第29話【続・コトコ】
第29話 続・コトコ
深夜1時半を過ぎているというのに、エイイチロウと二人で校門に向かいながら、ナギは電話をしていた。
カナタに報告をしていたのだ。その様子を、エイイチロウはしげしげと眺める。
「カナタ、なんだって?」
「いや、特に……。オレはもうあいつを捨てるって言ってたから、特にそのことは気にしてないみたいだったけど、やたらお前のこと聞かれた」
「エイジに聞きゃいいのに」
「それが出来れば苦労してないだろ。カナタから見たらエイジは近すぎて、言いたいことも言えないんだから。男同士だしな。……お前は3年、離れてたのが良かったのかな?」
「なにが?エイジのこと?違うって、扱い方の違いだって。年が離れてるから。家庭環境もあるけど。親父の影響が薄いんだ、あいつは。その代わり、オレが親父で兄ってだけ。口が悪いからあの扱いだけどね。図体ばっかでかい、ガキなんだよ。エイジにはオレが軽く言っといてやるよ」
「そっか、悪いな」
校門を抜け、寮のある敷地へと足を向ける。
「そういやお前、今どうしてんの?しばらくゲームするつもりなら、この辺にいるつもりなんだろ?」
「東山のユースホステルに住むことにした。カブで25分くらいだし。金もないから、ちょっと日雇いで稼ごうかと思ってるし。なるべくここには顔出すよ」
「……あんまり出してもまずいだろうよ」
こっそり忍び込んでる部外者なんだから。
校門の前でエイイチロウと別れ、寮へ戻る。
部屋の扉を開けると、電気はつけっぱなしだし、煙は充満してるしで、一瞬部屋を間違えたかと思った。
扉の前に立ったまま中を覗くと、何故かイチタカがソファにもたれ、床でつぶれていた。
「……やっぱ、部屋間違えたかな?」
入るかどうか迷ってぐずぐずしていたら、あとから戻ってきて階段を昇るタケルと目が合ってしまい、気まずかった。仕方なく、部屋に入ってエアコンのスイッチを切って、急いで窓を開けて換気をする。
「イチタカ、何やってんだ、起きろ!!ユズハは?!」
ベッドにはいなかった。本と資料がぐちゃぐちゃのまま交互に積まれていた。ユズハらしくないな、と思った。
ユズハは、ナギのベッドで寝ていた。
「ユズハ!オレのベッドだっつーの!!」
ユズハもイチタカも泥酔してるらしく、目を覚ます気配がない。灰皿やビールの缶には煙草が大量に突き刺さっていた。イチタカもユズハもナギの前ではなるべく吸わないようにしてるのでそんな印象はなかったが、重度のヘビースモーカーだ。
「服とカーテンに匂いが付くじゃねえか、もう!」
床につぶれているイチタカを抱えてソファに寝かせ、ユズハのベッドから布団を引っ張った。その拍子に、積み上げていた本と資料が崩れ、ぐちゃぐちゃになる。
積み上げてあったけど、多分ユズハのことだから、資料と本はそれなりの順番にしてあっただろう。ナギはユズハが怒るのを想像して、背筋が凍る思いだった。
これ以上触るのをやめ、イチタカに布団を掛け、風呂場へ逃げた。仕方ないかと思いながら。
風呂から出たあと、ユズハのベッドの上に散乱した本を見ながら、しばらく考えた。
どうしようもないので、自分のベッドに上がり、ユズハをまたいで奥に座る。ユズハの巨体を転がすようにして、横へずらし、ベッドから落とそうと画策する。
しかし彼が肌布団を握ったままだったので、巻き込んでしまった上、落とせない。
「めんどくせえな、オレのベッドだ、退け!!なんでこんな所で寝てる!!」
「……また、変なメール送るから」
「なんだ、変なメールって!起きてんのかよ!!狸寝入りか、てめえ!退け!!」
背中に蹴りをいれるが、ユズハは布団も離さないし、ベッドから降りる気もない。
「……資料、崩したくせに」
「あんな所に積む方がわりい」
「自分こそ」
甘ったれた口調のユズハが気持ち悪い。寝起きと酔っぱらいの時、ナギに対してこんな態度になるのが、ナギをいらいらさせる。
「資料はともかく。良いから降りろ。オレは明日講評なんだ。夏休み前だし」
「やだ」
「やだとか言ってんじゃねえ、でけえ図体しやがって!」
ユズハを蹴るナギの足を、ユズハの右手が後ろ手に押さえる。
ナギの動きが止まったのを見計らうように、ユズハは布団を抱えたままナギの方へ振り向いた。
彼の目は、まっすぐナギを見上げていた。
ナギの頭を、彼に噛みつかれたときのことがよぎった。おそらくもう、その時の本当の映像ではなくなっていた。自分の頭の中で何度も繰り返すうち、すり切れた テープのように曖昧になって、その上から想像が塗り重ねられていった。
忘れたいのに。感覚だけが、思い出すたび強く刻まれるのを、意識させられる。
ナギの予想通り、ユズハの手は布団を離し、ナギの体を捉えベッドに沈めた。
「やだ、降りない」
「降りろって。……ダメだって」
怒鳴りつけることが出来なかった。
「お前がいるとベッドが狭い。邪魔だから退け」
「やだ」
「じゃあ、オレが床で寝る。退け」
「やだ」
ナギの胸の上に、ユズハの右の手のひらが乗っている。力が入ってるわけでも、体重がかかっているわけでもない。
たったそれだけのことなのに、ナギの体は彼に逆らえなかった。
「昔の夢を見てた。お前があんなメールをするから」
「メール?オレ、なに送ったっけ?今日だよな?」
「『見に来るな。構うな。多分帰るから』って。他に言い方はないのかお前は。ゲームってバレバレだし」
「だって、ゲームって言わなくても見に来てたじゃねえか。お前はオレの保護者か!」
「的確な表現だな」
「お前がオレとは組まないって言ったんだ」
「組まないよ。でも、保護者だ」
「わけ判らん」
ため息をつく。
ユズハの手に力が入ってくるのが伝わってきた。
「……ユズハ?」
「昔は一緒に寝てたじゃんよ」
「何年前の話だ……。つーか、そんな覚えないし」
「最近だよ!」
「……いやいやいや……。状況が……多分違うって……」
必死で頭からあの時の感覚を消そうとする。
「なんで赤いの?少女漫画の女の子みたい」
「赤くなんか!」
「暴れないの?」
「……疲れてるだけだ」
力が入らないとは言えなかった。
「ああ……気にしてんだ、こないだの冗談」
「……気になんか、してないし。だって、嫌がらせだろ?体を張った。性格悪いんだお前」
「しょうがねえな、ナギはお子さまでオクテだから。……オクテって、なんか恥ずかしい言葉だな」
「じゃあいちいち言ってんじゃねえ!……そ、それにほら、イチタカいるし!そこ、見ろって!つーか、なんでイチタカいるの?」
「……なんだっけな?」
「寝ぼけてんのかお前は!人を部屋に入れるの嫌がるくせに。部屋中、煙草くせえし」
半開きの目のまま、部屋を見渡すユズハ。
「細かいことは気にするな。もう寝るぞ」
「ね……寝れるか!邪魔だ、退け!!」
どくわけもなく、ユズハはそのまま、ナギにのしかかって寝てしまった。
その様子を、起きあがっていたイチタカがソファの上から見ているのに気付いた。
「……イチタカ、これは別に、その……てか、助けてくれ!」
「??なんで?仲よおてええやないか」
「いや、まあ、ええのん……か?いや、ダメだろ。無理無理無理……。助けてくれ」
「意味わからへん……。別に寝るとこないなら一緒に寝とけばええやん。おやすみ」
イチタカも寝ぼけているんだな。なんて思いながら、ただただ溜息をつくしかできなかった。ユズハの重みを感じたまま。
結局ナギは一睡も出来なかった。
明け方、のしかかって寝てしまったユズハを何とかどかし、朝食を作ることなく、学校へ向かった。
眠い目をこすりながら、必死に講評だけはなんとかすませた。
「中緒、ユーさんは?」
研究室から出ようとしたところ、後ろから幸田にそう聞かれ、思わず動きが止まってしまった。
「……オレは別にユズハの行動を全て把握してるわけでもなんでもないわけで……」
「いやまあそうだけど。でも、いま同じ部屋なんだろ?実家も同じ地方っつーか、お向かいさんて聞いてるし、夏休みは一緒に帰るのかなって思っただけ」
「……まあ、帰るけど」
やましいことは何もないのに、何故か変な間が出来てしまうナギ。
「お前ら、よく一緒に帰ってるみたいだし」
「いや、それは……道場のこともあるし」
「何でそんなしどろもどろなんだよ。オレ、明日からちょっと北の方まわってくるから、その前に一緒に飯でも食おうかと思ってたけど、判んないなら良いや。中緒は来れる?」
「ああ。もちろん。北の方って?」
「うーん……白夜的な国?」
「……的?」
「まあ、その辺をふらふらしてみようかと。ゆっくり南下していって、サグラダ・ファミリアとか見て帰るかな」
「そんな金あんの?」
「行きと帰りのチケット代くらいは何とかね。あ、ヌマッチ!飯、飯!オレ明日から北の方!」
ほとんどこの学園から出ることのない学生達の中で、ナギはこの研究室にいると少しだけ安心する。
外に出ていく意志を感じる者や、外を見ている者が多いからだ。もちろん、休み中、学校にいる者もいるけれど。
「何それ、お別れ会みたいな感じ?じゃあ、オレもいれてよ。来週からモンゴルに行って来ようかと思って。移動しやすくなる前に」
「移動しやすくなってから行けばいいじゃんよ」
先ほど北の方からゆっくり南下して……なんて適当かつおおざっぱで無計画なことを言っていたモノの発言とは思えない台詞を幸田は吐いた。
「なんか、そう言う機関がない方が面白いじゃん!」
「面白いけど。……中緒は?実家帰る以外はどっか行く?」
ナギの頭を、たくさんの風景が交差する。行きたいところはたくさんあったけれど。
「いや、父がまだあんまり頻繁に道場に出られないから……。それに」
何故か、ユズハを思い出す。
ナギの頭の中で、噛みつかれた瞬間のことが鮮明になる。
「……さっさと帰らないと、危険が……」
なるべく普通にしていたけれど、本当はユズハと同じ部屋にいることに対する不安が、どうしても消えない。
彼を信用している。酷いコトされても、彼との繋がりを感じていられる。だけど、それとこれとは違う。自分でも何が何だか判らなかった。
「危険?こんな平和な学園内で何があるって言うんだよ。なあ、中緒さあ、お前もモンゴル、どうよ?」
「男二人旅かよ〜。なんだかなあ」
ユズハが怒りそうだな。なんて考えてしまったナギは、自分がいやになる。
「お前なあ。お前は一人旅だろ?」
「いや、彼女連れてくよ?」
「そんなアバウトな旅に連れてくなよ……」
ナギもヌマッチも幸田の彼女とは何度か会ったことがあった。小柄でおとなしくて可愛い女の子だった。
「もう良いから、続きは店で話せよ。オレ、腹減ったよ」
ナギがぼやきながら研究室の扉を開けると、そこにはコトコが待っていた。
「……梶谷先生。久しぶり!今、お昼休み?」
意気揚々とコトコに駆けよったのは、ナギではなくヌマッチだった。置いてけぼりのナギと幸田が、少しだけ心配そうに見ていた。
「……飯沼さん。お久しぶり」
笑顔で返すコトコだったが、明らかに彼の名前を言うまでに間があった。端から見てるとそれが手に取るように判るので、再び心配そうにナギ達は見ていた。
「今からお昼?ちょっとナギを借りたいんだけど良いかしら?」
「いやあ、もう、ぜひ。なんなら、一緒にお昼行きません?」
「ごめんなさい。高等部はまだ授業あるから、昼休み終わったらすぐに戻らないといけなくて。ナギに話があるの」
オレ?と言った顔で自らを指さすナギ。きょろきょろと幸田とヌマッチの顔を交互に見る。
「メールすりゃ良いじゃん。最近全然くれないし。返事もしてこないし。つめてえよ。夜じゃダメか?今夜はまだこっちにいるつもりだから」
「メールしてるわよ。今朝もしたし、返事だってしてるってば。見てないの?」
「届いてないし」
コトコの顔色が変わる。何かに不愉快なことに気付いたような、そんな顔だった。
彼女は彼の右手をとると、引っ張って走り出した。
「ちょっ!待てって!コトコ!!幸田達は……!」
「すぐ返してあげるから」
廊下の角を曲がり、辺りに人がいないことを確認するコトコ。そのまま襲ってしまいそうな勢いで、ナギの肩を掴み、勢いよく壁に押しつけ、彼を正面から見つめる。くっつきそうなくらい、彼に顔を近付け、すごんだ。
「……いてえって……。どうしたんだよ……」
少しだけ、ナギの顔は赤かった。コトコはそれに気付いているのかいないのか、すごんだまま話を始めた。
「今夜7時、図書館通りにある『そうきや』に予約とっておくから、誰にも言わずに来て。特に田所さんには絶対言っちゃダメよ?」
「……ユズハ?別にオレ、あいつには何も言わないって、いつも」
「言わなくても、あの男はお見通しなのよ。メールだって、あの人が消してるかも」
「でも、今朝も送ったんだろ?今朝はユズハはずっと寝てたぞ。オレ、見てたんだ。携帯なんか触れない。オレが起きてたから。……あいつ、確かに腹黒いし、メチャクチャだし行き過ぎたとこあるけど……でも……なんて言うか……」
ここに来る前の自分なら。
そんなことを少しだけ思いながら、ナギは口ごもっていた。
ここに来る前の自分なら、もっと強く、はっきりとユズハのフォローをしていただろう。だけど、今はそれが出来ない。
彼が自分のために動いているのも、自分に対して大きな感情を持ってるのも感じている。感じているけれど……。
「……そう」
彼に顔を近付けたまま、目を伏せるコトコ。その様子に思わず胸が高鳴るナギ。彼女の性格も知ってるし、彼女は彼にとって仲のよい友人だったけど、それでも彼女は綺麗だったし、こんな顔をされたら心が動いてしまう。
「……ごめん。そうよね。昔っからの友達だもんね。安心して道場のこととか任せてられるって言ってたもんね」
「まあ、そうだな」
今は、それすらも心から賛同できなかった。
「あのさ、コトコのこと、責めたわけじゃねえんだから、そんな顔すんなよ。調子狂うって。なんかあったのか?夜、話聞くからさ。ちゃんと、誰にも言わないから」
子供を宥めるように、苦笑いしながらコトコにそう言った。
彼女の様子が少しだけおかしいのを、ナギは『何かあった』と解釈して、彼女を気遣った。自分がユズハとの関係に悩んでいるから、それが出てしまっているのだという後ろめたさも後押ししていた。
「きっとよ。待ってるから。じゃあ、私戻らなくちゃいけないから」
そう言うと、やっとナギを解放してくれた。笑顔を見せながら、彼女は立ち去った。その姿を見送って、ナギは幸田達の元へ戻る。
お腹がすいているからと、話ながら移動を始める。
「梶谷先生、なんだって?」
「いや、別に。ユズハはお見通し、みたいな……。あいつ、ホントに態度悪かったからな、コトコに対して」
彼女の様子がおかしかったことを、ナギは口にはしなかった。
「そうなの?ユーさんて、そつない感じだけど。当たり障りないっつーか、空気みたい。自己主張はするけど」
「……誰のことかと思った。中緒の相方か」
「別に相方じゃねえ!!」
「良いじゃん、セットみたいなもんだろ?後ろから見ると面白いぞ。漫画みたいで」
そんなに一緒にいるとは思ってなかったのだが。
「保護者と子供って感じがするけど」
「どっちが子供?」
当たり前だろ、と言う表情で、二人揃ってナギを指さした。
「それにしても、中緒ってホントに梶谷先生と仲イイのな。こないだのスケッチの時も思ったけど。……つき合ってんの?」
ヌマッチにそう言われて、彼がコトコに気があることを思い出した。必死で首を横に振る。
「ないない。以前、文学部の後輩にも言われたけど、無いって。ただの飲み仲間」
「……えー、あやしくねえ?」
「あやしくないって。なんもないの。ここにはたまたまコトコとエーチロぐらいしかいないけど、学部ん時は、女も含めてもっといたし。そう言うの関係なかったし。だって、エーチロだって、しょっちゅうオレらと一緒にいたくせに、別の所で彼女作ってたんだぞ?」
知らない名前に困惑するヌマッチに、幸田が説明をする。説明した上で、ナギに突っ込む。
「木津に彼女って考えにくいな。どんな女だ」
「うーん……知る限り、かなりの美人ばっかり3年で3人ほどいたかな。音楽学部と、よその経済学部と、会社員。オレらも相当不思議がってたんだけどな。今はどうなんだろ?」
「中緒はいないわけ?」
歩きながら、二人揃ってナギを見つめた。
「いないよなー。無理無理」
「失礼な!オレだって!!」
「いないだろ?いなかったろ?」
「……いなかったけれども!!良いんだよ、オレは。そんな暇無かったし。暇あったら実家に帰ってたし」
「言い訳だな……」
含み笑いをしながら、早足でナギから距離をとる幸田。ヌマッチはげらげら声を上げて笑っていた。
「なんでだ?!幸田にいて、オレには!?」
「いや、中緒は無理でしょ。ユーさんなら判るけど。ユーさんは相当モテるだろ?」
「知らないよ、そんなの」
そんな姿、見たことはなかった。