銀狼と村娘
むかしむかし、遥かむかしのこと。
ある田舎の村に一人の女がいた。
女は薬屋を営んでおり、店も兼ねる家の庭には薬草畑を持っている。
その夜。
物音を聞いて畑の様子を見に行った女が出会ったのは、大きな銀毛の狼だった。
◇◆◇
混ざりモノという存在がある。
人と人外の血が交わることでその子孫の中に突如生まれるモノだ。
人と人外の子は「混血児」ではなく人か人外かのどちらかとして生まれる。
しかしその子孫のどこかに「混ざりモノ」が生まれることが稀にある。
そう、稀に。混ざりモノは滅多に生まれない。
そもそも人と人外が交わり、子をなすこと自体が少ない。
人外と子をなそうとするならば人は肉体のみならず魂そのもので人外と繋がる必要がある。
人間はその交わりにおいて人外の力持つ魂に耐えられなければならないのだ。
それほどの魂を持つ人間は多くはない。
はるか太古の時代にはそんな人間も多くいたがもう希少な存在だ。
時代とともに人外の存在に近づける人間は減っている。
いずれは人外を見ることのできる人間すら少なくなるのだろう。
話が逸れたが、人外と交わり子をなせるほどの人間は少なく、さらにその少ない人間が人外と子を成すわけでもない。
希少極まりない人と人外の番い、その子孫からさらに偶然に生まれるのが「混ざりモノ」である。
そんな珍しい存在だ、そもそも知っているものさえ少なく、直接見たことがあるものなどさらに少ない。
斯く言う我も、実際に見たことはない。
故にこれは「混ざりモノ」そのものではなく、その生まれ得る可能性、人と人外が交わったという一つの例である。
◆◇◆
わたしはハンナ。田舎の村で薬屋を営む独り身の女だ。
親がかなり歳をとってからの子供で、両親は何年も前に病気で他界していた。
祖母と母親譲りの深い緑の瞳、 父によく似ているらしい金色の髪。
村から離れて大きな町で商人をしていた両親とはあまり会えてはいなかったけれど、村で面倒を見てくれていた祖母にはとても可愛がってもらった。
かなり長生きだった祖母は薬屋だった。
この小さな村には教会もなく医者なんてもちろんいない。
怪我をしてしまったり病気になった村の人の多くが祖母の薬に頼っていた。
数年前にその祖母も亡くなってしまったけれど、祖母に教わった知識と技術でなんとか薬屋を切り盛りしていた。
祖母はわたしの先生だった。
薬草の育て方。
いい土の見分け方、水の与え方、肥料の作り方。
草の育ちの程度に寄って使える薬が違うこと、季節によって違う効き目になる薬草があること。
薬の作り方。薬草を刻む、しぼる、かわかして砕く、漬けて成分を染み出させる。
作業の工程、薬ごとの煎じ方。
いつ採れた薬草をどう煎じればいいのか。
お客さんに必要な薬はどれなのか。
効用は? 量は? 使い方は?
適切な薬を正しく使うこと。
薬のお代はどれくらいもらうのか。
他にも野菜の育て方、料理の仕方、裁縫のこつ、文字の読み書き、計算。
薬以外のことも祖母はよく知っていて、それらを何度も教えてくれた。
たまに村に帰ってくる両親からは行商人との付き合い方や社会の仕組みを教えてもらった。
あまり会えない二人はそれでもわたしを愛してくれていた。
何度か町に一緒に行かないかと誘われもした。
村が好きだと言ったわたしに、両親は自分のしたいことをしなさいと言ってくれた。
両親や祖母に愛されて、今のわたしは生きている。
ある夜のこと。
庭のほうから物音が聞こえた。
なんだろうと思い、畑の様子を見に外へ出たわたしは出会った。
それは大きな銀毛の狼だった。
畑の隅に伏せるようにしながら首をもたげてわたしの方を見ている。
大きな狼だった。
おそらく立ち上がれば大の男よりも高いだろう体躯に、月光を浴びて銀白に輝く美しい銀毛。
しかしその銀毛はところどころ赤く染まっていた。
「あら大きなお客さん。あなたに合うお薬はあるかしら」
『薬? 君は薬屋なのかい』
普通の声とは違う、耳に直接響くような声が聞こえた。
というか喋った。
「ええ、大きな狼さん。皆様にご愛顧いただいている村の薬屋さんです。ところで」
すっと狼の下を指してみる。
「そこはその薬を作るための大切な薬草畑なのですけど」
銀狼は言われて気づいたように見下ろす。
『これは失礼をした。君の畑を踏み荒らそうと思ったわけではなかったのだが』
そう申し訳なさそうに言いながら足に力を入れようとする。
『わざとではないにしてもすまない。すぐにどこう』
立ち上がろうとするがふら付いてしまう。
「無理しないでください、立てないならそこにいて。今薬を用意しますから」
『しかし、君の畑が』
「いいです、一度踏んでしまったものは仕方ないですから」
言いながら銀狼に近づき体の様子を見る。
大きい体と綺麗な銀毛。赤く滲んでいる部分をそっと触って傷を確かめる。
「それより立つのもつらそうなあなたの傷のほうが気になります。……うん。わたしが戻るまでじっとしていてください」
わたしは家に駆け戻り、いくつかの瓶や袋を持って戻った。
液薬や軟膏で処置をしながら、銀狼に聞いてみる。
「どう、痛くないですか?」
『ああ、驚いた。痛みが和らいでいく。君は私のようなモノのための薬も扱っているのかい?』
「いいえ。わたしのお店のお客さんは人だけ」
言いながらも手は休めない。
傷を洗って消毒したらあとは痛み止め。
「あなたみたいな方にお薬を用意したのは初めてです。魔除けの薬とかを応用してみたのだけれど効いてよかった」
『ますます驚いた。今傷を見て薬を用意したということかい』
目を見開く銀狼。
どうもこの銀狼は感情豊かにみえる。
話す狼なんて初めて見るけど。
「ええ、よくないモノに障った傷に似ていたからそれを参考にしてみました」
『少し尋ねるが、私のような人外のモノに触れることや言葉を交わすことも、もしかすると初めてなのだろうか』
「近づくのも初めてです。人の理の外に在るモノには不用意に近づいてはいけないっておばあちゃんも言っていたから」
『ほう。君の祖母は人外のモノに関わりをもっていたのかな』
「それはわからないです。そのことはおばあちゃんあまり話してくれなかったから」
でも、そうかもしれない。
詳しく話してはくれなかったけれど、人外のモノに無闇に近づくなということだけは何度も言われた。
その話し方はまるで自分の経験を話すようだったから。
「はい、これでしばらく安静にしてくださいね。あまり動くと傷が開きますよ」
『ありがとう。畑を荒らしてしまった上に手当までしてもらえるとは。頭が上がらないな』
「どうしたんですか、その傷?」
『ん、ああ。ちょっと影の精霊に襲われてね』
話を聞くと、この銀狼は大きな深く古い森の奥に棲んでいたという。
しかしある時影の精霊に襲われた。
その古い森は暗く、また神秘の染みた影が多く、それは影の精霊たちにとって最も力が増す土地だ。
反対に人の生きる土地やその付近は命の光が満ちた土地となり、影の精霊たちの苦手とする場所になるらしい。
彼らから逃れようとしているうちにここに来てしまったと。
話終わったあと、ゆっくりと立ち上がる銀狼。
『影の精霊の奴らは来られないだろうが、私がここにいるだけでも迷惑だろう。またいずれ、お礼とお詫びは必ずしに来ると誓おう』
そんな銀狼に向かってわたしはそれなら、と言った。
「怪我が治るまでここにいてください」
『いや、しかし……』
「あなたはもうわたしのお客さんです。薬も治療も続けなければ治りは悪いですよ」
それに、
「わたしの畑を荒らした弁償はしてもらいますからね。怪我が治ったら店の手伝いでもしてもらいますよ」
二十年生きた程度の人間の小娘にそう言われ、尋常ならざる存在の巨大な狼は困ったように笑い声をもらした。
『そう言われては適わないな』
そしてその頭を少し下げて言う。
『よろしくお願いする』
「はい、よろしくお願いします。わたしはハンナといいます」
『ハンナか。私はルフスだ』
「いい名前ですね」
『だろう?』
とりあえず今日は寝て、明日畑の片づけをすると言ったが、すぐにまず悩むことがあった。
「ルフスさんの寝床はどうしましょうね」
このまま畑に居られるわけにはいかないし、かと言って家に入るかも怪しい。
というか扉にまず入らなさそうだ。
そんな風わたしが悩んでいると。
『それについては問題ない』
え? と振り向くとそこには銀狼はおらず、灰色の服を着て狼の頭の被り物をつけた男が一人立っていた。
「人の世話になるのだから人の姿を取ってみたのだが、どうだろうおかしくないだろうか」
「え、ええ。というかそんなことできるんですね」
「まあ初めてだったができるものだな。尾も耳もないだろう?」
そう言って被り物を取るルフス。
「それ頭じゃなかったんですか」
「違うよ。人の形に自分を押し込めるときに出てしまったらしい」
そこから現れた顔は人間のそれだった。
元の銀毛のように美しい銀髪は前髪も上げて後ろに流している。
少し皺のある顔は人間の中年くらいの男性に見える。
目は狼の時と同じ金眼。
「牙は少し残ってしまったがね」
そう言った口元には確かに通常よりも尖った犬歯が見えていた。
「ちなみにこの姿だと他の人間も私の姿を見ることができる」
「というか、おじさんだったんですね」
「まあ君たちの言う年齢といった感覚はないのだが人の姿をとると自然にこうなったという感じかな」
「どれくらい生きてるんですか?」
「私の場合は数百年と少しといったところかな。私はまだ君たちの感覚で計れるくらいだしひたすら生きればいつかは死ぬが、寿命がないモノも多くいるよ」
「すごい年上ですね。はい」
毛布を渡して階段を指す。
「二階の上がってすぐ右の部屋、ベッドもあるし使ってください」
「すまないね」
「いいですか、しばらくは安静にしてください。朝になったら薬塗りますからね」
「ありがとう、ではおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
人の姿をした銀狼との生活が始まった。
しばらくは安静にするため簡単な家事の手伝いをしてもらっていた。
最初はもっと多くの仕事を手伝おうとしたが、諦めさせた。
「しかし世話になっているだけというのも」
「そう思うなら安静にして早く傷を治してから仕事を手伝ってください」
「む、わかった……」
しばらくして傷が治ってくると、少しずつ薬屋の仕事の手伝いもしてもらうようになった。
「三番と八番の瓶の塗り薬を二本ずつ出してきておいてください」
「わかった」
「暖炉のそばには置いちゃだめですよ」
「そうなのか、了解した」
畑仕事や店の仕事も手伝うようになってもらうと村の人たちにもルフスさんの存在は知れる。
「ハンナちゃん、あのおじさんは誰だい?」
「祖母の知人です。昔世話になった恩を返したいと来られまして。しばらくこの辺にいるそうなので手伝ってくれてるんです」
「なるほどそうかい。さすが薬のばあちゃんだ、色んな人が助けられてるんだねえ」
村では「薬のばあちゃん」で通っていた祖母は昔からどんな相手でも手を差し伸べていたらしい。
それ故かわたしのそんなつくり話も、違和感なく受け入れられるようだった。
そのうちにお店でルフスさんと村の人たちも関わるようになっていた。
「こんにちは、ルフスさん」
「ああこんにちは。今日はいつものかな」
「ええ、塗り薬をお願い」
店にやってきた向こう角のおばさんに、棚から塗り薬を出して手渡すルフスさん。
「肩のほうは大丈夫かな、無理はしないように。すぐに体は壊れてしまうからね」
「あらありがと。でも大丈夫よ、前に煎じてもらったお薬が効いているわ」
「それはよかった。お大事に」
言ったあとルフスさんは倉庫の整理に戻っていく。
するとおばさんがわたしのほうへ寄ってきてひそめた声で話しかけてきた。
「ハンナちゃん、ルフスさんとはどうだい?」
「どうってなにがですか」
ちなみに彼がうちに住んでいるのはとっくにばれている。
さすがにこんな宿泊施設もない村で新しい顔がずっといれば隠すのは無理だったようだ。
「どれもなにもないよ、もう。あんな優しくて器用できれいな顔してる人だよ?」
人じゃないですけどね。
「ハンナちゃんだって満更じゃあないんだろ?」
「……はいはい、早く帰らないと旦那さんお腹空かせてますよ」
無理やりおばさんを見送ったあと、ルフスさんに話しかける。
「もうルフスさんも大分馴染みましたね」
「ああ、こんな生活は初めてだが、なかなかどうして楽しいものだね」
照れるように微笑むルフスさん。
人の姿をとっている今の見た目はわたしより二十は上に見える。
さらに実際はもっともっと長く生きていて、しかも人間でもない。
でもそんな風に微笑む彼を少し可愛いと思うなんて、言ったらルフスさんはどんな顔をするだろう。
「そういえば前は森に住んでたって言ってましたけど、人とは全然関わることはなかったんですか?」
「ん、ああ。そうだね。あまり人が入ってくるような場所ではなかったけれど、たまに見かけることはあったよ」
少し遠い所を見るような目をしながら彼は話した。
「でも、関わることは少なかったね。まず私たちのようなモノが見える人も減ってきているから。それに私が普段いる場所は森でも深い場所だったからね。でも、そう」
一度だけ、と彼は言った。
「一度だけ私の住処へ人が迷い込んだことがあったよ」
聞きたいかい?
そう目で問うてくる彼にわたしは頷いた。
「そうか。じゃあ――」
――私の名はルフスという。
知っている? そうだね。
この名はね、ある人間がつけてくれたものだ。
まだ私が森にいた頃、ある時一人の人間が迷い込んできた。
しかも森の浅瀬ではなく、私が住んでいる深い場所にまでだ。
そこまで人が迷い込むことは滅多にない。
何かしらの意図を持って侵入するものはいないでもないが、まあそっちは追い払ってしまうからね。
それは一人の女だった。
あとから聞けば、いつも村の近くで取っている薬草が取れず、離れた大きな森の際で取っていたらしい。
娘が家で待っているから早く帰ろうとしていたところで「暗き蛇」に出会ってしまった。
ああ「暗き蛇」というのは暗がりに潜んで暮らす人外のひとつなんだが、潜む習性のせいか視られることを極端に嫌うんだ。
彼女はそれを「視て」しまい、そして襲われた。
必死に逃げている間に私の森へ迷い込んだようだった。
人が襲われるのは運が悪いが、それだけだ。冷たいかな?
哀れみは覚えたが、自然の摂理、いや理外の摂理か。仕方がない事だと思っていた。
しかし、私の住処に踏み入るだけならともかく血で汚されるのは気に食わなかった。
私はそれだけの理由でその蛇の人外を踏み潰した。
結果的にその人間の女を助けた形になったわけだ。
そこで少し話をしてみた。
理を外れた存在を見ることのできる人間自体は珍しいというほどではない。
しかし彼女はそういったモノに遭遇する機会が昔から多いと言う。
私は、理由がないのならなるべく関わらないことだと忠告した。
中には認識されただけで区別なく襲うあの蛇のようなモノもいるから、と。
私にとっては気に食わない蛇を踏み潰しただけだったが、彼女は大層感謝していた。
何か礼がしたいと強く申し出られてね。
特に欲していたものもなかったのだが、人間の文化を少しばかり知っていた私は一つ興味がある事があった。
何でもお望みのものを、なんていう彼女に私は言った。
名前を。
名前を与えて欲しい、と。
そして彼女は私にルフスという名前を与えてくれた。
自分のいる地域の古い言葉で偉大なる狼という意味だと言う。
そして――
「――そして私は『ルフス』になったわけだ」
懐かしそうにそう話す彼の眼差しは寂しいような嬉しいような、いくつもの色が混じり合った光を携えていた。
「ルフスさんの名前ってそういう風につけられたんですね」
「ああ」
「その女の人とは?」
「会ったのはその時だけだよ」
「そうですか……」
彼の奥にあるものに少し触れられて嬉しいような、でも少しもやもやするような気分だ。
「それでね、ハンナ」
「なんです?」
気づくと彼がわたしの目を見つめていた。
「私はここで君に出会って驚いた」
「え?」
「私に名前をくれたのは君の祖母だ」
え?
「最初に見たときは見覚えのある綺麗な瞳だと思った。でもここで暮らしてこの家の匂いを嗅いで君の祖母の話を聞いて確信した」
彼はそこでふっと微笑んだ。
「君の祖母が、私に名を与えてくれた彼女だった」
こんなことがあるものなのだね、そう言って彼は笑った。
彼はそのあとの話をした。
暗き蛇は影の精霊の眷族だった。
眷族を踏み潰された報復に影の精霊がルフスを襲い、彼は森を出て逃げなければならなくなったらしい。
「それじゃあ、ルフスさんが襲われたのは、お、おばあちゃんの」
「君の祖母のせいではない。それは断じて違う」
「でも」
「あそこでそうしたのは私の選択であり、私以外の誰もその責を負うことはできないよ。彼女は何も悪くない、君の気にすることでもない」
それに、と言う。
「森をでたおかげでこんな新鮮な生活が楽しめているんだ。悪い事ばかりでもない」
長く暮らした森を追われ、彼はこの傷が癒えても帰る場所はないのだと言った。
どこか、あるかはわからないが新しい住処を探して彷徨うつもりだという。
「それなら、ここにいてくれませんか?」
私も、祖母がいない生活に慣れてきてはいたけれど、でも。
「私も、一人だから」
しばらく黙ったあと、彼は言った。
「私は人外のモノで、君は人だ」
重い目をしてゆっくりと。
「住む世界が違い、存在が違い、生きる時間が違う」
ずっと同じようにはいられない、と。
そのあとは気まずくなってしまい、すぐに寝てしまった。
翌日から彼は特に変わりなく、店を手伝ってくれていた。
わたしも表面上はそうだった思う。
でも内心は……。
ある日、畑作業を二人でしていると急に彼が立ち上がりある方向を睨んだ。
「どうしたんですか?」
「しまった。奴らだ」
彼を追っていた影の精霊が村のすぐ近くにまで来ているということだった。
「奴らは光や明るい場所を嫌う。だから大丈夫だと思っていたのだが」
人の命は生の輝きを放つものであり、人が集まる村などの周りはかなり広くまで影の精霊のようなモノは近寄れないらしい。
「それが村まで来るとは。よほど私のことが癇に障ったらしい」
苦々し気に彼は言った。
「どう、するんですか?」
「済まなかった、世話になった礼もできていないのに失礼ではあるのだが私は去るとしよう。そうすれば奴らも私を追ってくる。この村にも君にも、これ以上の迷惑はかけられない」
そう言うと彼は一瞬で人の姿を解き、巨大な銀狼へと戻っていた。
『君に危害は加えさせない。奴らは私が連れていく。たとえこの身が果てようとも』
そう言って動き出そうとする彼の前足に思わず抱き付いて私は言った。
「待ってください!」
『しかし奴らが。村にはもう入って来た、すぐにここにも来る』
「いいえ、待ってください」
わたしは彼から腕を離して彼の前に立った。
向こうからこちらへ寄ってくる暗いモノが見えた。
影が起き上がって蠢いているかのようだ。
それはわたしの畑の前で止まり、囲むように広がり始めた。
わたしは彼の前に立ったまま息を吸い込み、言った。
「立ち去りなさい!」
一度叫んでしまえば体の奥底から湧き出る勢いが止まらなかった。
「ここはわたしの村、わたしの家、わたしの庭。彼はわたしの大事な存在。あなたたちがそれを侵すことは許しません」
そしてもう一度お腹の底から叫んだ。
「ここから立ち去りなさい!」
すると影たちはするすると小さくなり去っていった。
『……まったく、君には本当に驚かされる』
振り向くと大きな狼が呆れたような感心したような声で苦笑いをしていた。
『力も使えないただの人間がまさか一喝で精霊を追い払うとは』
そして静かに彼は話した。
『人の命は、魂は輝きを放つ。しかし君の魂は他の誰よりも目映いのだね。これほどの光を目にしてしまえば彼らはこの村どころか一帯の土地に近寄ることさえできなくなるだろう』
本当に、と彼は言った。
『人とは、命とはこうも美しいものなのか』
「それなら、彼らがもうここには近寄らないというのなら、ここに留まる理由にはなりませんか?」
少し黙って、彼は答えた。
『君の優しさはもう知っている。薬屋としての矜持も。だが、君はなぜそんなにも私を引き留めてくれるのか聞きたい』
「それは」
『いや』
「え?」
『違うな、それは聞きたいがその前に私が言うべきなのは』
彼の大きな目が私を見つめていた。
『私が、ここにいたい』
彼は言う。
『永い生よりも輝く生を。君の側で、君と共に生き、添い遂げさせてはくれないか』
君が永遠に眠るその傍らまで、と。
「ありがとう、とても嬉しいです」
わたしは涙をこらえながら応える。
「でも一つだけ約束してください」
『どのようなものでも』
「私が死んでも、生きてください」
命が美しいと言うのなら。
「私のあとも命を慈しみ、愛し、生きてください」
どうか。
「その約束を守ってくれるなら」
どうか。
「わたしが死ぬまで、一緒に生きてくれませんか?」
『喜んで』
まるで大きさも形も違う二つは口づけをした。
誓うように。
祝福するように。
そして。
私は、
わたしたちは、
ともに生きて、命の輝きを見た。
◇◆◇
果たして。
彼と彼女がその後どうなったのか、我は知らない。
彼女の日記をたまたまこっそり見る機会があったのでここまでは知っているのだが、ここまで読んだところで奴に見つかってな。
そこまで怒るかというほどに怒られたので逃げて来たのだ。
それから会ってはいないしな。
あの銀の犬っころめ。
お前はこの世に湧いたばかりの存在故、もうそろそろ擦り切れそうな我よりさらに先の時代まで見れることだろう。
竜の時間は長いからな。
その時間の中でお前も人間と関わることがあるやもしれんな。
もしかするとどこかの聖女と結ばれたりなぞという、人間の神話のようなことになったりな。
ははは、そうでもないぞ、我らのような存在でも何が起こるかはわからん。
故にこそ面白いのだ。
この世界は。




