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第15話【コトコ】

学園恋愛ファンタジーです。軽くBL臭い部分も後々出てきます。お嫌いな方はご遠慮ください。ソフトエロも後々出てきます。こちらも苦手な方はご遠慮ください。内容に偏りがあることをあらかじめご了承ください。

 イチタカにつれられ、高等部美術科の校舎の前を通ったとき、そこにいるはずのないヒジリに声をかけたユズハ。ヒジリの横にはマドイの代わりにエイジがいた。


「マドイちゃんはまだ、教室にいるわ。私は木津くんに用があってきたのよ」

「てか、早くないか?未だ昼だぞ?」

「試験中だからよ。ユズハって神経質だわ。こうるさい」


 本気度満点にそう言い放ったヒジリを見て、背筋が寒くなるエイジ。


「なんやなんや、険悪やないか。てか、紹介して☆噂の美人姉妹の妹さん」

「……別に険悪じゃないさ。えっと、こいつはアフロくん。木津達と同寮。はい、紹介オワリ。さっさと案内して」

「うっわー、田所先輩、酷すぎ。なんやの、その怖いの」


 困った顔しながらも、ユズハが怖いので、渋々学食に向かう。それを後ろからヒジリ達が追いかけてくる。


「ナギのこと?」

「うるさいな。いちいちついてくるな。関係ないだろ?」


 口を半開きにしたまま、その後ろをエイジがついていく。


『この人達、出来てるはずなのになんでこんなに険悪なんだろう。ってか、二人とも、マドイと中緒兄の前とで態度違いすぎ……』


 それが気持ち悪くて仕方がない。

 自分もそうなのかと思うと、余計に。


「ナギさんの所につれてけって言うからつれてきたんや、ヒジリちゃん。オレ、小島一崇っていうんや、ナギさんとは仲良うさせてもらってます。よろしく」


 イチタカの挨拶に、ヒジリは可愛らしい笑顔で答えた。


「可愛い、可愛いやないですか!噂通り、最高!」

「良いから小島くん、どっち?」

「ああ、もう、田所先輩、怖いわあ……。てか、ナギさんに用があるんなら、別に部屋で待ってればいいやないですか」


 ユズハはそれには答えず、まっすぐ学食を目指す。

 彼らは学食についたが、中に入ろうとせず、中を伺い、ナギがいることを確認した。ナギと一緒に喋っていたのは、どうやら美術科の女教員だった。


「……誰、あれ?」


 お話にならないイチタカを無視して、エイジに聞くユズハ。美術科なので知ってるだろうと踏んだらしい。


「ああ、美術の先生ですよ?梶谷琴子先生」


 椿山の教師には珍しく、きちんとスーツを着ていた。ネクタイをしている教師すらほとんどいない中、ブルーのスカートスーツを着こなす彼女は違う意味で浮いていた。


「普通科の美術の授業には別の先生が来てるから、私は知らないわ」


 思わず嫌そうな顔をするエイジ。

 ユズハとヒジリが横に並んでいるだけで、気分が悪かった。

 大体、ヒジリが自分を訪ねてきた理由もよく判っていないのに。


「で、あの女は何者?」

「コトコさんや」

「なんか、ナギさんの大学時代の友達らしいですよ?で、ナギさんは院に入って、先生は椿山に就職したって」


 4人揃って振り向いた。帰り支度のまま後ろから声をかけたのはカナタだった。



「橘は何で知ってるんだ?」

「え?こないだナギさんに聞きましたから。梶谷先生にも聞きましたよ。最近よく二人でお茶してるって」

「なんだそりゃ?!オレ知らないぞ!同室なのに!だから最近帰りが遅いのか?」

「何か田所さん、小姑みたいですねえ。……あれ?今日はヒジリさんも一緒なんだ、珍しいね。マドイは?」

「未だ教室にいますわ。待ち合わせしてるんでしょ?」

「うん。じゃ、お先ー」


 笑顔で手を振りながら立ち去るカナタ。


「……何、待ち合わせって。ヒジリさん、説明してくれる?オレにも」

「だから……最近……いい感じなのよね。だから木津くんに……」

「なんじゃそりゃあ!?オレ知らないぞ?!あいつら一緒にいるときって、割とオレ一緒にいたし、ヒジリさんも一緒だったじゃん」

「ええ。3人でいることも多かったけど、二人きりの時もあったみたいなのよね……」


 ヒジリが少しだけ、複雑そうな表情を見せた。


「ちょっと前には『エイジがいてくれた方が』とか言ってたくせに!いつの間に?いつの間にヒジリさんがそんなに心配するような仲に?!」

「木津くんも知らない内にいい感じになってたの?あの二人。一体何があったの?マドイちゃんは私のモノなのに!」

「てか、マドイと橘のことはお前がきっちり見ておけよ!こんなの、ナギに言えるわけがないだろ?!」


 そう言ってユズハが指さしたのは、なぜだかエイジ。


「なんでオレなんすか!ヒジリさんがマドイのことを見ておけばいいじゃんよ!」

「見てたけど、いつの間にかなのよ!橘くんのことはちゃんと管理しといてよ!」


 自分のことばかりの3人を傍目で見ながら、イチタカは困っていた。仕方がないので学食の中に入り、ナギ達に声をかける。


「なんだよイチタカ。また戻ってきたのか?戻ってくるなら一緒に茶ぁしてけば良かったのに」

「戻るつもりはなかったんやけど……なんかあん人たちがうるさくて」


 コトコの隣をきっちりキープしつつ、未だ学食の外で騒ぐ3人を指さした。


「誰?イッチーの知り合い?」


 コトコと呼ばれた女性は、化粧が多少濃かったが、妖艶な雰囲気を持つ女性だった。マドイ達のような派手さや華やかさはないが、充分美人と呼ばれるのにふさわしい部類の顔立ちだった。


「……いや、オレの知り合い……。イチタカの知り合いでもあるかな?」

「でも、あん人たちは兄さんの様子を見に来たって言ってたで?」

「?はあ。意味が分からん。……てか、なんでヒジリまでいるんだ」


 ため息をつくナギの横で、コトコが3人を値踏みする。


「あの女の子が、ナギの妹?自慢するだけはあるじゃない。一人は美術科2年の木津くんね。あの子の友達がわりといい男なのよね……。あのおっきい人は?」

「うちの門下生で、文学部院1で、オレと同室の田所柚葉」

「あ、もしかして、大学時代に話してた、ナギの代わりに道場を管理してくれてるって言う?」


 ナギは黙って頷いた。イチタカはその横で興味深そうに二人の話を聞いていた。


「ほんま仲良さそうやな。つきあっててん?」

「ばっか。よく連んでた仲間の一人だよ」

「そうよね。ナギと恋愛って、無理そうだわ」


 彼は大学時代を思い出して楽しんでるだけよ、とコトコは言う。実際、コトコとナギの二人は、無責任で開放的だった学生時代を懐かしむような話ばかりをしていた。


「……小島くん、いつの間に中へ?てかナギ、そちらの女性は?どういう知り合い?」


 口調こそ丁寧だったが、妙に威圧的なしゃべり方で、ユズハはいつの間にか彼らの向かいに座っていた。その横に椅子を移動してきたヒジリとエイジが座る。


「なんか3人とも怒鳴ってるから逃げただけや。オレは争いごとは好きやない」

「てか、なんでそんなに怖いんだよ。紹介しなかったっけ?」

「されてない」

「私も、知りませんわ」

「なんでヒジリまでそんな怖い顔すんだよ。ヒジリもユズハも時々同じ顔して怒るんだもん、怖いぞ」


 同じ顔と言われ、思わず同じ顔で不愉快になる二人。隣でエイジが吹き出していたのを、同じように睨み付けた。


「T大にいたときの同級生で、デザイン科にいた梶谷琴子。今年から椿山の高等部の美術科で先生やってる。年は、コイツ1浪してるんでいっこ上だけど」

「よろしく。ちょっとナギ、余計なこと言わないでよ。黙っとけば判んないんだから、そう言うことは」

「いいじゃん。未だ若い方だったんだし」

「あんたみたいな現役生に言われたくないわよ。良いわよね、童顔で。私の生徒って言っても、問題ないんじゃない?」

「何言ってやがる、コトコが老けてるからだって。オレは普通」


 冗談を言い合う二人が、ヒジリとユズハには不愉快で仕方がない。目の前にいるナギは、彼らが知らないナギなのだ。

 東京に行って一人暮らしをしていたころのナギを覗き見てるような、そんな気分だった。


「でも、院に行くって話は聞いてたけど、こんな所でナギに会うとは思わなかった。だって、絶対T大の院に行くって思ってたもん。教授のお気に入りだったじゃない、あんた」

「コトコこそ、なんでわざわざこんな片田舎に来て美術の先生なんかやってんだよ。広告会社とかじゃねえの?デザインのヤツらは。デザインだと谷口がそうだったよな」

「あいつはかなり早くから就活してたもん。でも、院に行く人も多かったし。私は、迷ったけど、コネでここに就職しただけよ。ナギも院でたら就職したら?」

「教員免許とってないし」


 ナギにはナギの世界がある。

 判っていたことだけど、不愉快だった。わがままで、子供で、偉そうで、うるさくて。でも彼に一歩だけ踏み込めば、その魅力は十分堪能できる。

 ナギが東京で友達を作ってうまくやってることなんか、簡単に想像できたはずなのに。それどころか、彼女だっていたかもしれないのに。


「梶谷先生は随分ナギと仲が良いみたいですね。大学生活は随分楽しかったんですね。オレなんか、周りは代返ばっかで学校に来ないヤツばっかだったから、サークルの連中くらいしか仲の良いやついなかったんで、そんな話はしなかったなあ、って思って」


 営業スマイルだ。

 真正面から嘘臭いユズハの笑顔を見せられて、ナギは眉をひそめた。


「あ、ごめんなさい。つい話し込んじゃって」

「いえ、面白いですよ。あまり大学に顔出すことがなかったから、違う世界の話を聞いてるみたいで、興味深いですよ。もっと二人の話が聞きたいな」

「私も。ナギの大学の話ってあまり聞いたことなかったし」

「いいよ、もう。ヒジリには話してるだろ?コトコなんか、余計なこと言うから、恥ずかしいって」


 ユズハにはともかく、ヒジリにはとことん甘いナギ。照れくさそうに拒否をした。

 シスコンでブラコンじゃ、手に負えないな、とエイジは冷ややかな目で中緒兄妹の様子を伺った。


「なんや田所先輩、気持ち悪いわ……あ、すんません」


 正直な感想を言っただけなのに、ユズハに睨まれ萎縮するイチタカ。

 それを見て、余計なことは言わないでおこうと心に決めるエイジ。


「ほんとにナギったら、妹には甘いのね。フツー兄妹ってそんなにべたべたしないわよ?」

「良いの、余所は余所、うちはうち!フツーとか言ってんじゃない!」

「見かけはガキのくせに、言うことはおっさん臭いんだから。でも、妹さん、ナギより結構下なのに、ナギのこと呼び捨てなのね。……ガキっぽいから同列に見られてんじゃないの?」

「なにおう?!そんなこたあないぞ。マドイはちゃんと兄さんて呼ぶし」

「オレもそう呼んでるし」

「イチタカはまあおいといて」

「うわ、兄さんまで!!優しさゼロ!バファリンくらい優しさが欲しい!」

「ヒジリは……」


 そう言えば、ずっと呼び捨てにされてたなあ。なんて、今さら気付く。あまりに長い間そうだったので、違和感なんか感じたこともなかった。


「私、ユズハのことも呼び捨てにしてますわよ」

「あ、そうか。そうだよな」

「え?そこ納得するとこ?ナギ、呼び方は大事よ?私だったら、弟が呼び捨てにしてきたらぶん殴ってるわよ」

「そりゃお前んとこだけだ。うちはそんなスパルタ教育はしないの」


 その様子を見ていた、エイジはまた嫌なことに気付いてしまった。


 二人で深夜ホテルに行く仲の相手を呼び捨て……はよく判る。隠してるならわざと丁寧に呼びそうなもんだが、それをするには彼らの距離は近すぎた。

 ならば、ナギを呼び捨てにする理由は?ヒジリは簡単に人を呼び捨てにするようなタイプじゃない。しかも、マドイは彼を『兄さん』と呼んでいる。

 彼女は彼を『兄』と呼びたくないと言うことか?


 ナギに執着するユズハ。そのユズハと陰でこそこそ出来てるくせに、険悪な仲のヒジリ。敵だと言い合う二人。異常なまでに、ナギの世界を二人揃って守ろうとしているフシがある……。


 また、あの吐き気が戻ってきた。


 自分とユズハ、そしてヒジリは同じ穴の狢だと。

 手に入るはずのない、いれられない、いれることで相手が困るような、そんな相手を求めるために暗躍する、自分の欲望のみに忠実な人間だ。


「どうした、エイジ。気分悪いのか?お前、こないだも調子悪そうにしてたけど、大丈夫か?」

「……いや、大丈夫。大丈夫だから。ちょっと席はずしてます」


 他の誰も声をかけず、彼の異変に気付かない中、ナギだけが唯一気付いた。その行為を、彼の気遣いを、エイジは嬉しく思っていたが、ずるいとも思っていた。

 そうやって、人の心を掴む彼を、ずるいと。

 ずるいとかずるくないとか言う問題じゃないのは、エイジも理解はしているが、感情では納得がいかなかった。


「なんや、つい先週だっけ?調子悪かったん。酷いんなら、一緒に戻ったろか?どうせオレは部屋に戻るつもりやったし」


 気遣ってくれるイチタカの顔を見ると、彼の言葉を思い出す。


『そのために出来ることは、なりふり構わずした方がええ。どんなに曖昧なものでも』


 なりふり構わず生きる連中が、エイジには醜くうつっていた。ユズハも、ヒジリも、欲望に目をぎらぎらさせているようにさえ見えた。そのことで、相手が幸せになるようには決して見えないのに。


 ユズハの望みも、ヒジリの望みも、叶わないし、叶ってはいけないと思った。誰よりナギがそれを望んでいないのだ。

 いくら心が自由でも、ナギにとってユズハは友人で、ヒジリは妹だ。それ以上でも以下でもない。

 カナタにとってエイジが友人以上でも以下でもないように。それ以上を望むのは彼にとっての幸せではない。


 エイジはそう思っているのに、なりふり構わず動き、全てにすがるような真似は出来なかったし、抵抗があった。


「大丈夫ですよ。最近暑くなってきたから、調子悪いだけなんで。ちょっと冷たいもんでも飲んでますから」

「ふうん。ならええけど。オレが買うてきたるわ。そっち座っとり」


 彼の言葉に甘え、エイジは皆から少し離れた席に座り、机にうつぶせていた。 

 その横に、いつの間にかナギが座っていた。


「カナタがさ、お前とはつきあい長いから『心配してる』って言いにくそうだった」

「……知ってる。あいつ、ああ見えて自分の手の中のヤツにはそれなりに気を配ってるんで」

「じゃあ、もう少しだけ、気持ちを汲んでやれ。お前にはあんまりそういうことも言ってないみたいだし、お前が隠すから、余計に心配してるようなことが言えなくなったって、困ってたから」

「ふーん。中緒兄にはそう言う話をするんだ。変わったな、あいつ」

「距離が近すぎるから言えないこともあるし、距離が遠いからこそ言えることもある」


 エイジは顔を上げれなかった。


「難しいこと言うね。オレには良くわかんねえ」

「カナタが変わった訳じゃない。変わったように見えるなら、それはお前の視界の問題だ」

「……なにそれ」

「デッサンをするとき、モノを見て、描くだろ。でも、お前が描いた絵は、何枚も同じモノを描いていても、その中で同じ絵は一枚もないはずだ。デッサンだとしても、お前の主観が入ってるから。お前が見たモノを、人に伝えるために描いてるから」

「カナタが変わって見えるのは、オレがカナタを歪んで描いているからってコト?」

「歪んでるかどうかはともかく、そう言うことだ」


 ナギの言葉を理解したくなかった。そんな風に考えたくなかった。


「別に、お前がカナタをどう見てようが良いけど。あいつが心配してたから、それをお前が理解してた方が良いと思ったから。オレはあいつをまあ気に入ってるから、伝えただけだし。お前、ホントに顔色悪かったからさ。寮生活で大変だろうけど、気をつけろよ。今度二人でオレんとこに飯食いに来れば良いさ」


 ナギが立ち去っていく音が、エイジの耳に聞こえた。

 入れ替わりでイチタカが彼の横に座った。


「大丈夫か?同じ寮なんやし、遠慮せんと困ったことがあったら言いや?これでも頼りになるお兄さんやで?最近の子供は甘えるっちゅうことを知らんからな」

「小島さん、いつもコンパ、コンパで部屋になんかいないじゃないですか」

「そんなこと無いで、お前らが授業受け取る間、体力回復のために部屋におるで?」

「だめじゃん、それ」


 思わず笑っていた。顔を上げると目の前にはホットコーヒーとミネラルウォーター。


「すんません、普通すぎてどこに突っ込んで良いか判りません……」

「酷いわー。ぼけ殺し!」

「いや、ぼけてないし、全然。てか、中緒兄達の所、戻った方がいいんじゃないすか?」

「いやや、勘弁してや」


 目を細め、首と両手を仰ぐようにぶんぶんと振って拒否をした。


「あんな超険悪な雰囲気の中、入っていきたないわ。このまま帰らへん?オレ、ほんま、ああいう険悪で地味で陰湿な争いごととか嫌いやわ。」

「……まあ、険悪ですね。なんか黒いモンが漂ってますね」

「そやろそやろ。なんやあん人ら、腹ン中にため込んでるからいかんのや」

「ため込む?」


 意味が分からなかった。

 エイジには一瞬、イチタカがにやっと笑ったように見えたが、気のせいかもしれなかった。目を細め、眉間にしわを寄せたまま、いつもの調子で続けたから。


「そうや。欲望なんてモンは、腹ン中にため込むからどんどん黒くなってくるんや。欲しいモンは欲しいと言った方が、なんぼか楽になるし、欲望は欲望のまま、純粋なもんのままな気がするわ」

「……欲望って、純粋なもんですかね」

「言葉が悪いか。人の『願い』って言うたら、何かいかにも綺麗なモンのような気がするやないか」

「いや、何か、願いって言ったら、可愛いモンって気がしますけどね」

「言葉の違いだけや。例えば『私は彼が好きだから、彼に振り向いて欲しい』って言うのと、『私は彼が好きだから、彼の存在全てが欲しい』って言うのは?」

「まあ、前者の方が可愛いですよね」

「願いって感じか?」

「そうですね。後者は欲望って感じです」


 エイジはユズハ達を見ながら思う。それはナギを囲んで黒いオーラに包まれたユズハとヒジリが腹に抱えているものだ。そして、自分も同じモノを抱えている。

 その名前が、欲望というのだ。


「でもな、その二つは本質的には一緒のモンやろ?後の方が欲望にまみれとる気がするけど、二つの例でするべきコトは、『好きな彼に振り向いてもらうための努力』や。恨みや妬みやおまじないや犯罪行為やない。その思いに醜さも美しさもない。腹にたまった時点でそれは全て欲望や」

「ため込んでるから、欲望が汚くなってくるってコトですか?」

「汚くなるとは言わんけど、どす黒くはなってくるな。自分の中で消化しきれず膨らんで、扱いきれなくなって、それでもため込んで、満たされることなく不満ばかりがたまっていく。『あの人のため』『世間体』『自分以外の何かのため』そう言っているうちに欲望に振り回されるようになる。その姿が醜いんやないか?」


 エイジは、ただ黙ってイチタカを見つめていた。彼はいつもの人の良さそうな笑顔のままだった。


「どす黒いモンは、吐きださんと体にも世間にも悪いで?恐ろしくて近付けもせん」

「そんな悪いもの吐き出したら、迷惑ですよ、ああいう風に」

「どす黒くなる前に吐き出せばいいんや。『欲望』が、『願い』のうちに。まあ、一緒やけど」


 ちらっと、ナギを見るイチタカ。その横に座るコトコを見てから、再びエイジに視線を移す。


「コトコさんから聞いた話なんやけど……。『欲しいモノが欲しいと言える人間でいたい』って、兄さんが大学時代に言うとったらしいな。オレは最初はな、何やあの兄さんのことやから、考えなしでオレ様発言かよ、って思っとったけど、そうやないのは判るよな?」

「え?」

「あの人は、家庭環境のことで、ほんまは受験もものすっごく悩んどったらしいで。コトコさんも、あん人の家庭のこと聞いたんは酒に酔うた時にホントに一回だけやって言うとったけど」


 ナギの家庭の話は、ゲームに参加した理由以外、直接彼の口から聞いたことはなかった。カナタから聞くことはあったが、その情報はナギの口からではなかったはずだ。


「あん人はあんなオレ様でガキでわがままなのに、オレには充分すぎるほど綺麗に見えるけどな。なんでやろな。少なくとも、ため込んでる田所先輩らよりは」


 イチタカは視線を落とし、冷め切ったコーヒーにミルクを入れ、かき混ぜた。


「欲望が願いのうちに、吐き出した方がええ」


 ミルクが分離して、ちっとも混ざらない。


「願いが美しいものだと信じとるんなら、感じとるんなら、なおさらや」


 エイジは、微かに頷いた。


「願いが叶うなら、人の心は救われるんや。叶うかどうか不安やから、欲望を腹にため込む。悪循環や」


 願いを叶える手段なら、ある。望む力が本当ならば。

 曖昧なモノにでも、何でも、すがってみたらいい。エイジはそう思っていた。


「望みを叶える方法があったらええのにな。そしたら人はなんぼか救われる。そう思わん?うまい話ってないんかなあ」

「……そうですね」


 エイジは静かに微笑んだ。

 小さく灯っていただけだったはずの、欲望の炎が燃えさかる。

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