知らない話を知らないまま
田舎の道に、個人商店と自動販売機が一台だけ並んでいた。夜七時を少し過ぎた頃で、空はすっかり暗い。街灯の光は弱く、白く浮いた自販機だけがやけに目立っていた。
兄弟の片割れが、飲み物を買ってくると言って自販機の前に立った。僕は少し離れた場所で、それを待っていた。
気づいた時には、いなかった。
名前を呼ぼうとして、やめた。代わりに振り返ると、背後の道路をバスが通った。
一台ではなかった。間を置かず、もう一台。どちらも同じ方向に走っていく。窓の奥に、制服のような色が並んで見えた。修学旅行の帰り、そんな言葉が自然に浮かんだ。
ここは観光地じゃないのに。
妙だと思っていると、隣に人が立っていた。いつからいたのか分からない人だった。
「最悪だ」
低い声だった。
「何がですか」
「胡桃が落ちると、岩が道を塞ぐんだ。家が集まってるだろ。あそこの道が使えなくなる。今は2つ落ちた…2つの岩が落ちてくるんだ……」
知らない話だった。けれど、その人は迷いなく言った。
いつの間にか、周りに三人ほど人が増えていた。誰もその話を知らないはずなのに、否定する人はいなかった。
「帰り道一緒だし、帰るか」
誰かがそう言い、全員が歩き出した。
帰り道には、胡桃の木があった。地面には、いくつも実が落ちている。
さっき話してくれた人が、それを拾い集めていた。
「最悪だ……」
呟きは、それだけだった。
岩は落ちなかった。
道も塞がれなかった。
家々の灯りは、いつもと変わらず点いていた。
それでも、胡桃の重さと、バスが二台通ったことだけが、妙に現実感を持って残っていた。
兄弟は、少し先を歩いていた。何事もなかったように。
あの話が本当だったのか、誰が知っていたのか、今も分からない。
ただ一つ確かなのは、僕たちはその話を知らないまま帰り、
――知らない話を、知らないままにしてしまったということだけだった。
この話に出てくる人たちは、
誰も詳しいことを知りません。
それでも、聞いてしまった話と、
見てしまったものだけは、消えずに残ります。
知らない話を、
知らないままにしてしまうことも、
一つの選択なのかもしれません。




