第32話【ジュン】
第32話 ジュン
窓の外では、ナギを挟んでコトコとユズハが対峙しているように見えた。妙に緊張感あふれる3人だ。少なくとも、店の中から彼らを覗き見ている彼らにはそのように見えた。
「なんか、修羅場っぽく見えるんですけど。よもや田所さんの本命って、梶谷センセ?」
「……いや。……もう良いから、あいつらは見るな。あの鬼畜で根性曲がった人と関わったら、ろくな目にあわねえって」
「酷い言われようだな」
「だって、酷かったろ?あの人」
あえて、レイにそう言った。とにかく、彼らの修羅場をカナタに見せたくない一心で。
「ナギさんは……」
見せたくないのに、カナタはまっすぐ、ナギを見ていた。
「田所さんと、一緒に歩いていきたがってた。田所さんは、ナギさん以外の言葉は欲しくないって言った。だから、オレの言葉を拒否する」
「難しいこと言うなあ」
溜息をつきながら、カナタにそう言い放つレイ。
「……難しい?」
「うん。難しくない?だってさ、誰だってさ、自分に近い人とか、好きな人とかの、良い言葉だけあったら、そんなに気分のいいことはないじゃん。でもさ、大抵、誰かが思ってるコトなんてその人の口からは聞けなくて、他の人がそれを歪曲した形で伝えてくるじゃん。その中で情報を取捨選択して、自分に取り入れるものを決定するのは、自分しかいないわけだろ?それはもうどうしようもないじゃん。そう言うもんだと思うしかないじゃん。なのに、それ以外の言葉はいらないって言うのは、難しいよな。カナタは、そう言うの納得できるんだ」
「……別に、納得を……してるわけじゃないよ」
「でも、受け入れてんじゃん」
「受け入れてる?」
「だって、今のカナタの態度って、『オレの言葉は拒否されるのかあ、そっかあ』ってことだろ?」
そう言ったレイの言葉に、何故かエイジが彼を睨み付けるような鋭い眼光で見つめた。カナタは、表情を変えないまま、黙って彼を見つめる。
「……ねえ、何で2人ともそんなに怖いの?特にエイジ」
「いや、お前、良いこと言った。なんか田所さんの言うことを取り上げるのはいやだけど、なんか、あの人が言おうとしてたことも判る!判りやすい!」
立ち上がり、興奮した面持ちでレイの肩を両手で掴んだ。
「……判りやすい?」
「や、主にオレにとって?」
「何で疑問型なんだよ。てか、それ誉めてんの?エイジ。顔、超怖いよ?」
「何言ってんだ、珍しくオレが手放しで誉めてんのに」
「珍しいって、自覚してんのかよ」
カナタはその2人の様子を見ながら、強張った表情のままだった。
「なんかカナタも怖い。オレ、大したこと言ってないと思うけど」
「いや……そっか。地に足がついてるって、そう言うことかな?そうだな。なんかあれだね、オレがそうしたいからそうしてるわけじゃないのに、流されてる。いや、流されてるわけじゃない。オレにはやっぱり……」
そこまで言うと、カナタは再び黙り込んでしまった。
少しだけ不安そうな顔で、カナタを伺う2人。
「何だよなんだよ。何で黙っちゃうんだよもう、そこ大事なとこだって!」
「……大事?まあ、大事だけど、何でそこでつっこめるんだお前は」
「だって、いま突っ込まないで、いつ突っ込むんだよ。エイジは何でそんなにカナタに対してびくびくしてるんだよ。意味わかんないし」
今度はエイジが黙ってしまった。
「オレはどうしたら良いんだよ……」
どんなに地に足がついていたって、いくら支える存在になれるといわれたって、今のレイは自分の無力を感じずに入られない。
2人とは全く違うものを自分が見ていることを、彼ははっきりと理解してしまったのだから。
違うものを見ていても、支える立場でいられるのならば、そうしていたいと彼は願っているのに。
自分の力が、誰かを支えるその喜びに、満足できる。
「なんでいるの?」
「何でって?オレが夜の町を歩いてちゃいけない?」
「いけなくはないけど……」
不審そうな顔でユズハを見つめるナギ。その様子を見て、思わずコトコを睨み付けるユズハ。
以前のナギなら、こんな態度はしなかったはずだ。確かに、自分にも一因はある。それは判ってるし、自分がそう望んだのだから仕方がない。
だけど、ここまであからさまな態度に出られるのは、ユズハとしては不愉快だった。
明らかに、彼女が何かを吹き込んだのだと。ユズハは思っていた。その考え方が偏っているとは思いつつも。
「……まさか、ずっといた?」
隣で黙るコトコの台詞を思い出しながら、おそるおそるユズハの顔を覗き込む。
「ずっと、って?」
ホントに判らない、といった顔のユズハを、コトコが睨み付けるが、彼はまるで見えてないかのように振る舞った。
「いや、そこまでは……ないよな」
「意味が判らん。まあ、ちょうど良かった。もう用事は終わりか、ナギ?」
「え?まあ」
「じゃ、帰ろう。今日の夜、出発するんだろ?」
「でも……」
ちらっと、隣にいるコトコに視線を移す。申し訳なさそうに。
「もう少し良いじゃない。ねえ、ナギ?」
「……まあ」
彼は、ユズハにもコトコにもはっきりとした態度がとれない。
そんな彼の様子を見て、ユズハは溜息をついた。珍しく。
彼の弱さを、ユズハは見ている気分だった。彼が彼の妹達に、偉そうな態度は出来ても、最後の最後まで強く出られないように。
「まあ、こっちに戻ってきたら、彼女とはいつでも一緒に飲みにいけるだろ?でも、師範には明日の朝には戻ることを言ってあるんだし」
「……まあ」
納得したような、しないような。そんな顔だった。
何をコトコに吹き込まれたのかと、ユズハの憎しみが彼女に向けられる。
「悪いな、コトコ。戻ってきたら連絡するよ」
少しだけ、彼女を宥めるような顔で、ナギは静かにそう言った。
「……ナギってば、大学のころからそんなことばっかり」
拗ねたような顔をしてみせるコトコに、ユズハがいやな笑みを見せた。ナギには判らないように。
「そういや、マドイに連絡したけど、お前は声かけた?」
彼の妹の話をしながら、ユズハは彼の背を撫でるようにゆっくり押した。
ナギは少しだけ申し訳なさそうにコトコに手を振りながら、ユズハと共に歩く。
「いや、まだ。何て言ってた?ちゃんとテスト勉強してるって?」
「ああ。教えてやろうかって言ったら、橘がいるから良いって断られた。酷いよな」
「まあ、カナタもそれなりに苦労してるみたいだし。それくらい報われても良いんじゃない?」
「……寛容だな。あの、暖簾みたいなお子さまに、可愛い妹をやって良いのか?お前」
「別にオレが選ぶわけじゃあるまい。マドイが選ぶんだよ」
話ながら遠ざかる2人を、コトコは見送る。
ユズハには判らないよう、笑みを浮かべながら。
「ユーさんの勝ちか。やるなあ」
「……ユーさんて誰?」
「てか、カナタ!突っ込む所そこじゃねえって!まず、このバカ兄貴が何でここに居座ってるのか聞けよ!」
カナタはいつの間にか隣に座って、カメラをまわしつつ、チョコレートケーキをつつくエイイチロウをまじまじと眺めた。
「……こんばんは。カメラはちょっと……」
「まあまあ。そう言わずに」
「ユーさんて?」
「だから、田所さんだって。幸田先輩とか、そう呼んでた。親しみがあって良い感じ?呼び方から、距離を詰めていかんと」
「幸田先輩??」
「えーと……オレの中等部時代の先輩で……もしかして全部説明しないといけないの?」
思わず弟を見つめるエイイチロウ。苦虫を噛み潰したような顔をするその弟。とりあえず質問は無視して話を進める。
「何しに来た、バカ兄貴。今どこにいるんだ?」
「だから、東山の……」
「田所さんが、そこにはいないって言ってたぞ。超怪しまれてんだよ!あのおっかない人に」
「あ、やっぱ、おっかないよね」
あからさまに話をそらした兄貴に、真正面から空手チョップを食らわせる弟。
「いてえよ!お兄さまをなんと心得る!つーか、お前でけえんだから、ちょっと遠慮して動け!この愚弟!!」
「うるせえ!このバカ兄貴!何でこんな時に!!」
そこまで言って、彼は、兄と共にあの学園広場に向かったときのことを思い出した。
『何でそこまでして、ゲームに出たい?』
確かにあの時、エイイチロウはそう言った。
『カナタはお前に迷惑だからって言って、ナギの元に行ったんだろ?でも、お前はそれを望んでいなかった?ゲームに出ることが、お前にとっても目的だった?何のために?』
『何のためにって……決まってる。あのゲームに出るものなら。望む力が欲しい。そのために、オレはゲームに出る……』
『そう。良いけど。たまには、兄貴らしいコトしてやるよ。お前に勝利をやろうじゃないの』
彼の兄は、その言葉を守った。
だけど、彼の望みは、いったい何だったのか。
目の前に現れたカナタ達を見たとき、判らなくなっていた。
その後、カナタ達といることで、見失っていた自分に気付いた。
『ゲームに出ることが、お前にとっても目的だった?何のために?』
黙って兄を睨むエイジを、不審そうに見つめるエイイチロウ。
その2人を、カナタとレイが固唾を呑んで見守る。
『良いけど、って、なんだよ。何か含んだ言い方だな。ムカツク』
『お兄さまに向かって失礼な』
兄の顔を見ながら、エイジはあの時の兄の言葉を反芻する。
ホントは、その時も、それからも、ずっと気に掛かっていた。あまりにまじめな顔をした彼の兄に、違和感を感じ続けていたから。
『望みってなに?望む力だなんて怪しげなものにすがってまで、お前は一体何を望む?』
『何でも良いだろ?』
『何でも良いけど』
彼の兄は、茶化すことをせず、寂しそうな顔でそう言った。
その顔を思い出しながら、目の前でにやにやする兄との差に彼はますます戸惑う。次の言葉が出せない。
『そんな怪しげなもののために、そんなにがんばれるなら』
ドームの入口に入るとき、兄は彼の顔を見ることなく、呟くようにそう言った。
その姿が、何故だかナギとかぶり、思わずエイジは首を横に振った。
『でも、すがるモノを作る勇気くらい……』
目を伏せ、正座をしたまま穏やかな顔でそう言った、中緒兄の姿。
『……がんばれるなら?』
『そのがんばりを、その望みを自分で叶えるための力として使った方が建設的じゃないかって、オレなんかは思うけどね』
目の前に立ちながら、自分の顔を見ず、静かにそう言い放つ兄の姿。
その彼の姿自体が、今エイジがエイイチロウを見る上でのフィルターとして存在しているのなら、それでも良いと思った。
目の前で、自分をからかうように間抜けな笑顔を見せる兄の姿を見て、エイジはそう思った。
たった今。この瞬間。
「……こんな時に、こんな所に戻ってくるんじゃねえよ……」
溜息をつきながら、エイジは座り直した。
「エイジ……」
「何だ、バカ兄貴」
「大人になったな……」
しみじみそう言うエイイチロウに、間髪入れず正拳付きを食らわすエイジ。
「いてえって!いてえって!暴力反対!!お兄さまを敬え!」
「うるさいよ、木津兄弟」
「一括りにするんじゃねえ、このバカ兄貴と!」
「大人ですかねえ?エイジは?」
「カナタまで!何言ってやがる!」
机をばんばん叩きながら、熱く訴えるエイジ。
「うわ、なんかナギみたい。その態度」
「よりにもよって、中緒兄と一緒にするんじゃねえ!大体、オレより兄貴の方が……」
そう、エイジの中ではっきりと判った。
彼の兄と中緒兄の共通点。
それは彼らの、指し示すもの。
エイジ自身が、ずっと自らの中には存在していないと、否定し続けてきたもの。
それを、中緒兄だけではなく、自身の兄も持っていた。
「お兄さんが、なに?」
カナタが興味深げにエイジに問う。
「バカ兄貴の方が、中緒兄みたく、バカっぽくない?」
「バカって!!ナギはともかく!お兄さまに向かって!!敬え!!」
「そうやって、子供みたいに大騒ぎしたあげく、敬えとか言ってるとこが、共通バカ」
冷めた目で兄を見つめるエイジ。
「酷くない?酷いよな?この愚弟!?」
「……いや、同意を求められましても……ねえ、レイ?」
「オレに同意求めないでよ。まあ、どっちが兄か判んないよね、エイジのがでかいし、怖いし」
「だよねえ。……でも」
カナタは、笑みを浮かべたまま木津兄弟をみる。
「だせえな。年下に助けを求めてんじゃねえよ。この愚兄が!」
「お前、ホントに誰に似たんだよ。オレはこんなに良いヤツなのに」
「何が良いヤツだよ」
カナタにもエイジが見たものと、同じモノが見えていた。
「……梶谷さん。今の、中緒凪と、田所柚葉ですよね?」
飲み屋の並ぶ繁華街の街灯の下、存在感を感じさせない男が、家に戻ろうと歩くコトコに声をかけた。
「あら、テッシーじゃない。いつからいたの?」
「……ずっと」
声をかけたくせに近寄ろうとしないジュンに、仕方なく自分から歩み寄るコトコ。
カバンを抱え、俯いたたまま、何故か小刻みに震えていた。
「そう。……えっと、様子を伺ってたの?」
「……まあ」
「……そう」
しばし考えてから言葉を発するジュンのテンポに、いまいちついていけないコトコ。
「ナギとは友達だし、田所さんとも連絡はとってるしね」
「……田所柚葉は、あなたを疑ってます」
「みたいね。家に来て学園史がみたいだのなんだの言ってきたし、私のことを振り回そうとしてる」
「……近寄らなければいいじゃないですか」
「別に、振り回される気もないもの。女をバカにしてるのよ、ああいう男は。強引に手を出せば、どんな女でも思い通りになると勘違いしてるのよ。腹立たしいったらありゃしない」
「……そこまで判ってるなら……」
「でもね、テッシー」
コトコは嘗めるように、ジュンを見つめた。その視線に、彼はますます身を縮める。
「あの男が、多分私の一番の敵だから。どこかでケリをつけるつもり。そのための準備なの。……言われたとおり、してきてくれた?」
その言葉に、ジュンは黙って頷いた。
「……梶谷さん。聞いても良いですか?」
「なあに?」
「……中緒凪の……何がいいんですか?」
「めずらし。直接的ねえ」
彼女は少し照れたような顔をしたが、わざと茶化すようにそう言った。
「ナギと話をした?」
「……一方的にされました」
イチタカが彼にナギを紹介したとき、五月蠅い小さな男が来たな、という程度の認識しかなかった。
コトコにその話をしたわけではなかったが、彼女にはその対面の様子が手に取るように分かった。
「今みたいに、直接彼に突っ込んでみれば判るわよ。距離を縮めることに成功できたら、の話だけど」
「……小島の方が、ましな気がします。同じ五月蠅いのなら」
「あら、イッチーとは違うわよ。あの子はナギと気が合うみたいだけど」
彼女は、イチタカの話を思い出しながら、ナギを思う。
「……二宮さんが、あまり勝手なことをするなと言ってました」
「良いじゃない。干渉できる範囲でしかしてないわ」
彼女の視線のずっと先には、学園を囲む12の塔があった。距離があるので随分小さく見えていたが、ジュンもその視線を追った。
遠い空に塔だけがぼんやりと不気味に光っていた。