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第14話【ヨウヘイ】

第14話 ヨウヘイ


 ナギは気持ち悪いくらい、いつも通りだった。それは同じ部屋にユズハが住んでいようとも、全く変わらない。一人でいたときも、こうして過ごしていたのだろうと言うことがユズハにはよく判った。それが彼を安心させた。


 引っ越してから三日、毎日ダイニングにあるテーブルに朝食が用意されていた。昨日のゲームで様子がおかしかったから心配していたが、いつも通りの朝の風景が嬉しかった。起きる時間が違いすぎて、一緒に食べたことはないけれど。


 ナギは口にしたことはなかったけれど、中緒家の朝食を彼が作っていたという話を、以前ヒジリから聞いたのを思いだしていた。そういえば高校生の時はいつも弁当だった。


 普段は朝食を食べる習慣のないユズハだったが、ここに来てからいつもするように、みそ汁を注ぎ、ご飯をよそい、席に着いた。


 黒いエプロンがもう一つの椅子にぐしゃぐしゃのまま引っかけてあった。

 部屋を見渡すと、ナギの作業机には青いジャージの上下がほったらかしにしてある。部屋の隅にあるベッドにはパジャマがわりにしている白い甚平が同じようにぐしゃぐしゃ。

 思わず心配になってキッチンを見たが、綺麗なモノだった。きれい好きだけど……片づけは出来ない、と言ったところか。


 彼は喜びの混じったため息をついた。


 食器を洗い、部屋に散らばる雑誌と新聞をまとめ、洗濯物をまとめ、部屋を掃除した。そこまでやって、もしかしたら自分は神経質なのか?と疑問を持ったりもした。

 越してくる前にいた部屋では、全く知らない者同士だったと言うこともあったし、未だ1ヶ月ほどしか経ってないと言うこともあって、遠慮がちに過ごしていた。お互いの生活を干渉しないように過ごしていた。

 でもナギはもう、つきあいも長いし、こうして一緒の部屋や家で過ごしたことがないだけで、学校でも道場でも一緒にいた。こうした干渉をすることに抵抗はない。他人である彼に抵抗がないからこそ、自分自身に疑問を持つ。


 ナギは、同じ部屋にユズハがいると言うことをどう考えているのか。一瞬だけど、それも気になった。彼は今まで誰かと同じ部屋で過ごすなんて言う経験はないはずだ。大学時代、東京に出たときも一人暮らしをしていたはずだし。


「そういえば、あいつの大学生活って知らないな……」


 煙草に火をつけてから、あっと気付いて窓際に移動した。


 大学時代の長い夏休み、ナギはもちろん家に戻って道場の仕事をしていた。だから、その時はそんなに疑問を持たなかったけれど。彼は一体、家族や自分のいないところでどんな生活をしていたのだろう。


 道場で、中緒の父とナギが話していたときのことを思い出す。まだ、マドイ達が地元の中学に通っていたから、彼が大学3年のころか。ユズハ自身は卒論で忙しく、なかなか顔を出せなくて、中緒親子の話が随分進んでいたことに驚いた。


「椿山学園……?ヒジリがここに行きたいって言ってるんですか?確かに、隣の県だし、そんなに遠くないけど……全寮制?そんな必要あるんですかね?」


 師範の隠居する離れの部屋から、ナギの疑問の声が聞こえた。ユズハは一瞬入るのを躊躇ったが、仕方なく廊下に正座し、ふすまを開けた。


「失礼します」

「……ユズハ!」

「いや、いい。私が呼んだんだ。お前がいない間、田所くんにはよくしてもらってる。今後のことも、なるべく一緒に話していこうと思っているんだ」

「……そうですね。ユズハには……世話になってますから」


 彼は笑顔で師範に答えた。自分に向けられることはなかったけれど、その言葉が何より嬉しかった。


「二人で学園の見学にも行ってきたそうだ。スポーツ系が強いから、マドイにちょうど良いんじゃないかと言ってたが。あの子も、未だ何をしたいか決めかねているようだし、好きなようにやらせてみようと思ってる。お前のフォローをしていきたいとも言っていたが……」

「……お気持ちは、よく……」


 ナギも師範もマドイが「少しばかり」喧嘩っ早いことを心配していた。気が強く、正義感も強い。まるでヒーロ−のような女だったのだが、やはり可愛い妹であり娘だ。心配で仕方がない。師範は、男であるナギに跡を継がせ、姉妹には大きくなりすぎた道場の経営にまわって欲しいと考えていたようだ。体調があまりよくなかったから、気が弱くなっていたのはユズハにも手に取るように判った。


「お前も、院に行きたいのだろう?行けばいい。お前は本当によくやってくれている。約束とはいえ、お前の希望通りの仕事をさせてあげられない。代わりと言ってはなんだが、好きなようにしなさい。この道場のことを忘れなければ、それで良い」

「院?!」


 師範の言葉に驚いたのはユズハだった。


「院って?お前、未だ東京にいるつもりかよ?てか、未だ3年だし、何でそんな早くそんな話……」

「まあ、就職する気はないけど、せっかくだしさ。院に行くつもりなら、そろそろ教授にその意志を伝えとかないと……。進められたのもあるけど」


 要するに、就職する気がないと進路相談時に伝えたら、院に残れと言われたのだろう。


「金もかかるし、どうしようかと思ったんだけど、師範が進めてくれたから」

「何を言ってる、お前は気を遣わなくて良いと言っただろう。大体、何も国立にこだわらなくてもよいと言ったのに」

「それは、単純に目標を大きく持っただけですよ。師範の教えじゃないですか」


 そう言うことを言ってるんじゃない、と師範の顔が訴えていたが、ナギは笑顔だ。


「……まあ、そう言うことだから、田所くんにはしばらく迷惑をかけるが……。君は、どうするんだったかな?」

「あ、はい。卒業後は研究室で助手として働くことになってます」

「そうか。ナギ、ちょっと席を外していなさい。田所くんと話があるから」

「はい、失礼しました」


 彼は一礼をし、退室した。


「君は、本当に良い青年に成長したな」


 師範の言葉の真意を、ユズハは測りかねていた。

 ナギと師範の関係は傍目に見れば師匠と弟子そのものだったけれど、ユズハには本当の親子なんじゃないかと疑ってしまうくらい、二人の本質は似ているように見えた。

 こうして、時々とんでもない話を始めるところも。


「ナギに跡を継がせることに、不満はないのかね?」

「何故です?彼はあなたのご子息です。なんの不満があるでしょう?」

「君は、この道場に来て長い。道が厳しくやめていく者が多い中で、君の実力は抜きん出ている。ナギがいない間、隠居している私の代わりに娘達とうまく道場を取り仕切ってくれたのも君だ。特に、最近入ってきた門下生達の中には、君の方が跡継ぎにふさわしいという者が多くいるのも知っている」


 ユズハは何も言えなかった。


「君は、この道場で、道を究めることに積極的だ。君の同級生も何人か入門者がいたね」

「はい」

「しかし、ナギには他にやりたいことがある。それは明らかだ。それは、門下生達にも伝わるだろう。私は、あの子を10年以上この道場に縛ってきた。あの子がどんなによくしてくれたか」

「はい。……もう、随分涼しくなっております、冷房はお体に触りますから」


 布団に入り、背もたれに身を預けたままのはずの師範から、威圧感さえ覚えた。彼は何も、ユズハを脅しているわけではないのに。

 ユズハは、その状況を変えるために、布団から離れ、エアコンのリモコンを手に取った。

 この部屋には、他に何もなかった。唯一、「中緒陽平殿」と書かれた免状だけが額にいれて飾られていた。他のモノは全て道場にある。


 ただ、師範だけを見つめなくてはいけないこの部屋は、ユズハにはプレッシャーだった。


「どうかね、この道場。君には魅力的に映っているかな?」

「直球ですね、師範。そう言うところはご子息もよく似ておられる」

「冗談ではないよ。どうかね、君はこの道場を継げと言われたら?」


 ゆっくりと、師範から目をそらさぬよう、彼の横に戻った。


「……お断りします」

「どうして?この家も、土地も、たくさんの門下生も君のモノだ。君にはその実力がある。それとも他に何かやりたいことでも?」

「ナギがいます」


 師範は、人の悪い笑みで頷いた。


「君はそう言うと思ったよ。優等生だな」

「でしたら、おかしなコトを聞かないでください。あなたは人が悪い」

「本当のことを言うと、君はまだまだ甘い」

「……甘い?」

「ナギを助けてやってくれないか。今まで通り、今まで以上。あの子達兄弟と一緒に。そう言う意味で、君にもこの道場を任せたい」

「……そう言うお話でしたら、喜んで。それより、私の甘い部分とは?」

「すまないが、今日は喋りすぎた」


 ユズハに座椅子をどかしてくれるよう頼み、布団に入った。

 自分の顔を見ることのない師範を見つめながら、ユズハは部屋を後にした。

 ナギのあのバカがつくほど正直で、間抜けで、子供っぽい部分がなくなったとしたら、成長と共に消えたとしたら、こんな風になるのかと少しだけ不安になった。ずるくて、子供っぽくて、だけどいつまでもピュアで美しい。


 そんな大人、イカレてる。

 この強くてずるい師範が、嫌いじゃなかった。でも、一生消えそうにない敗北感があった。


 道場の途中にある縁側で、ナギが稽古着のまま、正座をして庭を見ていた。


「道場に戻れよ、師範代。夏休みはもうすぐ終わる」

「……そうだな。どうだ、オレがいない間、ここは……?」


 その時、ナギは初めてユズハに道場のことを聞いた。今までまかせっきりで、信頼してるからなのか何も聞かなかったナギが。


「どうって。ちゃんとやってるよ。隠居してるとはいえ、師範だっている。お前だって、月に一度は帰ってきてるし、問題はない。何か問題でもあったように思った?」

「いや」

「……大学、楽しいか?」

「楽しいよ」

「受験勉強、大変だったもんな。高校、普通科だったし」


 ナギは答えなかった。

 空が急に暗くなり雨が落ちてくる。雨音だけが、耳に残る。


「でも、それでも、ここを離れているのは不安になる」

「……雨でよく……聞こえない」


 はっきりと聞こえていたけれど。

 ユズハはナギを無理矢理立たせ、道場に連れて行った。

 もっと話して欲しかった。もっと彼の弱い部分を知りたかった。さらけ出させたかった。彼の弱い部分を、辛い心を、弄ぶのも守るのも自分でいたかった。

 あの時期は、常に側にいたはずの彼と離れている時間が長くなっていた。だから、余計にそう思っていた。


「……近すぎるんかな、もしかしたら?」


 一転、今、ナギとユズハは四六時中一緒にいる。とうとう、同じ部屋で生活する羽目になってしまった。しかも、ナギがユズハに疑問を抱いているこの時期に。

 いつまでも、あの道場で、閉じられた世界で、彼の側に、彼の後ろにいたかった。それは叶うような気がしていた。

 師範も、自分にどこまで好意的なのか判らなかったが、ナギの補佐としての信頼を勝ち得ていることは確かだった。

 考えすぎてるのかな?とも思った。


 ここに来てから、ユズハはずっと、真っ暗な闇の先のことを考えていた。


 ナギに考えさせないように、彼がまっすぐでいられるように、自分の手の中から逃げないように、そのコトだけを考えていた。

 暗くなりすぎるのはよくないな、と思い、立ち上がる。

 部屋中の布に消臭剤をかけ、灰皿を洗って引き出しに隠した。

 

 突然思いついて、ナギのクローゼットから勝手にポールスミスの黒い革のバッグを取り出し、論文用に借りてきた本を詰め込んだ。おしゃれぶってるナギへの嫌がらせだ。

 その手が止まる。


「……黒い、封筒……?」


 ノートがわりに使っているA5サイズのバインダーから小さな封筒が落ちた。そのサイズは、ナギがもらったあの青いカードと同じ。色だけが違う。


『彼は、生け贄にふさわしい』


 あの青いカードがナギへの挑戦状なら、これはユズハに対する挑戦状だった。

 バッグとカードを掴み、ユズハは大慌てで部屋を出ていく。

 ナギに電話をかけるが、出なかった。


「どういうつもりだ!?こいつら!!」


 正体がつかめない。何が目的かも判らない。

 戦うしかないこの状況が、ユズハには不愉快だった。


『本当のことを言うと、君はまだまだ甘い』


 なら、自分は一体どうしたらいいのか?

 どうして自分は甘いのか。

 こんなにも、こんなにも、他のモノ全てを切り捨てて、欲しいモノのため、自分のために動いているのに。


『良いから、お前は黙ってオレについてこい』


 あの時、道が見えた気がするのに。

 どうしてあの親子はこんなにも自分を振り回すのか。

 少しだけ、師範が憎たらしかった。


「あ、田所先輩やないですか」


 寮を出たところで、大きく手を振りながら声をかけてきたのはイチタカだった。しかし、無視して走って学園の方へ向かうユズハ。


「酷いなあ、無視せんでもええやないですか。こないだ、あんなに手伝ったのに〜。仲良うやってます?」

「それなりにね。てか、なんであんな所にいたの?」

「あそこんとこの茂み抜けると、すぐオレんとこの寮なんですわ。抜け道です」

「あ、そう」


 隣を走りながら話しかけてくるイチタカに、仕方ないと言った感じで返事をするユズハ。結構なスピードで走っているのに、よくついてくるなあと思いながら。


「なんや?授業に遅刻しそうなんすか?」

「いや……今日はないけど……。ナギ見なかった?」

「ああ、コトコさんと一緒にいましたよ」


 突然止まったユズハを追い抜いてしまったイチタカ。


「なんや!なんで急に立ち止まるんですか!」

「……コトコって、誰?」

「誰て?コトコさんや。美人さんやで〜」


 イチタカも知ってる、ナギも知ってる。でも、自分は知らない。思わずイチタカを睨み付けた。


「小島くんの知り合い?」

「まあ、はい。兄さんも前から知り合いだったようなことを言うてましたけど……」

「どこにいる?」

「高等部芸術科の学食……ですけど?」

「案内して」

「え?どっか向かってたんちゃうんですか?」

「いいから」


 眉をひそめつつも、ユズハの勢いに負け、渋々イチタカは彼を連れて高等部へ向かった。

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