第36話【続・カナタとマドイ】
マドイは帰りたいと言ったわけじゃない。だけど、彼らは手をつなぎ、店を出た。
カナタも帰りたいわけじゃなかった。彼女の話は聞いたけれど、それだけじゃいけない気もしていたし、自分が何より悔しかった。彼女に何も出来ない自分。
何とかしたいって、思っていた。
それがただ、感情としての帰り難さだとは思っていなかったのだけれど。
「どこか座る?それとも、どこかに入る?」
「うん。でも、そこでいいよ」
当たり障りのない話をしながら、二人は公園に入り、ベンチに座る。
公園の時計が8時を指していたのをカナタは確認した。夜中に来るとカップルばかりなのは知っていたが、時間が早いせいか、比較的、人がいなかった。それに、カナタは少しだけ安心した。
「帰りたくないな」
一昔前のドラマのようなセリフを彼女が吐いた。他意がないのは誰よりカナタが判ってるけど、それでも意識してしまう。
「ヒジリさん、待ってるよ?」
「うん。でも、出かけてるかもしれないな。よく、夜中に一人で出かけてるから」
「……誰と会ってるか、知ってるの?」
カナタなりに言葉をえらんだつもりだった。
マドイも言葉を選んでいるようだった。それを確認して、彼女が妹の行動をある程度把握してることを理解した。
「カナタは、ホントに何でも知ってるんだね、私のこと」
「知ってるわけじゃないと思うよ」
顔色を伺うように、彼女は彼の顔を覗き込んだ。
「考えてるだけ」
「ふうん」
「オレの顔、何かついてる?」
「ううん?私のこと考えてるのって、楽しいのかなって思って」
「なに、それ。何かオレ、変質者みたい。……楽しくなかったら、あんまり考えたくはないかな?」
「ふうん。悔しかったり辛かったり悲しかったりするって言った」
「まあ、いろいろじゃない?状況にも寄るし。でも、楽しいことの方が多いよ。オレには、多分、大きな障害がないからだけど。いや、大きいかな」
溜息をつきながら、彼は彼女から目をそらした。
『大丈夫だよ?カナタは、何も足らなく無いよ?』
だったら、どうして彼女と自分の間には、彼女の妹が立ちふさがっているのか。あの彼女の小さな兄の足元にも及ばないのか。自分の存在の危うさを、小ささを、カナタはどうしようも出来ないと理解していたからこそ、嘆くしかなかった。
「カナタは、私といると楽しいってこと?」
「そういうことだね」
「そう。私もよ。そう言うの、何か嬉しいね」
それが「好き」って感情じゃないの?
そう、彼女に言ってやりたかった。そのまま、まっすぐ自分を見て欲しかったけれど。あまりにまっすぐ自分を見つめる子供のような彼女に、それを言えなかった自分は意気地がないのだと思った。
自分の言葉としてで無ければ、こんなに簡単に彼女への好意を伝えられるのに。
「でも、カナタは、何だか泣きそうな顔してる」
「マドイこそ」
彼女が辛そうにしてるのは、ただ1人のため。
自分が辛そうにしてるのは、思い通りにならない全てのため。
この状況で、冷めたまま、冷静な振りをして彼女に対峙してる自分も、そのことをこうして考えてる自分も嫌だった。
これは、好意ではなく独占欲とか、所有欲とか、そう言う類のモノじゃないか?それを、綺麗な言葉で誤魔化してるだけなのでは?
何にも興味のないフリして、どうでも良い顔して、そのくせ、あの「望む力」を人を蹴倒してでも欲しがるような欲深い自分。
何が欲しいの?とエイジはカナタに聞いた。彼はカナタのことを「何を欲しがってるか判らない」と言った。カナタは笑って誤魔化すだけだった。
もう一度それを聞かれたとき、カナタは「強さが欲しい」と答えた。それはすらも多分、ごまかしだと、今は思っていた。
何も手に入らないから、完璧なモノは手に入らないから、自分は手が届かないから。だから興味がない、手に入らないモノはいらない。
でもそれは、手に入るモノは全て欲しい。入らないモノは自分の世界から排除する。そんな傲慢で強欲な精神なのでは?
ナギに、マドイに、会ってしまったから。カナタは、自分の冷めた心を、ごまかし続ける心を、以前よりずっと嫌うようになっていた。
女は心配してくれるけど、自分が辛いのは、自分の欲が叶えられないから。そんな醜いことってあるのだろうか。
どうしたら、大きな矛盾を抱えているくせに、あんな風に綺麗に生きられるのか。
エイジがナギのことを「ずるい」といった理由が、今なら痛い程良く判る。
目の前にいるのに手の届かない、手を伸ばせない、彼女の存在がカナタにそれを思い知らせる。
「カナタの思いも、ヒジリの思いも、私には理解できない。好きとか嫌いとか、つき合うとかつき合わないとか、判んないけど。ヒジリ以上に大事な人なんて、多分現れない気もするし。だけど」
「だけど?」
彼女の顔を見ることは出来なかった。彼は努めて冷静な声を出しながらも、彼女から目をそらしていた。
目の前に彼女が立つまで、気付かなかった。
「だけど、カナタが辛そうにしてるのを見てるのは辛いよ。何とかしてあげたくなる。あの子のこと以外に責任をとる気はないのに 。これって、ずるいかな?」
彼女は、彼女の兄がしたように、彼の頭を両手で抱えるようにして抱きしめた。彼女の体温と柔らかさが頬から伝わってくる。
「……ずるくは……ないんじゃ……ないかな?」
やばい。そう、思わず声に出してしまいそうになった。制服越しとはいえ、彼女の胸の弾力がはっきりと感じられる。
「だって、なんか、飼えないのに子猫を拾うみたいでしょ?」
「でも、もしかしたら、気が変わって飼うかも知れないだろ?」
耐えきれず、彼は彼女の腰に手を伸ばし、引き寄せ、彼女を向かい合わせのまま、自分の膝に跨らせた。
「カナタ」
「……すみません。行きすぎました。でも」
マドイが怒っているのかと思って、思わず謝ってしまったが、彼女は照れているだけのようだった。
冷静に、カナタは心の中で自分を責めていた。
こんなに冷めてて、ホントに自分は彼女を好きなのか?と。
彼女は、彼女の妹に対して、自分のこと以上に全てを捧げているのに。それに比べて自分は。
「ずるくても良いから、オレは全然平気だから、責任なんか良いから」
彼女はずるくなんか無いのに。誰より彼がそう思っているのに。
カナタはマドイのせいにしながら、押しつけるように彼女の腰を引き寄せ、触れるだけのキスをした。
「ただいま。エイジ、もう寝てるの?」
部屋に戻って声をかけるが返事がない。寝てると判断したカナタは、灯りをつけず に、制服を脱ぎながら自分のベッドに潜った。
「うっわ!!カナタ!?何で戻ってきてんだよ??」
「え?エイジ?何でオレのベッドにいるの?」
暗がりの中、手探りでエイジの顔に触れた。
「いや、その、兄貴が……。……待て待て待て、電気はつけなくて良いから!」
自分の顔色を見られなくて、ベッドの脇にある電源に手を伸ばしたカナタの手を止 めるエイジ。変な汗が止まらない。
「兄貴?お兄さんが、何?」
「何か、急に来て、カナタは今日はマドイと泊まりだろうから、代わりにここに泊めろって。オレのベッドで寝てる」
「泊まりじゃないって。勝手に誤解してるな、あの人は。でも何で?何でエイジがオレのベッドで?」
「いや、まあ、空いてなかったつーか。その、えっと、なんだ、まあ、気にするな。 ……だから、電気はつけるなって!」
やたら早口のエイジを不審がりながらも、ベッドの上に座り言うとおりにするカナ タ。
「で、結局、泊まりじゃないのか?」
「だからそんなんじゃないって。なに勘違いしたんだろ。マドイのこと、あんなに 『可愛い』って言ったくせに」
「何じゃそりゃ。ああ、でも、相当興奮してたな。盛りがついた動物並。マドイは理 想的なんだと」
目が慣れてきて、カナタの顔が見えるようになったけれど、彼の表情はそのままだっ た。
「みたいだね。ナギさんに無い素材をみんな持ってるって」
「あの、『オレ様』の容姿が、相当お気に入りだったみたいだしな。話してみたけど、 スゴイ良い子☆、とか言ってたし」
「うん。かなり気に入ってたみたいだ。電話番号も聞いて、撮影もして、可愛いって 56回も言った」
「数えてんなよ。……そのわりには、あんまり気にしてないみたいだな」
「何でオレが?気にする必要がある理由が判んない」
「ライバルにもならない……、と。余裕だな」
「そう言うわけじゃないって。そもそも、オレとマドイは」
「はいはい。つき合ってるわけじゃないって言いたいんだろ?」
こんな時間まで一緒にいたくせに、兄からも「傍目にはつき合ってるようにしか見 えない」とまで言わせたくせに、何を今さら、と思わざるをえない。
「つき合うのってさ」
「なんだよ」
「『つき合ってください』『はい』で始まるの?」
「……は?何、中二病?」
「なにそれ??よくわかんないけど、ほら、例えばさ、ヒジリさんと田所さんって、ど うなんだろ。いろいろつき合ってるようなマネはしちゃってるけど、付き合ってはな いよね。責任がないって言うか。そういうのとは違うよね」
「はあ。いや、そんな、竹を割ったら必ず2つに割れないといけないような話をされ ましても」
「だとしたら、オレとマドイがつき合うのって、多分、一生無理だよ」
「……なにがあった?」
つき合ってないと言う言葉はあっても、その可能性を否定する台詞は初めて聞いた。
「別に。何もないんだ。ないんだけど」
「ない?」
「あの時、オレ、泣けそうだったのに」
「泣く?」
カナタらしくない。エイジはそう思ってた。思わず電気をつけ、彼の顔をまじまじ と覗き込む。
「お兄さんが、マドイにちょっかいかけてきたこと、オレはすごく不愉快だったのに。 ちゃんと、不愉快だったのに」
「まあ、当然だな」
「冷めてるって言うか」
キスをして、彼女を抱きしめた。手をつないで一緒に帰った。たったそれだけの行為でも、今までよりもずっと彼女に近付いてる。肉体的には。だけど。
「冷めてる?」
「あの子の気持ちに、何も確証はないのに。あの子は何も変わらなかったのに。そこ から、何とかしようって、動かない」
カナタの余裕は、優位に立ったと思ったその気持ちは、いつも通りの彼女の態度に よってへし折られていた。
『カナタの思いも、ヒジリの思いも、私には理解できない。好きとか嫌いとか、つき 合うとかつき合わないとか、判んないけど。ヒジリ以上に大事な人なんて、多分現れ ない気もするし』
彼女にとって、自分の存在は、思っていた以上に大きく、望むよりもずっと小さかっ た。
「動かない、ってなあ……。お前ねえ。お前のことだろ?」
カナタの「本当の望み」はいったい何なんだろうか。エイジはずっとはぐらかされ ているような気がしていた。だけど、目の前で悩む彼を見て、彼が自分に悩みをはぐ らかしていたわけではないことが判った。彼が、エイジに言った望みは、あやふやで 曖昧で、漠然としているけれど、真実だ。
「動かないんだ。こんなときナギさんなら、どうするだろう?だって、あの人は『ど うしよう?』って悩まないんだ。『こうしたいけど、どうしたらいい?』って悩むんだ」
悩みながらも、明るく照らされた道をまっすぐ歩く、あの小さな男を見つけてしまった。見つけなければ、彼はこんなに深刻に悩まなかったかも知れないのに。
あの男はずるいのに。
エイジはそう思うと、溜息ばかりが零れた。
「だって、オレはね、無理なんだって思ったら、その感覚すらも、忘れてしまいそうなんだ。オレだって」
『大丈夫だよ?カナタは、何も足らなく無いよ?』
あの時、涙が出そうになったあの感覚すら、薄れていく。
彼女は自分に、あんなに強い思いをくれたのに。
「どうしよう、エイジ?」
羨ましかった。
どうしてエイジは自分の目の前を歩くんだろう。ナギのように明るすぎる道を歩いているわけでない彼は、少しだけ自分に近くて、憧れと羨望に、少しだけ嫉妬が混じっていた。
だからかも知れない。こんな風に、彼には寄りかかることが出来る。
エイジは黙ってカナタに手を伸ばす。エイジもまた、悔しい思いを隠しながら、彼の頭を両腕で抱える。
彼の中でくすぶっていた思いを、彼が『冷めてる』と思いこんでる、この強い思いを、こんなに傍にいたのに、支えきれなかった、気付けなかった自分に。
こんなにも彼を思っていたつもりでいたのに。
「……お前、どうしたいんだ?だから、あの力が欲しいのか?その曖昧な願いのために、曖昧な力にすがってるとでも?」
『知ってるか?木津。何も欲しくない人間は、そんな風に悩んだりしないんや』
イチタカの言葉がエイジの頭をよぎった。
まるで、その言葉を肯定するかのように、エイジの腕の中でカナタは黙って頷いた。
彼の、導く者の言葉を、エイジは繰り返した。
「お前には望みがある……そのために出来ることは、なりふり構わずした方がいい。どんなに曖昧なものでも。何にでもすがってみた方がいい。いくらでもやり直せるから、目の前にあるモン全てを掴むつもりで必死になった方がいい。望みを叶えるために動けなかった人間には後悔ばかりが残るものだから」
それは、エイジであり、カナタのことだ。エイジはもう、後悔をしたくはなかった。
「必死に……?」
「そうだよ。そんなに、お前は『何か』を欲しがってるだろ?」
「なにか……」
あの力が欲しい。だから一緒にゲームをしようと、カナタはエイジに言ったはずなのに。
だけど、自分があまりに曖昧だから。
『欲しいモンは、欲しいって言った方がええんやない?遠慮しとるんは、もどかしいで?』
カナタの頭にも、イチタカの言葉がよぎっていた。
『お前さ、何が欲しいのか、何がしたいのか判らんから。そう言うコトしてると、お前のことを大切に思ってくれとるヤツが戸惑ってまうで?』
カナタはそんなこと、充分すぎるくらい判っていた。判っていたつもりだったのに。
「オレは、オレを動かしたい。こんな風に、もどかしくて、冷たい感覚はいやだ。オレは、ナギさんみたいになりたいし……ずっと、エイジにも……」
「オレにも?……なに?」
口にするつもりはなかった。言いづらかった。でも、言えないわけではなかった。エイジが受け入れてくれるなら、彼がこんなに自分のことを考えてくれるなら。
「オレ、ホントはずっとエイジが羨ましかったんだ」
バツが悪くて、エイジの顔を見ることは出来なかったけれど。でも、吐露した思いはカナタの心を少しだけ、軽くした。
『望みってなに?望む力だなんて怪しげなものにすがってまで、お前は一体何を望む?』
イチタカの言葉を口にしておきながら、エイジの頭には兄の言葉だけが響いていた。
カナタにたった今、何にでもすがれと言ったばかりなのに。
彼の心が、自分に近いと判っただけで、こんなに自分の心は変わるものかと、自らのことながら、エイジ自身が驚いていた。
『そんな怪しげなもののために、そんなにがんばれるなら、そのがんばりを、その望みを自分で叶えるための力として使った方が建設的じゃないかって、オレなんかは思うけどね』
ちらっと、兄が寝ているベッドを見た。俯いたままのカナタを抱える手に少しだけ力を込め、つばを飲み込む。
「そんなにあの力が欲しいなら、オレと一緒にあのゲームに出よう。オレも、あの力が欲しい。お前には、オレの力が必要だろ?」
エイジの言葉に、カナタはゆっくりと顔を上げる。近付きすぎた距離に一瞬、エイジはひるんだが。
「お前につき合ってやるんじゃない。オレがそうしたいからしてるんだ。お前の相棒は、オレしかいないだろ?」
「……それで、エイジがホントに良いなら。ホントに良いの?オレずっと、振り回してると思ってた。エイジはそんなものには興味がないって」
イチタカの言葉が本当なら、エイジはどんなに自分のことを大切にしてくれていたことになるのか。
近すぎるから言えない。憧れと嫉妬が混じって、自尊心が邪魔をする。
自分が思っていたように、エイジもまたそう思っていたのだと、カナタは微かにだけど理解できた。
「オレにだって、望みがある。お前と、一緒に戦いたい」
「……エイジ」
「望みは、自分の手で叶えるもんだと。『ナギさん』は言ってなかったかい?カナタ?」
2人が座るベッドの向かいのベッドから声をかけたのは、寝ていたはずのエイイチロウだった。ゆっくりと体を起こし、頭を掻きながら立ち上がった。
「……言ってましたよ。でも」
「そうだな。確かに、世の中、自分だけの力では、何ともならんことも多いな」
「……お兄さんだって、ゲームに出てるじゃないですか」
エイジに向いていた体を動かし、挑発的な口調と目つきでエイイチロウを睨み付けたカナタに、隣にいたエイジが誰より驚いていた。
「まあ、オレにも目的があるからね。カナタは可愛いねえ。オレが彼女に声かけたら、急にそんな挑戦的な態度になって。そう言うところが良いよな」
声だけ聞いていたら、本当にそう言っているような気がしたのだが、当のエイイチロウは台所に向かい、冷蔵庫からビールを漁りながら喋っていた。
「お兄さんも、ナギさんと同じコトを言うんですね。そんな気はしてたんですけど」
「いいや?オレ、あんなに綺麗じゃないからさ。ナギは、いいよね。びっくりするぐらい綺麗でまっすぐ。大事にされたり、独り占めしたいって思われるのも判らないでもないんだよね。カナタもそう思うだろ?でも、オレとナギは、違う。それも判るだろ?」
「でも、オレ、ナギさんとお兄さんは、似てると思います。でも、似てないとも思います」
カナタの言葉に、隣でエイジが複雑な顔で兄を見つめていた。
「あはは。類は友を呼ぶってヤツかな。正直、そう言ってくれると嬉しいけどさ。でも、オレは、ナギよりかなりずるいかもね。うそつきだし。お前、ホントにナギのこと好きだね。だから、マドイちゃんのこと好きなのかな?」
「バカ兄貴、良いからさっさと寝ろよ。せっかくベッドを明け渡してやったんだから」
不愉快そうな顔をするカナタを見かねて、エイジが口を挟む。しかし、兄は気にせず、ビールを飲み干した。
「酒ばっか飲んでんじゃねえ!」
「オレ、お酒入らないと、真面目な話ができないわけよ。判るかい、愚弟?」
いやにまじめな顔で、でも、近付くことなくそう言ったエイイチロウに、エイジは何も言えなくなってしまった。
「マドイのこととか、今は関係ないですよ。ナギさんのことも」
「でも、『ナギさん』の意見なら、お前は聞きそうだからさ。悪いことは言わない。お前ら、望みを叶える力は持ってるだろ?特にエイジ……お前の望みは、もう叶っていないか?」
兄の言葉に、エイジの表情は固まる。まじまじと眺めるカナタの目をそらすように。
「……叶ったモノもある……けど……でも」
「人の欲望って言うのは、果てしないものだ。それにナギだって、そんな力は持ってない。だけど、あいつはすがらない。違うか?カナタ?」
「『何かにすがるのも、すがらないのも。選択するのは自由だ』って、ナギさんは言ってましたよ」
「そっか。ナギらしいといえば、ナギらしい。でも、彼はすがらないだろう」
「オレにはすがってでも、欲しいモノがある。何でそんなことを?要するに、ゲームに出る必要はないって言いたいんですか?」
エイイチロウは黙って頷く。子供をあやすような笑顔で。
カナタもまた黙って首を振った。
「賞品に目がくらんで、自分を見失うなよ?……っと、悪い、電話だ」
枕元で光る携帯を手に取り、相手を確認する。ナギだった。
「アロー。何だよ、ナギ?実家に帰ってんじゃねえの?」
エイジ達に向かって、ウインクしながら右手をあげ『ごめん』とポーズをとって見せた。
「今?エイジ達の部屋だけど。は?駅にいるからバイクで迎えに来い?って、カブなんですけど……?いや、乗れるけどさ。はあ、まあ、それでいいなら」
少し困った顔で携帯を閉じる。
「ナギさんですか?」
「うん。迎えに来いって。何か、N市内を通ってる深夜バスで帰ってきたら、星ヶ丘で降ろされたらしい。考えなしで動いてんな、あいつ」
「つーか、中緒兄は昨日の夜、実家に帰ったばかりじゃねえのか?何でこっちにいるんだよ?」
「さあ?あいつの行動は、突然すぎてよく判らん。とりあえず、五月蠅いから、ちょっと行って来るわ。メット持ってねえ?」
「小島さんが余分に持ってるから、借りてきてやるよ。多分、まだ起きてるだろうし。てか、兄貴のも原付じゃねえの?」
「東京から移動してきてるんですけど……」
兄のついた溜息が、何に対するモノだったのか、エイジには計りかねた。
自分が逃げるために、急いで部屋を出ていったことが後ろめたかっただけかも知れないけれど。