16.第二王子ガブリエル
物心ついた時から「特別」だった。
白髪混じりの大人が、自分を「ガブリエル様」と呼ぶこと。
機嫌を損ねても、結局は相手が頭を下げること。
感じていた心とのズレがなくなったのは、一体いつだったのか——。
思い出そうにも、今となってはそれすらも無意味だ。
「婚約者……?」
母からその話があったのは、十歳の時。
「はじめまして、リリアージュ・ハインツベルと申します」
彼女は見事なカーテシーを披露した後、穏やかに微笑み俺を見つめた。
母の胸に光る宝石のように、キラキラした真っ赤な瞳。
その日から、嫌で仕方なかったクセ毛がほんの少し好きになった。
「いい? ガブリエル。ハインツベルの娘がいれば、あんな子に負けないからね」
綺麗に笑った母にとって、リリアは俺が負けないための「道具」だった。
そして、その道具がなければ、俺はあんな子——兄に負けるのだ。
「ガブリエル様、今日はお庭を散策しませんか。お見せしたい花があるんです」
それでも、リリアはいつも俺の隣にいた。
隣で嬉しそうに笑っていた。
「あっ、見てください。これです、シロツメグサ」
「シロツメグサ……」
リリアの手にあったのは、蕾のような白一色。
庭のあちこちに咲いている「平凡」な花。
「見ていてください、これをこうして……」
リリアは指先を器用に動かして、シロツメグサを編んでいく。
次第に一本のロープのように長くなったそれを、リリアは綺麗に輪にすると俺の頭に乗せた。
「ほら、冠の出来上がりです!」
眩しいものを見るように目を細め、リリアは俺の顔をじっと見つめた。
「素敵……」
ふいに体温が上がる。
「あっ、当たり前だろ! ぼっ、僕は王子だからな」
意地悪く顔を背けても、リリアはやっぱり笑顔だった。
「この前もたくさん作ったんです……でも、お兄様は少し不器用で」
「なら、一人で作ったのか?」
「いえ、アラン様が手伝ってくださって」
「……兄上が」
「お上手なんですよ……アラン様」
瞬間、ほのかに色付いたリリアの頬。
喉の奥がひきつり、目の前のリリアの笑顔が霞んで見えた。
「…け…るな」
「……ガブリエル様?」
「ふざけるな! 僕にはこんな冠の方が似合うと言いたいのか!」
シロツメグサの冠を地面に叩きつけ、リリアを睨んだ。
小さく震える彼女の指が、ドレスの裾を強く握り込む。
「リリア、君は僕の婚約者だろう……違うか?」
「いえ……その通りです」
「なら、もっと僕のためにできることを考えたらどうだ?」
リリアは何も言わず、何度も何度も頷いた。
——その日から、屈託なく笑うリリアはいなくなった。
ただ完璧に微笑むリリアだけが、今も俺の隣にいる。
「ちょっと、ガブリエル様どこ行ってたんですか?」
「……お前には関係ない」
「ふーん……まぁ、いいですけど。なんか機嫌悪くありません?」
「……」
猫撫で声のカトリーヌに向け小さく舌打ちをし、そのまま廊下を進む。
「まぁ、感じ悪い……でも私、知ってますのよ?」
「……何がだ?」
「その不機嫌を治す方法……」
まるで舐め回すように、カトリーヌの手が俺の太ももを這っていく。
「……一緒に来い」
「喜んで……」
腕に絡みつく彼女から漂う薄気味悪い匂いに、静かに目を伏せた。
その強烈な甘さに身を委ねれば、何もかも忘れてしまえるのだから——。




