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攻略対象全員の人生を導いた悪役令嬢を導いたのは、前世でプレイしたゲームにはいなかった図書館の司書補でした  作者: 月雅


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第1話「断罪の予告」

あと一年。


私はその数字を、朝の鐘が鳴り終わる前に何度も噛み締めた。


寮の窓から見える中庭では、新学期を迎えた生徒たちが三々五々と歩いている。春の陽射しが石畳を白く照らし、遠くで誰かが笑う声がした。穏やかな朝だ。王立学園の二年目が、今日から始まる。


私――アネリーゼ・フォン・グランツは、寝台の端に腰を下ろしたまま、膝の上で指を組んだ。


一年後の卒業パーティー。あの場所で、私は断罪される。


王太子ジークヴァルト殿下が壇上に立ち、公衆の面前で罪状を読み上げる。聖女への嫌がらせ、攻略対象への妨害行為、貴族の品位を汚す数々の所業。学園長と貴族議会の立会いのもと、処分が宣告される。爵位剥奪か、領地没収か、国外追放か。


――乙女ゲーム『星降りの聖約』。前世の同僚に勧められて一度だけプレイした、あのゲームの筋書き通りに。


私は目を閉じ、記憶を整理した。


攻略対象は三名。第一王子ジークヴァルト・フォン・ケーニヒスベルク。騎士科首席クラウス・フォン・エッシェンバッハ。学園図書館長の息子セバスティアン・ヴィント。三名全員の恋愛イベントが、この二年目に集中する。


そして聖女――平民出身の光属性・極大の少女、エルヴィラ・メッツラー。ゲームのヒロイン。彼女と攻略対象たちの恋愛が進行し、それを妨害した「悪役令嬢アネリーゼ」が卒業の場で裁かれる。


それがゲームの結末。


ただし、私が覚えているのは一周分の大筋だけだ。どの恋愛イベントがいつ発生するか、正確なタイミングは分からない。サブイベントも隠しルートも記憶にない。一周しかやっていないのだから当然だった。


前世の私――水瀬凛は結婚相談所のカウンセラーだった。二十九歳で死んだ。過労による心不全。笑えない話だ。人の幸せを設計することばかり得意で、自分の体のことは後回しにしていた。


その「人の幸せを設計する力」だけが、今の私に残されている。


私は立ち上がり、制服の襟元を正した。


排除はしない。エルヴィラを追い出すことも、攻略対象との接触を妨害することもしない。それは前世の私の流儀ではないし、何より権力で人を動かせば、ゲームの悪役令嬢と同じことをしているだけだ。


やるべきことは一つ。攻略対象一人ひとりと向き合い、恋愛よりも大切なものを見つけてもらう。彼ら自身が、自分の意志で恋愛イベントから離れていく。そうすれば断罪の根拠そのものが消える。


一年。たった一年で、全てを書き換える。


まず必要なのは情報だった。ゲーム知識だけでは足りない。この世界の学園がどう運営されてきたか、過去にどんな改革があったか。人を導くには、その人が立っている場所を正確に知らなければならない。


私は鞄を手に取り、寮を出た。向かう先は図書館だ。


王立学園の図書館は、本館の東棟に位置する石造りの建物だった。三階建ての吹き抜け構造で、天窓から差し込む光が書架の間を柔らかく照らしている。新学期初日の午前中とあって、閲覧室にはまだ人が少なかった。


私は閲覧室を通り過ぎ、受付の窓口に向かった。


「恐れ入ります。過去五十年の学園制度変遷に関する記録を閲覧したいのですが、所蔵場所を教えていただけますか」


窓口の向こうに立っていたのは、見覚えのない青年だった。司書補の制服を着ている。濃い茶色の髪を短く整え、表情には動きがない。年齢は私より少し上だろうか。胸元の名札に「ルーカス・ヘルダー」と刻まれていた。


「学園制度変遷記録ですか」


低い声だった。抑揚が少なく、必要最小限の音だけで構成されたような声。


「はい。直近五十年分の、学則改正や組織変更に関する公式記録です」


ルーカスは一瞬だけ私の顔を見た。それから視線を手元の台帳に落とし、何かを確認する。


「二階西棚、区画番号七の三から七の五です。閲覧のみで、貸出対象外の資料が含まれます」


「ありがとうございます」


私が頭を下げると、彼はもう台帳に目を戻していた。愛想はない。けれど案内は正確で、無駄がなかった。


二階に上がり、指定された区画を探す。古い背表紙の並ぶ棚の前に立つと、埃の混じった紙の匂いがした。一冊ずつ背表紙を確認し、目当ての記録を引き抜く。学園評議会の議事録、学則改正の経緯書、組織図の変遷。


閲覧机に資料を広げ、読み始めた。


過去の改革には必ず推進者がいた。提案者の名前、賛同した貴族の家名、反対した勢力。どの改革も、一人の力では成し遂げられていない。根回しと合意形成の記録が、行間から浮かび上がってくる。


前世でも同じだった。相談所で学んだのは、人は正論では動かないということだ。その人自身が「そうしたい」と思わなければ、どんな助言も無意味になる。


二時間ほど読み続けただろうか。ふと顔を上げると、窓の外の光が傾き始めていた。


閲覧机の端に、一枚の紙片が置かれていた。


私は置いた覚えがない。紙片には丁寧な筆跡で区画番号が一つ書かれていた。「二階東棚、区画番号十二の一」。その下に小さく「騎士団組織沿革」とある。


顔を上げ、書架の向こうを見た。遠くの棚の間に、司書補の制服が一瞬だけ見えた気がした。


私は騎士団の組織図を頼んでいない。学園制度の変遷を調べていただけだ。なのにこの紙片は、私が次に必要とするかもしれない資料を示している。


なぜ。


私は紙片を指先で摘まみ、しばらく見つめた。それから静かに鞄にしまった。今は深く考えない。ただ、この図書館には妙に観察力の鋭い司書補がいる。そのことだけを覚えておく。


彼の名札に刻まれた名前を思い出す。ルーカス・ヘルダー。ゲームの記憶にその名前はない。攻略対象でもなければ、名前のあるサブキャラクターでもない。


ゲームにいない人間。私にとって、先が読めない存在。


窓の外で夕方の鐘が鳴った。資料を元の場所に戻し、図書館を出る。


翌朝、教室に向かう廊下で足が止まった。


教室の前の廊下に、二つの人影があった。一人は騎士科の制服を着た長身の青年。もう一人は、一般科の制服を着た小柄な少女。


クラウス・フォン・エッシェンバッハと、エルヴィラ・メッツラー。


二人は何気ない様子で言葉を交わしていた。クラウスが何かを言い、エルヴィラが小さく笑う。ただそれだけの光景。廊下を行き交う生徒たちは、気にも留めていない。


けれど私の胸の奥で、冷たいものが走った。


ゲームのクラウスルート。発端は「エルヴィラが練習場で怪我をし、クラウスが介抱する」。その前段階として、二人が顔見知りになる場面がある。


もう始まっている。


私は廊下の柱の影で足を止めたまま、二人が別れるのを待った。エルヴィラが教室に入り、クラウスが騎士科棟の方へ歩いていく。


呼吸を整える。焦るな。まだ発端のイベントは起きていない。今の段階なら間に合う。


ただし、時間はない。


一年。十二ヶ月。三百六十五日。その中で三人の攻略対象と向き合い、一人ずつ「恋愛よりも大切なもの」を見つけてもらう。そして自分自身の婚約を、自分の意志で終わらせる。


私は教室の扉に手をかけた。


さあ、始めよう。

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