコに気付かないまま、彼は工事中のドームを指さした。いつの間にかその高さは学園内にある全ての建物よりもずっと高く、青空に向かって突き進むようだった。
「工事、早いな。ほら、あらかじめ用意していた物を組み上げてるみたいな。それにしては、高すぎるけど。これ、最終形はどうなるんだ?普通、工事するなら完成予想図かなんか、外に置いておく物なのに」
ドームのある広場は、青々とした芝生が広がり、木が生い茂る。普段はまるで森林公園の様なのだが、今、このドームに近付く物はほとんどいない。
「……そうね」
「中、みたいな、どんな風に工事してるのか。普通、これくらい高かったらさ、上の方の骨組みの部分とか見えるはずなのに。あんな風にがっちりフードで隠すことなんて、しないよな」
「そうかしら。風雨から守ってるんじゃない?」
「生き物みたいだな。非常に有機的な形だ。まるで、下から螺旋状に、こうやって生えてるみたいな、ね」
手を大きく回転させて、渦巻き上のソフトクリームを描いてみせる。ナギは笑いながら、いつものように楽しそうにしていたのだが、コトコの顔は険しかった。
「まるで、バベルの塔だ。まあ、天まで届くような塔にしては、土台が弱すぎるけど。ちょっと、狭いかな」
考え込むナギを、彼女は伺う。表情を悟られないように。
「そうだな。この学園全部の敷地を使ったら……いや、それでも、そもそも天って、どこまで届けば天ってことになるのかな?」
「やだもう、何言ってるのナギったら。そんなこと、出来るわけないじゃない」
「そうだよな。あり得ないよな」
2人で笑い飛ばす。しかし、そのナギの様子がいつもと違うことを、彼女は十分すぎるほど理解していた。
「で、どうしたの?」
「この中、みたいんだ。許可とか、鍵とか、手に入るだろ?」
「え?」
彼は再びゆっくりと、工事中のドームを指さした。
「興味があるだけだって。こんなでかいモノを作ってる現場なんてさ、滅多に入れないし」
「どうして?建築事務所に入るんじゃないの?今だってバイトしてるんでしょ?向こうはインターンのつもりでいるって……」
「多分、院を出たら、バイトも続けられないし。地元は開発されるような地域でもないしな」
「ねえ、ホントは、お家を継ぎたくないんじゃないの?」
「話、逸らすなって」
彼の眼孔が、真っ直ぐコトコと貫く。
「怖いよ、ナギ」
「ごめん、怒ってるわけじゃないんだ。でも、そう言うのされると、困る」
「困る?」
「彼らしくない」なんて思ってしまった自分が、彼女は嫌になった。
「入れるだろ?コトコなら」
「でも、学園の施設だし。私はただ」
「だって、理事会に親戚がいるんだろ?コトコがここに入ったコネって、その人のことだろ?」
「……ええ。まあ」
いつも彼の隣にひっついている巨大な男を、心の中で罵倒した。
「入れるだろ?」
彼が真っ直ぐ人の目を見る、その行為を、初めて「ずるい」と思った。
「見たいだけだよ。どうなってるか。興味があるんだ」
「判った。行きましょう。裏側に管理室があるから」
彼が嘘をつくことが下手なことを、彼女は知っていた。知っていたからこそ、もうこれ以上、彼に逆らえなかった。
もう、腹をくくるしかなかった。あの男のせいだと思いながら。
一言も喋ることが出来ないまま、彼をドームの裏側、学園の奥にある、工事用の管理室に誘導し、中に入る。
やっと彼が声を発したとき、彼女は大きく溜息をついた。安堵と、恐怖で。
「上、あがれないのかな?」
「……上?」
集会場として使われている広場は、まだ以前の姿を残したまま、壁面にフードがかけられていた。工事中というわりには誰も人はおらず、集会場も片づいたままだった。
「これだけ高い物作ってるんだから」
「どうかしら。工事に関わってるわけじゃないから……危ないんじゃない?」
「工事をしてる風でもないけど。随分静かだし」
ナギは自ら、管理室側へ戻り、普段ゲームのときに使用している隠しエレベーターに乗って上に向かう。彼自身も、ここが昼間、どうなっているのか知らなかったから、その確認も含めて。
「ナギ、あんまり勝手に行くと……良くないんじゃない?」
「大丈夫だろ?誰もいなさそうだし」
エレベーターの扉が開くと同時に、彼は前へ進む。いつもなら目の前の扉を開ければ、ゲームを行う一本橋のボードが広 がっているはずだ。
「……なんだこれ?」
彼は目の前に広がる光景に愕然とした。扉の先に広がるのは、狭いキャットウォーク。たくさんのぶら下がっているライトは、普段は眼下に広がる集会場を照らしていたのであろう。工事中にも関わらず、そのままにしてあった。
ゆっくりと天井を見上げる。彼が外から見たのと同じだけ、ちょうど高層ビルの吹き抜けを下から見上げているような、それくらいの高さを彼は感じた。天井はぽっかりと穴があいているようで、青空が見えた。そのわりには眼下に広がる集会場は、綺麗に掃除されていたのか、汚れた気配がなかった。
「工事中に、何度か雨が降ってるはずだけど」
エイイチロウと学園で初めて会った日、彼はずぶぬれになって必死でカメラを拭いていた。その時、ナギはカナタと一緒に工事中のドームを眺めていた。
「……夜は、月の明かりは見えなかった」
「夜?夜なんて」
「しらばっくれなくていい。でも、オレ、多分考えないようにしてたんだな」
やはり彼は真っ直ぐ、彼女を見つめる。塔のようにそびえ立つドームの天井から降り注ぐ陽光に、彼の顔が照らされる。そのまぶしさに、暗闇の中で輝く彼の姿に、彼女は思わず目を背けた。
「ねえ、こんなこと言うのはあれだけど……もしかして、田所さんに何か吹き込まれたんじゃない?あの人のこと、信用しすぎじゃない?ねえ、何を言われたの?」
『オレと梶谷さん、どっちを信用するんだよ。オレのこと、信用できないってこと?』
「ユズハの言うことも、コトコの言うことも、オレ、同じくらい信用してるつもりだ。だけど、同じくらい疑うべきでもあったんだ」
「どうして?私たち、友達じゃない?ね?」
「ずっと、あの声に違和感があったんだ。ゲームを開始するあの女の声」
「何言ってんのか判んないわ?一体あの人に何を吹き込まれたの?あの人、私に連絡するときも、何だか疑ってるような、酷いことばかり言うの。ねえ、ナギ!」
彼女は、彼の肩を掴み、必死に詰め寄る。彼がどこまで、何を知っているのか、どう思ってるか掴み取れ無いまま。
彼の横にいる、あの巨大な男が、彼に一体どこまで吹き込んでいるのか判らないまま。
「ゲームを開始する女の声は、お前だろ?あの柱から聞こえる声は」
「ナギ……何言ってるか判んない」
「判らないのに、そんなに必死にならないだろ?」
「私のこと、信用してないの?」
その行為が、彼の疑いの目をますます強めると言うことに、彼女は気付かないまま、彼の体を揺らす。
『そうじゃない。お前もコトコも信用するしかない。でも、そっから情報を選ぶのは、オレの自由だ。お前のことも信用してる、コトコもだ。だけど……』
「多分オレの知らないところで、どっちにもオレに隠してることがあるんだよ。だから、全部信じちゃダメなんだ。その上で、オレがどうするか、オレが決める」
ユズハに言った台詞と全く同じ言葉を、彼はコトコにも告げた。
『……じゃあ、どうするか、教えろよ』
「待って、ナギ。だったら私、どうしたらいいの?」
「そう言われると困るけど」
そう言って、ナギが困ったような顔を見せたことに、今度は彼女が困ってしまった。まるで宥めるような彼の顔を、彼女はほとんど見ることはなかったのだから。
「コトコが、どういうつもりでゲームに絡んでるのかとか判んないし。ただ、お前は確実に主催者側にいるんだな、って思ってた。あのゲームの声、学園の理事会にいる親戚、この学園で教鞭を執っていること。そう思ったら、オレがどうしてこのゲームに参加してるのか、それすらも疑うようになってた。だけど、コトコがオレにそんなコトさせて、なんのメリットがあるか判らない。オレ達は前のままなわけだし」
「……私、1人がやってるわけじゃないから。……私、無理矢理仲間にされてるだけなの。信じて、ナギ」
「仲間?」
一瞬、射し込んでいた光を厚い雲が遮り、彼を照らしていた光が無くなった。
そのタイミングを見計らったように、彼女は彼の体を引き寄せ、抱きしめる。
「ちょ……コトコ、何を……」
「私1人でこんなコトが出来るわけないって、判ってるんでしょ?他にいるって、知ってるんでしょ?」
「……うん。まあ」
エイイチロウのことも、9割は信用していても、1割は疑っていた。疑うだけの要素がたくさん目の前に並べられても、それを見ないようにしていた。だけど、全て見ないわけにはいかなかった。
ユズハが、ナギの目の前にある分厚いフィルターに穴を開けていた。それは充分すぎるくらい、ナギも理解していた。ユズハもまた、ナギのためにフィルターを作っていることも知りながら。
知っているけど、考えられなくなってきていた。彼女の感触が彼から思考能力を奪っていく。
「ねえ、ナギ。助けて」
「助けて……て?」
「こんなコト、したくないわ。ナギが勝ち進んでくれたら、私ももう、こんなコトしないですむのに」
「コトコ……」
『君はただあの生け贄を、天に昇る塔へ捧げる祭司として、その手を汚し続けろ』
「なら、知ってる?オレとユズハにあの手紙を出したヤツ。お前?」
「手紙って?」
「生け贄はオレ、その贄を『天に昇る塔』へ捧げる祭司はユズハ。そうやって、オレ達を駒として動かしたがってるヤツが、オレ達をこのゲームへと誘った。それがお前なら……」
「そんなの知らない。でも、他の誰がしてるかも知らないわ」
彼女は彼を抱きしめる手に力を込めながら、彼の頭を撫でる。ゆっくりと、頬をすりよせながら、彼の首筋に顔を埋める。彼は彼で必死になって、その彼女に飲み込まれてはいけないと、自分を保つのに精一杯だった。
「……そうなんだ」
「だって、ナギがここにいることだって、知らなかったのに?」
そう言った彼女の言葉を、彼は信じたかった。だけど、自分の存在を、自分と共にいたユズハの存在を知る彼女が手紙を出したと考える方が、自然だった。しかし、そう思いたくないのも事実だった。
「なんか、もう……どうして良いかわかんねえよ」
「どうして?」
「コトコも、ユズハも、嘘をついてるのは判るのに。2人とも、オレのこと好きなんだもんな」
その台詞に思わず、力が抜けるコトコ。真っ赤になって、顔を押さえる。ナギはそんなコトコをゆっくりと引き離す。照れくさそうに。
「なんてこと!そう言うの、よく簡単に言えるわね」
「だって。他になんて言っていいか、わかんなかったし。まあ、悪いことじゃないんでない?」
そう言いつつ、彼は少しずつ彼女から距離をとる。
「まあ、でも、そういうのじゃないし」
「そう言うのって……田所さんと私がそこに並列で並んでるのがそもそもおかしいのよ、もう!ホントにあんたってそう言うとこが」
綺麗だと。彼女は口にはしないけれど。
「なんかすっきりしないんだけど。戻ろうか」
「ねえ、そう言えば、どうして今日は1人なの?田所さんとか、五月蠅そうなのに」
彼女のその台詞には、彼は簡単に納得できた。
「あいつがいると、オレの判断で動けないんだ。だから、置いてきた。フェアじゃないだろ?」
「何が?」
彼の元に再び、陽の光が降りてくる。
「オレに関わってくれてる人たちに。良くも悪くも、な。オレがこのゲームに出てしたいことって、一つだからさ。別に、あんな賞品に興味もないし」
『オレは別に賞品に興味ないし。ナギは勝ち続けるんだろ?最後まで』
「そのためにどうしたらいいか。どうしたらオレの目的を果たせるか」
『……じゃあ、どうするか、教えろよ』
「ちゃんと答えを出すために、ジャッジを下すために、1人で来た」
「判らないわ。何言ってるのか」
「『お前に意志があるように、オレにも意志がある』。あいつはオレにそう言った。だから、オレは早く彼に答えないと」
光の中、歩く彼を、彼女は追いかけられなかった。悔しくて。すっきりしないと言いながら、彼の中で答えは出ていたのに。少なくとも、彼女にはそう見えた。
それが、彼女を焦らせる。
「戻ろっか。悪いな、つき合わせちゃって」
振り向き、声を掛ける彼に、彼女は笑顔を返せなかった。
襟を正し、深呼吸してから、ユズハは襖の前で正座をし、中にいる人物に声を掛けた。
「失礼します。何かご用でしょうか?」
中緒道場の離れの小さな和室に、師範が正座をしてユズハを待ちかまえていた。一時期、床を離れられない状況のことを思えば随分良くなったと、ユズハは師範の元気そうな姿に安堵した。それでもまだ、道場に顔を出すことは少ないのだが。
「昨夜、ナギが忘れ物をしたと言って出かけたが、聞いているかね?」
「いえ。しかし、彼のことですから、すぐに戻ってくるとは思いますが」
「そうか。てっきり、君も一緒だと思っていたのだが」
「……ええとですね。そうですね。そうできると良かったんですけれど。遠慮したんじゃないですかね。自身の落ち度なので」
彼がユズハの手を逃れ、1人で動くために学園に戻ったのは明白だった。それすらも、その今の2人の関係性すらも、師範には全て見抜かれているような気がして心臓が激しく痛む。
(この人は本当に、底が知れない。というか、天然だ!)
とは思ったモノの、決して口には出来ないユズハ。大学の教授にすら、さらっと嫌味の一つなら簡単にいえるのに、この人にだけは本当に頭が上がらない。
「何があったかは知らんが」
「……はあ」
いろいろあったんですよ!と声を大にして言いたい気持ちになる、師範の天然な態度にびくびくしつつ、ユズハは言葉を濁す。
「君も、随分無理をしているんじゃないか?」
「いえ、そんなことは」
「ほぼ週1で帰ってきてくれるのはありがたいし、普段もこちらのフォローもしてくれている。ナギのことを私の後継者として認める者も、以前に比べて増えてきた。あの子の努力もあるがそれ以上に、君の力だ」
「いえ。私は何も」
「他でもないナギ自身が、そう言っているんだ。私も、そう思うがね」
思わず、ユズハは彼から目をそらした。ナギがそんな話を師範にしていることが、嬉しくもあり、照れくさくもあった。
「師範のお言葉通りにしたまでです。私にも、この道場を任せたいとおっしゃった」
「そうだな。ここまで、影に徹する必要はないと思うが」
「……直球はやめてください。『ナギがいる』と、あの時も申し上げましたよ?それに、表に出過ぎて、面倒を起こすのがいやなだけです。よくご存じのはずだ」
「うん。うまい言葉だな」
ユズハにとって最善の策だと。ナギのプライドも大事に出来るし、やっかまれない。そう言ったのは他でもない師範なのに。
「君も随分自身をコントロールできるようになったわけだ」
「そうですね……。あの、持ち上げて置いて突き落とすのやめてくれませんか?」
「なんのことだね」
天然かよ!と突っ込みたかったが、やっぱり言えるわけもない。
「いや。君は本当によい青年になったよ。こうして向き合って、話が出来る。私の跡を、あの子のフォローを出来るだけの青年に」
ユズハは再び、襟を正し、背筋を伸ばす。師範が彼を1人の大人として、後継者であるナギの補佐として認めていることに他ならないと、理解させられたからだ。
「……しかし、師範は私に、『まだまだ甘い』とおっしゃった。全く、その通りだと思っています」
「そうだな。しかし、以前よりは随分良くなった。こだわりが無くなったというか……」
じっと、師範はユズハの顔を見つめ、考え込む。まるで子供のような彼の態度に、ユズハはナギを思い出す。やっぱり、ホントの親子なんじゃないのかと疑いたくなってしまう。
「いつだったかな?うーん……先月くらいか。2人で一緒に帰ってきたとき……ほら、ナギがケガをしていたときだ。何があったかしらんが、君はまるで、憑き物がとれたような顔をしていた」
「……ああ……。あのとき、かなりへこんでたんですけどね、ああ見えましても。そんな風に見えましたか?」
「ああ」
「それって……一体なんでしょうか?」
「さあ。ただ、ナギといるときに、気負っていたものがなくなったな」
「気負ってましたか?」
師範の無言の頷きに、思わず肩を落とす。いつものように、的確に痛いところをついてくるくせに、その理由は判らないと言うのだ。
「何かあったのかね?ナギは、逆に心を乱していたようだが」
「乱し……」
その言葉の選び方に、他意はないと判っていながら、ますますへこむユズハ。
「まあ……そうかもしれないですね。特に、何があったというわけではないのですが」
「世の中は、思い通りにならないことの方が多い。そんな中で、どう動くか、どうしたいか、どうなりたいか。それを、実行するのは、難しいようで容易い。しかし、その本当の意味を、本当の重さを、知ること、受け入れることは、思った以上に難しい」
「……はい」
「あの子も、君も、真っ直ぐだけれど、一本気なところがある。受け入れ難いこともあるだろう。君も今まで、そう言う部分があったことを理解しただろう」
「それが、オレ……私の甘さですか?」
「甘い部分も、あった方がいい」
「どっちなんですか」
思わず頭を抱えるユズハ。落ち着かせるために、再び背筋を伸ばす。
「ナギに敵わないと君が思っていることは、君の重荷でもあり、牽引力でもある」
「え?」
「人の持つ物が、一つの方だけを指し示すことなんてないんだよ。ナギも君も頑なすぎる。それだけが心配なんだ」
師範の真っ直ぐな言葉、真っ直ぐな視線に、項垂れるユズハ。
「だから、ヒジリとマドイのことも、心配だけれど。重荷として抱え込み過ぎなくても良いんだ」
「……師範、それは」
「あの子も私も、彼女たちのことを案じている。だけど、彼女たちからしたら、迷惑な行為かも知れないし、彼女たちもこちらのことを考えているのかも知れない。それが、ナギや君の重荷になりすぎてはいけないとも思うし、この道場のことも、そうだ」
彼が親として、彼女たちのことを心配しているのは痛いほど判る。判るけれども、あえて彼はそう言っているのもユズハには理解できた。
「己にうち勝つ前に、することがある」
「……師範、それは?」
「敵を知らねば、勝つこともままならないだろう?」
ただ一筋の道を歩めれば。
そうすればどんなに穏やかなまま、綺麗なまま、真っ直ぐ前だけを見ることが出来たのに。それではダメだと、師範は言っているのだと、ユズハは理解した。
自分にも、ナギにも。ナギに自分がその道を進ませるのも。